PEUGEOT 206 WRC 2003年WRC参戦記録②

 

【アクロポリス】6月4日~6月8日
1:グロンホルム 814 NVT 75 TC8A リタイア
2:バーンズ 810 NVT 75 4位・+2分6秒6
3:ロバンペラ 624 NZT 75 6位・+3分44秒7

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。暑く過酷なイベントに備え、大型のラジエターとエアコンディショナー(Leg1のみ*)を装着。(*エアコン用に追加したウォータースプレーがホモロゲーション外とクレームされたため) グロンホルムは4PSほどのパワーダウンと重量増加を嫌って唯一エアコンを装着せず。フロントのウンドスクリーンに陽射しを避けるためのコーティングが施された。

 

路面コンディションの悪さに悩まされたグロンホルムは、SS4でスピンして3位から6位に後退。すぐリカバリーして3位に復帰したものの、SS8後に燃料系のトラブル(メインとサブのふたつに分かれている燃料タンクの配管を間違って接続-サブタンクに残っていた14リットルのガソリンがエンジンに送られずサービスに向かうロードセクションでストップした)が発生してリタイアとなった。先頭ランナーという不利な出走順、さらにはギヤボックスのトラブル(3速を失う)で出遅れたバーンズはLeg2でも交換したはずのギヤボックスが不調(レギュレーション上、ギヤボックスの交換が叶わず)となったが、最終日にスピードの上がらないマキネンをかわして4位を得た。序盤で久しぶりにキレた走りを見せたロバンペラであったが、SS10で2~3速を失い1分40秒以上をロス。結果として6位完走を果たしたものの、大きな失望が残るラリーとなった。

 

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【キプロス】6月18日~6月22日
1:グロンホルム 943 NVB 75 SS8 リタイア
2:バーンズ 950 NVB 75 TC10A リタイア
3:ロバンペラ 290 NNN 75 2位・+4分14秒0

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。マシンの仕様は前戦アクロポリスに準じたものであるが、クラッチをザックス製からAP製に変更している。前戦で装着したエアコン用の追加ウォータースプレーをFIAが許可しなかったため、エアコン機能が低下。

 

Leg1の最終SSでトップタイムをマークし首位を奪ったグロンホルムであったが、Leg2開始早々のSS5でプロペラシャフトを破損。次ぐSS6において全輪の駆動を失ったことから、ラリー続行を諦めた。先頭ランナーのハンデに加えて駆動系(ギヤ&デフ)のトラブルやオーバーヒートに悩まされたバーンズは、SS10後のロードセクションにおいてエンジンが音を上げ、リタイアへと追い込まれた。SS4でギヤがたびたび3速にスタックするトラブルに見舞われて、首位をグロンホルムに譲ったロバンペラ。SS7~8でオーバーヒートから時折セーフティモードにシフトするエンジンに悩まされながらもLeg2以降の首位ソルベルグと競い合ったが、その差を詰めきれず。2位完走に切り換えたSS16ではドライブシャフトが破損し、最後は2輪駆動となったが、2秒8差でそのポジションをローブから守りきった。
 
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【ドイツ】7月23日~7月27日
1:グロンホルム 283 NNN 75 2位・+3秒6
2:バーンズ 952 NVB 75 3位・+19秒7
3:パニッツィ 286 NNN 75 10位・+3分39秒6

 

グロンホルムとバーンズおよびパニッツィをワークスノミネートとした。マシンの仕様は前戦キプロスに準じたもの。グロンホルムは原因不明の肘痛によりレッキ開始直前まで入院。パニッツィは、ラリー前のテストでコースアウトして肋骨を骨折。(大事には至らず、イベントには出場)

 

Leg1を首位と9秒4差の2位としたグロンホルムは、安定しない空模様のLeg2でタイヤ選択を誤り(SS12~13で「ローブより天気が敵」と心理戦を仕掛けたグロンホルムは、大きくカットしたタイヤを選択するも、予想した雨が降らずタイムをロス)、車高を上げるという秘策を用いた首位のローブを捉えきれず。その後も、SS17でジャンクションをオーバーシュート(縁石をヒットして右フロントホイールにダメージ)したり、SS18でハンドリングが狂って失速したりするなど、ローブに3秒6届かず(SS19-突然の降雨による混乱やSS22-首位ローブの誤ったペース配分があって両者のタイム差が肉薄)惜敗した。SS1~2の連続ベストでラリーの主導権を握ったバーンズであったが、続くSS3~4で左フロントタイヤからのバイブレーションに悩み2位に後退。しかしSS5&7でベストを刻み、緊迫したLeg1の首位争いを制した。しかしLeg2、タイヤの激しい摩耗(SS9)、コースオフ&ミスコース&エンジンストール(SS11)、タイヤ選択ミス(SS12~13-予想に反し完全ドライとなったステージでカットしたドライタイヤを選択)などで集中力が切れたバーンズは5位まで陥落。それでも最終日、土壇場でマクレーをかわし3位まで順位を戻した。パニッツィは遅い出走順のハンデ(前走車がインカットすることで、路面にグラベルが乗り汚れてしまう)から、荒れた路面にブレーキング時の挙動を乱されてタイムが伸びず、首位から18秒差の9位でラリーをスタート。その後もサスペンションのセッティング、タイヤ選択、ブレーキのフィーリングなどが裏目に出て、失望の10位。

 

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【フィンランド】8月6日~8月10日
1:グロンホルム BQ-480 SS15 リタイア
2:バーンズ 334 NQZ 75 3位・+1分00秒1
3:ロバンペラ BQ-481 SS12 リタイア

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。307WRCの登場が確定的なことから、206WRCに新しいトライはされず。ジャンピングスポットに備えた対策として、サスペンションを硬めにセッティング。(ダンパーも変更)

 

SS12で首位に立ったグロンホルムは、一騎打ちとなったマルティンを突き放そうとしたSS14において右フロントホイールが脱落(ホイールベアリングの破損が原因)してしまい、ステージフィニッシュ後にリタイア。グロンホルムの脱落やマルティンのマシントラブル(電気系の不調)など追い風が吹いたバーンズであったが、グロンホルムと同じホイールベアリングのトラブルがSS17で発生して確実に2位を獲る決断をした。しかし、最後の最後(SS23)でソルベルグに逆転を許し、その座を明け渡した。ロバンペラはSS2でサスペンションの破損(岩に右フロントをヒット)からスピンし、木に激突。これで20分以上を失うと、最後はハイスピードでコースオフし、リタイアを喫した。

 

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【オーストラリア】9月3日~9月7日
1:グロンホルム 624 NZT 75 TC9B リタイア
2:バーンズ 810 NVT 75 3位・+1分53秒0
3:ロバンペラ 814 NVT 75 7位・+4分3秒9

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。(バーンズがプジョーを離れて、スバル入り-トミ・マキネンは引退-することが発表された。) 前戦でホイールベアリングが壊れたことから、ベアリング関連のパーツアッセンブルを新しくした。(すべて分解され、厳密な締めつけトルク管理がなされて組み直された)

 

首位に立つグロンホルムはSS8、イン側の溝に左フロントタイヤを引っ掛けてリアまでも脱輪させてしまった。コース復帰のため17分もの時間を失い(路面が柔らかかったことが災いした)、24位まで後退してしまってはラリーを続ける意味を持てなくなり、SS9を終えた後のサービスにおいてリタイアを決めた。ソルベルグとローブの異次元バトルについていけないバーンズは、タイトル獲得のため3位を守るラリーとした。ロバンペラは序盤のブレーキトラブルでリズムが崩れ、上位争いに顔を出すことなくラリーを終えた。
 
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PEUGEOT 206 WRC 2003年WRC参戦記録①

 

【モンテカルロ】1月22日~1月26日
1:グロンホルム 206 NLL 75 13位・+33分31秒8
2:バーンズ 206 NLM 75 5位・+3分16秒5
3:パニッツィ 206 NDQ 75 SS8 リタイア

 

グロンホルムとバーンズおよびパニッツィをワークスノミネートとした。(2003年は、成績の良かった上位2台のポイントがチームの選手権ポイントとなって加算される) 2002年と同じ仕様のマシンとなるも、エンジンとデフには小変更が加えられている。コックピット内のペダルボックスは、ホモロゲーションを受けた改良型を装備。アンチロールバーはパッシブ(スノー用)とアクティブ(ターマック用)を使い分けた。事前テストは2002年12月の中旬に2週間実施。(12月13日にモナコで新カラーリングの発表会を開催)

 

ラリー序盤に大きなリードを築いたグロンホルムであったが、SS5で橋に左リヤをヒットして失速。続くSS6でも連続ベストを刻むセバスチャン・ローブにその差を削られて、Leg1を終えた。そして12秒8差(Leg2・SS8でソフトすぎたサスペンションに不満を感じタイムロス)となって迎えたSS9。スタートから6km地点でスノーパッドに乗りコースアウトを喫したグロンホルムは、リタイアを覚悟する。しかしマニュファクチュアラーズポイントの獲得を諦めないチームより戦線復帰の指示があったことから、30分以上のタイム(ダメージを負った右のステアリングロッドに応急措置を施す)を失いながらもラリーを続行。だが覇気を無くしてしまったグロンホルムは、2003年の初戦を不本意な13位で終えた。結果としてプジョー勢の最上位となったものの、バーンズの走りは精彩を欠いたものだった。Leg2でタイヤの選択をミス(選んだスリックタイヤが荒れた路面には固すぎた)して2分近くを失っては、5位のポジションをキープするのみのラリーとなった。「レッキカーのGPSが働かなくなるトラブル(プラグの差し忘れが原因)」を報告しなかったパニッツィは、スタートセレモニー直前に60秒ペナルティを科せられた。(バーンズにも同じ事が起きるも、こちらはマーシャルに報告したため懲戒処分のみ) 更にSS1で雪の下に隠れていた岩に左リヤタイヤをヒット(ホイールにダメージ、50秒をロス)し、下位に沈む。加えて体調不良(ウイルス性疾患)があっては、モチベーションが上がらずSS8後にリタイアを決めた。

 

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【スウェーデン】2月5日~2月9日
1:グロンホルム 810 NVT 75 1位・3時間3分28秒1
2:バーンズ 624 NZT 75 3位・+1分17秒9
3:ロバンペラ 814 NVT 75 SS8 リタイア

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。3台ともアクティブアンチロールバーは装備せず。低気温を考慮して冷却系統のキャパシティを変更。(小型のラジエターを装着) このイベントに備え10日間にもおよぶタイヤテストを実施した。

 

グロンホルムはSS2で首位に立つ(SS1のスタートでエンジンストール、ローブにベストタイムを譲る)とその座を一度も譲ることなく(コースオフを喫したSS5がステージキャンセル-コースに立ち往生となったデュバルのマシン回収が手間取ったため-となったことから、大幅なタイムロスが消える幸運に恵まれた/SS7でフロントタイヤのスタッドが全部取れてしまう感触を覚えるも、トレッド面が動いただけで済みサードベストで切り抜けた)スウェディッシュ2連勝、通算3勝目を挙げた。SS3~4でトランスミッションがロックしてしまうなどマイナートラブルに悩まされたバーンズは、激しくバトルする新旧フライングフィン(グロンホルムとマキネン)の背後を終始窺がうに止まるラリーとなった。エンジン不調を訴えながらも順調に順位を上げたロバンペラは、4位でLeg1を終えた。しかし、Leg2・SS8で前方にストップしているユッソ・ピカリストのボジアン206WRC(ステージの途中で転倒してコースを塞いでしまった)を避けきれずハイスピードで激突。この事故によりマシンが大破し、ラリーから去った。

 

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【トルコ】2月26日~3月2日
1:グロンホルム 290 NNN 75 9位・+10分52秒2
2:バーンズ 334 NQZ 75 2位・+47秒9
3:ロバンペラ 344 NQZ 75 SS13 リタイア

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。2002年のキプロスをベースにピカリスト(昨年のトルコラリーを経験)のフィードバックを加味した仕様。アンチロールバーはアクティブとパッシブ(ルーズな路面用)を使い分けた。エンジンのマネージメントシステムにマッピングを微調整するソフトウェアを追加。(各ステージの標高に合わせて自動的に燃料の供給をコントロールする仕様としている)

 

SS1でトップタイムを記録したグロンホルムは、操舵系のトラブル(SS3でパワステのオイルが漏れ出す)に見舞われパワーアシスト一切失ってしまう。これにより、ロードセクションでの修理(1分40秒のペナルティ)やツイスティなロングステージ-SS4-をパワステ無しで走行する(3分以上をロスした)ことになった。また、サービス(SS6前)で修理したはずの油圧系トラブルが、SSに向かう途中で再発してタイムをロス。係るトラブルが改善した後は追い上げを見せたが、上記のつまずきはあまりにも大きく9位でラリーを終えた。バーンズはパンク(SS3で2回発生)により出遅れ、更にギヤボックスの不調を抱えて下位に沈んだ。しかしライバルたちの脱落により首位グループに浮上、最終的には2位でラリーを終えた。グロンホルムとソルベルグの脱落でラリーリーダーに浮上したロバンペラは、SS8で右リヤを岩にヒット。これでタイヤを傷め、アライメントが狂った状況となりタイムロス。更にSS10でも路肩の岩をヒット。ここでのダメージは深刻で、右リヤサスペンションのストラットがタワーを貫通した状態になってしまった。それでもSS10~11を走りきりサービスで修理(ペナルティが加算された)しながらラリーを続行したが、Leg2最終のステージで再びサスペンションが壊れてリタイアを決意した。

 

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【ニュージーランド】4月9日~13日
1:グロンホルム 286 NNN 75 1位・3時間45分21秒2
2:バーンズ 952 NVB 75 2位・+1分8秒7
3:ロバンペラ 938 NVB 75 SS14 リタイア

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。マシンの基本仕様は、前戦トルコに準じるものとなっている。タイヤは標準となるZに加え、ソフトタイヤGW(ヘビーウェット路面での性能が向上)も使用。

 

初日7つのステージでベストタイムを叩き出した(残る2つのステージはセカンドベスト)グロンホルムは、Leg2・SS13で転倒(ジャンクションでブレーキングをミスし、スライドしながらバンクに激突。しかしダメージはボディ外板だけで済み、30秒程で復帰できた)を喫するも、それまでのアドバンテージがあり首位をキープ。結果としてブレーキフィーリングに不満を感じながらも、圧倒的なタイム差で優勝した。トップスタートの不利(砂利の掃除役)が雨(時折激しく降るコンディション)により消えたバーンズであったが、らしくないタイヤの選択ミス(Leg1・SS4において、マディな路面を警戒してタイヤにカットを施すも急速に乾き始めた路面と合わず-グロンホルムから16秒8も遅れた)があり、定位置の2位でゴール。ロバンペラは常に好タイムを刻んでいたが、ドライビングミスからコースオフ。3戦連続のリタイアとなった。

 

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【アルゼンチン】5月7日~5月11日
1:グロンホルム 206 NDQ 75 1位・4時間14分45秒0
2:バーンズ 206 NLM 75 3位・+1分12秒8
3:ロバンペラ 206 NLL 75 4位・+2分19秒3

 

グロンホルムとバーンズおよびロバンペラをワークスノミネートとした。マシンは前戦ニュージランドに準じる仕様となっているが、ダンパーは改良を受けている。標高に応じて制御プログラムの値を自動的に補正する機能を、エンジンのマネージメントシステムに付加。

 

混乱するタイム計測(ドライバーたちの納得のいかないタイムがISC社のGPSや手動時計で計測される状況が各SSで発生)に苛立つグロンホルムは、SS9のスタート直後にミスを犯して左リヤタイヤを岩にヒット。これでステージの残り24kmを3輪で走行することを強いられ、首位から転落した。(1分25秒2遅れの6位) その後も観客が溢れすぎて中止となったSS14の代替ステージがキャンセル(グロンホルムが走行後に中止)となったり、SS16が予定より1時間50分も遅れて開始されたりと、主催者側の不手際にペースを乱された。それでも限界を超えた走りで優勝戦線に復帰。サインツの失策(規定よりも早くTCを越え1分のペナルティ)やマルティンのリタイヤ(油圧低下によるエンジントラブル)にも助けられて、奇跡の大逆転を果たした。時計への不信感から集中力を乱し、しっくりと来ないハンドリングでスピードが上がらなかった初日のバーンズ。最終日にサインツを逆転して2位に上がるも、最終SSでターボを壊して3位に終わった。ロバンペラはSS17でステアリングラックを破損してポジションを落とすも、最終的には4位でフィニッシュ。
 
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PEUGEOT 206 WRC 2002年WRC参戦記録③

 

【サンレモ】9月19日~9月22日
1:バーンズ 624 NZT 75 4位・+1分18秒9
2:グロンホルム 814 NVT 75 2位・+20秒9
3:パニッツィ 810 NVT 75 1位・4時間10分15秒6

 

バーンズとグロンホルムに加え、パニッツィをサードノミネートとした。アクティブアンチロールバーは3台すべてに搭載。
 
パニッツィは痛む肩をかばいながらも、ブガルスキーやグロンホルムといった追撃者を歯牙にもかけずに魔女たちの回廊を駆け抜け、サンレモ3連覇を果たした。SS3にターボ圧が低下し大きくタイムロスしたグロンホルムは、ブレーキのフェードとシフトの不調を抱えるも手堅くまとめてLeg1を3位。続くLeg2~3もターマックにおけるパフォーマンスの高さを示し2位を得た。Leg1最終となるSS8で深い霧に悩まされタイムをロスをしたバーンズは、Leg2・SS10における泥が乗った3速コーナーでブレーキングが遅れコースオフ、ステアリングトラブルを抱えて失速した。更にタイヤ選択の誤り(SS13~14において、プジョー陣営はウエット路面を見込んでソフトコンパウンドに大きくカットを施したタイヤ-パニッツィは更に縦に2本大胆なグルーブを施したタイヤ-を選択。しかし、予想以上に路面は乾いており、大幅なタイムロスを喫する)から、Leg2最終ステージでソルベルグに3位のポジションを奪われてしまう。最終日にはこのラリー初のベストタイムを刻むも、その差を詰め切れず4位のままでラリーを終えた。尚、ボジアンレーシングからのエントリーとなったロバンペラ(25:943 NVB 75)は9位。 

 

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【ニュージーランド】10月3日~10月6日
1:バーンズ 330 NQZ 75 SS15 リタイア(Off road)
2:グロンホルム 334 NQZ 75 1位・3時間58分45秒4
3:ロバンペラ 344 NQZ 75 2位・+3分47秒6

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。パニッツィが乗る4台目のワークスカー(23:327 NQZ 75-7位)は、テストカーを実戦用にプリペアしたもの。ロバンペラがアクティブアンチロールバーをLeg2終了時まで使用した。

 

先頭ランナーのハンデと油圧系統からのオイル漏れおよび油圧低下によるデフ不調(共にSS2)でタイムロス(油圧のトラブルはSS走行後にグロンホルム自ら応急処置-スロットルやギヤボックスには影響を及ぼさず)したグロンホルムは、更にSS5でもクラッチが滑り始めるトラブル(スタートモードからセーフモードにエンジンのプログラミングを変えることで対処)に見舞われ、Leg1を3位(首位バーンズとは37秒8差)とした。続くLeg2では一歩も譲らぬ均衡したハイスピードバトルをバーンズと繰り広げるが差を縮められず、「今回は2位で充分」とニュージーランドの地における「2002年王者の戴冠」を諦めかけた。しかしライバルの自滅でその立場が急転したことにより、2度目のWRC頂点の座に立つことが実現した。プジョーでの初勝利を渇望するバーンズは、SS1より4連続ベストタイムを記録し順調な滑り出しを見せた。翌日のLeg2でも鬼気迫る走りでベストタイムを4回(2番時計は2回)刻み、マージンを44秒3とした。これで安全圏に逃げ切ったと思われた刹那、SS15で全てを無に帰す壮絶な転倒劇(フィニッシュ近くにある連続するS字コーナーの土手に当たったマシンは、フェンスを乗り越え灌木の中に消えていった)がバーンズに群青の空を仰がせた。ふたりのエースの超高速バトルに遅れながらも常に上位につけていたロバンペラは、Leg3終盤に油圧系統のトラブルからパワーアシストが効かなくなり、残り3ステージをステアリングと格闘することになった。更にデフのロックも甘くなったが、フラつくマシンを捩じ伏せて2位のポディウムを得た。プジョー三の矢を担う男は、薄氷を踏む思いでタイトル制覇に華を添えた。

 

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【オーストラリア】10月31日~11月3日
1:バーンズ 952 NVB 75 SS7 リタイア
2:グロンホルム 286 NNN 75 1位・3時間35分56秒5
3:ロバンペラ 938 NVB 75 2位・+57秒3

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。テストカーをバーンズが大破させたため、パニッツィは不出場となった。ロバンペラは新形態のアクセル・ブレーキ・クラッチペダルを使用。(Leg2以降は旧型に戻した)

 

SS1終了直後から夜通し降り続いた雨で先頭走者の担うハンデが帳消しとなったグロンホルムは、6連続ベストタイム(SS3~8)を刻みLeg1を圧倒。続くLeg2~3では、後続との差をコントロールしながらボールベアリングロードを王者の走りで駆け抜けた。ナロータイヤを選んでラリーをスタートさせたロバンペラであったが、Leg1を不本意な4位で終えた。しかし事前テストから試していた新しいペダルボックスを以前の仕様に戻したことで、ソルベルグやサインツを上回る速さ(2度の3連続ベスト・SS11~13&SS21~23)を取り戻し、先行するグロンホルムに迫った。最後は格の違いを見せつけられ2位となったが、シーズン最高の走りでグラベル要員としての役割を果たした。この結果からプジョーチームはフィンランドから5戦連続、シーズン9回目のフルポイント獲得となった。レッキ時の事故で負った傷が癒えぬコ・ドライバーをかばいながらも2番手につけたバーンズであったが、深い森を抜けるSS7においてスタートからクラッチが滑り始めるトラブルに見舞われた。その後、騙しだましながら206WRCを走らせたがゴールを待たずして全ての駆動力を失い戦列を去った。

 

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【グレートブリテン】11月14日~11月17日
1:バーンズ 950 NVB 75 SS16 リタイア
2:グロンホルム 945 NVB 75SS10 リタイア
3:ロバンペラ 943 NVB 75 7位・+5分5秒8

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。ロバンペラのマシンに試験的パーツを装着。(2003年シーズンに向けた開発作業)
 
グロンホルムはSS2から4連続でベストタイムを記録し、Leg1にして50秒近いリードを築く。しかしLeg2のSS10で206WRCのアキレス腱とされる油圧系統のトラブルが発生したため、ギヤシフトを本来のステアリングパドルではなくフロアのレバーに切り換えての走行を強いられた。この不測の事態に集中力を欠いてしまったのか、ステージ中盤のターマック区間(1.6km程の距離)にある通称ディクシーズ・コーナーでコースオフし、大転倒。今季2度目のリタイアを喫してしまい、10年前にオリオールが樹立した年間最多勝記録(6勝)に並ぶことが叶わなかった。2002年の初勝利をもぎ取ることを胸に刻んでスタートしたバーンズであったが、SS3でコースオフしてエクゾーストパイプにダメージを負って致命的な1分40秒を失った。その後は限界アタックを掛け続けてソルベルグとマルティンに迫った(12位から3位まで順位を挽回)が、ハードに攻めすぎて無情のコースオフ(SS16)となりラリーを去った。ロバンペラはサスペンションのジオメトリーに新しい試みを施してラリーに臨むも、ターボや油圧系などにメカニカルトラブルが頻発(Leg2では、サービス無しで4つのステージを走らなければならない時にリヤのホイールベアリングが破損)して、そのパフォーマンスを発揮できなかった。またSS5では、ハンドブレーキのトラブルからジャンプスタート(外れそうになった小部品の落下を防ごうとしているうちにマシンが動いた)となりペナルティを受けるなど、発生するトラブルがタイムに響くことが多かった。尚、ボジアンレーシングからエントリーしたパニッツィ(23:206 NAP 75)は11位。プジョーは最終戦にして鉄壁のフォーメーションが崩れ、1987年にランチア(Delta HF 4WD)が作ったマニュファクチュアラーズ選手権シーズン最多勝記録9勝には届かなかった。

 

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11月29日~12月1日にスペイン領グラン・カナリア島で開催されたレース・オブ・チャンピオンズは、最終ヒートでローブを下したグロンホルムが優勝。(2001年のロバンペラに続きプジョー勢の2連覇となった)

 

PEUGEOT 206 WRC 2002年WRC参戦記録②

 

【アルゼンチン】5月16日~5月19日
1:バーンズ 950 NVB 75 ポストイベント
2:グロンホルム 943 NVB 75 ポストイベント
3:ロバンペラ 945 NQZ 75 SS10 リタイア
23:パニッツィ 327 NQZ 75 SS17リタイア

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。パニッツィにもワークスカー(テストカーを組み直したマシン)が与えられている。グラベルラリー(ルーズな路面)のため、パッシブタイプのアンチロールバーを使用。

 

グロンホルムは初日にして、1分40秒3もの大差(Leg1・SS8-比較的霧の薄い時に走れたためにギヤボックストラブルと深い霧に見舞われた総合2位のマキネンと1分20秒余りも差がついた)で首位に立つ。しかしSS10で発生した油圧ポンプのトラブル(スロットルが正常に働かなくなったグロンホルムは、電気系トラブルと判断してマニュアルにシフト。デフがロックしない状態で続くSS11も走行)により大きくタイムロス。0.5秒差ながらもマキネンに逆転を許してLeg2を終えることとなった。そして迎えたLeg3、マキネンとのスクラッチファイトには打ち勝つものの、グロンホルムは失意の淵に沈んだ。Leg3開始前、エンジンの油圧が低下して始動しないマシンをドライバー達2人が押し掛けようとした際にチームスタッフが傍らにいたことが規定地外でのサービス行為と判断され、失格となったのである。バーンズは開始早々、ウォータースプラッシュに飛び込んだ影響からエンジンが吹かなくなる現象が起きるもSS3以降は僚友の影を追うように好タイムを並べ、Leg2終了時点では総合3位につけた。その後、マキネンがSS21で5回転もする壮絶なクラッシュを喫し、グロンホルムが失格になったことから首位に繰り上がり優勝ポイントをプジョーにもたらすことになるかと思われたが、フライホイールの重量違反(ラリー後の車検で20g軽いことが判明-FIAに提出する20個の内、最も軽いものを対象とするルール)から来る失格裁定が下り、ポディウムの頂点で掲げた祝杯が虚しく霧散してしまった。霧の中で行われたSS8~9でのタイムロスが大きく影響したロバンペラは、Leg1を7位と低迷。そしてLeg2最初のSS10ではエンジントラブル(2気筒が死んだ)が発生、ロードサイドで修復を試みるも打つ手なくラリーの続行を諦めた。パニッツィは燃料系のトラブルがあって大きく後退。更にオーバーヒートが加わり、2日目終盤にリタイアした。(Leg1・SS8後にガス欠が発生。その際、トランスポート区間でスタッフがマシンに接近し警告を受けた。この時は、区間終了の表示が不明確なことから厳格な規則適用はされなかったが、 結果的にグロンホルム失格への引き金となった。)

 

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【アクロポリス】6月13日~6月16日
1:バーンズ 814 NVT 75 SS13 リタイア
2:グロンホルム 810 NVT 75 2位・+24秒5
3:ロバンペラ 624 NZT 75 4位・+1分57秒6

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。マシンの外観に多く変更点が見て取れる206WRCの2002年バージョンを投入。ギャレット製ターボチャージャーのウエストゲートを変更し、トルク特性とレスポンスの向上を図った。重量増大を最小限に抑えたサスペンションのモディファイを実施。(年間ホモロゲーション制約内)
 
ニュースペックの206WRCを駆り、Leg1の先頭ランナーを担ったグロンホルムはSS4でスピン。これで大きくタイムロス(エンジンストールに加えてマシンの転回に手間取って総合10番手まで後退)するも、Leg2終了時点で3位と、後塵を拝することになったフォードを本来のパフォーマンスで追いかけた。その後もLeg3で3連続ベストタイムを刻み、マクレーにプレッシャーを掛け続けての2位でフィニッシュした。センターデフの不調から不安定な挙動を示すマシンに手を焼いて出遅れたバーンズは、首位マクレーを追ってLeg3を迎えるも、SS13で左リヤサスペンションアームのボールジョイントが破損するトラブルが発生。このステージはどうにか走りきったものの、ここでリタイアとなり総合2位を捨てることになった。デファレンシャルのセンサーが故障したまま走りLeg1を4位としたロバンペラは、そのドライビングスタイル(アグレッシブでドリフト量が多い)が影響したのか、Leg2でタイヤトラブル(パンクや激しい摩耗)に襲われた。それでもLeg3で猛追してきたソルベルグを1秒差で辛くもかわし、熾烈な4位争いを制した。 

 

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【サファリ】7月12日~7月14日
1:バーンズ 334 NQZ 75 TC8A リタイア
2:グロンホルム 330 NQZ 75 CS1 リタイア
3:ロバンペラ 290 NNN 75 2位・+2分50秒9
23:パニッツィ 948 NVB 75 6位・+34分41秒0

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。パニッツィは、プジョー・スポールからのエントリーとされた。ボディシェルやダンパー類は強化型を使用。長距離におよぶステージ設定のため、ガソリンタンクの容量を拡大。ブル・バーはバンパー内に内蔵。シュノーケルとウイングランプ装備はサファリ特有の仕様。バーンズのみ、クーリングダクトを追加装備。

 

グロンホルムはラリー開始わずか17kmでエンジントラブル。ECUとプラグを交換するが効果無くリタイア。高速セクションでふらつく挙動に不安を抱いてスロースタート(CS1を12位)としたバーンズは、ダンパーが抜けたCS3にてショックからのオイル漏れによる出火(停車して消火)がありタイムロスが増大。その後はペースアップを図りLeg1を8位、Leg2ではベストタイムを刻み順位を5位まで上げてくるも、CS8でクロスメンバーのボルトを破損(左フロントタイヤが効かない状態で50kmのロードセクションを走った)したことから、サービス目前にあった段差の有るダスト溜まりにスタックしてしまう。チームスタッフがほぞを噛んで見守る中、深い砂や3輪状態のマシンと格闘するバーンズであったが、こうなってはリタイア以外に道は無かった。ロバンペラはライバル達のリタイアにも助けられ、Leg1を4位としてナイロビに帰ってきた。その後、Leg2で首位マクレーに2分26秒差まで迫るも、Leg3最初のセクションにおいてダストに阻まれ失速。これではプジョー陣営の期待を一身に担う(僚友2人はリタイア)状況下、2位堅持に専念せざるを得なかった。パニッツィはCS1でリヤのアンチロールバーを曲げてしまい、自ら修理を余儀なくされた。これで大幅なタイムロスを喫するも、最終的に2回(CS8・CS11)のベストタイムを記録し、6位で走りきった。
 
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【フィンランド】8月8日~8月11日
1:バーンズ 938 NVB 75 2位・+1分27秒3
2:グロンホルム Z-6935 1位・3時間17分52秒5
3:ロバンペラ Z-6936 TC14 リタイア

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。(ロバンペラのコ・ドライバーガボイト・シランダーに変更-リスト・ピエティライネンが急性脳溢血手術のため-) ボジアンレーシングから出場予定のパニッツィが、右肩の骨折および靭帯の損傷で欠場。アクティブアンチロールバーはグロンホルムのみがSS12まで使用。(グラベルでの使用は初めてとなる)

 

ダスティな路面を出走順トップ走るハンデに耐えて上位との差を詰めたいグロンホルムであったが、SS8でコース上にあった岩をヒット。左フロントを傷めたことからタイムを落として初日を3位で終えた。しかし僚友の失速によりLeg2・SS13で首位に立つと、後は盤石の走りで地元戦3連覇へと突き進んだ。フライングフィンのチームメイトふたりを抑えきりたいLeg1首位のバーンズは、SS12・オウニンポウヤでジャンプの着地に失敗(ノーズを激しく地面に打ち付け、インタークーラーパイプを破損)、ダーボ圧を失った。これで1分近くをロスしたことにより、ノンスカンジナビアンによるフィンランド勝利は崩れ去った。僚友に対して遜色のないタイムを刻んでSS12終了時点で待望のトップに立ったロバンペラであったが、次ぐSS13のスタート直後に、小岩をヒットしたことで右フロントタイヤがパンク。このラリー最長ステージを3輪で走行(ムースが働かずリムだけの状態となった)せざるを得なくなったことがサスペンションのダメージに大きな影響を与えて、戦線を離脱するに至った。 
 
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【ドイツ】8月22日~8月25日
1:バーンズ 943 NVB 75 2位・+14秒3
2:グロンホルム 950 NVB 75 3位・+1分19秒1
3:ロバンペラ 945 NVB 75 SS19 リタイア

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。(ロバンペラは、パニッツィのために準備されたマシンで出走-パニッツィはケガで欠場-) アクティブアンチロールバーは3台すべてに搭載された。ブレーキディスクは、ブレンボが持ち込んだ新しいタイプのもの(冷却性能が向上)が装着された。

 

SS3で油圧系統がダウン(サービスで修理に手間取り30秒のペナルティ)して出端をくじかれたグロンホルムは、シトロエンを駆るセバスチャン・ローブに、SS9~11の3連続ベストで詰め寄るも3位。ブレーキ不調からLeg1を総合2位としたバーンズ。モーゼル河畔の嗌路や雨中のバウムホールダーといった表情の違うターマックコースにおいて、最後までローブにプレッシャーを掛け続けたが及ばず。 油圧系の不調、パワステのトラブル、パンクなどで失速したロバンペラは、SS19でフェンスにリヤをヒット。これで左リヤホイールを破損し、サスペンションにもダメージを負ってリタイアとなった。

 

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PEUGEOT 206 WRC 2002年WRC参戦記録①

 

【モンテカルロ】1月17日~1月20日
1:バーンズ 938 NVB 75 8位・+4分16秒4
2:グロンホルム 948 NVB 75 5位・+2分7秒4
3:パニッツィ 952 NVB 75 7位・+3分20秒1

 

バーンズとグロンホルムに加え、パニッツィをサードノミネートとした。細かい部分に変更を加えた2001年型206WRCを使用。パニッツィのみ油圧で作動するリヤのアンチコントロールバーを搭載。(2001年の夏頃よりプジョーR&Dが開発していたシステムで、「ハンドリングの安定」「過大なロールの制御」などを目的としている。運転席から路面状況に合わせたセッティングが行なえ、荒れたターマックにおいて威力を発揮するとされる。) 新加入のバーンズは、スバルとは正反対のタイヤ編摩耗と窮屈なドライビングポジションに悩む。

 

想像以上に速いペースで競り合うローブとマキネンの2台に引き離されるばかりのグロンホルムは、定まらないハンドリングやLeg2でのタイヤ選択ミスなどでフラストレーションの溜まる走りとなった。SS1の高速コーナーで右側をディッチに落としてコースアウト寸前という大ジャンプを喫したバーンズは、インプレッサと大きくディメンションを異にする206WRCを、ステディにゴールへ運ぶことに専念。優勝候補の一角と目されたパニッツィであったが、Leg1・朝のパルクフェルメでエンジンがかからず。更にディーニュのサービスで油圧システムにオイル漏れが発覚し、駆動系すべての交換を余儀なくされた。これで2分10秒のペナルティを負い、更にハンドリングの不安定(Leg2中盤に固めのタイヤを履いて解決)やタイヤ選択の誤りがあっては上位に絡めず、不本意な7位でゴールすることになった。

 

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【スウェーデン】1月31日~2月3日
1:バーンズ 950 NVB 75 SS5 4位・+2分33秒9
2:グロンホルム 945 NVB 75 1位・3時間7分28秒6
3:ロバンペラ 943 NVB 75 2位・+1分24秒5

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。フロントとリヤにアクティブアンチコントロールバーを試用。(ロバンペラのみラリー終盤で使用) 事前テストは8日間、サスペンションのセッティングとデフのマッピングが煮詰められた。

 

SS3・グランベルゲで「アイスタイヤ選択」の賭けに出るも、コースオフしてしまったバーンズは(オーバーヒートを懸念して)フロントに溜まった雪を掻き出すために停車し、2分近いタイムを失った。これで28位まで落とした順位を、ラリー中に様々なセッティング(ステアリングコラム部分のモディファイやデフを変更など)を試しながら挽回。最終的には、3位サインツの直後まで肉薄した。ロバンペラは15番手走行の利を生かしてSS3からトップに立つが、続くSS4でセンサーの故障からコーナー最中にスロットルが開きすぎるトラブルが発生。この影響からLeg1をグロンホルムに次ぐ2位とした。スカンジナビアン対決となったLeg2。ルーズな路面でも確実にトラクションをかけてマシンを前へと進めるグロンホルムが、5連続ベストタイムを叩き出して僚友ロバンペラに格の違いを見せつける。Leg3でも両者は勝利の女神に導かれるように走り、圧倒の1-2体制で北欧のフローズングラベルを制した。

 

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【ツール・ド・コルス】3月7日~3月10日
1:バーンズ 948 NVB 75 3位・+52秒4
2:グロンホルム 341 NQZ 75 2位・+40秒5
3:パニッツィ 286 NNN 75 1位・3時間54分40秒3
 
バーンズとグロンホルムに加え、パニッツィをサードノミネートとした。ワークスカー3台ともアクティブデフと電子制御アンチロールシステムを搭載。(デフはマッピング変更/テストで油圧制御のアクティブアンチロールバーを試すも、本番では3人ともパッシブタイプを選択) ダンパー部分およびドライビングポジション(以前より低く後方に着座)を変更。

 

Leg1にしてコルシカのラリーを掌握したプジョー勢(1位~3位独占/パニッツィは4連続ベストタイム)は、天候の定まらない微妙なコンディションをものともせず、Leg2でも圧倒的なリードを保った。(天候不順に苛まれる中でのタイヤ選択が明と暗を分かつも、雨中の追撃をかわして盤石の体制を築く。) ようやく晴れたLeg3においてもプジョー勢は揺るぎないスピードで駆け抜け、母国での戦いに完全勝利した。 

 

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【カタロニア】3月21日~3月23日
1:バーンズ 330 NQZ 75 2位・+37秒3
2:グロンホルム 290 NNN 75 4位・+1分42秒7
3:パニッツィ 334 NQZ 75 1位・3時間34分9秒0

 

バーンズとグロンホルムに加え、パニッツィをサードノミネートとした。バーンズとパニッツィはアクティブアンチロールバーを、グロンホルムパッシブタイプを選択した。バーンズは、他の2人と違うキャンバー角のセッティングとした。

 

シュアなライントレーシングが真骨頂のパニッツィは、11回にもおよぶステージベストを並べ完勝。(Leg3最終のSS18では、SS走行中ながらもギャラリーヘアピンでドーナツターンを行う余裕を見せた。) パニッツィからアドバイスを受けたバーンズは、リヤタイヤでマシンをコントロールするサイドウェイを軸に2位。酷いオーバーステア(SS2)やブレーキのフェイド(Leg1~2)に悩まされたグロンホルムは、ブガルスキーを脅かしながら背後から猛追してくるソルベルグを凌いで4位フィニッシュ。 

 

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【キプロス】4月18日~4月21日
1:バーンズ 952 NVB 75 2位・+56秒8
2:グロンホルム 938 NVB 75 1位・4時間21分25秒7
3:ロバンペラ 344 NQZ 75 4位・+1分18秒7
23:パニッツィ 286 NNN 75 10位・+8分12秒2

 

バーンズとグロンホルムに加え、ロバンペラをサードノミネートとした。ボジアンレーシングがら出場を予定していたパニッツィにもワークスカーが与えられた。パッシブタイプのアンチロールバーを装備。ファイナルを低めたギヤ比に変更。(最高速は140kmで頭打ち) ラフな路面に備えてライドハイトを変更(ロードクリアランス拡大)し、アンダーパネル面積を拡大。熱さに備えてラジエターの位置を変更し、室内にファンを追加。またルーフにうがったベントも改良。

 

出走順に恵まれたフォード勢を1度のベストタイムも刻まずに追うグロンホルムは、Leg1を2位で終えた。続くLeg2では急変する天気となった山岳ステージでタイヤ選択の違いから26秒2も離されるが、Leg3・SS16におけるマクレーの大転倒により、ラフイベントにおける勝利を手にした。2002年初のグラベルラリーを走るバーンズは、序盤こそ206WRCのクセに戸惑いを隠せなかったもののマキネンに執拗に食い下がり、最終SSで叩き出したベストタイムで逆転(マキネンはスピンしタイムロス)。ロバンペラは、序盤にハードすぎるコンパウンドのタイヤを選んだことから出遅れてLeg1を8位。その後、Leg2・SS11で横転(豪雨の中をウインドウ破損のまま走った)、Leg3でも10秒のペナルティやSS17のスタートにおける4輪パンクなど、アクシデントに翻弄されるラリーとなったが、それでも4位を獲得。パニッツィはハンドリングが思わしくないマシンで横転(SS3)し、早々にポイント獲得を諦めざるを得なかった。しかしフロントデフを交換した2日目以降は、グラベルでも速いことを証明して10位完走を果たした。
 
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PEUGEOT 206 WRC 2001年WRC参戦記録③

 

【サンレモ】10月4日~10月7日
1:グロンホルム 943 NVB 75 7位・+2分47秒3
2:オリオール 945 NVB 75 3位・+54秒9
16:パニッツィ 950 NVB 75 1位・4時間5分49秒5

 

オリオールとパニッツィをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはグロンホルムを乗せる。パニッツィとグロンホルムはトリプルアクティブデフ、オリオールはフロントとリヤに機械式を選択した。キヤ数は全員が5速を選択。 ブレーキは前後とも8ピストン/4パッド、ディスク径360mmとした。油圧で作動するリヤのアンチコントロールバーを試用。7月6日~8日のドイツラリー(グロンホルム出場・4位)が、事前テストを兼ねていた。

 

パニッツィは最初のセクションでセッティングを失敗したと言うものの、Leg1すべてのSSでトップ3のタイム。引き続きシトロエン勢との真っ向勝負が続くはずのLeg2であったが、ピュラスのリタイア(SS7b)やブガルスキーのリタイア(SS8)が相次いで起こったため、2位との差が35秒に広がることとなった。これで楽になったパニッツィは、シフトダウンがオートマチックに行えなくなるトラブル(SS10)や深い霧のためにスローダウン走行(SS15~16)をもコントロールしきって、サンレモを連覇した。グロンホルムは、左リヤのヒット(SS2)、ギヤとブレーキの不調(SS6)、壁をヒットし20秒のロス(SS7b)、パワステ故障で2分のロス(SS13&14)などを凌ぎながらの7位。SS2bで左リヤをヒットしたオリオールは、6速ギヤ未搭載に未練を残しながらもLeg1を総合4位とした。ムースがタイヤのバルブをロックしたことから、次のSSへ向けての空気圧の調整が出来なくなる現象(SS7b-同様の現象がパニッツィにも発生)が起こったLeg2では、初めてワークスカーに乗るローブとの2位争いが激化。師弟関係にある二人のパフォーマンスはリグーリアのマウンテンサーキットを沸騰させたが、Leg3・SS13でローブがベストタイム(19分4秒7)、オリオールが3番時計(19分10秒3)となったことで決着がついた。(オリオールの3位は、結果的にプジョーへ1-2のマニュファクチュアラーズポイントを与えた) 

 

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【ツール・ド・コルス】10月19日~10月21日
1:グロンホルム 344 NQZ 75 TC9 リタイア
2:オリオール 341 NQZ 75 3位・+1分11秒9
16:パニッツィ 286 NNN 75 2位・+17秒5

 

オリオールとパニッツィをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはグロンホルムを乗せる。パニッツィとグロンホルムはトリプルアクティブデフ、オリオールはフロントとリヤに機械式を選択した。キヤ数は全員が5速を選択。 ブレーキは前後とも8ピストン/4パッド、ディスク径360mmとした。事前テストは行われず。

 

思わしくないハンドリング(原因不明のアンダーステア)をセッティングの変更(フロントを柔らかめにした)でカバーし、Leg1(ピュラスに不利な規定適用を避けるため、SS5を完全キャンセル)を2位としたパニッツィはSS8でパンク(ムースに救われ3番時計)、SS14でブレーキ不調(ベストタイムと16秒差の2番時計)に見舞われながらも、ターマック最速ランナーの意地を掛けてピュラスを追いかけた。しかしタイトコーナーの連続するコルシカでは、206WRCのコンパクトなパッケージングが災いしたか(フロント部に重量物が集中する206は、理想的重量配分のクサラと同じタイミングでアクセルが踏めない)アンダーステアに苦しめられ、ダブルシェブロンには届かなかった。フロントスクリーンにひびが入った状態で走ったLeg1を4位としたグロンホルムは、Leg2・SS8、ウエットとドライが混在する難しい状況で壁にヒット。ホイールを飛ばしサスペンションを破損しながらも残り2kmを走ってゴールしたが、リタイアは避けられず。2度のパンク(SS1・ムースに救われて5番時計/SS2・ムースがはみ出しながらの走行となったが2番時計)が発生しながらもLeg1を3位としたオリオールに、Leg2・SS7で非情の雨が降った。(ピュラスとパニッツィは一部路面が濡れていたものの、雨雲から逃げるようにSSを走り抜けることが出来た。しかし、オリオールが3台目としてスタートを待っている間に激しい雨となり、路面は本格的なウエットに変化。この状況にドライタイヤを履くオリオールは5番時計としたものの、パニッツィに27秒もの差をつけられた。) これで3位確保を目指すラリーとなったオリオールは、パンクでタイヤが裂けながらも走り切る(SS14)など残りの各SSを2番時計~8番時計で手堅くまとめた。

 

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【オーストラリア】11月1日~11月4日
1:グロンホルム 206 NLP 75 1位・3時間17分1秒3
2:オリオール 330 NQZ 75 3位・+1分20秒1
16:ロバンペラ 327 NQZ 75 4位・+1分30秒9
19:パニッツィ 287 NNN 75 9位・+5秒9秒0

 

グロンホルムとロバンペラをワークスノミネート。3台目のワークスカーにはオリオールを、さらに4台目のワークスカーにはパニッツィを乗せる。ワークスカー4台ともトリプルアクティブデフを装備。キヤ数はオリオールのみ6速を選択。他の3人は5速を選んだ。タイヤはZ(硬くクリアな路面用)とZE(サイズが16/65×15のナロータイヤ)を選択。事前テストはオーストラリアでグロンホルム、オリオール、ロバンペラが1日ずつ行った。

 

初日、ハンドリングに違和感(フロントサスペンションのアライメントが原因)を感じたグロンホルムは、ステアリングラックとパワステを交換して臨んだLeg2(走行順は14番手を選択)でベストタイムを連発。Leg3でも滑りやすい難路を卓抜のコントロールで駆け抜け、フィンランドに続く今季2勝目を飾った。ラングレーパークのスーパーSSでベストタイムをサインツと分け合ったオリオールは、リヤをヒットしボディにダメージ(SS2)、バンパーを引っ掛け破損(SS4)、センターデフが異常(SS12)を乗り越え、Leg2を3位で終えた。続くLeg3では、ロバンペラとマクレーを巻き込んでの順位争いを制し、3位でラリーを終えた。ナロータイヤを選んだロバンペラはSS2を3番時計・SS3をベストタイムで走って幸先の良い出だしとするも、続くSS4で選び直したワイドタイヤの摩耗が酷く(カットを入れすぎたため)、プッシュできず。その後もタイヤに苦しむ展開となったが、マクレーの急追を振り切り4位を守った。勉強に徹するとしたパニッツィは、SS16でエンジンが不調となったが9位で完走してみせた。

 

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【グレートブリテン】11月22日~11月25日
1:グロンホルム 334 NQZ 75 1位・3時間23分44秒8
2:オリオール 950 NVB 75 7位・+8分21秒1
16:ロバンペラ 945 NVB 75 2位・+2分27秒1
 
グロンホルムとロバンペラをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはオリオールを乗せる。ワークスカー3台ともトリプルアクティブデフを装備。キヤ数はオリオールのみ6速を選択。他の2人は5速を選んだ。事前テストはオーストラリアの前週に、ウェールズで4日間行われた。

 

SS3~7までの5連続ベストタイムで首位を独走するグロンホルムは、2位バーンズに36秒のマージン(ドラーバーズタイトルを狙うバーンズが4位以内で可とし、ペースダウンしたため)を築きLeg1を終えた。続くLeg2でもSS9から3連続ベストタイム、更にLeg3・SS15からも3連続ベストタイムとプジョーチームのエースは誰なのかを示す渾身の走りを見せ、グレートブリテンを制した。ハンドリング不調を訴えていたロバンペラは、デフを交換したことからペースアップが可能となり、霧に包まれたLeg1最後のSS8におけるベストタイムをもって総合3位に浮上する。その後、SS10で路面の岩をヒットしてステアリングにダメージを受けるも、順位を堅持。最終的にはSS14でベストタイムを叩き出し、クルージング状態のバーンズから2位を奪取した。SS1でリアをヒットしバンパーを失った(マシン自体にダメージ無し)オリオールは、SS4~6までを総合2位の好位置につけるも、SS8でのスピンが響き、4位に後退してLeg1を終えた。続くLeg2でも霧雨に濡れたウェールズの森が、オリオールの行く手を塞いだ。SS9でスピンしコースオフ、嵌まり込んだディッチからの復帰に手間取って致命的なタイムを失ったのである。それでも、SS11からは7位を守り通して(ショックアブソーバーを交換して臨んだSS16では2番時計)2001年最後のラリーを終えた。(プジョーはオリオールを解雇、バーンズをジョイントNo.1として契約した) 尚、マニュファクチュアラーズタイトルは、フォードがラリーから撤退したことでプジョーの連覇が決まった。(SS11・13km地点でサインツはコントロールを失い、アウト側に出動していたパトカーに激突。それが子供を含む13人が負傷-内4人が重傷-となる大惨事に至ったため、フォードは撤退を決めた。)

 

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PEUGEOT 206 WRC 2001年WRC参戦記録②

 

【キプロス】6月1日~6月3日
1:グロンホルム 286 NNN 75 TC18後 リタイア
2:オリオール 290 NNN 75 SS20 リタイア
16:ロバンペラ 287 NNN 75 SS2 リタイア

 

グロンホルムとオリオールをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはロバンペラを乗せる。10%(50kg)程の軽量化を施した2001年ホモロゲーションモデルを投入。 (この第三世代モデルは、2月にテストを開始、すでに3000km以上を走りこんでいる) 吸排気系を一新するなど多岐におよぶエンジンの仕様変更に加え、ターボの搭載位置を低下。 (変更箇所:ターボチャージャー、ウエストゲート、プレッシャーバルブ、カムシャフト、フライホイールなど) トルクバンドの拡大に伴うギヤボックスの5速化が、オリオール車を除く2台に施されている。 (ケーシングについては旧態で、6速分のスペースに1枚の幅を厚くした5速ギヤが納められている) ラジエター直後のボンネット上にスリットが付いた3つのダクトを開口。 (センターはエンジン吸気とコックピット内のクーリング用、両サイドはエンジンルーム内の熱気排出用) 全面見直しによりストロークを拡大させたサスペンションは、素材がオールスチールとなっている。

 

冷却効率とエンジンレスポンスを主眼に改良された206WRCを駆り、険路に挑むグロンホルムはSS4のスタートラインで、前SS以降続くクラッチ不調の影響からエンジンストールを起こし6番時計。更に路面温度が上昇したSS5でタイヤ摩耗から7番時計となるも、有利な走行順を生かしてLeg1首位。しかしSS8で岩にヒットするなどLeg2では一転して苦戦、総合順位を3位に落としてしまう。それでもSS15でベストタイム。その後も3番手~4番手のタイムを記録しバーンズを追う展開としたがSS18からサービスに向かう途中で燃料パイプが詰まり燃圧低下、ロードセクションでのリタイアとなった。リヤをヒットしたことからサスが湾曲(SS1)、グロンホルムと同じくパンクが発生(SS4)を経ながらLeg1を総合7位としたオリオールは、Leg2・SS9でラジエターから水漏れしながらもベストタイム。しかし直後のSS10でオーバーヒートが醜くなり、このSS走行後にリタイアとなった。ロバンペラはSS2で路面に出ていた岩をヒット、サスペンションとステアリングアームを破損してリタイア。

 

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【アクロポリス】6月14日~6月17日
1:グロンホルム 327 NQZ 75 SS3 リタイア
2:オリオール 206 NLP 75 SS3 リタイア
16:ロバンペラ 330 NQZ 75 3位・+1分35秒7

 

グロンホルムとオリオールをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはロバンペラを乗せる。エンジン、駆動系、サスペンション、車体とも前戦キプロスと同じ仕様で臨む。キヤ数はオリオールが6速を、グロンホルムとロバンペラが5速を選択した。事前テストは、3月に大掛かりなものを実施。(レッキ前にオリオールがその確認を1日のみ実施した)

 

グロンホルムはSS3で、荒れた路面にフロントを強打しオイルパンを破損。同SS10km地点で、サンプが壊れた影響からエンジンの油圧が落ちてリタイア。パンク(SS1)、リヤをヒット(SS2)、木に激突して右後ろ側のサイドウインドを破損(SS4)などセッティングが決まらずLeg1を8位と苦戦したロバンペラは、Leg2で上位に絡む走りを見せ5位に浮上。左後輪のパンク(SS14)がいきなりあったLeg3でも4位と更に順位を上げ、最終的には3位でゴールした。オリオールはSS1でクラッチトラブルを抱え、SSをわずか4kmほど走っただけでリタイアとなった。

 

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【サファリ】7月20日~7月22日
1:グロンホルム 206 NLP 75 CS4 リタイア
2:オリオール 336 NQZ 75 CS4 リタイア
16:ロバンペラ 327 NQZ 75 SS7 2位・+12分37秒

 

グロンホルムとロバンペラをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはオリオールを乗せる。エンジンのマッピングはアクロポリスやキプロスに似たセッティング。 エアコンの搭載は見送られている。 信頼性重視の理由からギヤは全車5速仕様。 脚周りのアーム類も強化型に変換。事前テストは昨年10月から今年のレッキ直前まで行われ、その総走行距離6000km近くにおよぶ。
 
CS1でドライブシャフトを破損してパワステフールドのラインを切るというトラブルに見舞われたオリオールは、豪雨の通り過ぎたCS4の30km地点で転倒、マシンから出火してリタイアとなった。(マシン下部を強く路面に打ち付けた際、燃料やオイルのラインを損傷させたのが出火の原因と
分析された) CS1でパンクするもムースに救われたグロンホルムは、CS4でサスペンションを壊し、リタイアを喫する。CS1で右リヤのナックル破損やムースに救われるパンクがあったロバンペラは、UターンしてTCに戻った (CS3フィニッシュのタイムコントロールで誤ったタイムが記入されたカードを訂正させるため)ことが失格騒ぎにまで発展(結局この件は、2時間以上にも渡るスチュワードミーティングで不問とされた)したが苦境を凌ぎ、Leg2後の総合順位を2位としてナイロビに戻った。更に、雲が低くヘリが飛べなかったことからスポッターの無い状況で走ることとなったCS10を2番時計としたり、リヤのクラッシュからドライブシャフト2本を折って真っ直ぐに走らないマシンで何とかフィニッシュしたCS13を5番時計で切り抜けるなど、満身創痍になりながらも最後まで2位を守り通した。

 

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【フィンランド】8月24日~8月26日
1:グロンホルム B-4877 1位・3時間23分12秒8
2:オリオール 286 NNN 75 SS13 リタイア
16:ロバンペラ B-4878 4位・+33秒9

 

グロンホルムとロバンペラをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはオリオールを乗せる。キヤ数はロバンペラが5速を、グロンホルムとオリオールが6速を選択した。高速戦に備えファイナルのギヤ比を変更、またドライブシャフトも強化型に換装している。事前テストは6月、上記3名が参加して当地フィンランドで1週間行われた。

 

SS1でリヤバンパーを破損させたロバンペラは、大きく膨らみコースアウト寸前となった(SS3)ことやショックアブソーバーのシールが壊れオイルが漏れ出すトラブル(SS7)が影響して、Leg1を5位とした。しかし、コース上の岩にぶつけてアライメントが狂う(SS10)状況でスタートしたLeg2において、ベストタイム(SS11で左前ショックアブソーバーのオイルを失い不安定となるもベストタイム)や2番時計を連発するなど、ルートを知る地元フライングフィンの強みを発揮して、総合2位へと浮上する。そして迎えたLeg3、SS19でATSに救われるも、20秒近くを失うパンクが発生してしまう。この状況にジャンクションを行き過ぎながらもベストタイム(SS20)で切り返し、最終SS21に勝負を賭けたロバンペラであったが、ショックが完全に抜けるトラブルから13番手のタイム(20秒以上もロス)に沈む。これで総合4位に転落、失意のままゴールを迎えた。2度のパンク(SS7ではムースに救われる/SS8ではATSが働くもペースダウン)からLeg1を2位としたグロンホルムは、タイヤのマッチングやホイールアライメントに不満を持ちながらもLeg2で首位を奪った。そして優勝を狙えたロバンペラがLeg3で失速したことから、グロンホルムは2001年の初勝利を手にした。Leg1を総合4位としたオリオールは、Leg2でタイヤ選択を誤ってずるずると後退。そしてSS13におけるジャンプの着地失敗が疲労を起因とするサスペンションアーム破損に至らせ、コントロール不能となってスピンを誘発。これにはオリオールも打つ手なく、リタイアを余儀なくされた。

 

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【ニュージーランド】9月20日~9月23日
1:グロンホルム 330 NQZ 75 5位・+55秒8
2:オリオール 290 NNN 75 6位・+1分11秒3
16:ロバンペラ 334 NQZ 75 SS7 3位・+50秒1

 

グロンホルムとオリオールをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはロバンペラを乗せる。キヤ数はグロンホルムが5速を、オリオールとロバンペラが6速を選択した。事前テストはチームがニュージーランド到着後に実施。(レッキ前に上記3名が1日ずつ実施している)

 

SS1(32kmのロングステージ)で、グロンホルムはセンターデフのマッピングに不満を示すもベストタイム。同じくセンターデフが不調のオリオールは5番時計。ワークス外のロバンペラは9番時計と、このラリーをそれぞれにスタートさせていたが、主催者が「Leg2の出走順をSS6までの総合順位で決める」としたことで戦略戦へと化していった。そしてSS6における減速作戦の優劣がラリーの結果を決める大きな要素となった。この大事な局面に、1分間違えた走行タイム(グロンホルムが間違いに気づくも、既にイエローゾーンに到達しており停車できず)や、遅すぎる走行タイム(チームが間違いに気づき訂正無線を出すが、オリオールは既に通り過ぎた後であった)を指示する失敗を犯してしまうプジョーチーム。 (ロバンペラは自分の判断でスローダウンして余分に30秒以上遅れてしまった) しかし、Leg2で好位置をキープ(SS9-スタート直後にパンクするも、ムースに助けられ驚異のベストタイムや4連続2番時計を記録)したロバンペラが、Leg3でブレーキング時にエンジンが停止して30秒をロス(SS18)しながらも総合3位まで浮上、Leg1を11位と沈んだオリオールがSS9以降は総合6位を守り通す結果とした。グロンホルムはスピンによる10秒のロス(SS18)、岩をヒット(SS19)、ジャンプスタートに対する10秒のペナルティ(SS24)とLeg3でのミスが目立ち、総合5位に留まった。

 

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PEUGEOT 206 WRC 2001年WRC参戦記録①

 

【モンテカルロ】1月18日~1月21日
1:グロンホルム 206 NDM 75 SS2 リタイア
2:オリオール 206 NHV 75 SS4 リタイア
16:パニッツィ 206 NLL 75 SS3 リタイア

 

ワークスエントリーはオリオールとパニッツィ。前年のコルシカやサンレモと同じスペックで臨むも、シェイクダウン前にブレーキを16インチに変更。グロンホルムのみトリプルアクティブデフを使用。(オリオールとパニッツィはフロント&リヤ共に機械式) オフに走りこんだ新加入のオリオールは、モンテカルロに備えて更に1日半の特別テストを実施。

 

ワークスノミネートを外れたグロンホルムは、SS2でウォーターポンプが破損。ストップしたエンジンを再始動させ、オーバーヒートしながらもSSを走り切るが12分のロスを喫してしまう。その後、サービスに辿り着くものの修理ができず(エンジンを下さないとウォーターポンプが交換できないため)、失意のリタイアとなった。今季ターマック4戦をワークスとしてエントリー(グラベル5戦はグリフォーネからエントリー)のパニッツィにとってモンテカルロは未知のルートではなかったが、SS3の4km地点でラリーを終えることとなった。リピーター搭載の飛行機が給油を要し着陸したため無線が届かず、グラベルクルーの情報が無いまま選んだノンカットのレイン用レーシングタイヤでは、突然現れたアイスパッチに成す術なく40mほど転落したのである。同じタイヤを選んだオリオールも、同じSS3のゴール近くで土手にクラッシュ。リヤタイヤを飛ばし、サスペンションに手酷いダメージを負ったままで3輪走行を強いて次のSS4に向かうもオフィシャルからスタートを拒否されると、序盤から首位を奪った幸先の良いラリーの終了を決めた。

 

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【スウェーデン】2月8日~2月11日
1:グロンホルム 206 NLK 75 SS3 リタイア
2:オリオール 206 NDN 75 SS15 リタイア
16:ロバンペラ 206 NDP 75 1位・3時間27分1秒1

 

マニュファクチュアラーズポイント対象ドライバーとしてグロンホルムとオリオールをノミネート。フィンランド人の伏兵・ロバンペラに3台目のワークスカーを託すも、テストは直前の2日間のみ実施。マシンは前戦モンテカルロと同じ仕様。(前戦で起きたウォーターポンプのトラブルへの対策は行われず。)

 

グロンホルムはSS2で水温が130度まで上がり(車内に水蒸気が立ち込めた)、SS1とは対照的な9番時計。続くSS3を喘ぎながらゴールしたが、エンジンが完全にオーバーヒート(ガスケットが吹き抜けた状態)となり、ラリーの流れすら見えないうちのリタイアとなった。オリオールは時にトップ5の一角を占める走りを見せるも、そのパフォーマンスは霞みがちであった。SS7でコースアウト、SS11でパンク(ATSに救われる)などが起こったLeg2を総合6位で終え、その後もポジションをキープするが、最終的にはLeg3・SS15でギヤボックスを壊してのリタイアとなった。ブレーキが不調ながら好タイムでSS1を終えたロバンペラは、SS2で最速タイムを出しラリーリーダーを獲得。慣れない206WRCを巧みに乗りこなし、Leg1を2位(スタート順が味方した首位サインツとは13.2秒差)、Leg2を首位(コースオープナーで後退したサインツに代わって浮上したマキネンに12.4秒差)で駆け抜けた。雪が降り始めたLeg3。ロバンペラの履く非対象GEに長めのスタッドという組み合わせのタイヤが先頭の雪掻き役の不利さを上回り、SS13~14において追撃するマキネンとの差を広げる要因となった。更にSS15~16での短いスタッド、SS17での長いスタッドのチョイスが再び三菱勢のタイヤ選択を上回り、ロバンペラにWRC初優勝をもたらす結果へとつながった。 
 
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【ポルトガル】3月8日~3月11日
1:グロンホルム 206 NLM 75 3位・+2分55秒6
2:オリオール 206 NDM 75 8位・+16分8秒6
16:ロバンペラ 206 NHV 75 SS7 SS13 リタイア

 

グロンホルムとオリオールをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはロバンペラを乗せる。ワークスカー3台ともトリプルアクティブデフを使用。スウェーデンのラリー後に上記3名がアルガニルとファフェレジオンの2ケ所でテストを実施。
 
完全なマッドとなったバルターのスーパースペシャルを2番手と好発進したグロンホルムであったが、9番というスタート順と降り続く豪雨が演出した泥沼と轍の悪路に首位グループ追撃を阻止された。更にフロントデフの油圧が落ちたためのハンドリング不調(SS12)や、プジョーのみが登録していたナロートレッドのマッドタイヤWB(14/65×16)がそのアドバンテージを発揮しなかったことから、前走車がかき混ぜた泥の道で追ってくるバーンズを振り切ることに専念せざるをえなかった。オリオールはSS3で路面に隠れていた岩を強打し、ステアリング系とウォーターパイプを破損。そのダメージを自ら修理してSS4に向かうも、TC到着が遅れ130秒のペナルティ。この状況にあってはアタックが叶う状況とならず、ひたすらゴールを目指すだけになってしまった。ラリーリーダーのマキネンを荒削りながらも気迫のドライビングで追撃するロバンペラであったが、逆転を賭けたSS9で、ラジエターの破損からオーバーヒートとなり20秒のロス。更にサービスでのラジエター交換に手間取り10秒のペナルティと、Leg1を3番手で終えることとなった。Leg2でも前日にオーバーヒートした影響から、エンジンが3気筒になる現象がSS12で発生し30秒のロス。続くSS13・19.62kmをぐずるエンジンで走り切りサービス手前のリグループにたどり着いたが、ここでエンジンが再始動できなくなり無念のリタイアとなった。

 
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5月1日のホモロゲーション取得に向けてギリシャで2001年型206WRCのテストが開始された。3代目となるニューバージョンのテストは、チームのレギュラードライバーがカタロニアの準備で多忙なため、この年からテストドライバーを務めることになったイタリアのベテラン、アンドレア・アギーニが担当した。

 

 

【カタロニア】3月23日~3月25日
1:グロンホルム 206 NDN 75 SS5 リタイア
2:オリオール 206 NLK 75 1位・3時間40分54秒7
16:パニッツィ 206 NDP 75 2位・+23秒2

 

オリオールとパニッツィをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはグロンホルムを乗せる。駆動系は信頼性を重視する判断からフロント&リヤ共に機械式としている。(ギヤボックス交換作業は今回から全サービスパークで実施可能となった) ブレーキディスクは前後とも376mmの同サイズで、8ポット/4パッドの仕様。事前テストは2月末、2回に分けて上記3人が計7日間行った。

 

信じがたいスピードで疾走するシトロエンの影で、中団グループの順位争いは熾烈を極めた。全開に次ぐ全開でターマックを攻め立て、コーナー出口を4輪ドリフトのまま立ち上がってくるオリオール。SS9ではブレーキのオーバーヒートを訴えながらも2番時計の好タイムで駆け抜け、Leg2終了時総合2位。一方、執拗にプッシュするマキネンを退けながら、上位へと望みを託すパニッツィ。センターデフのセッティングが好みに合わずタイムを詰められなかったとはいえ、Leg2終了時総合3位。結果として、SS11後のロードセクションにおけるピュラスの燃料系トラブル(不可解なエンジンストップ)やSS14におけるブガルスキーのクラッチトラブル(SS15のスタート地点に移動できず2分のペナルティ)が起こったことでプジョーに1-2勝利が転がり込んたが、最後までシトロエンのスピードには追い付けなかった。シリンダーヘッドガスケットに手が入った206WRCを駆り、ターマックスペシャリスト達に伍したグロンホルムはSS5における2速ギヤで回る低速コーナーで、泥に乗って大きく膨らみ電柱にリヤをヒット。ホイールを飛ばしてラリーを終えた。

 

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【アルゼンチン】5月3日~5月6日
1:グロンホルム 206 NLM 75 SS18 リタイア
2:オリオール 206 NDM 75 SS20 リタイア
16:ロバンペラ 206 NHV 75 SS7 リタイア

 

グロンホルムとオリオールをワークスノミネート、3台目のワークスカーにはロバンペラを乗せる。3台ともポルトガルと同じ仕様であるが、エンジンのヘッドガスケットを一新させた。ウォータースプラッシュ通過時用の対策をボディに施している。ロバンペラが5速ギヤボックスを本番試用。

 

下位に低迷し、SS2でリヤをヒットしたロバンペラは、SS7でもコントロールを失いコースオフ。リヤサスペンションのダメージから、あっけないリタイアとなった。グロンホルムはSS3・7km地点においてウエストゲートのトラブルが発生、ターボ圧が上がらず苦戦する。それでもSS9で土手をヒットしバンパーを引きずりながらの3番時計。その後も5番時計、4番時計、2番時計とLeg2で挽回を図るが、SS13でサスペンションにダメージを負い8番時計に沈む。更にSS14ではオイル漏れに端を発する油圧系統トラブル(パワーステアリングやデフに異常)を抱え失速。そして迎えたSS18、コースオフから道に戻るためにクラッチを酷使してしまい、リタイアへと至った。左後輪(SS3)、左前輪(SS4)のパンクに加え、ギヤシフト不調(SS6)、ウォータースプラッシュでのターボトラブル(SS10)、スロットル不調(SS15)に見舞われたオリオールは、SS20ジュリオ・セザーレのヒルクライムでコースオフ。サスペンションを破損しながらもSSを走り切るが8分をロスし、ラリーを諦めた。

 

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PEUGEOT 206 WRC 2000年WRC参戦記録③

 

【ツール・ド・コルス】9月29日~10月1日
9:デルクール 206 NHW 75 2位・+33秒5
10:パニッツィ 206 NHV 75 1位・4時間2分14秒2
16:グロンホルム 206 NDM 75 5位・+1分57秒1

 

ワークスエントリーはデルクールとパニッツィ。エンジンとギヤレシオは前戦キプロスラリーと同じ仕様のものを搭載。グロンホルムのみトリプルアクティブデフを装備。(デルクールとパニッツィはフロント&リヤ共に機械式) ブレーキはフロント&リヤ共に8ポッド/4パッドを使用。コックピット天上部にダクト穴を追加。事前テストは9月末にコルテ近郊で1週間ほど行われている。

 

サファリラリーの殴打事件で事実上謹慎状態にあったパニッツィと6年ぶりの勝利を狙うデルクール。復活を期す二人のターマックスペシャリストが終始、コルシカのマウンテンサーキットで圧巻の走りを見せた。デルクールはSS5において車の前に豚が出てきたためスローダウンを余儀なくされるも、ステージベストタイムのパニッツィから1秒遅れの好タイムを叩き出してSS3からの首位をキープ。一方のパニッツィも負けじとSS4から3連続ベストを並べ、Leg1最終のSS6で首位を奪い返した。前夜の雨で濡れた路面に対して選択タイヤが違う状況(インターミディエイトにカットを施したパニッツィに対してデルクールはレインをチョイスした)でスタートしたLeg2でも、首位を守るべくパニッツィがSS7~SS10(SS8は観客がコースに溢れ出してキャンセル)でベストタイム。対するデルクールもSS11~SS12でベストタイムを記録するなど、ウエットからドライに変化してゆく路面状況でもフレンチデュオの勢いが止まらない。そんな両者の勝敗を分けたのは、SS12におけるパニッツィのエンジンストールであった。スタートラインで死んだように止まった車の再始動に手間取りパニッツィが10秒以上を失った結果、デルクールが0.2秒差で逆転、Leg2終了時点での首位に立つこととなった。Leg3でもベストタイムを分け合うパニッツィとデルクールであったが、パワーステアリングを失い1分以上をロスしてしまった3番手サインツとのタイム差から、SS14終了後にポジションキープ(その時点で首位のパニッツィが1位、デルクールは2位)のチームオーダーを受けることとなった。これに対しデルクールは、SS15でベストタイムを出しチームの指示に反するかの如く3度目の首位に立つが、SS17でペースダウンして最終的にはパニッツィにWRC初優勝を飾らせた。グロンホルムは、ブレーキのオーバーヒートのため左足ブレーキを使ういつものドライビングスタイルが封じられたことに加え、初めて経験するコルシカの癖の強い道路に翻弄されて5位にとどまった。 

 

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【サンレモ】10月20日~10月22日
9:デルクール 206 NHW 75 2位・+16秒8
10:パニッツィ 206 MWL 75 1位・3時間52分7秒3
16:グロンホルム 206 NAM 75 4位・+1分2秒3

 

ワークスエントリーはデルクールとパニッツィ。エンジン、足周り、シャシーに関しては、前戦コルシカと仕様の変更なし。トリプルアクティブデフは装備されず、全車共にフロント&リヤが機械式となった。デルクールの車のみルーフ上にエアダクトを追加。事前テストは9月にジェノバ近郊で1週間ほど行われている。

 

ここサンレモで2戦連続の1-2勝利を決め、フォードに2点差ながらもマニュファクチュアラーズ選手権の首位に立ったプジョーであったが、SS2後のサービスに入る前のリグループで事件が起こった。車を降りたデルクールが、違法な事前レッキを行っていたという根強い噂のあるパニッツィを「お前が速いのは、インチキをやっているからだろう」といきなり非難。それに対しパニッツィが「俺に勝てないのは、お前が年寄りだからだ」とデルクールを突き飛ばしてしまったのだ。一度ならずチームメイトに完璧に打ち負かされたデルクールが、サインツに焚き付けられ表面化させてしまったとも噂された確執は、結果的として異次元のスピードで互いの限界を争うバトルとなった。しかしサンレモとは国境を挟んで隣町メントン出身のパニッツィ兄弟は、ペースノート疑念に憤りながらも自分の庭を走るかの如く、アタックに次ぐアタックでライバルたちを圧倒した。自身のタイトル獲得に向けて試練のターマックを攻めたワークスエントリー外のグロンホルムは、ラリー終盤Leg3のSS16でポジションアップを期してペースを上げた瞬間、ハーフスピンからリヤを壁にぶつけサスペンションにまでダメージを負ってしまうが大事には至らなかった。

 

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【オーストラリア】11月9日~11月12日
9:デルクール 206 NDL 75 3位・+1分32秒9
10:グロンホルム 206 NDQ 75 1位・3時間43分57秒2
16:パニッツィ 206 NAM 75 SS21 リタイア
 
ワークスエントリーはグロンホルムとデルクール。2連勝したパニッツィはワークス外エントリーとされた。グロンホルムのみトリプルアクティブデフを装備。(デルクールとパニッツィはフロント&リヤ共に機械式) 事前テストは、レッキの1週間前に3人のドライバーが1日ずつを走るものであった。

 

ラングレーパークのスーパーSSから翌日Leg1のSS8まで首位を守り続けたグロンホルムであったが、SS9終了時の順位が翌日のスタート順を決める特例から故意にペースダウンしてポジションを落とした。Leg2でもSS16終了時の順位が翌日のダストが積もったボールベアリングロードの掃除役を決めることから、SS13で犯したジャンクションでのオーバーシュートによる30秒以上のロスも大きな問題とはならなかった。そしてドライバーの思惑が交錯するSS16。ペースダウンに加えてフライングによる10秒ペナルティを受けるといったマキネンの戦略に、時間調整を行い7番手タイムで終えたグロンホルムが首位に押し出されてしまった。WRCのスポーツとしての尊厳が損なわれるトリックとタクティクスが依然続く中で行われるLeg3。この状況に危機感を持ったプジョーのニコラが三菱のコーワン、スバルのラップワースとSS18の実施中に会談を行い「戦略的行動をしない」と決めたことで、各ドライバーは真っ向勝負で雌雄を決することとなった。Leg3終盤にトラクションを目一杯掛けた走りを見せ、執拗に追いすがるバーンズを下したグロンホルムに優勝したマキネンの失格(装着されていたターボがホモロゲーションされていたものと相違)が伝えられたのは翌日になってからであった。この思わぬ失格裁定で順位が繰り上がり、マニュファクチュアラーズ・タイトルを決める優勝が転がり込んだグロンホルムであったが、その表情からは栄冠を得た喜びが感じられなかった。 意のままの挙動を見せる車を得てLeg1好調のデルクール(SS1ではコース脇をヒットしながらも2番手タイム)であったが、チームの指示でグロンホルムのサポートをすることになり、戦略戦の中に埋もれてしまった。パニッツィは最終SSを8位で終えたが、サービスに向かう前にギヤボックスを壊してリタイアに終わった。  

 

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【グレートブリテン】11月23日~11月26日
9:デルクール 206 NAJ 75 6位・+1分48秒5
10:グロンホルム 206 NDP 75 2位・+1分5秒6
19:パニッツィ 206 NDN 75 8位・+3分35秒6
 
ワークスエントリーはグロンホルムとデルクール。パニッツィは前戦に続きワークス外のエントリー。グロンホルムのみトリプルアクティブデフを装備。(デルクールとパニッツィはフロント&リヤ共に機械式) 事前テストは10月の2日間×2回に加え、レッキ1日前にタイヤテスト(グロンホルムが担当)が行われた。

 

一瞬たりとも気を抜けないスリッパリーな路面状況の中、SS5で首位に立ったグロンホルムであったが、SS6では岩をヒット(サスペンション・アライメントが狂う)、さらに迷い羊に行く手を遮られ2番手タイム、SS7でもセンターデフが不調になって5番手タイムと冷や汗をかきながらLeg1をマクレーに次ぐ2位で終えた。Leg2以降も雨混じりの寒い気候が続く中で、グロンホルムはSS11でブレーキが不調となりながらもグリップのある路面と滑りやすい泥の路面が混在するグラベルロードをペースを落としつつ確実に走り、マーガムのフィニッシュラインを目指した。そしてステージベストタイムのマキネンから40秒以上も遅れるタイムで最終マーガムのSSを終えた時、1998年6月の206ワールドプレミアムでフレデリック・サンジュールが宣言したメイクスタイトル(前戦で獲得)にプジョーに入るまではただのプライベーターであったグロンホルムのドライバーズタイトルが加わった。デルクールは、ミシュランの新開発タイヤを使ったことが裏目に出てLeg1を8位で終えるもLeg2以降は着実にポジションを上げて、206WRCを駆る最後のラリーを終えた。(チーム離脱が決定) パニッツィは、ウェールズの森の泥濘路に翻弄されながらも8位のリザルトを残した。

 

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PEUGEOT 206 WRC 2000年WRC参戦記録②

 

【アルゼンチン】5月11日~5月14日
9:デルクール 206 NAM 75 13位・+27分19秒4
10:グロンホルム 206 NAN 75 2位・+1分7秒4

 

アルゼンチンに到着してからの事前テストで、グロンホルムがテストカー(シャシーNo.5)をクラッシュ。これによりテストスケジュールが大幅に狂い、完全に実施できたのはわずか1日のみとなった。ラリーで使われた新車はカタロニアと同じ仕様で、リヤデフは依然として機械式になっている。またこの車にはテレメトリーが搭載されており、走行中のデータがサービスへと送信された。

 

1ケ月余りのインターバルをおいて開催されたラリーは、Leg2で先頭走者となってしまった不利に加えてウォータースプラッシュでエンジンがミスファイア(SS6)、リヤをヒット(SS4・SS18・SS21)、タイヤ選択のミス(SS17)、エンジンが不調(SS22)がありながらも、グロンホルムが2位と結果を残した。一方のデルクールはSS3で漏れたオイルがターボにかかり出火。(火は消せたがオイルが無くなり、パワステとフロントデフの作動を失った。) さらに消化後に慌てて走り出したためにファスナーを閉め忘れて走行中にボンネットが開き、結果として9分近くをロスしてしまった。続くSS4でもトラブルを抱えたままの走行で1分30秒のロス、SS6でまたしても火災が発生。SS19~20ではクラッチが不調と、諸事が大事に至らなかった同僚に対してトラブルが目立ってしまった。

 

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【アクロポリス】6月9日~6月11日
9:デルクール 206 NDL 75 9位・+15分12秒3
10:グロンホルム 206 NDQ 75 SS9 リタイア

 

事前テストは5月にギリシャで4日間実施され、サスペンション、デフ、タイヤの確認作業が行われた。前戦に続いて新車を用意するも、そのエンジンはアルゼンチンと同じスペックであった。サスペンションに関しては、サファリのようにロードクリアランスが最大限に確保するセッティング。暑さ対策として、コックピット上部に補助のルーフダクトを追加。
 
過酷な消耗戦となるラリーのSS1~2を獲ったグロンホルムであったが、SS3・残り10kmで転倒。そのマシンダメージが大きくて、同SSにおける5分のロスだけに止どまらず、続くイノイのサービスにおける時間超過ペナルティ(1分10秒)を受けるに至った。その後はポイント圏内を目指し、挽回を期してアタックを続けた(SS4ではベストタイムを記録)もののSS9でサスペンションとターボの破損が起こり、ラリーから去らざるを得なかった。デルクールはLeg2のSS7において、パンクからブレーキパイプを切断してしまう。さらに、そのまま走行したことからリヤサスペンションを大破させて3輪走行となってしまった。加えてSS10でオーバーヒート、SS12では右前サスの大破とマシン後部からの出火(10分のロス)が起こるなど、まともに走れたステージが少なかった。

 
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【ニュージーランド】7月14日~7月16日
9:デルクール 206 NAJ 75 SS11 リタイア
10:グロンホルム 206 MWL 75 1位・3時間45分13秒4
 
グラベルイベントとしては初めてのトリプル・アクティブデフを投入。(グロンホルム車・シャシーNo.11) デルクールはセンターのみがアクティブで、フロントとリヤに機械式を用いた。コックピットのヒューズボックス搭載位置を、ナビシートの足元付近前方からセンターコンソール脇に変更。グッドウッドフェスティバル・ヒルクライム(イングランド)とレイクサイドラリー(フィンランド)においてグロンホルムが試用した新機軸セミ・オートマチック・トランスミッション(ステアリングの表裏にリング式のシフトレバーを装着/表のリングを押せばシフトアップ・裏のリングを引けばシフトダウンする仕組み) はニュージーランドに持ち込まれず。 また、テストで試されていたリヤの新型ショックアブソーバーもニュージーランドには持ち込まれなかった。

 

電脳化を嫌ってフロントとリヤを機械式のデフセッティングにしたデルクールが、後方スタートが有利(先行集団は砂やダストが乗る硬い路面の掃除役となってしまう)となる状況も手伝ってLeg1の首位を守りきった。(SS5ではフロントをぶつけながらもベストタイムを記録) しかしそのデルクールは、Leg2・SS9で逆に路面の掃除役となってしまって8番時計と沈み、SS10では4速コーナーのアプローチでギヤを失い堪えきれずスピン、エンジンを止めてしまった。さらにマシンの向きを戻す時にリバースギヤも失ったデルクールは、1速で目の前のフェンスを押し倒してコース復帰を果たすも、SSをゴールした時には実に9分もロスしており、42位まで後退していた。続くSS11でもゴールまで2.5km時点でギヤボックスにトラブルが発生してしまい、リタイアとなった。一方のグロンホルムは、不利な先頭集団3番手スタートながらもLeg1を3位で終えた。僚友のリタイアもあり首位として追われる立場になったLeg2では、執拗な追撃を受け差を詰められるも一転の豪雨に助けられて、SS15~17まで3連続ベストを記録する。2位マクレーに22.2秒、3位バーンズに37.4秒のマージンを持って迎えたLeg3。SS19で土手をヒットしたグロンホルムであったが、SS21~23までセカンドベストを記録するなど安定した走りを見せ、スウェーデンに続く2勝目を手に入れた。 

 

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【フィンランド】8月18日~8月20日
9:リンドホルム B-4654 5位・+3分6秒0
10:グロンホルム B-4655 1位・3時間22分37秒1
18:デルクール 206 NAM 75 6位・+5分5秒0

 

ワークスエントリーは王座争いのグロンホルムに加え、セバスチャン・リンドホルムが起用された。ワークス外となったデルクールは、開発中であった油圧システムにより制御されるセミ・オートマチックトランスミッション(ギヤの飛ばし変速は不可)をラリー本番でテストした。

 

グロンホルムがSS1から5連続ベスト(SS4ではオーバーラン、SS5では溝に落ちかけるがベストタイム)を記録するも、SS6終了時点で2位のバーンズとは6.3秒の僅差。小雨が路面を濡らし始めたSS7で、フロントタイヤからバイブレーションが発生して4番時計となるも滑りやすいウエット路面となったSS8をベスト、フロントをヒットしたSS9はセカンドベストで走り、食い下がるバーンズを4.9秒差で制したLeg1となった。Leg2以降は、バーンズがSS11におけるフライングフィニッシュ通過後のクラッシュでリタイアしたために一度も首位を譲らずに走りきり、2000年シーズンの3勝目を決めた。リンドホルムはSS14でコースアウト、SS15でターボからのオイル漏れ、SS20でアンダーガード破損などに見舞われるも、5回のパンクが発生したカンクネンの失速で5位を得た。タイヤの選択ミスもあり、思うようにポジションを上げられなかったデルクールは最終SS23で転倒を喫するが、幸いなことにタイヤから着地し無事にゴールすることができた。  

 

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【キプロス】9月8日~9月10日
9:デルクール 206 NDL 75 3位・+1分30秒8
10:グロンホルム 206 NDQ 75 SS6 リタイア

 

セミ・オートマチック・トランスミッションをワークスの2台に投入。マシンはアクロポリス仕様をベースとしているが、取り付け部を補強するなどサス部分が改良されている。冷却システムはラジエターの内部構造が変わり、ファンも新型となっている。ギヤの最終変速比は、もっとも低い設定がされた。急遽決定されたラリーであったが、8月にはテスト部隊を送り込んでの事前テストが行われている。

 

チャイナラリー代替イベントとなったキプロスラリーのLeg1序盤は、選手権リーダーのグロンホルムが先頭の砂利掻き役もあって、5番手ポジションを守るのがやっとという状態であった。さらにWRC初開催となった超消耗戦は、SS5のスタートから10km地点で電気系の警告灯が点灯、SS6の8km地点でバッテリーが上がる(壊れたエクゾーストの熱が配線を溶かしたため、バッテリーがチャージされず放電するだけとなった)という状況をグロンホルムの車に発生させ、リタイアへと至らせた。SS1で前サスが抜け気味となったデルクールは、僚友がラリーから去った後も果敢にトップグループに食い下がり、ブレーキの不調(SS14)といったトラブルに見舞われながらも、表彰台という結果を残した。 
 
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