生活のかんじょう -3ページ目

ながながし夜を… すてきな語感

最近、寝不足の日が続いています。


以前は仕事がある日は一日5~6時間、仕事がない日はここぞとばかりに8~9時間ほど寝ていたのですが、

最近は仕事がある日は4~5時間、仕事がない日でも早起きすることが多く、5~6時間という感じです。


そんな生活を続けていると、たとえば、百人一首の有名な歌(どれも有名かも知れませんが)


あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

柿本人麻呂


を読んでも、「へぇ 長い時間ひとりで寝れたんだ。いいな。だいたい何時間ぐらい寝たんだろう。」
などという、睡眠時間に焦点をあてた、とんちんかんな感想を持ってしまいます…… というのはウソですが。


この和歌も昨日ご紹介した和歌 もそうですが、語感がとても素敵と思います。


声に出して見たくなるほどですし、実際声に出して読んでみると、黙読した場合とはまた異なる味わいがあります。


『ひとりかもねん(む)~』と、いかにも「百人一首をやってます」という感じで、ゆっくりと読んでもいいですし、普段の口調で、静かに誰かに語りかけるように言ってみても、心に染みてきます。


お時間がありましたら、どうぞ声に出してみてください。


【歌の意味※】

「山鳥の尾の、垂れ下がった尾が長々しいように、(わたしは)秋の夜長をひとりで寝ることになるのだろうか」という恋しい人に会えない悲しみを詠んだ歌です。


※原色小倉百人一首―古典短歌の精髄をカラーで再現 (シグマベスト)  参考としました。

天つ風… 疲れたときの対処法

本日も生涯現役というテーマで記事を書こうと思ったのですが、事情によりまたの機会とさせていただきます。


さて、このブログをお読みのみなさんは、ふとつかれを感じたときに、どうされますか?


友達とおしゃべりをする、好物を食べる、お酒を飲む…
人によって色々対処法はあるでしょう。


私が最近いいなと思うのは、パラパラ、と百人一首の本をめくることです。


一目見て意味が分かりそうな歌もあれば、そうでないものもありますが、なんとなくぼーっと眺めているだけで癒される気がします。


なぜか?といえば、内容もさることながら、使われている言葉が、「和」の言葉なので、柔らかいんですね。


今日いいな思ったのは次の歌です。


天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

                                 僧正遍照


毎年十一月の新嘗祭に、宮中では少女たちの舞が行われます。その姿が大変美しい。

この歌では少女たちを天から降りてきた天女に見立ています。


天つ風(空吹く風)よ、雲の通い路を閉ざしておくれ。天女の舞い姿をしばらく地上にとどめておきたいのだ。


生涯現役

が昨日編集プロダクションのご担当Eさんからの留守電が携帯入っていました。昨日はこちらからお返事できなかったので、日曜日とは承知の上で、本日オフィスに電話してみました。


今日も出勤されているのではないか?という予想はあたり、Eさんが電話に出られました。


60歳をとうに過ぎて土曜日も、日曜日も仕事なんてスゴイ。


若いうちから「セミリタイア」などという本が売れているのを見ると、いかに仕事をしないで楽に暮らすか?というのが多くの人の希望するところなのだと思います。


これは本人の価値観ではありますが、私は自分の望む仕事である限りは、たとえ年齢を重ねても、可能な限り現場にいたいと思います。

五感に訴える文章を…

本日は千葉県の九十九里浜 一ノ宮海岸に行ってきました。


外房線の上総委一宮駅から歩いて30分くらい。タクシーだと5分少々というところでしょうか。


車を所有していない私にとって、比較的手軽にいける有り難い海です。


ちなみに東京から来る場合は、東京駅から上総委一宮駅まで電車で一時間四十分くらいと思います。


最近、時間が取れる日は、海へ出掛けています。


特に何をするわけではなく浜に寝っ転がって身体を休め、また波の音を聞いたり、景色を見たり、気が向けば波打ち際で遊んだり(まだ水は冷たいですが)ということをしています。


そうしていろいろと考えます。といっても小難しいことではなく、大まかですがその場所にいて、ふと気づくようなことを。


このブログに関係することでは、例えば…。

風景を見たり波の音を聞きに来たはずなのに、それらよりも、強く吹きつける風を気にする自分がいる。海の景色を映像で見て、きれいとか、雄大だとか、感想を漏らす(自分自身も)が、一つの事象は五感で感じないと実物をとらえることはできない。


ただし自分の文章を読んだ人が自分と同じ風景を見たり同じ経験をしたりしていると言うことは、ほとんどあり得ません。(自分の家族や友人が、ある一定の期間自分と同じ経験をしたとうことはありますが、このブログの読者の中では非常にまれなケースでしょう。)


その意味で自分の文章表現は、情報伝達の幅が非常に狭い、もっと五感に訴える文章を書きたいな、などなど。


五感に訴える文章を書くためには、まずは自分の感じる力を高めることがスタートと思います。


では、どうすれば感じる力が高まるか?いろいろと方法がありそうです。もっと自然に接するということも、その一つでしょう。


このテーマはもう少し付き合っていきたいと思います。


私的に感じる格好良さ

昨日は「(取り組む対象が)取るに足らないことを自覚しつつ、なおかつそれに血道を上げる人」が格好いいと書きました。


取るに足らないことを自覚している、ということは自分を客観視しているところがあり、バランスがとれている。


血道を上げる対象があると楽しい。そして明日も楽しみでしょう。楽しそうに人生を送っている人を私は格好良く思います。


ある意味で自分の中に子供の部分と大人の部分を、中途半端ではないかたちでバランス良く持っている人ということができそうです。


なお取り組む対象の硬軟、有名無名、思想が高邁か否かにかかわらず、仮にそれがどんなに本人にとって、またはある集団にとって重要で意味があることであっても、他の人や他の集団にとっては、大して重要な意味を持たないことがままありますね。


ですからあらゆる事物が「取るに足らないこと」に成りうるということも、念のため記しておきたいと思います。