誰も知らないスター・ウォーズ⑳ | アディクトリポート

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前回(⑲に)いただいたコメント

 

 
 
凄い!詳細な記事に、脱帽致しますm(__)m
猫さんは、いつもていねいに記事を読んで下さり、
また時折感想コメントも下さるので、
こちらとしても俄然やる気が出ます。
 
2009年までに「誰も知らないスター・ウォーズ」を書いた時には、
具体的な出版予定も立たないのに勝手に進めてましたが、
今こうして再録/再掲に至って、
色々と記憶違いもあるため、
以前に書いておいて良かったなと、
つくづく感じました。
 
たとえば、『エピソード2 クローンの攻撃』IMAX版(2002・日本未公開)についての、
「記憶違い」を挙げておくと、
鑑賞した感想を聞いたのは、
コレクター仲間のダンカン・ジェンキンスだったのに、
『ようこそ映画音響の世界へ』(2020年10月29日)の頃には、
来日が頻繁なガス・ロペスと勘違いしていた。
ropezu
 
ガスダン
 
そんなこんなで、
自分固有の映画作品SWとの出会いから付き合い方までの記録を、
自分以外には綴れないのだから、
『誰も知らない』と内容がダブらない新刊を、
鋭意、執筆中です!
 
さて、ここからが本文です。
 
誰も知らないスター・ウォーズ⑳

 

大きな数字が好きな新プロデューサー、マッカラム

 

ルーカスはウォルター・マーチが監督した『オズ』(1985)に匿名で協力しており、

 

 

その撮影地となったイギリスで、『ドリームチャイルド』(1985)製作中のプロデューサー、リック・マッカラムと出会っている。

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doriuchase

 

 

 

 

マッカラムの生誕地はドイツのハイデルベルグとされているが、本人はアメリカはミズーリ州の出身だと言い、英国俳優マイケル・ヨークが養父であることを認めている。

改めて調べたところ、

マッカラムの実父は米空軍のパイロットのロイ・アルウッド・マッカラム。

母の写真家パットがマイケル・ヨークと再婚してパット・ヨークを名乗り、

リックはマイケル・ヨークの義理の息子になった。

 

マッカラムはアメリカで製作した『ペニーズ・フロム・ヘブン』(1980)の興行的失敗が痛手となってイギリスに移住し、英国の映画作りでは、たとえ作品がヒットしなくても製作者たちが経済的な打撃を被らない仕組みを学んだ。

 


 

ルーカスと知り合った彼は、ヨーロッパでの撮影が多かったテレビシリーズ「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」(1992)のプロデューサーに抜擢され、限られた予算と日程で撮影を完遂する手腕を発揮して、締まり屋のルーカスの信頼を勝ち取る。
 

 

テレビ「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」(日本放映は1993)では、テレビ番組本編用ではなく、この番組を元にして文藝春秋社から、日本人作家14人が分担して書き上げた14冊の文庫が刊行され、その14冊の表紙全てを生賴範義氏が担当した。
なお、巻順は時系列には並んでおらず、日本語版ビデオ発売サブタイトルとも呼称が異なる。


ネットで拾えた表示画像と、14冊の内訳は以下の通り。

 

1. ジャッカルの呪い (著:田口俊樹)
じゃっかる
せびょうし

2. 国境の銃声 (著:中井紀夫)
3. マタハリの恋 (著:村松潔)

matahari
4. 戦下の別離 (著:友成純一)
5. 最後の伝令 (著:矢野浩三郎)
6. 初恋のウィーン (著:森下一仁)
7. 密林の聖者 (著:大森望)
8. 皇帝の密使 (著:小尾芙佐)
9. 東洋の秘術 (著:横田順彌)
10. 硝煙の詩 (著:川又千秋)
11. 脱走大作戦 (著:岡崎弘明)
12. 笑うバルセロナ (著:梶尾真治)

たすう
13. サバンナの探偵 (著:村上博基)
さば

14. 赤い情熱 (著:槐多康彦)
あか

 

結局は『エピソード1・2・3』の

シリーズ再開に先駆けた『4・5・6』〈特別篇〉の

プロデューサーもつとめたので、実質的にSW映画全六作のプロデューサーとして君臨することになった。

マッカラムは、ルーカスの意向通りに全てを予算と期日内に納めるのは得意だが、実作業面では色々と問題も多く、国外のキャンペーン活動ではたがが外れてしまうのか、記者会見で四文字言葉を連発するなど、 粗野な部分も目立った。

マッカラムはまず第一に、本当にSWという作品を理解しているのかが大いに疑わしく、第 1 作で一番印象に残っているシーンはと問われて、ルークが二つの月(実際はタトゥイーンの二重太陽)を眺めるところと、的外れなことを平気で言い放っている。

 

また、なにかと大きな数字をぶちあげて景気づけするのも大好きで、『エピソード 1』の興行収入はそれまでで最大のヒット作『タイタニック』(1997)を軽く超えるだの、最終作『エピソード3』の製作費は10億ドルだの、眉唾でない例を見つける方が難しいくらいである。

こうした虚言癖の最たるものがスタッフに関するコメントだ。1997年の〈特別篇〉で来日した頃には、2年後に公開を控えた『エピソード 1』の情報が漏れ伝わっていたこともあり、記者の一人から「新作のメカデザインはクソ(最低)だという意見が大勢を占めていますが」と質問されると、「そういう意見の方こそ最低だ」と嫌悪感をあらわにしており、これはひとえにチーフメカデザイナーのダグ・チャンを抜擢したのが、ほかならぬマッカラム自身だったためだった。

しかし『エピソード2』の完成時までには、マッカラムは自分が見込んだはずのチャンと言葉も交わさなくなり、代理に新たに2人の有能なアートディレクターを招き入れている。

ところがこの2人、ライアン・チャーチと

チャーチ

エリック・ティーメンズは、

エリック

ディズニーやユニバーサルなどの テーマパークを渡り歩いてきており、劇場用映画は『クローンの攻撃』が初めて手がけたものだったはずなのに、2人をたいそう気に入ったマッカラムは、『シスの復讐』にともなうインタビューで、彼らを『エピソード 1』でも起用したかったが、あいにく二人とも別の映画に参加していて手がふさがっていたなどと、事実とは異なることを平気で言い放っていた。

自分の都合の良いように過去を覚え違え、それをインタビューで公言して歴史を塗り替えたがるのは、どうやらジョージ・ルーカス本人だけではないようだ。

 

——と、原著からの転載はここまでで、
私とリック・マッカラムのささやかな交流について記録しておこう。
 
rikku
 
同氏と初めて会ったのは、東京国際フォーラムで開催された
1999年の『エピソード1』盛り上げイベント。
 
私はSWには出版からプロとして関わったが、
執筆者よりも会社側が決定権を握る実情にそぐわずにその職を離脱。
別の言葉で言い換えると、
「親分に逆らって仕事から干されていた」
 
そこで本当のSWは、本じゃなくて映画だろうと、
〈特別篇〉(1997)の直前にフォックス極東支社に直接手紙を書いて参加協力を直訴。
 
当時の大ボスF氏のありがたきお目通しを経て、
〈特別篇〉から、ささやかながらお手伝いに関わる。
 
それで『エピソード1』(1999)でも続投…のはずが、
途中からパッタリとフォックスからの音信が途絶え、
久方ぶりに会った宣伝部のK氏によれば、
「実はマッカラムが怒っちゃってさ」
とのこと。
 
こもん
 
どうやら東京国際フォーラムでの私の補佐役が、
公開前の映画情報を打ち明けすぎだったとのこと。
 
マッカラム氏には事前に、出して良い情報とダメな情報の打ち合わせをしていただけに、
「ヘンだなあ」とは思ったが、
自分の領分を侵されかねない字幕翻訳家の大御所T氏が私の干渉(字幕監修)に難色を示したが、
そうは打ち明けられないフォックス社員が、
直接関与せずに長期不在のマッカラムを、私外しの口実に使ったらしい。
 
それが判明したのは、
『エピソード3 シスの復讐』(2005)公開前のマッカラム来日時。
 
竹書房版「スターログ」の取材で、
帝国ホテルの一室でインタビュー。
 
他の記者とは異なり、通訳抜きでインタビューできるため、
午前中最後の順番に回され、
例の大御所F氏は、部屋の隅でくつろいでいた。
 
終了後に関係者一同は昼食に向かい、
私は帰路につくため、
F氏やマッカラムと同じエレベーターに乗り合わせた。
 
マッカラムは1999年の国際フォーラムでの私を覚えていたから、
『エピソード2』(2002)の時には(干されて)さっぱり見かけなくなった私の久々の復活に、
関係者たちに、「なんでしばらくぶりなんだ?」と尋ねており、
大御所F氏は「守秘義務違反だったもので」と即答してたが、
あいにくその会話は英語でも聞き取れてしまう私。
 
「マッカラムがご立腹じゃなかったじゃんか!」
と思ってガクゼンとしてもおかしくなかったが、
当時はそういうハズされぶりが延々と続いていたので、
「どうせそんなことだろうと思ったぜ」という程度の気持ちだった。
 
というのも、
フォックスから関与を拒まれた私が、
竹書房のスターログのSWページを担当するのは不都合ではと、
同社のN氏から、フォックスに探りを入れてもらったところ、
以下のような実情が入って来た。
 
『エピソード1』の頃のフォックス若手社員がSWに不安内なため、
SW博士の私になんでも聞こうとするのを、
大御所F氏が「頼りすぎだ」と戒め、
字幕問題でもT氏と折り合いが悪かった厄介者の新規参入者の私を排除することにしたらしい。
 
竹書房のN氏とは、同社内のSW担当者で、当時はそのままフォックス担当にもなり、
フォックスから竹書房には、「SWクロニクルを出版した竹書房から、
ぜひ『タイタニック』の関連本(写真集)を出して欲しい」と要請があったんだとか。
それもあって、N氏ならフォックスに内情や実情を詳しく聞き出せた。
 
かくして既得権益者の利権は守られ、
末端労働者の権利など保証されないと思い知った2005年。
 
その後、フォックスの大御所F氏も退社。
『エピソード1/2/3』字幕担当者のT氏も目を患って今では引退同然。
 
一方で私は、字幕翻訳を本業にするわけでもなく、
映画会社の社員でもないため、
そうでなければ通らないことに、
目くじらを立てても仕方ないと悟るようになっていた。
 
 
こうした件も、新刊ではまとめようかと思います。