久々に、内山まもるのウルトラ/円谷作品について。
※類似画像が羅列されているのは、
より元画像に迫る比較のためです。
本記事作成の経緯は、
円谷ヒーロー名鑑
〈その1〉
〈その2〉
〈その3〉
〈その4〉
——をやったのと、
の電子版が発売され、
画像流用が手軽になったため。
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1970年
内山が最初に手掛けたヒーローコミックは小社(小学館)と円谷プロが、
後のTV(テレビ)化を念頭に置いて各誌で誌面展開を行っていた巨大ロボット物
『ジャンボーグA(エース)』だった。
『小学二年生』10月号・扉絵。翌71年3月号まで半年に渡って連載された。
TV放映がスタートしたのは、'73年1月だった。
「小学二年生」'71年3月号の巻頭特集では、
内山自らの手によるジャンボーグA内部図解も掲載された。
1971年
年度末となる3月号で『ジャンボーグA』の連載が終了。
入れ替わるように、『小学二年生』5月号から、
『帰ってきたウルトラマン』の連載がスタート。
後に続く、内山ウルトラワールドの記念すべき幕開けである。
連載開始に先駈け「小学二年生」4月号では、
まんがとはタッチの異なる、内山イラストを見ることができる。
『小学二年生』5月号・連載第1回扉絵。
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『小学二年生』夏の増刊に掲載された初の長編。
現在まで未単行本化の一編。
『小二』の内山ウルトラマンは、連載当初からセンス抜群!
子供たちの心を捉えて離さなかった。
1972年
TV放映に合わせ、連載も『帰ってきたウルトラマン』から『ウルトラマンA(エース)』へ。
円谷作品以外にも『コンドールマン』、
『アストロガンガー』等、作品が急増。
左が「小二」右が「小一」のバッジ。
「小二」新年増刊に掲載されたよみきり作品。
内山まもるが、ミラーマンまで描いていたとは!
タイトルが異なる「小学二年生」4月号・扉。
ウルトラエースの商標をかすめとったマルサンが製造した、
こんなもののために…。
『小学二年生』夏の増刊に収録されたよみきり長編
『ウルトラマンA ウルトラ5兄弟たいヤプール人』
『小三』
3誌掛け持ちで半年(1972年8月号〜1973年1月号)に渡る連載が行われた。
1973年
夏の増刊に引き続き、『小学二年生』翌'73年新年増刊には
『ウルトラマンA 怪獣はか場のけっとう』が描き下ろされた。
「決戦ウルトラ兄弟対11大怪獣」と共に、現在まで未単行本化の一編。
ウルトラまんがとしては『小二』以外初となる『小学五年生』にも『ウルトラマンタロウ』を連載。
TV作品とは異なるハードな展開が、読者に強い印象を残した。
『小学二年生』4月号・扉。
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『小学五年生』4月号・扉。
【追記】『小五』版「タロウ」の初期数話は、
てんとう虫コミックス版「ザ・ウルトラマン」に再掲されるも、
全話が復刊されずに今日に至る。
特集記事にも数多くのカットを提供。
本書(ウルトラコレクションボックス ザ・内山まもる)収録の長編は
『小二』新年増刊号には、TV放映に合わせて新作『ジャンボーグA』が描かれ、
'70年に『小二』で連載された同名作品の再編集版と共に掲載。
誌面では、“古いジャンボーグA”“新しいジャンボーグA”として紹介されている。
(画:2月号から6月号 江原伸、7月号から11月号 江原世張、12月号 かたおか徹治)
内部図解は、
1972年にテレビ化が実現した際に、
内山本人が「小学二年生」4月号ふろくの下じき用に描き直している。
TV放映に合わせ、『小三』2〜3月号で連載。
(画:4月号から12月号 生田正次)
『小一』は1973年12月号掲載分のみ内山が担当。
(画:2月号から3月号 さいとうあきら、4月号から11月号 浅井まさのぶ)
TV43話(1973/11/10)のジャンキラー・ジュニアが登場。
(左)ジャンボーグ9も登場。/メロス(右)の頭部デザインの元ネタになった。
『ジャンボーグA』(エース)は、
1973年1月17日から同年12月29日まで放映。
ウルトラ以外の内山作品なら、
同じ円谷の「ジャンボーグA」
『小学二年生』1970年10月号-1971年3月号、1973年新年増刊号、
『小学三年生』1973年2月号-3月号、
『小学一年生』1973年12月号
はせめて復刻/復刊してほしいね。
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ということで、今回はここまで。
残り半分の後編は、またいずれ。