きつねにつままれる
はい みなさまお疲れ様です
お元気にされていますでしょうか
僕は先週はずーと飲んでいたため
本当に体力がゼロに近かったのでしょう
今朝は泥のように寝まくり
起きても起きても寝て寝て寝まくりました
おかげで体力が少々回復したなと自分でも分かるわけです
ちょっとずつ節制せなあかんな
と思いつつも 先日のブログで書いたように
一期一会を大切にしていると
あっ飲みにいきませんか
が出会う人が多くなればなるほど次第に増えるわけです
そうすると久しぶりの方々が増えるので
スポット的に久しぶりな方枠を埋めると
大体 毎晩毎晩となるわけですね
そのひさしぶりのメディアの方とブラスポスタッフと4人で
お食事会を開いたのですが
そのエリート記者はもうじき東京に戻るようですし
彼とはもう5,6回お食事していてある程度
信頼関係が出来上がっていると思うのですが
東京に行ってしまえば会うことは皆無に近いんだろうな
と思うと なんだか切なくなってしまうわけですな
会わなくなることが前提となっているうえで会うということ
これは星の王子様のキツネの名言と近しくて
ただのキツネがただのキツネではなくなるのと同じなわけです
だからかもしれませんが
忘年会の予定なんて埋めちゃったりして
きっと神戸を発つときにはさよなら会もするんだろうな
と思うわけです
が
彼からすればやっと地方の記者を卒業し
ついに東京の本丸 情報の中枢に戻れることは
心から嬉しくって
我々の感情とはまた違うものなんだろうな
と思うわけです
残されたわれわれは残された場所で行き続け
出発する彼は新天地にわくわくしながら
もしくは我々が残っている土地から離れることにせいせいしながら
東京にいくとするならば
同じ別れであったとしても それはまるで違うものですからね
ですから
残された人間が去って行く人間を思う気持ちと
去って行く人間が残された人間を思う気持ちは
どうなれば同等なものになるのかと考えても全く同じなわけがないわけです
なぜこんなことを書くのかといえば
僕がイギリスから日本に帰るとき
付き合っていた英国女子が
ハイゲート駅までお母さんと一緒に見送りに着てくれまして
散々泣きじゃくる彼女に別れを告げ
駅の構内に向かう階段を下りていきました
僕は日本へ戻るわけですから
彼女の涙はどうであれ せいせいしたわけです
それは次のステップが見える
この英国から脱出できるという安堵感のほうが勝っていたわけですね
そうして帰国した後 3ヶ月ほどしてから
今度は彼女が日本に遊びに来てくれました
1週間ほどの短い滞在でしたが
僕の中ではJAPANを一所懸命案内したわけです
彼女からしたらホームにいる僕のイギリスにいたことの僕とは
違う感覚 発言 性格すべてをどのように感じたのだろうか分かりませんが
むしろ本来彼女が描いていた僕が
育ってきた環境に順応している姿に
いくぶんショックを受けたのかもしれません
あちらにいたころのこちらはちがいますし
こちらにいたころのあちらもちがうわけです
それは実家に戻った嫁が自由にしている姿や
実家に戻った旦那が自由にしている姿とさほど変わりはないわけで
なんだか たった一週間しかない滞在期間が
双方にとって不自然なものに感じ
とても長く感じたわけです
最終日
僕は関西空港まで彼女を見送りにいき
搭乗口で手をふりさっていく彼女を眺め続けました
彼女は去っていく
僕は残って行く
当たり前ですが 立場は数ヶ月前と逆転し
僕は泣きはしなかったものの
ああ もう一生涯あえないだろうな
というとても悲しい気持ちになったわけです
僕が名も鳴きキツネと戻るという現実
なにがいいたいのか
自分自身も良く分かりませんが
人間 去っていくほうが勝ちで
残っていくほうは負けで
ということを考えますと
いつまでの去り続け
いつまでも動き続けたほうが
人の記憶には残るんだろうな
と思うわけです
彼女が名前をつけてくれた
スタジオ エイ ブラインドスポット
僕の中で このサウンドは一生の宝物です
今はフランスはリオンで
アメリカ人のご主人と二人のお子様に恵まれているとのこと
いつか会えることを楽しみにしております
某記者さん
もちろん あなたもですよ
そんな感じで皆様もブラスポを覚えといてくださいね
Hello ウィーン
おひさしぶりです
はい みなさまお疲れ様です
お元気にされていましたででしょうか
先週 今週と僕は非常に非情に忙しくしており
おかげさまで店も大変忙しくて
正直ブログどころではなかったわけなんです
ただひとつ言わせてもらえば
このブログも僕の中では仕事の一環と考えているものの
人様からすると
「いやいや 他愛もないことかいてるだけじゃんよ」
となるわけで そういう客観的視点からみて
ああ青年の会議の今年のことや来年のことで
みんな動いてるからなぁ
ブログでさぼってるだけじゃんよ
と思われるのもなんだが腑に落ちないしなぁ
とも思い思われふりふられ
となり
優柔不断に今日に至ったわけです
するとですね
大橋さんからすれば
いやーおーさわさん
こーしんしてないから
わたしもしなくていいや
となるのはきわめて自然な流れですから
ブログは穴が開きまくりとなるわけですね
もうブラインドアワード2015も間近に迫っているというのに
ここからが本番だというのに
で仕切りなおししてぼちぼちやっていきます
ただこうしてブログを書いてないとですね
日記を書かないのと同じで
自分自身が何を考えていたのか
自分自身がどうしていきたいのか
を検証することがないために昨日の昼飯がなんだったか
思い出せないくらいに漠然と日々が「送られるわけ」なんです
分かりますかね
人間生かされてる
のと同じように
僕はミライからカコヘ送られている
主体じゃないわけです
面白かった
にしても
何が面白かったのか
具体的にどのように?
まで覚えていない
そうしてまた朝が来て夜が来て朝が来て夜が来て
カレンダーはもう11月
幼い頃の非日常の面白さの発見や感動のレベルではなくって
だいたいこの年齢になってくると
似たような面白さや感動は経験しているし
新喜劇的お約束な笑いや
勝ったや負けただけの感動
それらに安堵感を感じたりするんですよね
そういうふうに保守的になっていく自分を見つめなおし
こうじゃないだろ
こうじゃ駄目だろ
そう思うために日記って存在すると改めて思ったわけです
ですから
継続しているから
という意味合いよりも
予習復習の意味でも
人生の仕事として
こういうふうに書き記して行くことが必要だと思うわけです
先日 ハワイアンの人が日本のいいところを
こういってました
「四季があるってすばらしいことですよ」
当たり前な話だけど
四季なかったら抑揚は確かにないかもね
季節を感じることができる環境は
時流を体感できるわけですもんね
そんな
どうでもいい話
では