作品個展「川島素晴 works」シリーズでは、毎回、ゲスト演奏家に私のことについて書いて頂き、そしてその反対に、私からゲスト演奏家のことについても書かせて頂いております。
 

2022年9月2日の「川島素晴 works vol.5 by ROSCO」に寄せて、既にROSCOのお二人から私についての文章を書いて頂きましたので、ここでは、ROSCOのお二人について、私から書かせて頂きます。

 


 

ROSCOはロスコ

川島素晴

 

マーク・ロスコ(Mark Rothko)の晩年の境地は、グリーンバーグの言う「カラー・フィールド・ペインティング」の定義を超越したものと言える。残念ながらヒューストンの《ロスコ・チャペル》にはいまだ訪れたことがない(2019年には修復に入り、その後コロナ禍になってしまったので行きたくても行けない状況だった)のだが、DIC川村記念美術館のロスコルームはしばしば訪れている。ここで見られる《シーグラム壁画》の7点は、どの作品も主に2色の領域を持ち、窓枠のような形状として認識できるものが多いが、それらの形を分ける境界は曖昧で、そばで見ると微妙な色彩の変化に満ちている。単色と思いきや、その質感は場所により様々であり、もしもその全容を味わおうものなら、一枚の壁画の前にどれほど立ち尽くしていようとも時が経つのを忘れてしまうだろう。

このような質感がどうやって導かれたのか、およそのことは判明しているが、しかし実は、完全解明はなされていない。成分分析は進んでいる。しかし、顔料や膠、全卵などを様々な分量で試行し、それを各所で異なる配合のまま用いていることにより、あの、不思議な画面は実現するのであり、恐らく、本人ですら、全ての画面を再現することは難しいのではないだろうか。

 

二つの、異なるがしかし相互に補完しあう色の関係。

その一つ一つの色が持つ、様々な表情。

そしてそれが導かれる技は、謎に包まれている。

 

こうした《シーグラム壁画》の特徴を挙げてみるなら、「ROSCO」は、やはり「ロスコ / ROTHKO」だったのだ、と思い至る。

 

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1998年は、甲斐史子さんの父である作曲家、甲斐説宗(1938-1978)の生誕60年、没後20年であり、この年に大きな回顧展を計画、実行した

(以下のページは、4ページ二つ折りチラシのうちの2ページ目。)

実はその前年、新垣隆さんから電話がかかってきたのである。

「川島くんは、甲斐説宗のことをどう思う?」

同じ匂いを感じとっておられたのだろう、きっと川島は甲斐説宗に強い思い入れがあるに違いない、という確信により、このような電話をなさったものと思う。

それは正解であり、1997年に開催された個展でも私は協力をした。

そして、そのときに、既に新垣隆さんが桐朋で関わりのあった、甲斐史子さんを紹介してもらうことになる。

そして翌年が生誕60年、没後20年であることを踏まえ、大回顧展の計画が始動、私はしばしば甲斐家にお邪魔して、楽譜を探索したり、資料を漁ったりした。

 

四半世紀前、彼女も私も、ちょうど今の半分の歳の頃のことである。

 

この回顧展の初日に、甲斐説宗作品によるリサイタルデビューを(新垣隆のピアノとともに)果たした甲斐史子さんは、その後、着々と現代音楽シーンに乗り出していく。

 

1999年、木ノ脇道元さんが「東京の夏」でのリサイタルを川島素晴作品個展として開催した折に、《フルート協奏曲》などの演奏に参加してもらったのが、私の作品に関わって頂いた最初の機会となる。

2000年には「F vs K」という、福井とも子さんと川島素晴の作品を対バンさせるシリーズに出演してもらい、私の作品セクションの演奏を担って頂いたこともある。そこで彼女が演奏した《夢の構造 III》は、ありとあらゆるヴァイオリンの特殊奏法(しゃがんだ状態でヴァイオリンを頭に乗せて擦るなんていうのも!)が出現する、究極の難曲だが、それをまだ20代だった彼女は見事に演奏し切った。

 

こうした活動を、大須賀かおりさんは眺めていた。そしてそれをまんざらでもないと思ったのか、その後、2001年に、二人はROSCOを結成することになる。

それからの数多くの活動の様子は、ウェブサイトのアーカイヴをご覧頂くとして・・・。

 

《4つの私信》の項目でも触れるが、実は私は、2004年には大須賀かおりさんの結婚式の司会まで務めたのであり、そういった意味ではかなり深いお付き合いをしていると言える。

 

2005年には、オランダのガウデアムスの演奏コンペティションに日本人が多く参加していて、なぜだか私もその場にご一緒していた。(菊地秀夫さんが私の《Manic Depressive I 》を演奏するということもあり、クラリネットを固定するためのスタンドをみんなで手分けして持っていくという必要もあった。)

 

左から菊地秀夫、大須賀かおり、太田真紀、川島素晴、甲斐史子

 

このときROSCOのお二人が宿泊していたのが、広々としたコンドミニアムで、みんなで集まってパーティーをしたりという、楽しい思い出。

 

その後、「eX.(エクスドット)」というシリーズで、2008年、即ち甲斐説宗の生誕70年、没後40年となる年に、再び甲斐説宗の個展を開催。ここではROSCOに加え、今回出演の木ノ脇道元さん、多久潤一朗さんを含むフルートカルテット「Nozzles」、そして神田佳子さんという、今の「川島素晴 works」シリーズのソリスト揃い踏みで、開催された。

 

そして、本格的にROSCOのお二人とのコラボレーションを行った機会と言えば、2009年の「eX. 10 ROSCO plays Kawashima & Yamane」である。

 

 

このときの演奏動画も幾つかYouTubeにあげているが、それらの紹介は関連項目のところで行うとして、とにかく、二人とも、色々とやらされた。(とりわけ、大須賀かおりさんが演奏したピアノソロ曲《ポリポリフォニー》で、体がかゆくなって掻きむしる演技を堂々とこなされていたことは特筆すべきであろう。)


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他にも折に触れお二人とはご一緒してきたが、そう言えば、ROSCOとしてこうしてガッツリご一緒するのは2009年以来、13年ぶりとなる。

 

お二人には川島のことを「変わらない」と書いて頂いたが、それを言うなら、お二人も全く変わっていない。

 

甲斐史子さんは、普段は実に飄々としていて、いかにも頼りなげなオーラを醸し出している。なにしろ、何か困ったことがあれば思わず「どうちよぉ〜」とか口走ってしまうのだ。(たぶん、そういった姿は、幼少期から変わってないのではないかと思われる。小学6年生の双子の母とは思えない!)

ところが、一旦ステージに立つと、その印象は一変し、普段の姿からは想像できない「演奏家オーラ」を纏う。今風に言うとギャップ萌え、甚だしい。

 

大須賀かおりさんはその点、普段からクールな雰囲気で、年上の甲斐史子さんをむしろあやしているような具合。ピアノを嗜む令嬢がそのままプロフェショナルに成長したかのような、気品溢れる演奏。

・・・だがしかし、だからこそ、現代音楽シーンのど真ん中で、何でもござれでしれっと弾きこなす姿(上述のように、体を掻きむしったりも!)は圧巻。これもやはり、ギャップ萌えの類いだろう。

 

二人は、とても違う性格であると同時に、どこか、とても通じ合っている。

この絶妙なバランスこそがROSCOの魅力であり、それが故に、他に得難い現代音楽デュオたり得ているのである。

 

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ここで、冒頭に書いたマーク・ロスコの《シーグラム壁画》の印象を再掲する。

 

二つの、異なるがしかし相互に補完しあう色の関係。

その一つ一つの色が持つ、様々な表情。

そしてそれが導かれる技は、謎に包まれている。

 

どうです?

ROSCOは、やはりロスコ(ROTHKO)そのものだなぁ、と、思いませんか?

 

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このたびの公演は、私の創作の軌跡の回顧(普通に弾く曲から何でもアリのキテレツ曲まで網羅)でもあり、ROSCOとの20年以上の歩みの回顧でもあるので、縦横無尽に、あらゆる角度から「ROSCOの魅力」をお伝えできる機会になっていると確信します。

どうか、二人の奏でる全ての音をお聴き逃しなく。

そして一挙手一投足を、お見逃しなく!

 


 

曲目表

前半の曲目解説

後半の曲目解説

ROSCOのお二人による川島素晴評

→川島素晴によるROSCO評(本記事)