『強いって何なんですか? 強いってどんな気持ちなんですか?』
これは、漫画“はじめの一歩”で、主人公の幕ノ内一歩が先輩ボクサー鷹村に言った言葉です。
鷹村級に強い男を除いて、この言葉に反応しない野郎はいないはずです。
男子は(女子もそうかもしれませんが)、中学生ともなると、“強い弱い”にこだわり始めます。
『あいつ生意気だからシメてやったぜ』
『○○中学の奴ら、最近調子コイてるよな』
など、青少年にありがちな話題が多くなり、実際ケンカもビシバシやるようになります。
ある程度年齢を重ねると、そういった“目と目が合ったから”などというくだらない事でケンカする事も無くなってくるのですが、それと同時に社会の基本的な法則を再確認する事になります。
社会の法則、すなわち『弱肉強食』です。
なんだかんだ綺麗事をならべたところで、しょせんこの世は強い者が勝ち、弱いものを支配するのです。
強さとは、腕力であったり、お金であったり、権力であったりします。
学生時代の強さとは、ほとんどの場合が腕力です。
社会に出れば、強さは腕力からお金や権力に移ります。
実際、社会人ともなれば、そうそう取っ組み合いのケンカなどする機会はありません。
しかし、男たるものときには腕力(もちろん胆力を含む)が必要になる場合があると、僕は思うのです。
以前、こんな事がありました。
忘年会シーズンまっただなか、終電間近の四ッ谷駅での事です。
電車に乗ろうと駅の階段を降りていると、『キャー』という短い悲鳴とともに、軽い衝撃音が聞こえてきました。
びっくりして悲鳴が聞こえた方に走っていくと、肩を怒らせる若い男の前に、女の子が尻餅をついていました。
どうやら女の子は男に蹴られたようです。
『なにしてるんだ!』的なことを僕が言うと、相手の男も『おまえに関係ないだろ!』的なことを言い返してきました。
距離を詰めつつ対峙する僕と暴力男。
そのうち野次馬が集まり出して、おばさんの『あんたらもう止めなさい』の声で、僕たちは拳を緩めました。
結果として、若い男と女の子はやはりカップルで、しかも男の暴力に女はある程度慣れているらしく、僕たちがにらみ合っているとき女はどうみても男の方を応援しているという、なんとも締まらない話で終わりました。
それはそれでどうでも良かったのですが、この件によって僕は動かし難い事実を再認識させられることとなりました。
すなわち、僕はビビリだということです。
体格的に僕の方が勝っていたと思いますし、なにより当時僕はムエタイを習っていました。
はっきり言って、自分のことをそこそこ強いと思っていたのです。
しかし、電車に乗っても震え続ける僕の拳は、自分の弱さを何よりも物語っていました。
『強いって、なんですか?』
震える拳を隠しつつ、心のなかの鷹村さんに質問しました。
僕は、基本的に平和主義です。
揉め事は嫌いですし、苦手です。
ですが、先にも書いた通り、男として生を受けた以上、大切なものを守るために理不尽な暴力に対峙しなければならないときがやってくるかもしれません。
そのとき、自分が弱ければ戦うしかないのです。
強ければ、『戦わずして勝つ』の格言通り、戦わなくても済むのです。
しかし、ここでまた、新たな問題が起こります。
自分が強くなっても、相手がさらに強かったらどうしよう?
世界を制した元プロボクサー、竹原慎二もこう言っています。
『おまえは弱い者のなかじゃあ強かったかも知れんけどのぉ、強い者のなかじゃあ弱いんじゃ!』
鷹村さん、強いって、なんですか?
余談ですが、ムエタイを極めた奴は、本当に強いです。
決してタイ人にはケンカを売らないようにしましょう。
-------------
今日の映画:マッハ! トニー・ジャー主演
肘、膝の嵐。古式ムエタイ、最強です。
これは、漫画“はじめの一歩”で、主人公の幕ノ内一歩が先輩ボクサー鷹村に言った言葉です。
鷹村級に強い男を除いて、この言葉に反応しない野郎はいないはずです。
男子は(女子もそうかもしれませんが)、中学生ともなると、“強い弱い”にこだわり始めます。
『あいつ生意気だからシメてやったぜ』
『○○中学の奴ら、最近調子コイてるよな』
など、青少年にありがちな話題が多くなり、実際ケンカもビシバシやるようになります。
ある程度年齢を重ねると、そういった“目と目が合ったから”などというくだらない事でケンカする事も無くなってくるのですが、それと同時に社会の基本的な法則を再確認する事になります。
社会の法則、すなわち『弱肉強食』です。
なんだかんだ綺麗事をならべたところで、しょせんこの世は強い者が勝ち、弱いものを支配するのです。
強さとは、腕力であったり、お金であったり、権力であったりします。
学生時代の強さとは、ほとんどの場合が腕力です。
社会に出れば、強さは腕力からお金や権力に移ります。
実際、社会人ともなれば、そうそう取っ組み合いのケンカなどする機会はありません。
しかし、男たるものときには腕力(もちろん胆力を含む)が必要になる場合があると、僕は思うのです。
以前、こんな事がありました。
忘年会シーズンまっただなか、終電間近の四ッ谷駅での事です。
電車に乗ろうと駅の階段を降りていると、『キャー』という短い悲鳴とともに、軽い衝撃音が聞こえてきました。
びっくりして悲鳴が聞こえた方に走っていくと、肩を怒らせる若い男の前に、女の子が尻餅をついていました。
どうやら女の子は男に蹴られたようです。
『なにしてるんだ!』的なことを僕が言うと、相手の男も『おまえに関係ないだろ!』的なことを言い返してきました。
距離を詰めつつ対峙する僕と暴力男。
そのうち野次馬が集まり出して、おばさんの『あんたらもう止めなさい』の声で、僕たちは拳を緩めました。
結果として、若い男と女の子はやはりカップルで、しかも男の暴力に女はある程度慣れているらしく、僕たちがにらみ合っているとき女はどうみても男の方を応援しているという、なんとも締まらない話で終わりました。
それはそれでどうでも良かったのですが、この件によって僕は動かし難い事実を再認識させられることとなりました。
すなわち、僕はビビリだということです。
体格的に僕の方が勝っていたと思いますし、なにより当時僕はムエタイを習っていました。
はっきり言って、自分のことをそこそこ強いと思っていたのです。
しかし、電車に乗っても震え続ける僕の拳は、自分の弱さを何よりも物語っていました。
『強いって、なんですか?』
震える拳を隠しつつ、心のなかの鷹村さんに質問しました。
僕は、基本的に平和主義です。
揉め事は嫌いですし、苦手です。
ですが、先にも書いた通り、男として生を受けた以上、大切なものを守るために理不尽な暴力に対峙しなければならないときがやってくるかもしれません。
そのとき、自分が弱ければ戦うしかないのです。
強ければ、『戦わずして勝つ』の格言通り、戦わなくても済むのです。
しかし、ここでまた、新たな問題が起こります。
自分が強くなっても、相手がさらに強かったらどうしよう?
世界を制した元プロボクサー、竹原慎二もこう言っています。
『おまえは弱い者のなかじゃあ強かったかも知れんけどのぉ、強い者のなかじゃあ弱いんじゃ!』
鷹村さん、強いって、なんですか?
余談ですが、ムエタイを極めた奴は、本当に強いです。
決してタイ人にはケンカを売らないようにしましょう。
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今日の映画:マッハ! トニー・ジャー主演
肘、膝の嵐。古式ムエタイ、最強です。