おやおや
はい みなさまお疲れ様です
お元気にされていますでしょうか
神戸はしとしとと雨が降っております
ここ最近まとまった雨が降っておりませんでしたし
空気を浄化させるためにも
道路をきれいにするためにも
心をきれいにするためにも必要だと思いますが
なにも週末に降らなくてもいいのになと
思うわけです
といいますのも
以前 書き記したように
私のマンションは今全面改装しており
平日は工事やペンキやなんやらかんやらで
洗濯物を干すことが出来ませんので
週末だけベランダを稼動できるわけです
ただでさえめんどくさがり屋の僕にとって
平日は洗濯物する気が起こらないため
一週間分のシャツやパンツがたまってしまい
どどんとまとめてやるのですが
このままじゃ生乾きの臭いのシャツを着なくてはならず
そんなこと考えるだけで
向こう一週間が憂鬱な気分になるわけです
ただそれは人間の都合であって
雨がふらなきゃふらないでブーブー言うし
雨がふったらふったでブーブー言うし
本当に勝手な生き物ですね
WELL
最近 わがレストランに
よく家族連れの団体が訪れます
それはそれで非常にありがたいのですが
うちの商業施設自体が非日常をコンセプトにした
大人の遊び場であるがためにですね
ご飯を食べ終わった子供達が
ギャーギャー騒いだり
それこそ走り回ったりしますとね
本来よくいらっしゃっていたお客様が露骨に嫌な顔をしたり
比較的長居されるお客様が足早にお帰りになるわけです
そりゃそうだ
僕だって落ち着ける店の条件というのは
無音であることですし
そこに高低音どころか子供が走りまくっていたら
それはある意味 蝿がぶんぶん飛び回るよりも
我慢が出来ないんすよね
ただ一方で
僕の周りもみんな親世代ですので
こどもを連れて行く場所が限られていることや
こどもたちを邪険に扱う店についての文句をブーブーゆーてますし
双方の気持ちが分かるわけです
話はかわりますが
最近 ブラックなんちゃらとかマタハラとかアカハラとか
なんでもかんでも非難の対象にしようとする傾向がありますが
育ち盛りの親たちが
ぺヤハラという言葉を確立させれば十分に世の中に浸透すると思うんですね
手のつけられない子供達が騒ぐことに対して
やれうるさくいう店 やれうるさくいう隣人 やれホテル
とかね
主張としては
こんだけ少子化が進んでいるのに世の中の包容力といいますか
ソフト面でのインフラが出来ていないとか
社会全体で育てる環境づくりができていないとかね
もっと言えば
奇声を発している子供達、その親達を白い目で見ている人にさえも
あんたら昔は子供だったんだろー
とか
あんたらも昔は子育てで苦労したんだろー
理解してもいいんじゃねーの?
的な気持ちがあるゆえに
公共の場において子供を叱ろうとしない
というか
大人の社交場に子供たちをわざわざ連れて行ったりするんだと思うんですね
何が悪いの?
子供は社会の宝だよ
と。
その昔
飲食店であるにもかかわらず
わが店のテーブルに赤ちゃんを横たわらせ
オシメを換えている親がおりました
僕はもう卒倒し
世も末だね
なんて感じで笑うしかなかったのですが
それすらも
あんたも昔子供だったんだよ
というロジックが成立するわけです
一方で
子供がほしくてたまらなくて
でも子供ができなくて
そういうご夫婦もいるわけで
そういうご夫婦たちが
我が物顔で公共の場をジャックしている親子たちを
みるとどのように感じるのか どのように思うのか
それを想像することはとても簡単なことなわけです
子供が社会的弱者であることはいつの時代だって変わりません
我々が子供だった頃は今と比べてアイフォンもなければ、あやすツールだって
ないわけですし むしろ今よりきっと騒々しいかったことでしょう
ただ 一方で
社交の場につれていかれることもなかったですし
人前で騒げば二度と外に連れていってもらえなかったですし
本当に駄々をこねていたら そのまま私を置き去りにしてどっかに
行っちゃいましたし
そもそも騒ぎだした時点で「外にいけ」といわれ
中に入れてくれなかったわけです
こういう話をすると
虐待!
みたいになってこれまた意見が飛躍するわけなんですけど
そういう親世代に育ったはずの我々が
なぜ このように人様に迷惑をかけても平気になったのか
また人様に迷惑がかかっているとすら思えないのか
僕がまだ親じゃないから
親にならなきゃ分からないよ
と思うかもしれませんが
ということは
親が単純に世の中に甘えているという話なだけであって
甘えているからこそ
そういうふうに好き勝手に振舞えるわけで
そういうふうに自己主張するんだろうな
僕 なんとかハラ
とか
もちろんあると思いますし
もちろん被害者だって多いと思いますが
全員が全員 100対0な訳がないと思いますし
むしろ声高に主張する人って
実はその人間自体にも問題あることが多いと思うんですね
だって自己主張の激しい人って
それだけ周りを困惑させるわけですし
それが社会全体を好転させる主張ならまだしも
あくまでも主張は
「自分達の居心地が悪い環境が
主張することにのってどれだけ良くなるのか」
が論点になってるケースが多すぎる
一方で公共という意識には
誰も主張せずに無関心なわけです
だって自分の居心地が一番なわけですからね
ほかで起きてることなんて関係ないとなる
つまり いい大人の自己主張って
子供が奇声をあげ走り回って
大人たちを困惑させている構図とそんなにかわらないんじゃないかなぁ
と思ったりもするわけです
マイノリティだから声を上げる
というのとは一緒のようで全く異なるのですからね
要は親が成熟していないという話につきるわけです
そんなことを思った今日の午後
雨はまだ降っております
おっちゃんのあめ
パインあめを久々に食べる
なつかしい
穴が開いているものを見ると、真ん中の部分はいったいどこに行くんだろうと思う
パインあめをなめながら、ピーピーラムネのことを思う
私はピーピーラムネが大好きだ
小さい頃は口に入れてピーピーピーピー
警察のまねをしてピッピッピッ
運動会のピストル代わりにピー
鼻歌代わりにピピピのピ
吹きすぎて怒られる
だからパインあめも無意識にフーフー吹いちゃうけど鳴らなくってちょっと悲しい
あめ
といえば、関西人特に大阪の人はホントにあめを常備している
おばちゃんだけでなくおじちゃんも
よーしゃべるからのどのケアのため
友達、知り合い、知らん人、誰彼かまわずあめちゃんをくれる
人情のかたまり
この前大阪でタクシーに乗ったら
おじちゃんが
「おっちゃん、タバコやめたら口さみしゅーてなー
あめばっか食べよるんやわー。おねーちゃんもどうぞー」
と人情のかたまりのあめをくれた
タバコをやめたきっかけ等を話しながら
おじちゃんは信号で停まるたびに後ろを振り返り
あめどうぞー!
と満面の笑みで渡してくれる
もう十分ですよー!
といっても
いいからいいから
と、親戚のおじさんみたい
「おっちゃんも口さみしいから、すまんけど食べるわな!!」
と一緒にもぐもぐ
久しぶりに舐めるあめは、とても甘くって
まるで吉本のような掛け合いに
隣に誰が住んでいるかも知らない、なんて時代に
大阪ってやっぱ面白い
と、人の温かさとつながりを感じ感動してしまった。
そんな感動がおじさんに伝わったのか
降りる間際には
「おねーちゃん、袋ごとあめちゃん持ってき!」
と大盤振る舞いをして送り出してくれた。
だからいま、口さみしくないけれど
おっちゃんのあめ
を舐めながら書いています。
ありがとう。おっちゃん。
蚊のかあちゃん
蚊が私の周りを飛んでいる
11月なのに飛んでいる
10月終わりにもまだ飛んでいて、もう今年最後の蚊だから殺さず見送ってあげよう
と思ってたのに
11月まで生きながらえていたとは
私は基本的に蚊は殺さない
シッシッっと手で追い払う
シッシッしてもすぐブーンって近づいてくるんだけど
それもまたシッシッ。
永遠のシッシッ。
誰か人が一緒にいると、その人が殺してくれないかなーって心の中で思う
でも隣の人はきっと、お前さっさと殺せよ
って思ってるはずだから、パンって手をたたいて挟んだふりをしてみたりして
「あー逃げられたー。ちっくしょー」
迫真の演技。
そりゃかゆいの嫌だけど
噛まれたら、チッっていってバッテンつけるけど
ほんとのこと言うとちょっとくらい血あげてもいいよ
って思う。
今日もし私の血を吸えなかったら、家に帰って奥さん蚊に
「あんた、今日も手ぶらで帰ってきたの?吸えるまで帰ってくるな!」
なんて言われちゃって
奥さんが寝静まるまで公園で時間つぶしてから帰らないといけない羽目になるかもしれない。
私たちが牛や豚や鳥や魚や植物のすべてを奪って生きているのに
ちょびっとの血も、一滴の血もやらんぜよ
では、何だか横暴な気がする
やはり何事も持ちつ持たれつ
ギブ&テイク
ギブしすぎも
ギブされすぎも
テイクしすぎも
テイクされすぎも
過ぎたるは猶及ばざるが如し
ギブもテイクも過ぎたるは破綻近し
どうぞ私の血を。