1月25日の金曜日。
ふと自分のブログを見ると、
また順位が上がってる?
この時よりも。
全体(総合)で、ついに1000位以内。
しかも前日は、もっと上の、620位!
奮闘記のジャンルは、前日同様の7位だが、
クリエイターでは、2位で、
しかも前日は堂々の栄えある1位だったことが判明!
くそー、1位の表示を見逃しちゃったよ。
昨日は、前日の総距離60キロのチャリこぎが響いてヘトヘト、ブログの更新だけで手一杯だったからなあ。
それにしても、
クリエイター1位の23日の最新記事は、お堅いこれ(「50年目に明かされた真実」)で、
次の24日は、これ(「ロングブレスダイエットの実態」)だったけど、
どちらもアクセス急増の原因とは考えづらい。
細かく分析したら、
画像アクセス1位は、これで。
検索ワード1位は「耳の溝の幅」
ってことは、この記事か。
というわけで、しかけた爆弾がピンポイントで弾けただけの、瞬間最大風速でした。
なので、この件はあっさりこれにて終了。
以下は本来予定していた本記事です。
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ヒーロー共演の軌跡?
終わったはずでは?
ええ、そのつもりでした。
しかし、画像探しの最中に、海外サイトで偶然行き当たったこの1枚、
なかなかに、謎が多い。
↓アメブロのPC向け画像表示が、横430ピクセルあたりで限界になったため、やむをえず、画像を90°回転させて、もう少し大きめに表示しておきます。
※より大判の元画像はこちらで。
ここで「ヒーロー共演の軌跡」についておさらいしておくと、
制作会社の異なるヒーロー共演の場合、
「帰ってきたウルトラマン」(右)は円谷プロ。「シルバー仮面」(左)は宣弘社。
放送局は共にTBSで、この写真は局の広報用に撮影された。
放送局が同じだったり、
放送局がバラバラなら、
「ロボット刑事」(左)はフジテレビで放送。「仮面ライダーV3」(中)と「キカイダー01」(右)は共にNET(現テレビ朝日)で放送。
3作共に、原作は石森章太郎(当時表記)、製作は東映。
放映当時、この「3人そろい踏みの写真」を掲載できたのは、全作を掲載していた、徳間書店の「テレビランド」だけだった。
※写真自体は講談社が撮影したもの。
制作会社や原作者が同じ等、何かしらの共通項があるものだが、
今回の画像には、それがない。
1979年の撮影なのは明白だが、
ドラえもん(番組はアニメ)は、
テレビ朝日、シンエイ動画、掲載誌は小学館のみ。
ザ☆ウルトラマン(これも番組はアニメ)は、
TBS、円谷プロ、掲載誌は小学館と講談社。
バトルフィーバーJは、
テレビ朝日、東映、掲載誌は講談社、徳間書店、秋田書店。
仮面ライダーは、この写真が撮影された1979年の時点では現役がおらず、
V3(右)の頃は、放送局が毎日放送(NET系)で、
ストロンガー(左)では制作局の毎日放送が朝日放送とネットチェンジしたため、関東地方ではTBS系列での放送となった。
※以後、毎日放送が制作に携わった最後のライダー『BLACK RX』(1988~1989)まで、TBS系列での放送が続く。
製作の東映、掲載誌の講談社、徳間書店、秋田書店は変わらず。
東映版スパイダーマンは、
東京12チャンネル、掲載誌は講談社、徳間書店、秋田書店。
というわけで、くまなく共通する要素は何もなく、そもそも全作を掲載する雑誌が存在しないなら、何のために撮影し、この画像の出本はどこなのか?
少し考えて、わかりましたよ。
あなたは?
つづく。
と引っ張るまでもないので、答えは
ポピー。
そう、ポピニカと超合金の。
つまり1979年当時の、バンダイのキャラクター玩具用のブランドです。
各キャラごとの製品を見ていけば、
超合金ドラえもん
当時、カプセル自販機が「ガチャガチャ」と言われてたのに、呼び名や商品名が「ガチャポン」とか「ガシャポン」になったのは、このポピーの超合金が、「ガチャガチャドラえもん」で商標登録してしまったため。
ザ☆ウルトラマンなら、テレビヒーローでしょ。
ポピー(バンダイ)は、ライバルのタカラに比べて、アクションフィギュアの展開が苦手だった。
このテレビヒーローシリーズは、20センチサイズのミゴ社の素体に、和製ヒーローの「ガワ」を着せたもの。
本家アメリカヒーローは、スーパーマン、バットマン、スパイダーマンが、単なるミゴ社製品の箱替え。
ウルトラシリーズからは最新のジョーニアス(ザ☆ウルトラマン・右)と最古の(初代)ウルトラマン(左)と、他にウルトラセブンがラインナップされていた。
…って、わかる人が、どれだけいるのか。
バトルフィーバーJだって、ヒーロー単体だったら、乗り込むメカの超合金よりも、
テレビヒーローだよね。
バトルフィーバーJのテレビヒーローは、この4種でコンプリート。
男児玩具で女性のフィギュアは売れないとの、当時ならではの判断から、ミスアメリカは発売されず。
放送時期が前だったV3なら、代表商品は変身ベルトだろうし、
ライダー変身ベルトこそ、ポピーの基礎を築いた大ヒット商品だった。
(以下Wikiより転載・一部編集/青字表記)
ポピー創始者の杉浦幸昌が、長男にタカトクトイスの仮面ライダー変身ベルトを買い与えるが、劇中のように回って光らないことに長男が不満を持った。
そこで知り合いの工場の人に頼んでタカトクのベルトを改造。回って光るようになったベルトを長男が近所で遊び回り、大きな評判を呼ぶ。
杉浦は「これは売れるんじゃないか」と判断し、商品化を企画。
当時のキャラクター商品は価格帯別の許諾が一般的で、東映も同様だったため、タカトクの500円の変身ベルトより高額な1500円の変身ベルトとなる。
石森章太郎(当時表記)はポピーの変身ベルトを「こんな高いのが売れるのかなぁ」と考えていた。
この変身ベルトが大ヒットし、バージョン違いを含め380万個を売る。
ポピーはこれ以降、他社より高額で高付加価値のキャラクター玩具を主力とするようになる。
ストロンガーは、本人よりもバイクつきでしょ。
箱と中身にそれぞれ2種類あり。
ポピニカ カブトロー
スパイダーマンなら…上記のテレビヒーローよりは、
スーパーアクションに尽きるでしょうね。
この頃のオモチャは、造形面では現代のに遠く及ばないけど、独特の魅力と、猥雑な勢いとかパワーがあったよね。
以上、ヒーロー共演の軌跡〈特別篇〉でした。