2022年9月2日の「川島素晴 works vol.5 by ROSCO」の、前半部分の曲目解説です。

 

前半は、基本的にROSCOのクラシック演奏家としての側面を味わって頂こうというもので、ヴァイオリン(ヴィオラ)とピアノのデュオによる様々な表現をお楽しみ頂くことができると思います。

 

なお、私の創作における基本的なコンセプト「演じる音楽」については、こちらにまとめていますので、是非ご覧下さい。

 


 

・Adieu (1992) [vla, pf] 


この作品は、元々は東京藝術大学の学部1年の際の提出作品として、打楽器とピアノのために作曲された《苦諦》という連作があり、その一部分であるマリンバとピアノのための《愛別離苦》をヴィオラとピアノに編曲したものである。

なぜ編曲をしたのか、というと・・・。

 

提出作品そのものは、演奏審査会の結果、不可となり、再提出が求められた。連作全てが完成していなかったものの、45分ほど内容はあったので未完であることが理由ではない。上演したその内容が色々と物議を醸し、審査員の顰蹙を買ったということである。その内容の全容については、2018年の「川島素晴 works vol.2 by 神田佳子」にて全曲版初演がなされ、動画も公開されている

再提出に際して、私は敢えて、不可になった作品全体の(比較的穏健な)一部分である、この《愛別離苦》のみを別の題名にして、マリンバパートをほぼそのまま、ヴィオラ版として提出してみたのである。

そうしたら何と、今度は普通の成績がついたのである。

 

・・・などという、大学というところの不可解な現象を今更どうこう言うつもりはないが、とにかく、本作は、上記リンク先にある《愛別離苦》そのものである。

この版については、再提出作品としてお蔵入りして長らく上演されてこなかったが、2006年にEnsemble Bois によって開催された「川島素晴個展 Vol.2」にて、藤原歌花のヴィオラ、川崎翔子のピアノで世界初演された。

 

 

その後、藤原歌花により試験で演奏されたりもしたが、公開の場での演奏は16年ぶりとなる。

 

30年前の作曲作品ではあるが、ROSCOの演奏でこの機会に良い録画を記録したいと考えた。

 

愛するものとの出会いとその別れ。ピアノが耽美的な音楽を奏でていると、そこにヴィオラが異なる楽想で割って入る。最初はすれ違い理解し合えないが、やがて二人は相思相愛に。(ここでの音楽はこの日最もロマンティックな響きとなる。)しかし二人は再びすれ違っていく。抗えない運命。

 


 

・Presto Capriccioso (2004) [vn, pf] 
 

この作品の題名は、初演者であるデュオ・カプリッチョに由来し、ドイツで活躍するヴァイオリニスト・木場倶子とピアニスト・菅原幸子によるこのデュオの来日(帰国?)公演をプロデュースした際に作曲された。菅原幸子はラッヘンマンのパートナーとして彼の作品をしばしば演奏しているが、そのラッヘンマンの名作《Allegro Sostenuto》という題名が、速度標語「Allegro」と一見相反するかのような発想標語「Sostenuto」を伴っていることが、《Presto Capriccioso》という題名とも関係している。


できるだけ速く演奏する、という設定によると、演奏の行為性が浮き彫りになるということは、「演じる音楽」の実践で重要な点となるが、「Presto」と銘打たれたこの作品でも基本的にそのような姿勢で一貫している。できるだけ速く弾く、ということを実践するとき、そのスピードは実際には音型によってまちまちである。例えば、順次進行と激しい跳躍音型では、全く演奏可能な速度が異なるであろうし、更に、それをどのようなニュアンスや強弱で演奏すべきかによって、可能なスピードは変化する。この作品では、テンポは基本的に一貫しているが、音型の種類によって連符の種類が異なっている。


冒頭、トレモロを2人同時に演奏し、それをきっかけに、まずヴァイオリンが10種類の音型を提示する。続いて2人がグリッサンド・トレモロで下行すると、今度はピアノが10種類の音型を提示する。それぞれの示す10種類ずつの音型は各楽器の特質を活かした内容になっており、そのこと象徴するように、ヴァイオリンはパガニーニのカプリース第1番、ピアノはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番第1楽章、という具合に、それぞれ、有名な楽曲の引用からスタートする。(演奏行為の形態が一聴瞭然であるこれらの音型は、単なる名曲の引用というよりは、演奏行為の引用として機能しており、これらは私の他の作品でもしばしば登場する。この日の演目でも、パガニーニのこのアルぺジョは《ソナタとポストリュード》で再び登場する。)これら22の音型はループしていくが、その過程で徐々に短くなっていくと同時に、2つの楽器がだんだんと同期していく。本来、それぞれの音型は各楽器の特質を活かした内容だから、全ての音型は同期して演奏するのは困難なはずであるが、音型が短くなることとパラレルに同期率が高くなっていくことによって、かろうじて演奏可能な内容を保っている。ソロとしてのヴォルトゥオーゾから、デュオとしてのヴィルトゥオーゾにシフトしていくわけである。
最後には、一瞬で音型をチェンジしていく状態となるが、この状態は、この音楽が「演奏行為の連接」であることを最も体感し易いものである。

 

2009年にROSCOとコラボしたコンサートにおける、ROSCOによる白熱の演奏は、既に動画がアップされている。

 

 

また、2011年のROSCO結成10周年リサイタルでも選曲して頂いた。

 

上記の録画は既に優れた演奏ではあるが、当時の録画精度の限界もあるし、このときから13

年を経た彼女たちの、円熟を増した演奏をこの機会に記録しておきたいと考えた。

さらなる白熱の勇姿、乞うご期待!

 


 

・ヴァイオリニストとピアニストに寄せる4つの私信 (1996-2021/初演)
 

様々なシチュエイションで書いた、ヴァイオリンとピアノの小品を集めてみたところ、未演奏のものや、しっかりと初演されていないものなども含む3曲ほどあったので、この機会に新作を加えて「4つの私信」として一挙上演することにした。

それぞれ、異なる意味で「私的」な要素を含んでいる、という点で共通点がある。

また、偶然ながら丁度8年おきに並んでいて、新作はその9年後となっているので、私の作曲スタイルの変遷を網羅することにもなっている・・・そしてそのような意味でも「私的」である。

 

 1) Eternal Light - from a field gate (1996/初演) 

 

とあるヴァイオリニストから年賀状が届き、その返信として1日で作曲、その日のうちに年賀状サイズに縮刷してお送りしたものであり、下記はその楽譜の全て(自筆譜)である。

 

 

送った先がどなたなのかについては、題名(野の入口からの永遠の光)が示唆しているので、ご想像頂きたい。

いずれにせよ、その方は、まさかこれが年賀状の返礼として作曲された新曲とは思わず、既存の何かを印刷したものと思われたようで、その後演奏されることなく今日に至った。

 

1992年の《Adieu》や1996年の本作を聴くと、当時の私がこのような作風の作曲家であったかのような印象になるかもしれないが、こうしたものを書く一方で1994年にはじまる「演じる音楽」の本来の作風は並行している。《Adieu》での移動が象徴する関係性の変化、本作での執拗なまでの演奏法の書き込み(細かい動きをも含む)など、「演じる音楽」のエッセンスも、多少含まれている。

 

 2) 高時の歩み (2004)
 

2004年に行われた結婚披露宴の席に、多数の作曲家がヴァイオリンとピアノの曲を祝賀曲として献呈し、それをROSCOが次々と初演した。そのときの新婦が他ならぬ大須賀かおりであり、私は司会を担当していた。

結婚式の定番曲、メンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》の《結婚行進曲》を下敷きとして、それがラヴェルの《ボレロ》のリズムにすり替わるというアイデアで、初演時は《結婚行進曲》と称していた。こうしたアイデアは、私自身、その後の作品でもしばしば用いている。(その代表的な例が《強撚ボレロ》である。つまりいわば本作は、《強撚ボレロ》の一部の元ネタということになる。)

 

今回、この曲を「私信」に含めて公開初演しようと考えたわけだが、《結婚行進曲》という題名そのままでは諸事情もあるし、座りも悪いので、原題の《Hochzeitsmarsch》をいわば直訳し、《高時の歩み》とした。

 

全くの余談。

この上演を考えた2020年以来、自宅の楽譜を色々と探索したが、なかなか見つからない。そこで、大須賀かおりに、どこかに保管していないか尋ねるも、見当たらないという。

私自身、更に自宅の探索を行い、本来の計画だった2021年の時点までには楽譜を発見していたので、無事上演できることとなった。

しかし他の沢山の作品も含めて、所在が気になった大須賀は、更にこれらの楽譜を探索。最近になってパートナーの実家から発掘され、全ての曲が一つの封筒にまとめられていた。

ところが、私の作品だけが見当たらない。

しかしよくよく見てみれば、白紙のようになっているファックスの感熱紙がある。

それがどうも川島の曲のようであると考え、薄く残る部分に目を凝らしてみたところ、そう確信した、とのこと。

もしも私が自宅から発見していなければ、私は今回、このように薄くなってしまった感熱紙から楽譜を読み解くという作業を強いられていたことになる。

 

 

これからの音楽学者は、薄い感熱紙から楽譜を書き起こすような研究が必要になるのかもな・・・と、思った次第。

(私だけ感熱紙だったというのが何を物語るのか。。。まあ、要するに直前に送ったってことです。)

 

 3) Ground - 3歳児が口ずさんだメロディによる主題と変奏(2012)
 

2011年に東日本大震災が発生。それを受けて、それ以前から活動していたmmm…(エムエムエムスリードッツ)というユニットにより「ヒバリ 〜hibari」という、震災義援音楽プロジェクトが立ち上がった。これは世界中の100名の作曲家がフルート、ヴァイオリン、ピアノの範囲の編成で短い曲を提供、毎週2曲ずつ配信し、その収益をチャリティとして収めるという趣旨だったが、そのピアノのメンバーが大須賀かおりであった。

私の作品は2012年に作曲され、三瀬悛吾のヴァイオリン、大須賀かおりのピアノにより収録され、プロジェクトの41週目に配信された。

また、2012年のうちに公園通りクラシックスでのライヴ演奏も行われた。

今回の上演は、それ以来10年ぶりとなる。

 

 4) か○か○○か○○○ (2021/初演)
 

以上3曲はそれぞれ「年賀状の返礼」「結婚式の祝賀曲」「子供の口ずさんだ主題」といった具合に、何らかの「私的」な要素を含んでいる。今回、これらに加えて1曲書き加えることにしたわけだが、ではどのような「私的」な要素を盛り込んだのか。

 

題名の「か◯か◯◯か◯◯◯」は、「かい・かおり・かわしま」の意味である。ROSCOの二人と私の共通点として、「か」で始まる姓か名を持つ、ということがあり、しかもそれを並べると「2・3・4」拍子(合計9拍子)を形成する。それをそのままこの作品の音楽構造として用いることとした。

冒頭、とてもゆっくりとこのリズムが奏でられる。それが9倍速まで加速すると、元のテンポでも同時に演奏される。つまり、1:9の速度による二つのレイヤーで同時進行する状態となる。

そこに更に、異なる周期のレイヤーが同時に演奏されるに至る。(9倍速のパートから見た3倍、2倍、といったテンポなど。)

 

「か◯か◯◯か◯◯◯」、つまり「かい・かおり・かわしま」と発話しているかのような音型でできているこの作品の背景には、私の、発話と音楽の関係を探求した作品系列があるが、それを下敷きに、そのリズムの様々なテンポを同居させるというアイデアが探求したものとなっている。

《4つの私信》の締め括りとして、ROSCOの演奏能力の極限を示す内容を、との思いで書かれた。(後半に上演する新作《ROSCO Chapel》は、ちょっと方向性が違うので、こういう新作もないとな、ということでもある。)

 


 

・トランペット協奏曲 (2012) [trp, vn, pf] 

 <共演>Trp:曽我部清典

 

2012年、曽我部清典の還暦記念演奏会「曽我部清典&フレンズ《今日までそして明日から...》」が開催され、多数の作曲家が新作を寄せた。

本作は、曽我部自身のトランペット、宗川理嘉のヴァイオリン、中村和枝のピアノにより初演された。

《トランペット協奏曲》という題名ながら、実際にはトリオ編成であり、クラシック作品のパッチワークによって作られている。しかも幾つかを除いていわゆる「オケスタ」、つまり管弦楽作品のトランペットパートの断片が殆どとなっているので、「協奏曲」と呼ぶことには疑問もあるだろうが、少なくとも1曲の協奏曲を吹くよりもハードな内容であることには変わりない。


こちらに、初演時に作成した詳しい解説が掲載されているので、作品の内容についてはこちらをご覧いただきたい

27名の作曲家による25の断片と、それにほぼ和声的同期によって処理されたヴァイオリン、ピアノのパート、という関係が提示され、それが徐々に切迫していく。

 

《Presto Capriccioso》と同傾向の作品であるが、それと決定的に異なっているのは、ここでは全楽器、全く休む間が無いということである。とりわけトランペットパートの過酷さはすさまじいもので、これを吹こうというだけでも凄い話である。

 

詳しい作品内容についての解説は上記リンク先に委ねるとして、ここでは、別のエピソードを記しておく。

 

実は今回、曽我部が使用する楽器は、公演日のちょうど一週間前の土曜日に、旧友のトラペット奏者、辻伸夫から譲り受けたものだということである。辻がガンター社と共作した試作品で、いわゆるドイツ管、ロータリー式の楽器である。

曽我部はこれまで、本番でロータリーの楽器を吹くことは無かった。

しかし、この楽器で本作を試奏してみたところ、具合が良いので、結局、譲り受けて間もないこの楽器を、今回の本番で使用することにした。

実際、リハーサルを通じて、この楽器の音色が、こうしたクラシック作品の引用モチーフを吹くのには適していることを客観的にも感じたので、その判断は全く正しいことだと思われるが、こういったところにも、新たな可能性に向けて開かれた精神を垣間見ることができる。

(もらって1週間を経ない楽器を、既にさらいこんでいる超絶技巧楽曲の本番に使用するということは、普通はしないのではないだろうか・・・。)

 

 

今回は初演以来10年ぶりの上演となるが、ということは、10年前が還暦ということであり、つまり、今、彼は・・・。

曽我部清典という演奏家の、変わらぬ超人性を改めて思い知らされた。

 


 

曲目表

→前半の曲目解説(本記事)

後半の曲目解説

ROSCOのお二人による川島素晴評

川島素晴によるROSCO評