『シン・ウルトラマン』+ゼットン登場回【その1】 | アディクトリポート

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『シン・ウルトラマン』+ゼットン登場回【その1】
2022/7/22 ユナイテッド春日部 8スクリーン C-16
 
前回の記事には多数のコメントをいただいたため、
まずはそのフォローから。
 
するとそれだけでかなりのボリュームになってしまったため、
今回はとりあえず、【その1】といたしますが、
この記事に再びコメントをもらってしまうと、
また本題に行き着かなくなるため、
皆様、どうかご静観下さいますように。
 
ではとりあえず、前回に倣(なら)い、
まずはテレビ番組「ウルトラマン」最終39話「さらばウルトラマン」の感想から。
  • 宇宙から大量の円盤群が飛来。パリの科特隊本部は、日本支部及びウルトラマンの動向に期待する旨を打電。怪獣/宇宙人の出現は日本のみに限定され、フランス本部からさえ科特隊には事態解決は期待されておらず、最終的にはウルトラマン頼りだという残酷な現況が示される。
  • 外宇宙からの円盤群の襲来に先駈けて、科特隊基地に敵星人(ゼットン星人)が潜入。新開発兵器(ペンシル爆弾)を科特隊員に渡し忘れた岩本博士(演:平田昭彦)を襲い、博士になりすまして基地の破壊工作を進める。→「さらばウルトラマン」番組単体なら、わざわざ映画館に足を運ばずとも、ツブイマ(TSUBURAYA IMAGINATION)で視聴可能(33話メフィラス回も同様)だが、大画面で見ると、岩本博士のおカマ走りが目立ちまくり。ゼットン星人が変装している時は、もしかして“宇宙人走り”のつもり…の演技かも知れないが、その前の司令部を出る時から博士の走り方はヘンだったので、平田昭彦氏の身のこなしの意外な弱点らしい。円盤群は小型船は全滅するが大型船を見失い、それはいつの間にか科特待基地近くの地中に潜り、ゼットン星人絶命を合図に出現、格納扉が開いて青くふくらんだ風船が破れると宇宙恐竜ゼットンが登場。→迫り来る宇宙船群と地球防衛網の戦いは一体何だったのか?もしもこの攻防戦にペンシル爆弾を投入してしまい、一発しかない貴重な試作品を無駄遣いしていたら、一体どうなっていたのか??
zetto
  • ゼットン戦のウルトラマンは、カラータイマーをゼットンのビーム攻撃で撃たれはするが、物理的に「割れた」様子は描写されないまま、うつ伏せに倒れたはずが、なぜか倒れた時には仰向けになっている。実際はゼットンの猛攻が撮影され、カラータイマーの物理的破壊の描写と、仰向けに倒されるカットもあったのだが、あまりにも残酷すぎるのでカットされたらしい。
kinodoku
↓ゾフィとの対面シーンでは、カラータイマーが破損している。
neteru
  • 色々と不具合が多い回だが、とにかくゾフィのくだりはおかしな場面続きで、最後は思わず失笑してしまった。まず、ウルトラ族の超光速航法は赤い球で行われるはずだろうに、ゾフィは最初は飛び人形スタイルで飛来。これはゾフィがウルトラマンと酷似した姿で、科特隊員に「ウルトラマンが二人!」と言わしめるため。すぐにゾフィは赤い球を形成し、その中に瀕死状態のウルトラマンを取り込み、二人だけの会話をする。→順序が逆じゃないでしょうか?
shoumen
  • ゾフィの事態解決策、すなわち、①ウルトラマンは帰郷するため、今後の地球人は怪獣/宇宙人と自力で対抗しなくてはならない。②ウルトラマンとの不慮の衝突で命を失ったハヤタも、またゼットンに倒されたウルトラマンのどちらも救わなければならない→の究極回答が「命を2つ持ってきた」って、どんだけご都合なんだよと爆笑。これについては、前回も転載した白井美也子さんの説「原作でソフィーが命を2つ持って来た理由は、たまたまその時に命の素が2つ、ゾフィーの手許にあったたため、と解釈するのが通説です。ゾフィーはマンが地球で死にかけたと聞いて、大慌てで、手近にあった2個をひっ掴んで、救援にすっ飛んで行った。本当はゾフィーにも深い考えは無く、成り行きの結果オーライだった可能性が大ですが、光の国ではこの時代、命の固形化技術はまだ実験開発段階で、試作品ですから失敗のおそれもあり、2個あるなら2個とも持って行くというやり方は用意周到と賞賛されこそすれ、非難されることではありません」などと好意的/肯定的で寛大すぎる解釈なんか、バカらしくてとてもできません。あらためてこの「通説とやら」を読み返しても「はぁ?何を長々と語ってくれちゃってんの?」って感じで全く心に響きません。ごめんなさい。
name
 
ここだけたまたま見解の相違があっただけで、
日頃の白井さんへの感謝は変わりませんよ。
 
JOE
白井様の丁寧で素晴らしい文章が、ガラケーの小さい画面で打たれていたとは驚きです。僕はスマホの比較的大きな画面ですら、誤字有りの前後の文脈が怪しい日本語しか書けないのに。
白井様の投稿には教えられることばかりです。何とか今後も続けていただければと思っています。
これは前回私が読み違いをして、
×まさかガラケーであれほど綿密なコメントを下さっているとは思いもよりませんでした。→○閲覧はガラケー、カキコミはごくたまにパソコンという環境におられるとは知りませんでした。
×赤表示記述に基づくものだったのはスミマセン。
 
これと絡(から)めまして、さらに別のやり取りも掲載しますと、
 
白井美也子 
 
今作で、命のスペアが1個しか提供されないことは、
リピアの犠牲的精神と、ウルトラマンが地球から居なくなるという悲劇性を際立たせる狙いであり、論理的にも筋が通っていますが、
原作ファンにとっては、むしろ歓迎すべからざる改変との受け止めが多いように思われます。

(前掲のゾフィ命2つ論)
それに比べて、今作のゾーフィはケチだとか準備不足だとか、ちょっと批判的に見てしまうのでありました。
まあ多分、続編でリピアさんは、何とかして復活してくれることと期待しております。
340
(前略)
白井様
私はゾーフィは命を持って来てはいないと、思っています。
ゾーフィは生きたいという強い意志を感じたからリピアを見つけられたと言っていましたので、瀕死の状態であっても死んではいなかったのではないでしょうか。
自分の命を投げ出して少年を救った神永に興味を持ったリピアが人間を理解する為に禁忌の融合まで行ったのですから、最後は自身の命を神永に渡すという、好きになった人間同等の行為を行う事で、リピアの物語は完結するのだと思います。
それが持ってきた命では意味を持たないですし、光の星に帰れば命があるのであれば、最期のゾーフィとリピアのやり取りは意味がありません。さっさと神永に命を渡して亡骸を光の星に連れ帰って蘇生させればいいだけですので。
また台詞でも、
「ウルトラマンは万能の神ではない。君たちと同じ、命を持つ生命体だ」
と言っていますので、命は簡単に作れるものではないかと。

揚げ足取りみたいで申し訳ありませんが、私はそう感じました。
たしかに山寺宏一ゾーフィは、浦野光ゾフィのように、命どうこうという話は持ち出してませんね。
光の星にリピアを送還すると言い張り、ところがリピアは地球にとどまって、自らの処遇はベーターシステムを独力で開発した(ことになっている)地球人=神永に委ねたいと言い張ります。
なぜならザラブ→メフィラス→ゾーフィ+ゼットン事件で俄然外星人の注目を浴びた地球には、今後も侵略外星人ラッシュが続くだろうに、リピアが本星に連れ戻されたらどうなっちゃうの?って話ですよ。とうてい「地球は地球人自らが守らなければ」の域に達していない未開種族の群ですから。
リピアの犠牲的精神と地球人への入れ込みように心打たれ、すでにゼットン戦でも懲りたために仕方なく折れた山寺宏一ゾーフィは、浦野光ゾフィと同じ「二人の体を分離する」という解決策だけを示します。
んでもって、この先どうなるかは、『シン・帰ってきたウルトラマン=リピア(仮)』につながって描かれることになるのでしょう。
 
がしゅん 
☆☆ (o|o)

自分でそれが真実かどうかを疑ったりはせず、
「今度こう決まりましたから、その線で一つヨロシク」と方向性をあてがわれると盲従する愚民の群な日本人のひとりの がしゅんですww
これは別に庵野作品『シン』シリーズに限らず、SWでもよくあったことなんですけどね。
決定権を握る者が「やりがち」で、庶民は「おとなしく従いがち」です。
ですけど、『シン・ウルトラマン』では、日本政府と交渉するザラブやメフィラスのくだりで、「盲従や服従はダメだ」がさりげなく示されてもいるんですが。
現実社会では、偽装の暗殺事件で「死んだことになっている」元首相が(根拠なき違法な)国葬で過去の悪行を精算/漂白化し、以前と同じ不正支配の仕組みが、海外に逃亡したアイツと、政界に進出する妻アキエによって今後も存続するという地獄絵図が着々と進行中の事態に、“「今度こう決まりましたから、その線で一つヨロシク」と方向性をあてがわれると盲従する愚民の群な日本人”を痛感しますね。
 
きっと、コダワリを持って見ていたら
気がついた部分もあっただろうな~と思いながら
この記事を読んでいたのですが

劇中ではケムール人らを見て「我々が倒したはずだ」とのムラマツの台詞について。

基本的に作品を肯定的に見るか?
否定的に見るか?の違いだと感じています。

こうゆう論争は お互いに楽しんでるぶんには
ボクは大好きなので
頭の悪いヤツがまた何か言ってる程度に聞いてくれれば充分です。

基本的に「ウルトラQ」は
アンバランス・ゾーンの世界で起きたことをまとめたお話で
それは昔の話を聞くように、
語られなかった物語もあったかもしれないと妄想出来る余地があって、
さらに「ウルトラマン」は
その世界で起きた、ウルトラマンが関わった物語をまとめたモノってボクは想っていて
だから
物語になっていない話があるのだな…と
肯定的に受け止めましたww。

これが
連続した物語なら
『そんなの いつ出てきたンだよ!』
と、ツッコミを入れる所ですが…
基本、「ウルトラマン」はオムニバス形式の物語なので、
その辺はゆる~く見てますww
別に「頭の弱い人のたわごと」ではなく、物語の伝承がそもそもは口頭による伝え語りと伝え聞きの繰り返しだったことからも、もっともなご意見だと思いますよ。
『シン・ウルトラマン』だって尺の都合から、ゴメスとマンモスフラワーとペギラとラルゲユウスとカイゲルの物語は「語られず終(じま)い」でしたからね。
 
あの後で念のため、「Q」のケムール人回、第19話「2020年の挑戦」をツブイマで視聴したら、小林昭二氏演ずる天野二等空佐は、「2020年の挑戦」と言う題名の小説を著した神田博士の元に届いた新型ダイオードを使い、東京タワーからXチャンネル光波を照射して「ケムール人を退治した」から、「我々が倒したはずだ」のムラマツキャップ(小林昭二)のセリフはますますもって理にかなっておりました。
 
けむ
 
それよりも気になったのは
ピアノ線ですネww
ひとりでTVで見てる分には肯定的に見れるのですが…
大勢の人と見てる時、
初見の人は、これをどう受け止めるのだろう?
と思ってしまいますww

そんな話をすると
ピアノ線のことも、硬質であるはずのモノがユルユルのことも
今ではあらゆる技術でどうにでも出来そうなのに
『さらに良くしよう』と努力することさえ
悪魔の所業のように否定する人もいますけど
ピアノ線が写ったモノを、2度と見れなくするワケでもないし
逆に両方とも楽しめる世の中になってる気がするンですけどね

残念ながら、
描き足される度に残念になってゆく【デビルマン】などは
もう、やめてくれ!と言いたくなっちゃいますけどww(笑)
フラユシュ
残念ながら
描き足される度に残念になってゆく【デビルマン】などは
もう、やめてくれ!と言いたくなっちゃいますけどww(笑)

確かにw 出るたびにしなくていい書き直しという改悪(まあ作者なりのサービス精神かもしれませんが)される『デビルマン』を読んでるとねー、書き足しというのも考えてしまいます。
 

 
 
jak77 
今回も興味深いまとめでした、お疲れ様です。
山寺宏一氏がおっしゃってるのはオファー時の話で、収録時は基本、監督・音響監督のどちらかもしくは両名が同席し演技指導を行います。
 
 
補足説明ありがとうございます。
5回目の鑑賞で確かめたところ、高橋一生リピアの「ゾーフィ」セリフは4箇所で、2箇所は「ゾフィ(ー)」と聞こえますが、2箇所は「ゾーフィー」っぽくて流動的でした。
 
今も好調な「トップガン マーヴェリック」は「ウマ娘」とのコラボが多少は影響しているのかも、本作も「ホロライブ」や「にじさんじ」などのVtuberに案件依頼していたらもう少し伸びていた、なんて想像します。
「シン・エヴァンゲリオン」も未だにBDが発売未定の状態です、本作の発売はいつになるのでしょうかね。
 
HEAVY-METAL LADY
4度目とは素晴らしい👏👏👏

もー
私は早くBlu-rayBOX出ないか??出ないか??と

それだけを心待ちにしております💦💦💦
高橋一生の「ゾーフィー」セリフは紛らわしいので、いっそディスク化の際にアフレコし直すかも知れませんよね。
 
jak77 
話は変わりますが、森に横たわる神永は確かに誤解を招く描写ですね、アニメだったら違う描写をされていたのかも知れません。
融合には巨大化時の消耗が激しいなどメフィラスが述べてましたが、もしかしたらスペシウム光線の威力も落ちているのでは、
融合前のスペシウム光線は山を抉りネロンガを粉砕してましたが、融合後のザラブ戦では2発を放つも耐えられ決定打になっていませんでした。

もはや私もリピアと神永の融合はさすがに疑っちゃいませんが、あの、森の中に横たわる黒スーツの遺体と、それをいくぶん距離を置いて眺めている白シャツ神永=二人の斎藤工の描写は、まずは巨大長澤まさみがブルーシートに包まれて元サイズに戻る場面に唐突に差し挟まれます。
 
ついでながら申し添えると、長澤まさみが演ずる浅見弘子は、単なるエロネタやセクハラ扱いではなく、話を進める上で観客がドラマを理解するガイド役も果たしています。
↑託されたベーターカプセルのボタンを押して起動作用におののく所作や、拉致された神永を救出の際に、「君も私と同じ立場だったらどうする?」と問われて戸惑うシーンは、後の巨大長澤まさみへの符合である。
 
その長澤まさみが、「そういえばウルトラマンは、どうして神永の姿を借りたのか?」と言うセリフに続く、
ゾーフィと神永リピアの初対話シーンで、「その男の命を奪ったから融合したのか」と、対象確認の構図に同じ図式(森の中に横たわる黒スーツの遺体と、それをいくぶん距離を置いて眺めている白シャツ神永=二人の斎藤工)が使われます。
↑最初は頭上に横たわってうつ伏せ状態で見下ろしていたゾーフィは、すぐに直立ポーズに位置替えして、横たわるスーツ姿の遺体越しに、白シャツ姿の座りポーズの神永と対話します。ゾーフィとの対話が終わった神永は、手にした神永のドッグタグ(認識票)を握りしめると、横たわった遺体が姿を消します。
 
……。
5回目を鑑賞しても、まったくさっぱり意味がわかりません!
 
どうも庵野秀明氏は神格化されて、
「彼ほど原作作品を知り尽くし、『シン』へと昇華させる人は他にいない」から(それは確かだが)と、
彼のやることなすこと全て正しく、
疑問に感じる観客の理解度が未熟なだけって構図が出来上がっちゃってますよね。
 
ですけど都合5回鑑賞して、やはりあちこち矛盾や不備があるよな、と思わざるを得ませんでした。
 
と言うことで、今回取りあげなかったコメントまで含め、
【その2】で語り尽くしたいと思いますので、
今しばらくお待ちください。
 
そんなこんなで、今回はここまで。