本記事の前に、
今日はテーマ:スターウォーズなので、
まずは訃報から。
映画「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーのコスプレをするファンと並ぶ英俳優のデヴィッド・プラウズさん。仏キュセにて(2013年4月27日撮影)。©THIERRY ZOCCOLAN / AFP
プラウズ氏との初対面は、1997年夏のサンフランシスコのSFコンだった。
サインには座って応じていたが、
198センチの長身を確かめるため、立ってみてもらったところ、
腰の手術もされたとかで、それほど背が高いとは感じられなかった。
目つきも斜視気味だし、
『時計じかけのオレンジ』(1971)の頃のような威風堂々ぶりはすでになかった。
うんと後になって知った、
イギリスの交通安全ヒーロー、
グリーンクロスマン
のような、さっそうぶりもどこへやら。
1999〜2000年頃には、
日本のサイン会にも来るようになり、
スターログの記事用にインタビューし、
内容確認を依頼したら、
ある日、自宅のファックスにあの特徴的な書体で、
記事の校正意見が綴られていて、
ついでに「お前の英語はなっちゃおらん」とこき下ろされた。
ええ、すみません。
そんな程度の英語力でして。
デヴィッド・プラウズはかつて、
「ベイダーの声を自分の声ではなく、ジェームズ・アール・ジョーンズが吹き替えたのは、黒人の出演比率を増すためだった」という迂闊な発言がルーカスの不興を買い、
「SWクロニクル」で、ブルースクリーンをバックに、マスクを脱いで素顔をさらしているプラウズ氏の写真を使っていたら、使用不可とのお達しが出た。
そのためか、時期によって、
プラウズ氏が素顔をさらしたベイダー衣装の写真は見かけないこともあった。
2019/08/12
昨今のネット時代は解禁のようだが。
近年は立てなくなって座りっぱなしで、
海外のサイン会にも訪れなくなったが、
とにかく、映画出演時だけでなく、
その後のSW社会史も象徴するような存在だった。
↓フォースと共に!
ここからが本題。
誰も知らないスター・ウォーズ③
第1章 旧三部作時代
- 『スター・ウォーズ』(1977・日本公開 1978/後年に『新たなる希望』と副題がつくエピソード4)
- 『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(エピソード5・1980)
- 『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』(エピソード6・1983/2004年のDVDより『ジェダイの帰還』に邦題が改題)
SW各キャラクターの元ネタは?
ジョージ・ルーカスがSWの第1作を映画化した際、構想から公開までには4年以上もかかっており、その間にルーカスが書いたあらすじや草稿は、映画関係者にほとんど理解してもらえなかった。結局大手映画スタジオの20世紀フォックスが、この映画の製作に本格的な予算を割り当てるきっかけになったのも、ルーカスが“書いた”企画書や脚本といった文字ではなく、プロダクション・イラストレーターとして雇われたラルフ・ マクォーリーが“描いた”5枚のイラスト、
つまり視覚に訴える絵であった。——これは古くからのSWファンなら、よく知っている逸話である。
この逸話と併せて、金色の通訳ドロイド(ロボット)、C-3PO(シー・スリーピーオー)のデザインが、 ドイツのサイレント映画『メトロポリス』(1929)のアンドロイド、マリアの姿を参考にしていることも、第1作の公開当時から公表されていたので広く知られている。
ではSW第1作で既存のキャラクターを参考にしたのは、C-3POだけだったのだろうか。
当時の日本の特撮マニアの間では、日本の子供向けテレビ番組、「仮面ライダー」に代表されるヒーローものや、
「宇宙戦艦ヤマト」のようなアニメ作品が参考にされたのではないかと噂されていた。
1970 年代の世相を知らない若い世代に、本書に掲載されている比較画像を示せば、一目瞭然と言った感じで、その類似性にたちどころにうなずいてもらえるのだが、SW旧三部作公開当時は、こうした日本作品の影響について、懐疑的な意見や反論も多かった。その論旨は、わざわざ日本の子供向け番組をくまなく研究する労力を割いたりするよりも、一からデザインした方が手っ取り早かったのではないかというもので、SWという斬新で贅沢な作品を、ひたすらパターンを踏襲していた日本の低レベルな子供向けテレビ番組と一緒くたにしてほしくないという、私自身を含む当時の熱狂的な日本人SWファンの、肩入れやひいきめから生まれた意見だとも言えた。
たしかに異国のテレビ番組を1本1本視聴して、流用の効きそうなキャラクターを選り抜き、家庭用ビデオデッキも画像プリント機器も普及していない時代に、参考のためにわざわざフィルムや放送用のビデオテープを取り寄せたりしたら、それはとてつもない労力となってしまうことは想像に難くない。しかし実際は、 手軽にデザインを参照できる手段があり、だからこそこうした流用が頻繁だったので、そこに至った経緯を、 製作の過程から順を追って読み取っていくことにしよう。