生きることとは何か?
『陰隲録』(いんしつろく)~
袁了凡さんの話です。
この袁さんと言う人は、
幼いころにすごい占いのおっさんに会い、
ことごとくあんたはこうなると言われた。
またそれが確実に当たった。
医者にならずに役人になる。
科挙の試験にいついつ通る。
気持ち悪いほど、寸分たがわずそうなった。
そのおっさんはこうも言った。
子供をもつことはない。
あんたは何歳で亡くなる。
まるで未来から来た人のように。
だから、
それも全部信じてた。
それでかえって
穏やかな気持ちで波風もたたず、
運命に逆らうこともせず。
悟りきってた。
楽やったやろうな?
と思う。
ところがです。
ある日のこと座禅をしていると
若いのになんでそこまでリアル感がなくて
悟っているのか?
偉いお坊さんに尋ねられる。
袁さんがことの次第を話すと
その坊さんは激怒し、運命は変えられる
と言い放つ。
そこで袁さんは可能性を信じた。
そうすると占いのすごいおっさんの言うことは
ことごとく外れて、ついには
結婚し子供もでき、予言されていた寿命も超えて
子供にこの話を書き残すこともできた。
という話です。
占いのおっさんは
それはそれですごい。
見事に言い当てる預言者と言ってもいい。
ですが、私はこう感じました。
この占いのおっさんは
実は自分の中にあるんじゃないかと。
どうして見てくれないの?
どうしてかまってくれないの?
よそ見ばっかりしないで。
という声が聞こえる。
何を見てくれないのか?
それは
あなた自身の可能性なんだな。
占いのおっさんは自分の中にいる。
それは親や環境から来たものかもしれへん。
昨年ついに終わった盛和塾で
塾長がよく話をされていた袁了凡さんの話。
運命という縦糸がある。
そこにどんな横糸を
かけていくか?
横糸次第で人生はまったく違った織物になる。
自分とよく対話し、
自分の可能性を見てあげる。
どんなに無力でも
弱くても、ドロドロでも、寂しくても
どんな人の中にも
可能性はある。
身体が病気がちでもね。
できうるかぎりの良い横糸をかけて
美しい織物をしあげていく。
それが生きること。
そして縦糸と横糸の
仕合せの結果。