ablindspotのブログ -93ページ目

ピッカピカの面影


お疲れ様です


みなさまお元気にされておりますか?


せっかく長文をかいていたのですが


ブログがバグってしまい またやり直しといきたいところですが


テンションがだだ下がりですので手短に



昨日お日様が出ている三時ごろに


急ぎの食材を買いに港島のトーホーへ買い物に行きました




信号待ちをしていると横断歩道を


小さい背中にピカピカのランドセルを背負った


ひとりぼっちのピカピカの一年生が渡っていたので


信号が変わるまで ぼーと彼を眺めておりました



今日ランドセルは五万円くらいするようですね


日本もまだまだ経済大国だなぁ 


六歳児がみんな五万円のバッグをもっているわけですから




でも小学一年生にとってはそんなことわかんない


みんなが持っているし 貨幣価値もわかんないし 


ありがたみだってきっと湧かないはずです



少なくとも僕はわからなかったしね



そんなこと考えてたら


ランドセルを母方の祖母にもらった記憶がうっすらと蘇ってきました



あーそういえば婆ちゃんにもらったよな


きっと僕のためを思って 


勉強をたくさんして


立派にすくすくと育ってって欲しいだろう気持ちを込めて購入したんだろうな



でも当時の僕はそんな思いも知る由もありません



当たり前のように背負って 


当たり前のようにランドセルを投げるようになり


当たり前ですが 汚れていても傷ついても


ケセラセラと気にせず



その中身といえば


いつも くちゃくちゃのプリントと


溜まったつばを女子に振り掛ける笛と


これまた しわだらけのエプロンと


落書きだらけの教科書が詰まっていて


五年生ぐらいになるころには


ランドセルなんてかっこわりー


なんて嘯いて


そのうち背負わなくなって


あれ


どこいったんだろう



あれ



とランドセルの末路を知る由もなく現在に至るわけです



いま思えば 


そういう祖父や祖母の前述のような気持ちが痛いくらいに分かるから


なんでもっとランドセルを大切に扱わなかったのだろうとも反省すると同時に



今 目の前を渡っているピカピカの彼に


あなたに立派になって欲しい思いで


おじいちゃんやお父さんやおばあちゃんやおかあさんが


買ってくれたんだよ


分かる?



だから



大切に使って たくさん勉強しなよ


じゃないとおっちゃんみたいに 


その日暮らしの人間になっちゃうよ




なんてことをね 心の中でアドバイスしてみたわけです



でもね



フロントガラスの前を通った彼をよくよく見てみると


僕の小さいころの歩き方や仕草や「一人ぼっち的空想具合そぶり」がそっくりでして



たぶん 彼にはこの気持ちが伝わらんやろうな


将来性はどうもなさそうだな



それなりに生きろよ!





と再び心の中でアドバイスをし車を走らせました



そんな話












































口は災いのもと の巻


寝てもさめても眠たくって、妊娠してるんじゃないかと思うくらい眠たくって、こんなんでもし本当に妊娠したら一体どうなるのか不安。
と友だちに相談してみた

呆れ顔の友だちは、それ誰にも言わない方がいいよ、と言ってまた呆れていた。


年齢を重ねるにつれ、頭や心で思った事が、気づくとふとそのまま言葉として発せられている、という事が増えてきた気がする。

そうなれば当然
「言わなきゃよかった」
も量産される。


その人が持ってるカバンのブランドに気づかず、あのブランドとか買う人いるのかな
と言ってみたり

先輩の奥さんと知らずに先輩にあの女の人下品ですよね
と言ってみたり

40歳までには結婚してたい、と41歳の前で言ってみたり

そんなつもりじゃないんですよ…と言おうにも後の祭り


若い頃は、脳から口までの回路はピンと張りつめていて長い道のりだったのに、年をとると回路もシワシワになって距離も短くなり、考えてる間に口に伝達されてしまうのかもしれない

はたまた、知識や経験を詰め込み大人になったパンパンの身体には、言葉を溜め込んでおく隙間がなく、口から排出しないと破裂してしまう、と本能的に感じているのかもしれない


まあ何にせよ
時にペンは剣よりも強く、言葉は銃よりも重い。


災い、くわばらくわばら



寄らば大樹の影法師

お疲れ様です


台風が漂う中 皆さまいかがお過ごしでしょうか


昨夜 大橋さんが


「予報によると明日朝10時から雨が降り出すらしいですよ」


と言っておりましたが 



朝九時ごろには太陽が射していたので


雨?そんなことないだろう


なんなら布団でも干していこうかな



と思いながら


神戸駅のクリーニング屋さんにワイシャツを出し


ハーバーランドをぐるっと回り


メリケンパークでストレッチしていた丁度午前十時ごろから


雨がしとしと降り出し 土砂降りの雨の中を傘も差さずに歩いておりました



む 土砂降りの雨の中を傘も差さずに歩いてた?


ほう 長渕の「はだしのまんまで」のまんまじゃないですか。


結構好きなんです この曲。



まぁいいや


天気予報がここまでピンポイントで当たることは非常に珍しく


それに抗ったビショビショの自分を責めるとともに 


その土砂降りの雨の中を傘も差さずに歩いている状況も満更でもなく


かえって 気持ちよくも感じたりするわけです




以前書きましたがとにかく昔から傘を持つのが嫌いなのですが


それは普段 車で移動しているから言えるわけであって


電車通勤とかであればそんなわけには行きませんね



ビショビショのまま 学校や会社や得意先にはいけませんし


交通機関でもびしょびしょのまま電車に乗るのも迷惑だしな



誰も「あなた風邪引くよ」と言っていくれないでしょうし


誰も「あなた風邪引くよ」と思ってもくれないでしょうしね


道端のわんちゃんのほうがよっぽど同情されるわけです




そんな感じでずぶ濡れのおっさんを見ても 


おー はしっとる はしっとる 走るくらいなら傘買えばいいのに


とか


カバンで雨を防ぐぐらいならコンビニで傘買えばいいのに 


とか思ってしまうのです






これが女の子だと違う


とくに開き直って雨に打たれずぶ濡れになりながら


歩いている女性を見ると僕はとたんに興味がわくわけです



何かつらいことがあったのかな


とか


恋人と口ゲンカしてそのまま車の助手席から飛び降りたのかな


とか


愛犬が迷子になっちゃって 探しているうちに雨が降ってきた



とかね


なんしか そこに悩みや問題があるとしか思えないわけで


きっと彼女たちは感情をクールダウンするために


雨のシャワーを浴びたいんだろうな


とか


なりふりかまってらんない状況下にあるんだろう


と思ってしまうわけですな





その昔 土砂降りの雨の中 


傘も差さずに歩いている女性がおりました



僕は車に乗っていたので 


声をかけて目的地の近くまでおくってあげようかしらん


と思ったものの 



それはそれで断られたらかっこ悪いし


無視されたら無視されたで惨めになるから



車を止めて トランクに乗っていた傘を差し出し


「これ 使ってくださいね」


と渡すだけ渡したことがありましてですね



バックミラーから遠ざかっていく彼女の姿を見ながら



なんだかいいことしたなぁ




と思いながら 帰宅したのですが


後日 車に乗っている傘がないということで


うちの母がですね


えらい剣幕で僕に聞いてきたわけです



「私の傘知らない?」


知っているけど 他人にあげたとはよう言えないので


僕は知らないふりをし続けました


「どう考えたって あなたしかいないじゃない」



聞けばブランド品でなおかつ思い入れのある傘だったらしく


その当時 実家の車を運転するのは両親以外は大学生の僕だけだったのですが


それでも僕は知らないふりをし続けました



知らないものは知らない


ない物はない



認めなければ事実にはなりません




傘なんて当時の僕から言わせりゃ


吹けば飛ぶような存在でしたが


母親のあの剣幕をみて


男と違って女性は傘に対し思い入れや愛が


あることをそのとき初めて知ったわけですが




そんな愛や思い入れのある大切な傘を


ここ一番で必要なときに 「あえて」さすことなく


どちらかといえば守られるべき女性がそれらのガードを外してまで


(抽象的すぎますが)


雨に打たれ歩き続けること自体にですね


前述のようにドラマを感じるのは至極当然ともいえるわけです



それと同時にですね


透明ビニール傘を差していたり


ましてや骨が飛び出ている傘を差している女性は


申し訳ないけど なかなか絵にならないし 風情を感じられないし


こだわりがないんだろうなぁ




とも思うわけです




なんてね