リサイタルの動画を続けて公開しましたが、そもそも「川島素晴 plays...」シリーズより前に、作曲作品個展のシリーズ「川島素晴 works」を2017年から開始しております。この機会に、これらの動画も順次公開していきたいと思います。
 

まず始めに、2018年に行いました「川島素晴 works vol.2 by 神田佳子」の全動画を公開しました。コンサートの前半3曲は既に公開していたのですが、今回、後半(といっても1曲のみ、全55分)も全て公開し、且つ、当日のプログラム内容も併せて公開します。

この投稿をスクロールて順番にご覧頂きますと、コンサートをはじめから体験するようにお聴き頂けると思います。(テキストがとても多いので、すぐに動画をご覧になりたい方は、埋め込んだ動画が出てくるまでスクロールして下さい。。。)

 

*なお、当日の写真については、神田佳子さんのブログ記事にふんだんに掲載されておりますので、それをご覧下さい。
 神田佳子ブログ記事その1 その2 その3 

 

========<チラシ画像>=======

 

 

 

=====<パンフレットの内容>=====

 

-------<川島素晴によるご挨拶>-------

本日はご来場頂き誠にありがとうございます。2017年より作曲家・川島素晴による作品個展シリーズ「川島素晴 works」を始動、初回は中学高校同窓同期のクラリネット奏者、菊地秀夫さんをお迎えしました。第2弾となる今回は、大学同窓同期の打楽器奏者、神田佳子さんをお迎えしてのリサイタル形式でお届けします。

1991年の大学入学当初、国公立の芸術大学が集まる「四芸祭」というイベントの実行委員を各科の1年生から1名ずつ出さねばならないということがあり、確か彼女も私も、抽選か何かで選ばれてしまったのではないかと思います。大学が始まった早々、偶然知り合うこととなった彼女に、大学入学前から構想していた《苦諦》の演奏をお願いすべく、会うたびに口説いていたように記憶しています。しかも、「第1部は鈴をつけて踊るのみなんだよ。」だけならばともかく、「できれば全裸の全身を鈴だけで覆ってほしい」ともお願いしていたのですが、全裸というのはさすがに諦めました。しかしその譲歩のおかげで「鈴をつけて踊る」ことは了解してもらえたのです。ある意味で狡猾な交渉術とも言えますが、今のご時世なら訴えられていたかもしれません。
学生時代は、自作品の演奏や、現代作品の企画で神田さんに演奏をお願いするかわりに、私は彼女に依頼され新作を提供したり、ときには打楽器の試験の伴奏も引き受けていました。さらに、大学のサークル活動を母体として卒業前後に結成した現代音楽アンサンブル団体「Ensemble Contemporary α」においては、私と彼女はその中心的存在として(私が退団する2005年までの10年以上の間)多くの活動をともにしました。
そのようにして始まった彼女とのコラボレーションの結果、私の作品における大半の打楽器パートは神田さんによって演奏されております。次に掲げた一覧は、打楽器パートを含む私の作品リストのうち、神田さんが初演したものをまとめたものです。今回上演するものは◎をつけましたが、これが氷山の一角であることがおわかりだと思います。(今回のプログラミング、候補が多過ぎで二人でかなり悩みました!)中には、1997年に芥川作曲賞を受賞した打楽器協奏曲《Dual Personality》等、お互いの人生に大きく影響したものも含まれております。なお、本作は2012年に私自身の指揮と神田さんの独奏で、東京フィルハーモニー交響楽団と共演して再演しましたが、このように、この一覧の大半が私自身も演奏で共演しております。これらの自作以外でも、カーゲル《exotica》日本初演(1997年)等、多くの現代音楽作品の企画で共演していますし、2018年4月にお亡くなりになった平山美智子さんをお迎えしてのシェルシ《山羊座の歌》全曲版日本初演(2011年)など、私が手がけた数々の現代音楽企画でもご一緒してきました。

ここまでコラボレーションを重ねてきたのは、音楽性、探究心等、深い部分での共鳴と信頼があってのことと思います。演奏家と作曲家の理想的なコラボレーションは、単に相手を熟知してその技の全てを投入するのではなく、その相手の知られざる可能性までもを引き出すことだと考えております。しかしそのせいもあってか、私の新作を演奏するたびに、神田さんは毎回、からだの異なる部分が痛むそうです。曲ごとに、普段使わない場所を酷使するようで…すみません!

なお、2019年は大学時代に出会いがあった双子座三重奏団の皆様による会を予定しております。このように、自分史を辿るようなかたちで毎年1回の作品個展を計画していく予定ですので、本日、お楽しみ頂けたようでしたら、どうか今後とも暖かく見守って頂ければ幸いです。

川島素晴

 

<神田佳子により初演された、打楽器パートを含む川島素晴作品一覧>

★=神田佳子(あるいは神田佳子の所属する団体)委嘱作品

◎=今回上演作品

▲=共演による上演、即ち川島自身が演奏に関わったもの(再演時も含む)

 

▲Sweet Suite Ib (1991) [pf, perc] 3’

★光へ!(1991) [perc] 5’

◎▲苦諦(第1部、第2部の2曲、第3部の2曲) (1992) [perc, pf] 40’

★夢の構造 IIa (1994) [fl(alt, picc), trb, 2perc] 10’

▲インヴェンション I −音色と表意の可能性 (1994) [vo, timp] 6’

▲ポリプロソポス I (1995) [fl, cl, mar, pf] 15’

▲インヴェンションII −<音節→単語>と<音高→旋律>の連関 (1995) [vo, vib] 6’   

▲ポリプロソポス III (1995) [vn, zephyros(valve-slide trp), 篳篥, vo, timp] 11’

▲Dual Personality I (1996) [perc solo(mar, tam-tam)/orch] 13’

★▲cond.act/konTakt/conte-raste I (1996) [perc, cond.actor] 8’

・Exhibition Ib (1991/96) [fl, cl, trb, perc, pf(body), lighting] 30”×7

・視覚リズム法 III / 2つの間奏、終結を伴う変奏曲第2番 (1996) [ten sax, perc, actor] 14’

★East&ウェストサイド (1997) [3perc, 7performers] 45’

◆▲スケルツォ(ベートーヴェン「第9交響曲」による)(1997) [fl, perc, performer] 6’

◎★ And then I knew‘twas Toccata (1998) [perc, performer] 10’

・編曲「フルートと8人の奏者のための音楽(甲斐説宗)」(1978/98) [fl solo, vib, 7pl] 12’

★リチェルカーレ I(大王のテーマによる)(1998) [ten sax, perc, performer] 5’

▲フルート協奏曲(cond.act/konTakt/conte-raste II)(1999) [fl solo, perc, 4pl, cond.actor] 18’

▲編曲「牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)」(1999) [fl solo, cl, vn, vc, perc, pf] 14’

・リチェルカーレ II (大王のテーマによる) (1998/99) [fl, perc, performer] 5’

▲「縁の環」五景 (2000) [sho(+u), shakuhachi, 13gen(+17gen), shamisen(+kokyu), perc] 36’

◎タンブレラ王。(2001) [perc] 9’

★編曲「ラプソディ・イン・ブルー(ガーシュウィン)」(2001-02) [vn, perc] 10’

▲舞台「縁の地」のための音楽 (2002) [fl, cl, bsn, trp, perc, pf, 2vn, vc] 65’

★パgani鐘 / Paganinissimo (2002) [vn, perc] 4’

▲舞台音楽「縁の地」抄 (2002) [fl, cl, bsn, trp, perc, pf, 2vn, vc] 18’

・インヴェンションIII「発話と模倣の可能性」(2004) [vo, trp, perc] 5’

・ASPL ~正倉院復元楽器による「遊び」 (2011) [排簫, 大篳篥, 竽(う), 箜篌, 軋筝, 方響] 12'

・マゎリンバ(A2-c7マリンバ版) (2007/13) [fl, mar] 9'

・Exhibition Ie (2013) [12pl, perc, 2 performer] 30”☓6

・インヴェンション IIIc (2004/2014) [vo, vn, perc] 5'

◎インヴェンション VI (2018) [perc with vo] 6’

◎▲苦諦(第2部の1曲、第3部の3曲)(2018) [perc, pf] 15’

 

 

-------<神田佳子によるご挨拶>-------

「僕の曲を演奏してくれませんか?」 


大学1年の四芸祭で、偶然に同じ委員になった川島君から言われ、そこから、私の現代音楽との本格的な関わりが始まりました。


川島君と出会わなければ、こんなにどっぷりと現代音楽の世界に浸かることは無かったかもしれません。

端から見ると、「何でこんな事をしているの?」「何でこんな苦労をしているの?」と思われることがあるかもしれませんが、今日の挑戦的な作曲家達が生み出す作品の中に、自分の感覚には無い新しいアイディアや、想像もしなかった世界を見出せた時に得られる喜び、達成感は現代作品ならではのものです。


そして、そこに立ち会っていただいた観客の皆様にも、何かしらの発見、出会いがありましたら、演奏家冥利に尽きます。

 

ところで、本日の川島作品。

見どころは? 神田佳子から見た川島像は?

 

彼は「演じる音楽=アクションミュージック」というコンセプトを掲げて作曲活動を行っており、今回も動きをともなう作品が多いです。一見すると奇を衒っただけのようにも見えかねないこれらアクションの数々は、実は、強烈な音へのこだわりによって支えられています。特殊な動きが求められることへの疑問とその解消、新しい可能性を探る試行錯誤の過程など、本音を言い合いながらのコラボーレションから生まれた作品たちは、少なくとも、生半可なことでは得られない世界であることは間違いありません。

ちなみに今回の新作では、私の趣味が講じて2018年に新調した相撲太鼓を早速取り入れて作曲をしていますが、四十半ば過ぎになって、初めて挑戦することへの新鮮な気持ちを抱きつつ、出会った頃と変わらぬ柔軟性を感じます。

 

振り返れば、物心ついた時からリズムが好きで、缶をドラムのように叩いたり、足に鈴をつけたりしておりました。そして今日、新しいことへの挑戦を通じて、実は同じようなことをしている自分に気付きます。

「音、生まれる。」その瞬間の喜びこそが、私の演奏のルーツであり、現在の活動に連なっているのだということを感じます。


川島君と出会ってからの27年間の道程を振り返りながら。

 

神田佳子

 

 

-------<「演じる音楽」について>-------

 

1994年以来私は、「演じる音楽」というコンセプトを確立し、以来24年間、常にこのテーゼを掲げて創作活動を継続してきた。従来、音楽とは「音」の連接によって構造をなすものであり、演奏とはそれを具現するための手段であった。それに対し、「演じる音楽」では、結果的にどのような音が出るかよりも、どのような行為が作用して発音するのか、ということをまず考える。つまり、「演奏行為」の連接が、結果的に鳴り響く音を導くのである。

具体的には、「一行為」の単位ごとに、演奏行為を巡る様々な要素(例えば管楽器なら、運指、呼吸と運舌、構え等)のそれぞれが、どのように伝統からの距離をもっているかが計られる。その度合いが、各要素における伝統との距離と認定できる。このように、行為の分析・位置付けを様々なパラメーターで行うことで、演奏行為それぞれを様々な観点で定義することができる。聴き手は、このような視点をもってそこに繰り広げられる演奏行為を注視することで、その行為者に移入し、体験を共有することができるはずである。演奏行為の全瞬間を、全感覚的に「活きた時間」として共有できる……「演じる音楽」が目指すものは、そのような時間体験である。

「演じる音楽」には3つの構造視点が存在するが、本日の演目ではあまり関係ないので割愛する。

 

○「笑いの構造」

様々な視点で「演奏行為」をとらえていくにあたり、その配列は、しばしば、「笑いの構造」に依拠して行われる。アリストテレスは、ヒトを「アニマル・リデンス(笑う動物)」と評した。人間は知的な動物であり、その結果として「笑う」という行為がもたらされている。「笑い」は知性の結実であり、人類文化の根幹である。だから私の作品では、直接的に「笑う」ことを誘うような瞬間も多い。しかし「笑いの構造」とは、直接的な「笑い」を誘発するもののみを意味しているわけではない。例えば、笑いの構造として代表的な「持続とその異化」は、「笑い」を引き起こす時間構造であると同時に、あらゆる瞬間の意味の充実をもたらす構造でもある。かように、時間、意味、社会性、歴史性等、様々な観点から「笑いの構造」を考えることが、作曲の前提となっているのである。

端的に言うなら、「演じる音楽」に基づく作曲とは、「笑いの構造」を前提に「演奏行為」を配列することである。更に平明に言うなら、自らが面白いと思う通りに演奏行為を紡いでいく、ということに他ならないのである。

 

○「発話と音楽」

本日の演目には、私が継続的に扱ってきた系列として「発話と音楽」の関係に関する探求の最新作がある。発話行為と器楽的発音行為との関係を扱ったものとしては、グロボカール、アペルギス、パーチ、ライヒといった先人による取り組みがあるが、日本語においてそのような実践をしている例は少ない。ここでいう日本語とは、日本語を聞き取る言語中枢の作用を前提とするものであり、一音節に様々な意味が見出し得ること、あるいはモーラと音高によりいかにして単語を知覚するかということ、さらには様々な環境下でどのような発話行為がなされるかということ、等、様々な観点がある。発話は、「笑い」同様、人類が人類であることの根幹であるが、同時に、地域と文化圏の影響を免れ得ないという意味では本質的にユニバーサルなものではあり得ない。そういった意味でこの系列の作品は極めてローカルなものであるが、日本語特有の問題を徹底的に検証することは、実は人類共通の問題へのアプローチにもなり得ているはずで、私としては敢えて日本語にこだわっている。

 

 

=====<曲目解説と動画>=====

(全曲、川島素晴の作曲作品)

 

■タンブレラ王。(2001)

小太鼓、タンバリン、ホイッスル、キン/神田佳子

 

 

この作品は2001年に作曲され、同年6月に東京・代々木上原のけやきホールでの神田佳子さんによるリサイタルで初演された。その後長らく上演機会がなかったが、窪田健志さんが2016年の3月に長野県上田、東京オペラシティ、更に9月には京都と名古屋でも上演して下さった。(窪田さんによる演奏動画はこちら。)今回は神田佳子さんとしては初演以来17年ぶりの再演となる。

題名は、打楽器の名曲であるフェルドマン《デンマークの王》へのオマージュが念頭にあった。「タンブレラ」とは造語で、小太鼓(タンブール)とタンバリンを主として用いることから架空の国家名を導いた。そしてその技術的覇者としての「王」との含意である。題名最後に「。」がついていることについては、当時人気のあったアイドルグループの名称との関係を指摘する声もきかれるが、当時は商品名やキャッチコピー等にこのように「。」をつけることが流行していたので、その流れで・・・と言い訳しておこう。
タンバリンを持ってホイッスルや足の動きとポリリズムを形成する冒頭に始まり、小太鼓(タンブール)と、日本のキン(銅鉢)というコンパクトな楽器のみで展開するコミカルな演奏効果の全ては厳密に記譜されている。

同時に多声部の異なるテンポによるポリリズムを形成する効果は、1994年のテーブル一つによるパフォーマンス作品《視覚リズム法Ⅰa》での実践がルーツである。

また、終盤の、リズムパターンが形成された後にそれを様々な奏法で繰り返しつつテンポが瞬時に変化する手法は、この日の演目3曲目の《And then I knew‘twas Toccata》とも共通する。(回転がキンの揺らぎを形成する手法は、同曲の助演者が手持ちの楽器を揺らしつつヴィブラフォンのヴィブラートとシンクロさせる部分につながっている。)

 

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■インヴェンション VI (2018 / 初演)

 

 

「演じる音楽」に関する前述の記載の通り、日本語における「発話と音楽」を探求する系譜の最新作となる。

なお、この系譜の最初の作品は1994年の《インヴェンションⅠ》であり、神田佳子さんと私自身の声で初演した。大学4年後期の「日本語による歌曲」という課題への提出作品として作曲、「は」という発音の漢字を並べたテキストを様々な唱法とティンパニの様々な奏法で演奏する作品だが、不可となり5年生が確定した。翌年の再提出作品ではその続編《インヴェンションⅡ》を発表、これも神田佳子さんと私自身の声で演奏したが、こちらは可がついて卒業できた。それからしばらくこのシリーズには取り組まなかったが、2004年、バリトンとトーキングドラム、トランペットによる《インヴェンションⅢ》で再びこのシリーズを再開、これも神田さんの演奏であった。このように、当該シリーズの発端に深く関わっていた神田さんによるリサイタル形式での今回の個展で、シリーズ最新作を発表するというのは感慨深いものである。
楽器の音によってシラブルを模していくという基本的なアイデアは、2005年の《インヴェンションⅣ》に始まる。ここでは、発話は楽器の音をオノマトペとして模していくことに主眼が置かれていた。続く《インヴェンションⅤ》(2006)は、発話に対して9名のアンサンブルが擬似フォルマント合成を行なっていく作品であるが、アンサンブル・ボワの委嘱作品であった本作では、徐々にシラブルが増加していき、やがて「あんさんすこぶるじゃんぼあめ」との意味不明なセンテンスを形成、それが徐々に削減されて最終的に「あんさんぶるぼあ」を経て更に削減されていく。双子座三重奏団のためにリライトした同作品の別稿《インヴェンションⅤb》(2008)も同様のアイデアで締めるが、これは2019年に上演するのでここでのネタバレはやめておこう。

本作《インヴェンションⅥ》は、このようなアイデアを打楽器奏者1名で行うものである。小物楽器を並べて叩き、その音を模倣しつつ発話すると、それがやがて単語のように認識されていく。このような発想は、グロボカール《Toucher》等の先行例があるが、まずもって日本語による同種の試みであるということで、その様相は全く異なるものとなる。また、グロボカールのそれが、結局シラブルと楽器との関係を厳密に結びつけるものではないのに対し、ここでは、一つの楽器については常に一つのシラブルを宛てがい、その関係を崩さないことにより、楽器だけで聞いてもそのような発音に聞こえる、という現象を目指している。楽器の個別の音とシラブルの関係を固定化する発想は《インヴェンションⅣ》と共通し、そのようにして得られた限定されたシラブルで徐々に単語を形成するという意味では《インヴェンションⅤ》と共通する。

本作がどのような帰結を迎えるか、どうか刮目してお聴き下さい。

 

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■And then I knew ’twas Toccata (1998)

 

 

この題名は、この作品が東京オペラシティ、リサイタルシリーズの「B to C」で上演されることにちなみ、武満徹作品の題名《And then I knew ‘twas Wind》から拝借したもので、直訳するなら「そして、それがトッカータであることを知った」となる。作品冒頭、ほとんどトレモロのように開始するがしかし、それが実は全曲を貫くリズム定型であることが徐々に判明する・・・ということをそのまま表した題名である。

 

【この作品のリズム定型】

作品冒頭、背中合わせでたち、ほとんどトレモロのように急速にリズムを奏でていると、助演者(黒衣のパフォーマー)がおもむろに鍋を持ち上げる。すると打楽器奏者もそれにつられて手が挙がり、リズム定型はそこで中断する。その後、助演者はヴィブラフォンを移動したり、傾けたり、バチを奪ったり、クラベスを転がしたり、投げられる鈴をキャッチしたり・・・と、様々なことをしていくが、それら全ての演奏は、全く同一のリズム定型に基づいている。

曲の終盤、助演者はヴィブラフォンに小物楽器をセットしていくと、「プリペアド・ヴィブラフォン」になる。(ゴング、ウッドブロック、ギロ、手前にはトライアングルが取り付けられ、寝かせたドラの上で、エクピリという民族楽器を鳴らす。なおファンには鈴が仕込まれ、モーターのオン・オフで鈴の音が操作される。)ヴィブラフォンで奏でていたものが、様々な小物によって阻害され、テンポがその都度(断片的に)変わってしまう。

あの手この手で、打楽器奏者を日常考えられない環境へと追い詰める。リズム定型の継続は、そうやって常に邪魔され変形されていくが、最後には、それが実はオスティナートになっていたことに気づかされる。こういった全体の意識の流れもまた、題名を暗示するものとなっている。
神田佳子さんの委嘱により1998年の6月に所沢で初演、その後ダルムシュタット、オペラシティ、さいたまと計4回上演。2016年に横浜で18年ぶりの再演を果たした(このときのブログ記事にセッティング写真等掲載されています)が、2018年は神田さんの弟子で国立音楽大学の学生だった石崎元弥さん(この日のスタッフとしても参加してくれている)が本作の初めての他者による上演を果たした。
本作の源流は、後半ステージの第2部第2曲《怨憎会苦》に見出せる。とりわけその後半部、ヴィブラフォン奏者に対する阻害行為は、ほとんどそのままこの作品に活かされているが、学生時代のそのプリミティヴなアイデアが、ここまで精度をあげたかたちになったか、という比較でお聴き頂くのも一興かと思う。当時「苦」として描いたものが、ここではそのような二項対立では説明できない関係になっており、ある種の達観、悟りに至っているようにも思う。

 

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■苦諦 (1992 / 2018 / 完全版初演)

 

大学1年の提出課題「独奏楽器とピアノのための二重奏曲」として作曲した。本作は、冒頭ページに既述の通り、高校時代から構想し、大学入学時点で神田さんに演奏を以来していたのだが、締め切りを控えた1992年の1月は、秋吉台国際作曲賞の応募曲《Manic Psychosis》の作曲と浄書を必死で行なっていたので、なかなか本作の作曲に手が回らなかった。成人式も蹴って秋吉台に応募した作品は、私にとってのデビュー作となり、その後も国際的に広く演奏され続けている。しかし、その直後に慌てて書いたこちらの提出作品は、大学では不可となってしまった。(下記のような内容もさることながら、きちんとした浄書が完成していなかったことも影響していたと思う。)かくして私のアウトサイダー人生のはじまりである。

《苦諦》とは、原始仏教における基本概念であり、私自身は仏教徒ではないが、その理念に触発されて夢中で構想メモを書いていたことを思い出す。(大学入学して1年目は《苦諦》、2年目は弦楽六重奏で《八正道》を作曲する、とまで受験時代から計画を立てていた。《苦諦》が不可となって以後、翌年から大学の提出規定が変更され、20分以内となったため、後者の構想は頓挫したままだが。)提出段階で未完だった部分は今回新たに作曲したが、当時作曲した作品については一音も修正を加えることなく上演することにした。1992年当時の私の源流が、今日どのように響くだろうか。
以下に、各部分について詳述する。

 

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◎第1部《生老病死苦》(1992)

 

 

その名の通り、ひとの一生を描く。打楽器奏者は全身につけた鈴を演奏、即ち、事実上の踊りのような状態となる。演奏行為と身体的所作そのものが表現としてつながるという発想は、その後「演じる音楽」を提唱することに直接的につながる。

「生苦」は受精から誕生まで。従ってそれを象徴する音の再生からはじまる。A=442Hz は、人間が産まれたときの産声として世界共通である、という話を当時知って、それならこの作品の冒頭はA にして、全曲の中心音として設定しよう、と考えた。今日、YouTubeなどで様々な産声を検証する限り、それは単なる都市伝説だったようだ。(恐らく、産声が「あ」であることが万国共通、という話が転じてどこかで歪んだ結果だと想像する。)が、まあ、我々音楽家にとってAの音は、普段チューニングで用いることもあり、中心音のようなものだから・・・と、都市伝説を鵜呑みにした当時の自分を慰めておく。倍音が派生し、増殖し、徐々に変形していく。ちなみに、スペクトル楽派の動向を知ったのも、日本でそのような動向が紹介されはじめたのも、これを作曲した後のことである。

「老苦」冒頭で生命は誕生する。鈴奏者の出番である。ここでは生まれてからの成長を示唆するが、そのピアニズムは、松村禎三、西村朗、といった先人の影響が色濃い。中心音の揺らぎから旋律が生成し、それが成長、あるいは変形していく過程。

「病苦」では、4種の楽想でA音の上に様々な異物が展開、影響を受ける。それが徐々に衰弱していくと「死苦」に入る。ここでの音楽は、あらゆる意味で摩耗、枯淡に至る。死の象徴であるリンが同じA音であることは、一元論的な意味での輪廻を暗示する。

なお、初演当初と唯一異なる点が、振付に、ダンサーの岩渕貞太さんを迎えての指導が入ったことである。(岩渕さんには、この作品の振付に加え、ステージ全体の演出にもご協力を頂いた。)

 

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◎第2部 第1曲《愛別離苦》(1992)
     第2曲《怨憎会苦》(1992)

     第3曲《求不得苦》(2018 / 初演)

 

 

・第1曲《愛別離苦》(1992)

その名の通り、愛するものとの出会いとその別れを描く。ピアノが耽美的な音楽を奏でていると、そこにマリンバが異なる楽想で割って入る。最初はすれ違い理解し合えないが、やがて二人は相思相愛に。(ここでの音楽はこの日最もロマンティックな響きとなる。)しかし二人は再びすれ違っていく。抗えない運命。
なお、この部分は、《苦諦》が不可となったことをうけて、この部分のみをヴィオラとピアノの作品《Adieu》に(ほぼそのまま)改め、きちんと浄書して提出したところ、可として受理された。(不可となった作品の一部を浄書して提出しただけなのに、そちらが可になるという不可解な審査が行われたことになる。)後年、そのヴィオラ版については別の機会に初演・再演されている。

 

・第2曲《怨憎会苦》(1992)

これもその名の通り(憎しいものと出会う苦しみ)のシンプルなアイデアで、前半はピアニストを打楽器奏者が阻害し、後半はヴィブラフォン奏者をピアニストが阻害する、ということを淡々と行なっていく。
第1部「死苦」のエコーのような耽美的な調性音楽が徐々に崩壊していく。後半については、既述の通り、《And then I knew‘twas Toccata》に引き継がれている。

 

・第3曲《求不得苦》(2018 / 初演)

求めるものが得られない、煩悩そのものと言ってもよい苦を、ここでは、お互いに異なる音楽性を受容できずにいる二人の関係を描くこととした。この演奏会のための新作となったが、ここ数年、相撲好きが高じている神田さんが2018年(本演奏会の年)に入って新調し、専門家のレッスンも受けて玄人はだしの技術を習得している相撲太鼓を用いた。従って、アイデアとしては1992年当時のものだが、この曲については確実に当時作曲していたら異なる内容になっていたであろう。相互に異なる音楽性、というものを本当に示そうとするなら、西洋音楽とは異なる文脈を持ち込む必要がある。もしもこれを当時実行していたなら、どうしても中途半端な内容になっていたはずなので、その意味で、満を持しての実現と言える。

 

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◎第3部《五蘊盛苦》I「色」(1992)
          II「受」III「想」IV「行」(以上2018 / 初演)
            V「識」(1992)

 

 

第2部の3曲は、二つの存在を巡る概念であった。
第3部では、人間が物事を感覚器によって知覚し(色)、そしてそれを脳が受容し(受)、記憶として思い返せるようになり(想)、そこから思考がはじまり(行)、創造に至る(識)、という「五蘊」を扱う。この五蘊の概念を作品化する発想は、大学の師匠である松下功がこれ以前(1985年)に始め、その後も継続的に用いているが、私自身はそのことを知らずに受験時代(1989年頃)から構想していた。大学に入ってすぐに松下門下となったことは全くの偶然ではあるが、五蘊が引き寄せたご縁とでも言うべきか。(2020年追記:このコンサートのわずか一ヶ月余り後に、松下功急逝の報を受けるとは、このノートを書いていたときには微塵も考えていなかった。好き放題の活動を行っていた私を、むしろ背中を押し、励まし、ときに助けて下さったことを、この作品の演奏を通じて思い返していた矢先であった。2020年、アンサンブル東風の指揮を引き継いで初の定期公演で、まさにその、師匠による《五蘊》(1985) を指揮することができた。)

 

第1曲「色」は、日常そのものの時間を切り取る。打楽器奏者は一般的な意味での日常を、作曲家でもあるピアニストは、締め切りに追われて頭を悩ませているという日常を、それぞれ切り取った。(今回、1992年当時の物品を調達するのがなかなか困難を極めた。)

 

第2曲「受」は、第1曲で鳴ったものを、そのまま楽器の音に転写する。ここでは特殊奏法などを駆使して、なるべく模倣することに専念する。

 

第3曲「想」は、第2曲で鳴らした楽器の音を用い、その記憶を辿るかのような時間となる。しかしその中に、着想のヒントが隠れている。

 

第4曲「行」は、第3曲での音が楽器の通常奏法のみに転写され、且つ、その中に徐々にリズム構造などの楽想が見え隠れする。

 

第5曲「識」は、第4曲で鳴った楽想の萌芽から、1曲の音楽を形成する。ここまでに聞かれたリズム構造や響きに基づき、完全な「作品」に至る。

 

この構想のうち、第2〜第4曲が未完であったが、これについて今回作曲した部分は、恐らく当時作曲してもほぼ同じ内容になったと思われる。
このアイデアの第1曲と第5曲だけを聞いても、この構想は全く理解できないことと思うので、今となっては、不可をつけた当時の審査員の気持ちもわかる。

 

さて、完全版初演の演奏をお聴き頂いた皆様からは、この作品、どのような評価を頂けるでしょうか…?!