心屋仁之助さんのブログに、


じんさんが辞めたら、
認定カウンセラーはどうなるの?

信じていいのか不安です。


という質問があったようで、


なんかちょっと言いたくなったので、
じんさんのブログへお返事という形で書くと、


なんか、想いのまま書いたら
めっちゃぶっきらぼうなお返事になってるかも

見た人ごめんよ。



そもそも、じんさんが抜けたぐらいで

スピリットが変わってしまったり、崩壊するような

ところなら、じんさんは心屋を手放さない気がするよ。

 

 

 

そして、究極は形が変わっても、

崩壊しても、何があっても、

大丈夫。 なんだろ。きっと。

じんさんが究極的に見てるのはそこだと思う。

 

 

形が変わろうと、心屋の心根みたいなものは

受け継がれる気がする。

 

 

私はカウンセラーではないけど、
マスターコースを出たものとして、

それは言える。


心屋はじんさんの教えを守るために
作られたんじゃなくて、
一人一人が自分の枠を壊して、
その人らしい生き方を

するために作られたものだから。




一人一人実践の仕方は違えど、

マスターコースで得たものは、
自分に挑戦し続ける生き方の根本だから。

じんさんが辞めたぐらいでは、
変わらないだろうから。

 

 

 


ただ、傷ついてるだけ。

 

こう思って人を見ると、

人が愛しくなってくるよなぁ。


何この人・・・って思うような人であっても。

心の中にはこういう想いが眠ってる。

 

 

 

 

 

だからこそ、自分をまず一番に

大切にしてあげる。

 

たいせつだよ。

 

昨日は、初めての料理 ケンタッキー風手羽元を作った。

 

 

 

 

 

 

ホントにケンタッキーみたいにカリカリの衣で、

スパイスも効いてて私は美味しかったんだけど、

家族には不評。

 

 

身が骨から離れなくて、食べづらいし、

食べるときに手をベタベタにするのが嫌らしい。

から揚げにしたら食べやすくて美味しいかも、とのこと。

 

 

こういう時、これを悪いことに受け取る人と、

良いことに受け取る人と2通りいる。

 

 

私は割と、悪く取って不評を気にする人。

 

家族が フライドチキン食べたいね~ って言ってたので、

食べて喜んでもらいたいなという想いで作った。

 

だから、食べづらいという不満が出た時点で、

 

せっかく作ったのに不評で上手くできなかった・・・

喜んで欲しいという想いを無下にされた。。。

 

ってなって、じゃあやらないプンプン となりがち。

 

 

でも、そこにへこたれない人や、不評と感じない人もいる。

同じ出来事でも、プラスの部分を探してそこを受け取れるのだ。

 

 

そういう人は、

 

あ、から揚げにしたらいいかも!!
小さいから揚げやすいし、食べやすくて丁度いいじゃん!!

良いこと聞いた、ラッキー💗

 

 

こんな風に、良い結果にフォーカスしたり、

それができた先のプラスの未来に

フォーカスする力が強い気がする。

 

 

 

この差で、

 

から揚げにしたら美味しいかも。という一言を

上手くできなかった・・・できない証拠(-)と捉えるのか、

 

じゃぁ、こうしたらいいんだな! と、より上手くなるための

アドバイス(+)として捉えるのかも決まってくるんだろうな。

 

 

プラスに捉えられると、否定意見もあんまり受け止めすぎずに

上手く利用できるかなと思う。

 

 

 

 

ここまで考えてきて、

そもそもこれって、自分が料理が得意か、

苦手かにも関わってくるのでは? と思い始めた。

 

 

得意だったら、自信があるから悪い評価をもらっても

引きずらないし、じゃぁ、こうやってみよう! って

工夫も普通に出来そう。

 

 

 

 

苦手だから、出来ないことやマイナスの評価に

フォーカスしがちなのかも。

 

苦手だけど、一生懸命やったのに、

やっぱりダメだったじゃんと思って

ますますやらなくなる ってありそう。

 

 

 

そう思うと、前提の力ってすごい。

結局、料理が得意と思ってれば、結果が多少ダメでも

大丈夫だし、再挑戦できるけど、

料理苦手だと、自信ないし、そもそも苦手で嫌なことだから、

どうせできないよ、、、ってなるんだ。

 

 

料理下手でもプラスに捉えられる人は、

自信があって、良い結果にフォーカスする力が

強いんだろうか。

 

 

 

 

まてよ、

料理下手でも、自分がやりたいと思ったことは、

割と失敗の過程も面白く感じられるかも。

 

 

相手に喜んで欲しい。動機が相手ありきのモノだけだと、

期待が外れたときや、相手から失望されたときに、

やりたくなくなるのかもな。

 

 

やっぱり、自分から湧いてくるやりたい気持ちって

大事。
良いところ、良くできたとこにフォーカスしてみよう。

 

捉え方によって、浮かんでくる気持ちが

全然違うのを実感したって話でした。

 

逃げのために、自分が嫌だなぁ
と感じてる行動をすればするほど、

自分が嫌になってドツボにはまっていくような気がする。

 

 

 

やらなきゃいけないことがあるけど、

やりたくなくて、どうしてもやるところまで

たどり着かないとき

 

 

やりたいと思ったことが
できなかったときに取るルート

をいくつか決めておくといいのかも。

 

 

 

 

 

たとえば、SNSや動画をやめられないとき

 

 

ちょっとだけ生産的な(自分がこれはいいなと思える)

ものを選んで代わりにやるといいかも。

 

SNSを見ない時間を延ばしていく
5秒見ない、10秒見ない、15秒見ないなど

 

 

 

SNSとか動画って、気を紛らわせるために見てることが多い。

それって、それ以外に気持ちの発散方法を知らないから。

 

だから例えば、料理するとか、ヨガボールで遊ぶとか

モロー反射の統合をするとか違うことをしてみるといいかも。

 

 

 

 

そして。やりたくないのは、やったらつらいから、

自己嫌悪に陥るから。

 

だから、ダメを感じないやり方を考える。

それができたときのことや、自分の理想を考える。

 

 

 

あとは、とりあえず、やりたいことをつぶやく。

 

~(やりたいこと)をしている。
行動を変える とつぶやくとか??

 

 

そうすると意外に言葉に引っ張られて、

やる気が出てくることがあるかも。

 

 

実際にやってみて、検証だな。

以下の投稿は、鬼滅の刃のネタバレを

含みますのでご注意ください。



 

 

鬼滅の刃というマンガ? アニメ?が

流行っているらしい。

 

 

 

 

数カ月前からそういう噂はきいていたものの、

流行りものに疎い私は、特に見ようともせず、

ただ、声優さんは好きなので、

鬼滅のラジオだけは聞く、という

謎の楽しみ方をしていた。

 

 

 

そんな感じだったんだけど、

鬼滅の刃に感情解放の要素があるという

投稿を見てから俄然興味がわいて、

ここ数日でアニメを一気見した。

 

 

 

 

 

 

 

結果、これ、ほんとにカウンセリングに近いな

という印象を受けた。

 

 

特に、鬼が鬼殺隊に刺されて消えていく一瞬、

走馬灯のように流れる人間だったころの記憶。

みんな悲しい記憶を背負っていて、
それがもとで鬼になっているのだけど、

 

 


最後に 「あぁ、自分は本当はこうしたかったんだ」

ということに気づいて消えていく。

血のつながった家族が欲しい。
謝りたかった。

認められたかった。

 

 

そんな風にほんとの想いに気づいていく過程なんか、

カウンセリングそのものだなぁって。

 

悩みを抱えてる人って

そういう素直な想いに蓋をしてる人が

多い気がするから。

 

 

 

そして、その素直な想いが、

つらい経験でねじれてしまい、

数えきれない人間を殺す鬼になってしまう。



これは、
人が悩みを抱えていく過程そのもの。



 

その悲しみに寄り添う炭治郎もいい。
悪役をただ成敗して終わりじゃなく、

そこに寄り添うって今までの漫画にはなかなかないと思う。

 

 

心の世界だと、物事は表裏の両面があるし、
自分が嫌ってるものも自分の一部、
自分に戻してあげると

苦手がなくなるよってよくいわれるけど、


ほんとに、善と悪を一元的に裁かないで、

統合する(含んで越えていく)アニメなんだなって感じた。

 

 

鬼滅の刃が流行るの分かるなぁ。

 

 

 

 

 

先日受けたオープンカウンセリングの

お気持ち金を寄付してきた。

 


心屋のオープンカウンセリング、前は対面が多かったから
その時に主催のカウンセラーさんに
お気持ち金を渡していたけど、

昨今の事情でzoomが多くなり、

それぞれに寄付をするという形に。



寄付ってちょっと気恥ずかしいイメージがあって、

今まで、寄付はコンビニの募金箱にこそっと入れてきたので、

自分からここに入れましたって言いずらかったのだけど、



ちょっと前から、zoomだと、
寄付先をオープンのカウンセラーさんに
報告するように変わったみたいで、
この機会だから振り込んでみようかなと思った。


 

 

窓口で寄付すると、手数料が無料になるとこもあるみたいで、
(こういうとこがケチっていうんだ笑)
多少ドキドキしたんだけど窓口て振り込み用紙を書き始めた。


寄付ってお気持ち金だから、どれぐらいが適正なのか

結構悩む。
あんまりにも少なくてもなぁとか、
でもそんなに多くはできないなぁとか。

世間体を気にする自分がここら辺でも出てくる。


あとちょっとってとこで、
結局窓口での寄付はうまくできなかったけど、
やってみて、別にそこまで恥ずかしいことでもなかったなぁって。


普段、自分で寄付するってなじみがないから、
敬遠しがちなんだけど、やってみてもいいかな
という気になった。


こんな些細なことも、ちょっと背伸びしてやってみると、

新しい発見がある。
 

 

ちょっとした小さいバンジーだったら

意外に飛びやすいのかも、って

実感したよ。

 

 

 

ハッピーさんのオープンカウンセリングに

 

参加した。

 

 

私がカウンセリングを学んだ

心屋にはオープンカウンセリングという

お気持ち金でカウンセリングを受けられる

制度があるのだ

 

 

 

 

 

 

どんな方なんだろう?と

不安もありつつだったのだけれど、

声を聞いてすごく安心できた。

 

 

 

質問が的確で、

お悩みからスルッて本当の気持ちを導いていて、

すごい。

 

 

 

行動できないから、カウンセリングで

激励してもらおうと思って参加した

のだけど、

 

 

 

他の方の相談を聞いていて、

怖くて今一歩踏み出せないときは、

叱咤激励というより、自分の怖さを受け止めてあげる

といいんだなぁと再確認した。

 

 

 

 

集まった方の相談内容がすごくシンクロしてて、

なおかつ、自分の聞きたかったこととも

すごくシンクロしていて、

 

 

怒りや、クレーム

自分が責めているから、人に責められる話。

 

 

 

自分の問題に当てはめながら聞いて、

あぁ! そうか!! って思ったことが多かった。

 

 

話を聞いていて、自分がカウンセリングが辛いのは、

自分自身が劣等感を感じて、自分を隠してるから、

だろうなぁと感じたなぁ。

 

 

 

お父さんありがとう。 の魔法の言葉は

私もつぶやいてみよう。

 

 

 

ハッピーさんありがとうございました!

なんか、自分ダメダメだな、

しんどいなって状況を脱する一歩目は、

 

自分の感じてることを否定しないで

感じてあげる。肯定してあげることかも。 

 

 

 

自分がどんだけゲスイ事とか、

汚い事とか、酷いこととか、

クズなこととか思ってても、

 

 

ダメダメで弱くて

なにもできなくて

どうしようもなくても。

 

 

そうだよね、

確かにそういう風に思うよなぁ、

そうなっちゃうよなって。

自分は自分を肯定してあげる。

 

 

 

私が自分を肯定できるようになったのは

それが大きかった。

 

 

 

 

 

私も最初は全然受け止められなかった。

 

ただ、こうしたら動けるようになるって聞いて、

どうせ何をやってもできないんなら、って

やってみただけだった。

 

 

全然そう思ってなくていいから、

言ってみる。

 

 

 

は、何言ってんの?ダメダメじゃん!

って自分がダメ出ししてきても。

 

そんなこと言ってたら、

ますます何もしなくなるよって言ってきても、

 

 

信じてなくても

ただ、言ってみるだけでいいから。

ちょっとだけ思ってみるだけでいいから。

 

 

今まで自分を責めてきて、

ずーっと変われなかったのなら、

 

 

言ってみたらどうなるか?

思ってみたらどうなるか?

 

 

実験してみてもいいかもしれない。

 

 

なんかちょっと自分との向き合い方が

分かってきたような気がした。

 

 

 

 

失敗したり、ダメと言われるようなことを

したときに、

以前は、ダメなことって、

そこにあってはいけないものと思っていた。

 

 

だからダメと言われるんだし。

ダメなことはしてはいけないし、

考えてはいけないんだって。

 

 

 

 

 

 

そして、出来ない自分はダメだから、

あってはいけないと思ってきた。

だから、出来ない自分を見ないように

その記憶ごと無くそうとしてきた。

 

だから失敗の記憶を消していたし、

考えないようにしていた。

 

 

 

ダメなことはダメ で終わっちゃって、

その先がない。どうしようとか、こうしようとかない。

ただもう一度最初からやり始める感じ。

 

 

できないことはダメなことだから、

できないって感じるのもイヤで、

なるべく早く忘れようとしてた。

 

 

 

だから、ダメなことをやったときの

詳しい記憶が抜け落ちてて、

ダメなことをダメなりにどうにかする とか、

良くなるように改善するってことを

しなかったように思う。

 

 

 

 

でも、なんか今、

物事は決して0か100かでは決まらない。

良いところの中にも悪いところもあるし、

逆に悪いところの中に良いところもある。

 

 

とかくレッテルを張って、善悪を評価しがちだけど、

そして、そこに人の評価もついて行きがちだけど、

 

成功してるからすごい人

失敗したらダメな人 とかね。

 

成功も失敗もただのプロセスなのかも。

 

 

そんな風に思えてきた。

 

 

そう思ったら、ただ失敗を毛嫌いするんじゃなくて、

失敗と言われる現象の中にある結果を受け入れて

成功への過程を楽しもうと思えた。

 

 

 

失敗=ダメなこと

成功=いいこと と思ってたらたどり着けない境地

 

 

 

皆良いところも悪いところも両方ある自分を抱えたまま、

やってるし、やっていいんだ。