バブルフィクション
はい みなさまお疲れ様です
週明けの月曜日いかがお過ごしでしょうか?
こちらは見事にずっこけてしまいまして
予定していた仕込を全て中断し明日に持ち越し
こうしてブログを前倒しして書いております
おかしいですね給料日なのに
二兆円利益上げている会社もあるというのに
最近あらゆる媒体で株式について
絶好調
まだまだあがる
こりゃバブルの再来だ
と書かれておりますが
街中で右を向いても左を向いても
そんなことはきっとないのに何でこんなふうに煽ろうとしているのかが
全く分からなくって とっても不思議な気持ちになってしまいます
どう考えたってこれって官製相場なわけで
こんなトラップに誰が引っかかるんだろうか
政治家やメディアの皆さまはいったい誰に訴えているのでしょう
僕はかつてバブルで浮かれた団塊の世代の退職金や消費欲に
照準を絞ってるんだろうなと思っているのですが
痛い目にあった彼らがおいそれと株に再び手を出し
同じように土地を転がすとは到底思いません
仮に財テクをしたところで この先に何がおこるかどうか分かりませんし
平均寿命を考えると余生が20年残っているし
日本の借金も1000兆円残ってるし
家庭内部留保するに決まっております。
彼らの導火線に火をつけたところで消費に直結するわけがないんですね
50代は青春時代
もろにバブルを謳歌し遊びを知っている世代でして
いい車転がして、いいおべべ着て
いい女抱いて
羨ましすぎる世代でありつつも
意外とけちな、いや語弊があるな
堅実な人が多い
居酒屋とかでも後輩とかに普通に払わせてるしなぁ
見返りやステータスが約束されていない場合には
投資を控えるといいますかね
若い頃羽振りがよすぎて
羽がどっかにとんでいったのかもしれません
もしくは杜氏春のような感覚を覚えてしまい
達観したのかもしれません
我々アラフォー生産世代は
そのバブルのツケをもろに背負わされました
就職氷河期であったり
親のリストラであったり
銀行の貸しはがしであったりと
そういうニュースがバンバン流れている中で
けっ何のバブルのオンケーもねーし
なんか俺たちババ引いたよね的ひねくれ世代ですし
むしろ、あぶく銭に恨み骨髄なわけです
だから反骨精神をもって愚直に働き
身の丈にあった生活を送る美学があるんですね
では三十代以下のもう少し若い世代になるとどうなのでしょう
よくコラムとかで読むのですが
彼らが生まれてきた時には日本のイノベーションが終焉を迎えていたので
存在していたインフラやモノが現在とさほど変わりがなくって
当たり前の話だけど 生まれてきたときからあるものに対して物欲が生じないから
自分を高めていったり 勉強になったりするソフト
つまり機会に投資することに重きを置くようでして
プラス、デフレ真っ只中で育ってきたわけですから
よりいっそう物の価値の判断能力に長けている
男女割り勘が当たり前であり物の価値をしっている極めて西洋に近い世代なわけですね
こうして各世代を俯瞰的に見渡してみると
どう考えたって株価上昇が消費に直結するとは思えないわけであって
それをもくろんでいる世の中の超アッパー層の期待には沿うことはないと
思うわけです
ちゅーか超アッパー層がそれを求めているのならば
まずはあなた方が株でもうけた金を使って
ばきばき爆買いすることが大切じゃないの?
サビキで釣られるほど
われわれはそんなに馬鹿じゃないぞ
そもそもですな
プラス超アッパー層以外の株主は外人ばっかりなのに
なぜ我々がそいつらの太鼓もちせなあかんのよ
と見出しを見るたびに思うわけです
おどるあほうにみるあほう
おなじあほならおどらにゃそんそんなことない
仕様もない日
ラジオ体操 いっちにっさんし
おつかれさまです
みなさまお元気にされていますでしょうか
本当は今日は大橋さんが書く日なのですが
急遽 明日会食の予定が入りましたので
スウィッチして僕が書くことになったのです
書くことがないので非常に困っております
そういえば先日 25歳の青年から
「パイセン 三代目なんちゃらのこのダンス知ってますか?」
と映像を見せられたのですが
周りの青年たちもさすがに知っていたようで
そんな馬鹿にした言い方しなくても知っているに違いないし
それって失礼じゃない?的な感じで
一同が僕が知っているかどうか念のための確認の視線を送ってきたのですが
僕は知らないから
「知らない」と答えたところ
25歳の青年は
「ほらやっぱり な 見てみろ」的な視線で周りの青年たちに
幾分勝ち誇った視線を送っておりました
なんだか非常に馬鹿にされた気分でしたが
知らないものは知らないし
そもそも家にテレビがないもんだから知らないのも
当然なわけでありまっす
先端を知っていることに優越感を感ている人は
先端を知らない人に容赦ない
しかしながら僕のその三代目なんちゃらの
聞き取れない歌詞と映像が流れている中で
必死に彼らが踊っているのを観て
果たしてこれを知っていることの必要性があるのだろうか
というよりも
なぜこれが世の中に歌として評価されているのだろうか
というよりも
いつから聴覚が主体であるはずの歌に
視覚が必要となったのだろうか
と思っちゃうわけです
そういう存在は僕が若い頃にも
ヒカルゲンジやなんやらかんやらおりましたし
そういう彼らが世の中を席巻していた事実もあるわけだから
別に否定はしないけれど
そんなのは歌じゃないから
今 ラジオに十数年前の彼らの歌が流れることはない
でもね
て今流行っている歌の歌詞とか時々読むんだけど
歌詞が横文字横文字でメッセージも脈略もあったもんじゃなくて
あるのは韻を踏むぐらいでいったい何がいいたいんだろうと
思うわけなんです
まあこれは日本だけじゃなくって全世界中が
PVを売るといいますかユーチューブも連動するからといいますか
ビジュアル商業主義に毒されているから
仕方がないっちゃ仕方ないんだろうけど
お風呂入りながら鼻歌でうたっているときに浴槽の中で決して踊ることはないだろうし
振られたときに口ずさむ恋の歌歌いながら踊る人もいないだろうし
お葬式でもしそれらの歌を使っても踊る人はいないだろうしなぁ
そこまで重要なの?共感を生むパーツなの
お菓子よりもおまけのほうが重視されていたビックリマンじゃないけれど
本来 歌が持つべきはずの詩やリズムやサウンドが発するエナジーによって
掻き立てる興奮や想像力が全て視覚によってスポイルされちゃってるような気がね
するんだけど
スポイルされてる分 視覚で踊って興奮を補填しているとも言えるわけ
曲が醸し出すはずのソウルの幽体離脱
そこらへん ラジオのディスクジョッキーってどう感じてるんだろう
逆に内容のわけわからんドラマに
聴覚を覚醒させるエッジが効いた歌を入れたら
視聴率40%とかいくんかいの?
いくわけない
そういうロジックじゃないのも分かるけどと
25歳の青年の一言から考えた話