バイクは風です。
バイクは自身の心です。
バイクはスタイルです。
バイクはアイデンティティです。

バイクの免許を取りました。
さて次のステップは、バイクを買い、バイクに乗ることです。
自分の分身となるバイク選びについて、老婆心ながら僕の考えを書かせていただきます。

大前提として、自分の気に入ったバイクに乗ることが、BESTです。
それを踏まえた上で、熟考してください。

バイクは、あらゆる側面から見当して、Made in JAPANが世界最高峰です。
国内メーカーは4つ、HONDA、YAMAHA、Kawasaki、SUZUKIです。
その4メーカーから、自分のスタイルに合ったバイクを探せば、問題ありません。

自分に合ったバイクスタイルの見つけ方は、2方向からの検討が必要です。

1つ目は、見た目です。
見た目すなわち、大まかに分けてネイキッド/フルカウル/ハーフカウル/アメリカン/ドラッグの5種類から選んでください。
これは、完全に自分の趣味で選んでください。

2つ目は、エンジンです(とりあえず2stは省きます)。
すなわち、単気筒/2気筒/4気筒の3種類から選んでください(3気筒/6気筒はマニアックすぎるので除外)。
単気筒の特性は、古き良き単車です。
排気音は、ドコドコドコドコ…、バルルンバルルンバルルルル…。
ピストンが大きいので、味わい深い振動が特典としてもれなく付いてきます。
トルクが太いので乗りやすいですが、そのかわり、スピードは期待できません。
2気筒(アメリカン)の特性は、ずばりイージーライダーです(イメージが湧かなければ、同名映画を参照)。
排気音は、ドッドッドッド…、ドドドドドド…。
心地よいバイブレーションととんでもないイージーライディングが魅力です。
スピードを出すよりも、ルート66に乗った気分で、5速70km弱で走るのが最高です。
4気筒(マルチシリンダー)の特性は、エンジンの滑らな回転フィールです。
排気音は、ボボボボボボ…、フォンフォンフォーーンフォンフォーーン…。
トルクよりもエンジン回転数で爆走します。
4気筒の特性は、レーシングライクな乗り味です。
モトGPやWSB(World Super Bike)などの参戦車両は、多くがマルチシリンダー(多気筒)です。
エンジン回転の上昇にともないドラマチックに展開するパワーとエキゾーストサウンドは、4気筒ならではの特権です。

さらに付け加えるとしたら、各メーカーの血統です。
HONDAならCB(正式名称:シービー)、YAMAHAならXJR(通称:ペケジェイ)、KawasakiならZ(正式名称:ゼット)、SUZUKIならGS/GSX(正式名称:ジーエス/シーエスエックス 通称:ジスペケ 俗称:ガスペケ)が、由緒正しい血統です。
北斗の拳で例えるなら、ケンシロウです。
もちろん、他のバイクをクサすつもりはありません。
他のバイクは、北斗の拳で例えるなら、ラオウでありトキです(稀にジャギ)。

いろいろ書きましたが、貴方のバイクライフが素晴らしいものであることを、陰ながら祈ります。

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今日の映画:イージーライダー  デニス・ホッパー監督
     :ランブルフィッシュ フランシス・フォード・コッポラ
      バイク選びの前に、ぜひ観てください。
『強いって何なんですか? 強いってどんな気持ちなんですか?』
これは、漫画“はじめの一歩”で、主人公の幕ノ内一歩が先輩ボクサー鷹村に言った言葉です。
鷹村級に強い男を除いて、この言葉に反応しない野郎はいないはずです。

男子は(女子もそうかもしれませんが)、中学生ともなると、“強い弱い”にこだわり始めます。
『あいつ生意気だからシメてやったぜ』
『○○中学の奴ら、最近調子コイてるよな』
など、青少年にありがちな話題が多くなり、実際ケンカもビシバシやるようになります。
ある程度年齢を重ねると、そういった“目と目が合ったから”などというくだらない事でケンカする事も無くなってくるのですが、それと同時に社会の基本的な法則を再確認する事になります。
社会の法則、すなわち『弱肉強食』です。

なんだかんだ綺麗事をならべたところで、しょせんこの世は強い者が勝ち、弱いものを支配するのです。
強さとは、腕力であったり、お金であったり、権力であったりします。
学生時代の強さとは、ほとんどの場合が腕力です。
社会に出れば、強さは腕力からお金や権力に移ります。
実際、社会人ともなれば、そうそう取っ組み合いのケンカなどする機会はありません。
しかし、男たるものときには腕力(もちろん胆力を含む)が必要になる場合があると、僕は思うのです。

以前、こんな事がありました。
忘年会シーズンまっただなか、終電間近の四ッ谷駅での事です。
電車に乗ろうと駅の階段を降りていると、『キャー』という短い悲鳴とともに、軽い衝撃音が聞こえてきました。
びっくりして悲鳴が聞こえた方に走っていくと、肩を怒らせる若い男の前に、女の子が尻餅をついていました。
どうやら女の子は男に蹴られたようです。
『なにしてるんだ!』的なことを僕が言うと、相手の男も『おまえに関係ないだろ!』的なことを言い返してきました。
距離を詰めつつ対峙する僕と暴力男。
そのうち野次馬が集まり出して、おばさんの『あんたらもう止めなさい』の声で、僕たちは拳を緩めました。
結果として、若い男と女の子はやはりカップルで、しかも男の暴力に女はある程度慣れているらしく、僕たちがにらみ合っているとき女はどうみても男の方を応援しているという、なんとも締まらない話で終わりました。
それはそれでどうでも良かったのですが、この件によって僕は動かし難い事実を再認識させられることとなりました。
すなわち、僕はビビリだということです。
体格的に僕の方が勝っていたと思いますし、なにより当時僕はムエタイを習っていました。
はっきり言って、自分のことをそこそこ強いと思っていたのです。
しかし、電車に乗っても震え続ける僕の拳は、自分の弱さを何よりも物語っていました。
『強いって、なんですか?』
震える拳を隠しつつ、心のなかの鷹村さんに質問しました。

僕は、基本的に平和主義です。
揉め事は嫌いですし、苦手です。
ですが、先にも書いた通り、男として生を受けた以上、大切なものを守るために理不尽な暴力に対峙しなければならないときがやってくるかもしれません。
そのとき、自分が弱ければ戦うしかないのです。
強ければ、『戦わずして勝つ』の格言通り、戦わなくても済むのです。
しかし、ここでまた、新たな問題が起こります。
自分が強くなっても、相手がさらに強かったらどうしよう?
世界を制した元プロボクサー、竹原慎二もこう言っています。
『おまえは弱い者のなかじゃあ強かったかも知れんけどのぉ、強い者のなかじゃあ弱いんじゃ!』

鷹村さん、強いって、なんですか?

余談ですが、ムエタイを極めた奴は、本当に強いです。
決してタイ人にはケンカを売らないようにしましょう。

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今日の映画:マッハ! トニー・ジャー主演
      肘、膝の嵐。古式ムエタイ、最強です。
“跳刀地背拳”と聞いてピンときた人は、なかなかの北斗の拳フリークです。
跳刀地背拳とは、
『人を殺したあとは小便がしたくなるぜ』
の名台詞でおなじみ、フォックスの使う殺人拳の名称です。
フォックスは、村はずれの道ばたで寝ていただけで村人から悪党呼ばわりされ、あげくの果てに釈明の期を与えられないまま殺されかけます。
そして、限りなく正当防衛に近いカタチでの殺人にもかかわらず、ケンシロウに目ざとく見つけられ、容赦なく蹴り殺されてしまいます。
おまけに、ボスのジャッカルには『右腕? おれの右腕はここにある』などと楽勝で見限られます。
原作の武論尊氏と作画の原哲夫氏は、フォックスを描くことで、人間の弱さ・狡さ・儚さ・愚かさ・哀しさを表現したかったのでしょう。

ここで明言しておきますが、僕の人格の1/3は、北斗の拳で構成されています。
こういうことを言うと、多くの人、特にアノ手のバイオレンス漫画を誤解している女性から非難されます。
『だからあんたはどうしようもないクソ野郎なのよ!』
その度に、心の中でこう反論します。
『くさい息吐くんじゃねえ!』 (効果音:ゴゴゴゴゴ)

“北斗の拳”という漫画の本質は、ギャグです。
一部の訳知り野郎が『北斗の拳はストーリーが行き当たりばったりで…』という指摘をすることがありますが、ギャグ漫画にストーリー性を求めること自体がナンセンス。
ギャグ漫画はおもしろければ良いのです。
北斗神拳伝承者のケンシロウに、臆することなく立ち向かって行く悪党ども。
そんな命知らずのザコキャラを、あの手この手で容赦なく惨殺・爆殺するケンシロウ。
ケンシロウは、命乞いする悪党どもの悲痛な叫びには、決して耳を貸しません。
『おまえは1度でも約束を守ったことがあるのか?』
『この指を抜いてから3秒後にテメエは死ぬ』
『おまえにかける情けはない』
『ブタは屠殺場に行け!』
など、イカした台詞を吐きながら秘孔をためらいなく突きます。
それに対し、ザコキャラも負けてはいません。
『死にたくねぇ… たわっ!』
『ひっ ひでぶ!』
『天才のおれがあぁぁ… うわらば!』
『あ~! あべし!』
『ぱっぴっぷっぺっぽお!』
などの極めて個性的な断末魔で、その最期を彩ります。

混沌としたこの世界。
人類が誕生した瞬間から争いは生じ、近代化に伴う相対的な世界の縮小により、争いは世界規模でより深刻になっています。
善vs悪などという単純な図式ではなく、グループvsグループ、国家vs国家、民族vs民族、宗教vs宗教など、人が勝手に決めた曖昧な関係性のなかで、もはや人では制御の効かない戦いが始まっています。
その争いは、日本人のわたし達にとっても“対岸の火事”ではありません。
世界情勢に目を配り、自分にできることをなにか1つでも探しながら、自分たちの幸せを求めて、『勢いを増した向かい風のなかを』歩き続けなければなりません。

このエントリーで結局なにを言いたいかというと、ケンシロウは極めつけのドS野郎だということです。

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今日の映画:ドゥームズデイ ニール・マーシャル監督   
      リアル北斗の拳。メチャクチャです。
辰吉丈一郎というボクサーは、多くの人々にとって特別な存在です。
世界チャンピオンに相応しい、圧倒的な攻撃力と華麗なディフェンス。
そしてなにより辰吉選手の試合は、前後の人間ドラマも含めて観客を惹きつける、危うい魅力にあふれています。

辰吉選手の試合は、いつもハラハラドキドキさせられます。
端的に言うと、辰吉選手はよく打たれるボクサーであり、世界チャンピオンになったボクサーとしては異例なほど負けの多い選手なのです。
ダッキングやスウェーバックなど、素人でも凄さがわかる非常に高度なディフェンスを誇りながらも、無意識のうちに左手が下がるという悪癖を抱え、辰吉選手はよく相手の右をもらいます。
しかし、辰吉選手はさがりません。
基本的に勝ち気な荒くれ者が多いボクサーのなかでも際立つ、辰吉選手の気合い。
常に前へ前へと歩を進め、リスクを冒してでもノックアウトを狙いにいく、そのファイトスタイル。
多くのファンが、辰吉選手の試合に熱狂し、試合会場で、TVの前で『た~つよし!』と辰吉コールを叫びます。

辰吉選手は、勝っても負けても、観客を魅了するのです。
辰吉選手は、勝っても負けても、カッコ良いのです。
辰吉選手は、勝っても負けても、僕たちのヒーローなのです。

僕は、今回のエントリーをすべて現在形で書いています。
そうです、辰吉選手はいまだ現役プロボクサーなのです。
39歳のいまも、辰吉選手はトレーニングに励み、いつ行うのかわからない試合に向けてコンディションを整えています。
るみ夫人は、その著書でこう語っています。
『丈ちゃんがなにをどうしようと、わたし達家族の丈ちゃんに対する尊敬の念は変わらない』

浪速のJoe、あんたやっぱりカッコ良いぜ!

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無責任な1ファンとしての意見ですが、辰吉選手の勇退を心から望みます。

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今日の動画:ロッキー シルヴェスタ・スタローン主演
      僕のなかで、不動のベスト1です。