ずっと部屋の明かりをつけてベッドに入った日々。


まだ振り返るには早すぎるんだけど。


先日、最後の最終試験レポート3本を提出。


不合格の可能性も大いにあります。


でも、楽しみました。最後の(最後じゃないかもの)


1本はT.SエリオットのThe Waste Land(荒地)でした。


壮大な散文詩です。ここで学んでいなかったら絶対に


接していない分野でした。聖書や物語、伝説をヒントに


現在の混沌から未来の豊穣、再生に向かうこの壮大な


詩に出会えたことは幸福という以外にどんな言葉が適切


なのか見当たらないほどです。


清書が許された論文の草稿(論文の清書もどき)は


教授に提出し、現在、まだ手元に返ってきたいないのですが


「もうどうにもならん。やり直しだ。」という言葉が書かれて


いない限りは来年1月に提出の手はず。


すべて不合格という可能性もありますが今、私は少し頑張った


この3年の私を労いたい気分なのです。最後の最終試験レポート


提出後の一昨日、そして昨日の夜は部屋の明かりを消して、


エコロジー意識してγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


じわりじわりと湧き出てくる疲れと共に即座に眠りについた


のです。       59歳の私、


今、こうして自分に「ご褒美あげたい」と思えるなんて素敵だと


思っています。   「生きてているって本当にいいね」


これを実感できたのは46歳の誕生日に宣告された病気の


おかげさま。それがなかったら自分の体を大切なものと意識できて


いなかったかも。また、時間の有限を意識して今をできる限り大切


に生きる。大いに笑い、大いに怒り、大いに学び、謙虚に生きる。


大学院の入学の時に教授が


「学んでいる時には絶対に病気になりません」と言ってました。


「そんなことあるわけねえ」って津軽弁で思いました。


病気から14年、ちっちゃな癌が私を素敵な場所に導いてくれて・・・


勉強好きだった亡き母が私の中で頑張っていて、私が怠けてて


みたいな気持ちになったことも1度や2度じゃなく・・・・


これは霊感とかそのような素晴らしい能力ではなく、私の


DNAがピクピク感じるのでした。


最後の最終試験レポート提出の数時間後


じわ~~~っと、熱いものがこみ上げてきた・・・


  (;^ω^A    のではなく   (*v.v)。


めまいがしました。


お腹がすいていることに気付いたんです。


ご飯を3杯食べました。


その日、たまたま教室に来ていた生徒が激しく感激


してくれて・・・ぎゃははぎゃはは・・・「先生、本当におめでとう」


翌日の金曜日には研究の実験に付き合ってくれた生徒たちも


英語で「完成したから労って」と言ったら


「なに、言ってるか意味わかんねえ」と津軽弁で・・・しかし・・・


Congratulations! と言ってくれて…まんず、ありがたい。


そうそう、抜けていた歯は歯医者さんが素晴らしく頑張ってくれて


今はいい具合です。


今日は津軽のお天気も良好、姑の部屋の外の縁台の軒に


ネットでできたビルディングみたいな乾きもの作成装置の中の


干し芋もきっとおいしくできそうな・・・


いつも本当にありがとう。パソコンの向こうにいるあなたに


感謝をこめて・・・


教授が言ったこともあながち嘘でもないかも・・・高名な先生


に対して失礼をばしでかしております。Sorry!


数日前に大学院から封筒が届きました。


「論文の清書を許可する」という文書が


入っていました。いまだに未提出のレポートも


ありまして、依然として今年度終了できるのかは


未確定ではありますが、睡眠時間を減らして


頑張っています。



「清書許可」の文書を見た時には感動で涙が


出そうになりました。この3年間はレポートを


書くことから数十年も離れていた生活からの


一念発起の時間だっただけに専心することで


しかひとつひとつをこなすことができませんでした。


友人と親しく話す時間も持てず、ひたすらに専心。


きっと後に考えれば宝となることは確定的では


あっても、今の「大変さ」もしっかり忘れずにいたい


と思って今日はこれを日記にしたためようと思います。



しかし、学業に挑戦することが大変なのは私が59歳


という年齢だからではなく、能力のなさ故です。


大変だけれども今、レポートの課題として読んでいる


ジェイン・エアは感動的で、読みながら胸がキュンと


したり、その前のレポートの課題、T.S. エリオットの


「荒地」ではずっと知らないことがコンプレックスだった


「聖書」「伝説」「神曲」などに触れることができて幅が


広がったように思われます。


テレビでは北斗晶さんの乳がんのニュースが流れて


います。私が小さながんを見つけたのが13年前です。


油断しているといつの間にかそのことばかり考えてい


た日々が蘇ります。しかし、大学院に入った時に教授が


「学業に専念していると病気にはなりません」と仰り、それ


を信じています。それはおそらく病気や死というものを


思考から遠ざけることができるということが一番という


ことなのでしょう。


さて、私はこの10月が大嫌い!!


ピンクリボンの月だからです。心から取り除かれた平安が


この運動によって蘇り、不快な気持ちになります。


これが私の心の病気なのでしょうね。



いろいろ久しぶりに勝手なことを書いてしまいました。


私はこのブログはとても大切に思っています。ここでお知り


合いになることができた方々に友情、敬愛、家族に似た


親しみ、多くの豊かな感情を頂いているからです。



でも、この辺にしておきます。ジェイン。エアに会いに


行ってきます。 それでは。またね。




      こんばんは。


七夕もとっくの昔に過ぎ、長男は結婚し


可愛らしい結婚生活を始めて3週間ほどが過ぎ、


  土用の丑の日にはウナギを頂き


    もうすぐねぷたの時期


  この夏もまた駆け足でやってきて


 私の前でこれでもかこれでもかと夏が乱舞


  しているのに、気づこうともせずに


      時が過ぎていく。


 幸福なことにいろいろとやるべきことが多く


  しかし、それは私が質にこだわるから


   だということがわかってきました。


 そして何より要領が悪いからなのですが。




     そうそう、今、京都です。


    いろいろと工面してようやく


     とることができた4泊5日。


今日は大学の図書館でレポートと論文を


       進めていました。 


 信じられないことが起こってしまいました。


 大学で自由に使えるパソコンにてレポートの


  半分を終え、閉じようとしていたその時、


その部屋の20台のパソコンがすべてダウン


   そう、こんなことってあるんですね。


悲しいことなのになんだか笑ってしまいました。



 きっと私は自分を俯瞰している自分を持って


 二十歳前後の学生たちと同時に声を上げる


        「あ~~れ~~」


  幸福なことだと気付いている自分がいます。


ほとばしる汗、先日まで使い過ぎで上がらなかった


 肩。 このことで学習し、こまめに体操、湿布


(先日は近所に住む友人が訪ねてきたときに肩に


    大きなシップを貼ったままでした)


      後で気づいて赤面・・・



時々、思うのですが、こんなに充実しているから


  私は早く死んじゃうんじゃないかしら??


     などと思ったりするのです。


       だって、ドラマだと


彼女は知らず知らのうちに自分の寿命を察知


して生き急いでいたのかもしれない・・・などと


    なったりするじゃないですか。



 明日は担当教官である教授と会う約束を


しました。また、彼のご厚意で私の京都滞在最終日に


始まるこの先生のスクーリングの講座にも半日だけ


    参加できることになりました。


 論文の進捗状況が捗々しくなくお叱りをうける


      ことにはなるのですが・・・



 時折、私は何をしているのかしら??と思うこと


 があります。でも、今、さっきダウンしたパソコンに


 書いたレポート、TSエリオットという詩人の評論


を まとめていた時に深く共感したことなのですが


作家は作品を通して歴史の中に組み込まれ、歴史


は修正されながら元通りの歴史が作り出す公式の


          中で生きる。


   作家は歴史の中で化学の触媒のように


自分自身の中に何の変化も起きないが大きく反応を


支えている・・・今の私の生き様がそこまでのものであろう

  

      はずはないけれど・・・触媒



 あまりに疲れて大学からホテルに戻ってバタンQ


 やっと目が覚めたので先ほどのレポートの再現に


 とりかかります。とりあえずの緊張報告でございます。


 





五月そよ風して持って来て下さい


詩人、立原道造が死を待つ人として病床にあった時に


知人に 「五月のそよ風をゼリーにして持って来て下さい」


と言ったそうです。もしかしたらできないことをわざと言って


駄々っ子みたいにわがまま言ったのかもしれません。


でも、「五月そよ風」と「」ってなんて瑞々しい組み合わせ


でしょう。



現在、30単位中28単位目の詩人エリオットの


The Waste Land を読んでおりますが、


宗教色の強い彼の詩の深さに溜息ばかりです。


「Waste Land(荒地) に生きる我々の生より、死の方が


魅力的である」


という書き方が詩人の技法というものなの


でしょう。 「胡蝶の夢」の荘子とも通じるものが


あるように思えます。所詮、この世は泡沫(うたかた)。


でも、そのような泡沫を「素敵に生きましょう」と言って


いるようにも思えます。


五月の風のゼリー、六月の風、奥入瀬の新緑の淡い緑の


オゾンミスト・・・宵の明星の美しさ・・・



「美しい自然の美の展覧会」のようでもあります。


この自然が時として驚異となることも強く心に留めつつも


この美しさに嘆息をおぼえずにはいられません。



今日はこれから書道教室に行ってきます。


私を大切に思ってくださった義理の叔父が65歳で亡くなって


2年が過ぎます。叔母はいまだに家に遺骨を置き、共に


暮らしています。私は彼のために写経したいと思って


この4月から友人が主宰する書道教室に通っています。


でも、家では全く練習できないので、上達しません。




このようなことでいつものことですが、ブログは休眠状態


です。


6月の風とゼリーをキーワードに一瞬でも私のことを


心にとめて頂ければ嬉しいです。


読んでくださった方に 6月の風を 

 

       さらさら、ぴゅー。




濠から天守閣を写してみました。

通常、当然のことながら歩くことのできない

濠からの風景に、皆、口々に

「ここから天守閣を眺められるなんてね~~」

と同じセリフ、同じ風景の共有、しかも100年に一度


あるかどうかの。不思議な感じでした。


人生初、そして最後になる経験をしてきました。

デジカメでも撮影しましたが、とりあえず

iphoneの画像で・・・

4月25日撮影


「現存12天守」のひとつ弘前城天守閣は


しばらく姿を隠します。最低でも5年。


あまりうまく撮影できませんでしたが、今までの


花見の中で、また弘前公園散策の中でもっとも


心に残るものでした。













さて、4月29日


マダム侑加さん


お誕生日おめでとうございます。


素晴らしい季節


素晴らしい時間が約束されています。


豊かな誕生日をお過ごしください。


XXX

  昨日、知り合いと弘前公園に行ってきました。

外堀の花は5分咲きから6分咲き、中はまだ2分咲きくらい

でした。今日は寒いのできっと停滞しています。

さて、

弘前市では天守閣石垣、老朽化のための補修工事を100年ぶりに

行うようです。桜祭り期間の4月23日から5月6日の間は下の

写真のように工事のために埋め立てられた濠から弘前城天守を

眺めることができます。今度見られるのは100年後、あるいは

もっと先かもしれません。

今年の桜はこの祭り期間にピークではないと思われます。

連休の最初の方であれば美しい枝垂れ桜が見頃かもしれません。

この100年に一度あるかないかのチャンスに是非弘前を訪れて

頂きたいと思います。天守を濠から見ることができるなんてこと・・・

すごいと思うからです。弘前は桜の後にはりんごの花がめんこい

季節です。だから見てほしいなあ・・・

以下は弘前市のホームページからのものです。

平成27年4月1日~5月10日う 

弘前城天守公開

天守では、これまで弘前城や弘前藩に関する歴史資料の展示が行われてきましたが、

天守曳屋工事に備えるため、この期間は展示品がない状態での公開となります。

重要文化財・弘前城天守の柱や出格子・床下の構造など、建造物の細部をご覧い

ただけます。

平成27年4月23日~5月6日

弘前さくらまつり開催

平成27年5月10日(日曜日)までは、天守を現在の位置で見ることができます。

★さくらまつり期間中は埋め立てた内濠を開放し、天守と桜・石垣を下から

見上げることができるようにします。

長いと思われた時間が今は不足と思われる

日々。レポート提出するも、「これは感想文です」

バシッと書かれてきました。幸いどうにか合格させて

頂きました。お慈悲まんたんです。


さて、1週間程前に2月誕生日の姑のバースデイプレゼント

として大鰐温泉一泊アワビか倉石牛が選べる宿泊プラン

をプレゼントしました。

雪国の閉鎖されている空間で彼女の物心両義で酸素不足

そして私は姑が毎日いる、その気配だけでknock down

の時間の解決策でもありました。

お供には彼女の娘を選びました。

彼女は本当に素敵な人で万事心得て同行してくれました。



私はすかさず、外食を楽しみ、お酒まで行っちゃいました。


そこで珍しい方にお会いしました。

私は遠目で一度お見かけしただけの方なのですが。。。

53年前父の背中に荷物が落ちた事故で(結局、父は

脊髄損傷の人として45年以上母の介護の助けを借りて

生き、80歳で亡くなりました)手術に立ち会った

当時インターンだったお医者さんです。

77歳におなりのその医師が私のいるカウンターにティッシュ

を求めて向かってきたので

「先生、若い頃に手術に立ち会って下さった〇〇は

ご存知でしょうか?」と申し上げたら


「知っていますよ。手術の後、弘前大学病院の設備では

どうにもならず八戸の労災病院に行かれた方ですよね」

と仰ったので私もその老医師と一緒にティッシュを使うことに。


大学病院の医師であり、法人の病院で手伝いもしている

この医師の今までの総患者数から考えると知っているはず

がないと思っていた答えが即答での

「知っていますよ」

何故か父の若い頃の顔が浮かんできました。

考えないようにしていた父の苦しみが目に浮かんできて

涙が止まらなくなって・・・


人はその文字のように多くの人に支えられて生きているのね・・・

としみじみ思いました。今日、緊張を強いる姑から解放される

手助けを主人と彼の妹がしてくれたことにも感謝して・・・

っていうか、もっと手伝えよ・・・と心の声も。


春が急ぎ足でやってきているらしいのですが、雪の壁が

その足取りに気づくのを妨げている今日です。

でも、明日から弥生。2日は母の命日。そして3日は

私が非常勤講師を務める学校の卒業式。


  また新しい月がやってきます。
人間があまりに高い塔を築いて神の怒りに触れ

もともと1言語だったのに意思の疎通を困難に

すべく神は多言語にしてしまった・・・と

その名もバベルの塔。


弘前昨日からバレンタイン寒波(豪雪)がやって

きて一晩に150cmほどの雪が降り夕べから4回

雪掻きをしました。そしてできた雪の塔は天に届き

そうです。神の怒りに触れはしないだろうか?


それにしてもこんな時に限って家人は飲み会。

それも奇跡的に帰宅。

お向かいの妙齢のご夫婦は青森市に出かけ

帰路電車の中で5時間過ごし、結局JR手配のタクシー

で帰宅したのが朝の4時出そうですからね。

ここに住んで30年ほどになりますが、ここまでの

雪は初めてです。


そうそう、夕方、「ピンポーン」宅配便がチョコと

富山和子さんの「日本の米カレンダー」が

届けられました。そう、マダム侑加さんからの

ハッピーバレンタインのプレゼントです。

日本の農業、水田が急流の多い(急流はすぐに

海に流れて行ってしまう)日本の水をうまく利用した、

水を国土に留める素晴らしい方法・・・と以前富山先生

の本を読ませて頂いて感銘しておりました。

侑加さん、本当にありがとう。とっても嬉しいです。

棚田の美しさ、そしてこの風景の意味することを

しっかり意識して日々、カレンダーとお話ししたいと

思います。


さて、バレンタインデーはAD3世紀のローマの皇帝

クラウディアスが「愛する者を残しては戦争に誰に

行きたがらないじゃろ」と結婚を禁止したそうです。

その時に聖バレンタインが愛とは尊いものだと

多くカップルのために結婚式を挙げてあげたそうです。

それが皇帝の逆鱗に触れ、2月14日に処刑された

とのこと。

それがチョコレートをプレゼントする日となって・・・

でも、きっと愛の表現のツールとして悪くないですね。


私は現在、ナザニエル・ホーソーンの「緋文字」の

試験レポートを作成中。この他にあと一本レポートを

今月中に提出予定です。春からは修士論文により時間を

費やし、来年度卒業を目指します。ミニ所信表明でした。



みなさま、お身体ご自愛くださいますように。


年末から二人の息子が帰省しておりました。

長男の誕生日が12月28日で暮れも迫った

出産だったなあ・・・・・と思いを馳せる習慣も

MOさんのご両親が12月28日、小高さんが

12月29日となりますと、

この時期に産んだ方に

「大変さがわかりますとも」などと生意気に

世代を超えて感じる今日この頃、と言いますか

元旦でございます。


人数が増えると家事が増えることをも意味する

のですが、食べる者が「おいしい」と言ってくれると

昇天しそうな勢いでもあります。


久しぶりに家族の健康そうな(多少二人とも風邪気味)

を見ると安心する私も老人力と親力も幾ばくかは

ついてきたのかと思ってみたりしております。


長男のフィアンセの家族との食事会があり、もともと

堅苦しい空気を満タンに出す主人とその母が「そこに

バリアでも??」というスタート。

姑は酒が入ると大和撫子風が途端に酒飲みの

傍若無人発言。

立ち入ったことを聞き始め、「酔ったみたいで」などと

フォロー入り。この人選はミスだった・・・


いずれにしても新たなスタートが我々にも訪れて参り

ました。新しき年が皆様にとりまして

much better than last year

または

as good as last year ということになりますことを

祈念して・・・


ことしもどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年同様、今年もあまりブログはマメにはできないと

存じます。特に新しいお付き合いは始め難い状況

です。ごめんなさい。

素敵な一年になりますように。

  2015年 元旦