誰も知らないスター・ウォーズ⑦ | アディクトリポート

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反響続々!
 
JOE
 
素晴らしい検証記事です。
子供の時、R2-D2のゼンマイおもちゃを買って、アナライザーに似ているな、と思った直感は間違いではなかったのですね。
 
めたりの~む
 
こんにちは!
『誰も知らないスター・ウォーズ』、楽しく拝見しております。
邦題「惑星大戦争」時分、初めてテレビの紹介番組でベイダーやトルーパーの映像を見て、「ハリウッドで作るとハカイダーやショッカー戦闘員みたいなのも、こんなにゴージャスになるのか!」という印象を受けたのが思い出されます(笑)
 

誰も知らないスター・ウォーズ⑦

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ダース・ベイダーの行方

 

イギリスで製作されたマスクやコスチューム、プロップの多くはそのままイギリスに収蔵されていたが、さすがにダース・ベイダーのコスチューム一式は、カリフォルニアのLFLの管理下に置かれることになった。

劇中には一人しか登場しないキャラクターでも、映画用となればクローズアップ用やアクション用と複数作られるのが当たり前だが、第 1 作の厳しい製作事情では、ダース・ベイダーのコスチュームは一式しか用意できない大変に貴重なものだったから、特別な扱いを受けたということだろう。この貴重なベイダーのマスクとヘルメットは型取りされ、形状を若干変更して『帝国』のマスクを生み出す、いわばキャラクター原器の役目も果たした。

しかしその反面、これほど貴重なはずのコスチュームには、映画公開後に新たな役割が与えられ、全米各地の商店街を練り歩いて映画や関連商品の宣伝役をつとめると言う、撮影用コスチュームにしてはずいぶんと不名誉な第二の人生を歩んでいた。カーミット・ブライス・エラーという長身の男性が、専属でベイダー 役をつとめ、『帝国』でスーツが新調されるまで、この唯一の貴重なコスチュームを身にまとって、全国行脚をくり広げていた。

 

(左から右へ)カーミット・エラーからダース・ベイダーに変身!/映画のプロモーションに大柄な男性が必要とされ、当時ドン・ポスト社に勤務していたエラー氏が抜擢された。彼は『帝国の逆襲』でアトラクション専門のコスチュームが新調されるまで、映画第1作に実際に使用された衣裳を着続けた。

 

第1作だけのベイダーの衣裳の特長は、胸のアーマーのつや消し塗装、うちかけを胸アーマーの上から羽織ること、グローブの縫い目が手の甲に平行、そして各部の造形や色の微妙な違いといったところか。 腹部プレートの下方がバックルとこすれて、塗装がはげてしまっていることに注目

 

「誰も知らないスター・ウォーズ」の「ダース・ベイダーの行方」項の本文はここまでとわずかだが、

本件に関してはこのブログで存分に補完したので、

以下にまとめておこう。

 

まずはこの記事(リック・ベイカーだったんだ!(3)/ベイダーマスクのひみつ)より抜粋転載。

2011年06月26日

 

このたった1式しかない貴重なダース・ベイダーのコスチューム、映画がヒットするかが未知数な公開(1977年5月22日)前から、早速プロモーションに借り出される羽目に。

2006年4月に公式サイトで公表された情報から、以下抜粋。
(当時ミクシィで発表したものを一部編集)


79年から82年までの5年間、アメリカのファンの前に姿を現し、
てれび
握手をし、ショッピングセンターでサインをし、
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チャリティイベントや各種の授賞式に出席したダース・ベイダーには、
じゅしょう
カーミット・ブライス・エラーが扮していた。
さん

ブライスの名前は当時ほとんど公表されず、彼は影武者を貫き通したが、2006年のインタビューによれば、
2006
当時の状況は以下のようなものだった。

事の起こりは、まだ1作目が公開前の、1977年の春。

ドン・ポスト・スタジオは、映画のプロップや、頭からすっぽりかぶるタイプのマスクを製作する会社で、社員の一人ボブ(ロバート)・ショートが、LFL(ルーカスフィルム)とマスク造形の契約をかわし、SWのTシャツを着てドン・ポスト社に戻ってきた。

ショートの同僚のブライス(・エラー)もこのTシャツを気に入り欲しがったので、ショートは数日後に彼のためにユニバーサル・スタジオの撮影所内、426Aビルに設置されたSWC(スター・ウォーズ・コーポレーション)のオフィスを訪れ、広報担当のチャールズ・リピンコットと会った。

「SWのTシャツが欲しいんですけど」
「あの隅の箱の中にあるけど、サイズは特大しか残ってないよ」
「かまいません。ぼくが着るんじゃないので」
「特大サイズにぴったりの友だちがいるのかい? 彼の身長は?」
「6フィート5インチ(約196センチ)ってところでしょうか」
「体格は?」
「肩幅はがっしりしていて、そりゃあ立派な体格ですよ」
リピンコットは切り出した。
「その彼に、ダース・ベイダーを演ずる気はあるかなあ?」


拍子抜けするぐらいあっさりとした申し出だったが、ブライスはコスチュームに身を包む仕事の経験なら、友人のウィリアム(ビル)・マローンがTVのパイロット版のために作った、『地球が静止する日』のゴートに扮したりと、仕事柄も手伝ってたくさん経験していた。

 

 

 

ブライスが着ることになるダース・ベイダーのコスチュームは、映画本編の撮影に使用された、まぎれもない本物だった。
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背景の赤レンガの建物が、ユニバーサル・スタジオの撮影所内、426Aビルに設置されたSWC(スター・ウォーズ・コーポレーション)のオフィス。

そんな貴重なものをプロモーションやイベントに使い回すなど、現在の常識では考えられないが、公開前の映画SWの位置づけは、収支トントンならば上出来といったところで、使えるものは徹底的に使い回すべきだと考えられていた。

リピンコットとゲイリー・カーツ(当時のプロデューサー)は、1977年アメリカ書籍販売組合の見本市で、SWノベライズの第2版を売り込むために、

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プロモーションの強烈な決定打が欲しかった。

ブライスはいわば歩くマネキン役をオファーされたわけだが、
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生来の完璧主義者だったので、やるからには堂々とベイダーを演じたかった。
2
そこでキャラクターの映画での様子をぜひとも知って、自分の演技の参考にしたいと申し出た。
さん
まだ映画公開までには間があったので、各国語を作成中の編集室への立ち入りを許可された。
4
ブライスは自己判断でカセットレコーダーを持参していた。
5
編集室ではブロッケード・ランナーに乗り込んでくる場面と、反乱軍将校(アンティリーズ船長)を放り投げる場面を見させてもらい、
6
参考にセリフを録音しても良いですかと訊くと、これまた実にあっさりと現場の判断で許可された。
7
まだ映画『SW』の価値は未知数で機密はゆるく、どのみち1週間以内に映画は一般公開される、という時期でもあった。
8
12ほどのセリフを録音して、宿泊中のセント・フランシス・ホテルに戻って何度も何度もくり返してセリフを頭にたたきこんだ。
9
ジェームズ・アール・ジョーンズそっくりに声色をまねられるようになったはいいが、
みさんが
当日のブックフェアではまだ誰も映画を観ていないので、彼のセリフはあまり効果を発揮しなかった。
11
それでも6フィート9インチ(約206センチ!)のコスチュームと、ブライスのパフォーマンスは会場でひときわ目を引く存在で、
へんしん
たまたま居合わせたフォックスのニューヨークの幹部達まで感嘆しきりで、彼らはリピンコットにこう言った。

「この1回で終わらせてしまうのは、あまりに惜しい。彼(ベイダー=ブライス)には、プロモーションに存分に活躍してもらいましょう」
ぞんぶん

リピンコットはダース・ベイダーと一般市民が一緒に写真を撮れたなら、映画そのもののプロモーションにもグッズの販促にも、そしてなによりもダース・ベイダーというキャラのお披露目にも絶好の機会だと考えた。

こうしてブライスは数日後には、ハリウッドの映画館の前で一般市民との写真撮影にかり出されていた。

 

さらにこの記事(リック・ベイカーだったんだ!〈特別篇〉)で補足すると、

2016年11月30日

 

 

 


「秘宝」12月号で明かされた最大の新事実は、
1977/8/3に、

1245
チャイニーズ・シアターに足形を刻んだ
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ダース・ベイダーは、
447

当初よりアメリカ国内でのベイダー役を続けて来た、
身長196センチのカーミット・ブライス・エラーではなく、

さん

特殊メイクアップアーティストで、
身長195センチ以上の、ロブ・ボッティンだった、ということ。

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『トータル・リコール』(1990)でアカデミー賞を受賞したロブ・ボッティン。右から2番目の、ひときわ背の高い人物。

ボッティンは、
同業で師にあたるリック・ベイカーが☆

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リック・ベイカーは、英国撮影時には貧弱だったカンティーナのシーンを強化する追加撮影のためにルーカスに起用され、見事にその任を果たした。

☆この式典に関わったことから、
頼み込んでベイダーの衣装を着させてもらった。

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当日、C−3PO役のアンソニー・ダニエルズ氏から、
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もらったサインが証拠にあるという。
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まずはこの新事実に驚いた。

なにせエラー氏は、
この
式典当日の模様を証言していたのだから。

Eller's newfound career as the public's Darth Vader quickly took on some pop-culture cachet when he joined a costumed Anthony Daniels and a remote R2-D2 [controlled by Mick Garris] for a footprints ceremony in front of Mann's Chinese Theatre on August 3, 1977. The event was staged to herald the return of Star Wars to the Chinese, which had been temporarily sidelined to make way for William Friedkin's Sorcerer at the landmark venue.

The number of spectators arriving to witness the momentous event that day was staggering. "The place was a complete sea of people," says Eller. "We couldn't hear a thing, or each other, and trying to get through the crowd was just a nightmare. Tony and I both had wireless mics because we were going to be talking -- we tried to do our lines, but we couldn't hear squat."

Fortunately, when the characters finally reached the wet slabs of cement, accommodations were made for the restricted wearers within. "What they did, since we couldn't get down on our hands and knees, was they rigged up a stick with a ball point pen capped at the end to draw in the concrete and sign our names. Tony said he wanted to add his name [to C-3PO's], so he came out afterwards while the concrete was still wet and wrote 'Anthony Daniels'. Of course, I didn't sign my name because I wasn't in the movie. So I drew my 'Darth Vader' signature as best I could -- it doesn't look exactly perfect, but it's the best I could do."


※ガセだったので、訳しません。


ロブ・ボッティン本人から、直接真実を聞いた貴重な証人は、
中子真治(なかごしんじ)氏。

さらに中子氏が明かした新事実第2弾は、
リック・ベイカーがこの式典で果たした役割。

足形が存在しなかった、
C−3POの靴底の新造形がメインで、

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ダース・ベイダーのオリジナルコスチューム保存のための型取りと複製は、
この式典が契機となり、
その後で行われたんだろうと勝手に思い込んでいたが、
実際はこの日までにそれは完了、
つまり大群衆が目にしていたのは、

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オリジナルではなく、
型取り、複製されたレプリカだった。


映画の空前のヒットで条件が変わり、
この世にただ1着しか存在しない、
貴重なオリジナルのベイダーコスチューム一式を、


プロモーションにこれ以上使い回すなどもってのほかという、
ルーカスフィルムの新たな判断と指示により、
ベイカーに型取り、複製が依頼され、
新調されたコスチュームの初披露が、1977年8月3日だったというわけ。

これ以降、貴重なオリジナルは、厳重保管されて門外不出になり、

せんせ
公衆の面前に現れたのは、
すべてレプリカの方だった



第50回アカデミー賞授賞式で、

じゅしょう
ベイダー役に復帰したエラー氏が着ていたのも、レプリカの方だと判明。

引きつづき「秘宝」14ページの記事によれば、
ベイカーはチャイニーズ・シアター式典の後日、
●ボッティンが着用したベイダーコスチューム一式。
●(
型抜きしただけの部品状態で・・・・・・・・・・・・・)各ピースの複製少々
●ヘルメットのみ、(
塗装までの完成状態で・・・・・・・・・・・)余分に数点、
●複製に使用したシリコンモールド
——をルーカスフィルムに納品した。

( )内は本ブログの推測

 

この記事(リック・ベイカー製ベイダーレプリカのその後)からの抜粋転載

2016年12月10日

 

たった1着しかない、
貴重なダース・ベイダーコスチュームを保管、保存するために、
リック・ベイカーが型取り、複製したレプリカコスチュームは、
早速、
資料写真用の撮影に回された
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「SWクロニクル」(竹書房刊)に掲載された、
一連のベイダーの写真は、

333

 

 

「しのご」(4インチ×5インチ)と呼ばれる、大判フィルムに収められた。
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正面像は、当時のポスターブックや、
後年のDK社のビジュアルディクショナリーに掲載された。

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この時の撮影分の一点を下絵に、
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ラルフ・マクォーリーがエアブラシ加工したイラストが、
ポスターの絵柄にも使われた。

また映画の超ヒットで関連商品用の撮影も待ったなしだったため、
やはり資料用写真用の新撮影が必要だったC-3POやチューバッカ、
再撮影となるストームトルーパー等に併せ、

Tシャツ用アイロンプリント集の表紙撮影も、ほぼ同時期に行われた。
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アイロンプリント集の発行が1977年11月、
チャイニーズシアターでの、
ベイカー製レプリカスーツのお披露目が1977/8/3なので、
一連の撮影は、8月3日前後だったと推測される。

第50回アカデミー賞の式典が、

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1978年4月3日。

1作目『スター・ウォーズ』の空前のヒットから、1977年内に、すでに続編『帝国の逆襲』の製作が決定。

ルーカスは覚え書きメモの第1稿を、
1977年11月には書き上げた。

これもあって、アカデミー式典の前後に、
ベイダーマスクや上半身のスチル撮影が改めて行われ、

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この時の撮影分が、
有名な『帝国』ティーザーポスターと、

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1995年の、ディサイファー社CCGのパッケージに逆版で使用。
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1997年の、トップス社のワイドビジョンに、
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正像で使われた。

 

この、完成品としてはまたしても1式しかなかったレプリカスーツは、
私家版ゴーストホストの元型、

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しょうめん

かくひ

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ツアー(巡業)用スーツ製作のために、
ドンポスト社に貸し出された際、
複製(オリジナルから数えれば複々製)13セットは、
(おそらく20世紀フォックス社に)納品されたが、
本物は返却されなかったという。

そうなると、ベイカー製レプリカマスクの貸し出し時期は、

ゴーストホストに関する元記事にある、
1977年初旬
ではなく、
アカデミー賞授賞式の、1978年4月3日以降のはず。

 

ではこの、ベイカー製レプリカスーツの行方は?

2008年7月、スターウォーズヘルメッツドットコムの主宰が、
ツアー用スーツとしてコレクターが所有している、
ベイダースーツ1式の写真を入手。

にゅうしゅ
ところがこれを仔細に検証した結果、
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13着あったはずのツアー用スーツではなく、
ドンポストが返却しなかった、
ベイカー製レプリカだった!

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これにて、「ダース・ベイダーの行方」の本文と補完記事のまとめは以上です。

 

(つづく)