Boys be ambitious
ぜいたくな時間
神戸に来られていた
フランス、タイ等々の支社を渡り歩いて来られた元博報堂の方
元TBSの取締役員の方々と
会食する機会を頂いた花の金曜日
おいしい料理とロケーション
いやはや、何とも濃く楽しい時間
会話の中で何気なく登場する人物や
出来事、言葉の端々が
私からしたら、もう歴史の教科書レベル
時代のせいにしてはいけないんだろうけど
バリバリ、ギラギラ、エネルギー量が違う
TVマンの方が
日本は嫉妬の文化である
と仰っていた。
きっとご自身が優秀だったから
「出る杭は打たれた」
経験からの言葉なんだと思うけど
農耕民族と狩猟民族という
根本的な歴史の違いがあるとはいえ
教育にしても
全部そこそこできる器用貧乏的人間製造機関
のようで
自分の学生時代を思い出しても
苦手分野の強化ばかりで
得意分野はそのままほったらかしで
できるからいいやで
もっと伸ばそうというアプローチが少なかったような気がする
まさに
二番じゃダメなんですか精神
日本は一度失敗すると
再起が簡単じゃないから
潰しのきくように
なんだって万遍なくできる人が
優秀だという評価になってしまうけれど
他のことには目もくれず、一番だけを目指す
というのはすごくカッコいい事だと思う
親も本人も
とても勇気がいるけれど。
色んな国を渡り歩いてこられた
広告マンの方の言葉で印象的だった
「日本人だけが優秀なんじゃない」という言葉
日本のスタンダードは世界のスタンダードではない
井の中の蛙
自信を持つことは大切だけれど
それが過信になっていないか
外に出ていくことで
否応なく知ることができる
上だけを見て猛進してこられた方々が
口を揃えて
日本は追いつめられて、崖っぷちにならないと
気づかない
そうやってのらりくらりと今までやってきたから
日本は大丈夫だよと言っていた
その太鼓判に
安心しながら、ふと不安になった。
崖っぷちはいつなのか
崖っぷちに立ったときどうすればいいのか
大丈夫と言ってくれている方たちが
居なくなった後
豊かに漫然と生きてきた
私たちに判断することは果たしてできるのだろうか
つづく
あのころは は 若かあった
うちの祖父は怖い
小学校3年のころ
神戸市北区から須磨までの
一人電車の旅をへて
じいちゃんの家にいったら
約束の時間を5分過ぎており
インターフォン越しに
「かえれ」と言われ
その後 いくら鳴らしても
一向にでてくれることはなかった
そんな殺生な話はないだろ
と思いつつ
ふたたび 月見山から自宅のある駅まで
かえったことがある
神戸電鉄は20分に一本しか走っておらず
自宅から駅
駅から祖父亭まで
片道1時間半仕事の道のりを
ほとんど電車で行ったことのない
小学生がいくんだから
今だったら
「よーきたねー」
とハグしてくれて
「おじいちゃん、お口臭い はいポリデント」
と痛烈なパンチを効かせてもおかしくない
16歳で海軍志願兵として
南方 サイパンに向かったじいちゃんは
時間にも礼儀作法にもとても厳しく
父が子供のころ
帰宅時にテレビを見ているものなら
ハサミでコンセントごと切ってしまい
鉄拳制裁
犬の鎖で制裁
なんて当たり前で
業者が遅刻したりすると
ガラス製の灰皿を投げつけるなどをした
いわゆる独裁者であった
ゆえに僕が遅れて家に入れなかったことを
父に述べると
「まるくなったなあ」と
笑って終わってしまった。
確か あの日を境に
祖父に対する緊張感が芽生えた
いつ行っても祖父邸では
母親はいつも台所の陰でないており
同じ会社で働く父親は口答えすることなく
いつも黙って祖父の説教を聞いていた
子供にとって
それは それは地獄だった
いわばゴッドファーザー的な存在で
いまなお毒舌は健在でありつつも
二十歳すぎたころから
彼の厳しさを
やさしさとして理解できるようになった
仕事の悩みがあれば
祖父亭にお邪魔し 相談に乗ってもらえるのは非常に有難い
問題の本質をとらえ
的確に答えてくれる
いつも苦虫をかみつぶした顔をしている祖父に
一番似ているといわれる僕だけれども
あんな素敵なじいさんに似ているのは
ある意味 光栄で ある意味 恐れ多い
僕の店で スタッフからもっとも
人気のある お客様の社長がいる
いつも笑顔
いつも腰が低くて
いつも冗談を言っていて
場の雰囲気を和ましてくれる
親分肌で
従業員のご飯を食べさせて
保険屋のおばさんも連れてきくれるほどのビップ客
そんなお客様が普段と違う夕刻時に現れた
聞けば
先にお嬢さんと5,6歳のお孫さん達が現れ
あとからその社長がくるという
ああ、きっと
好好爺なんだろうな
目じりが垂れ下がっているんだろうな
と思い その来店をお待ちしていた
ところが
社長が店に入ってくるやいなや
それまで兄弟でふざけていた
孫たちが背筋を伸ばし
「おひさしぶりです」
「こんばんは」
と直立不動になり
丁寧に手を揃えてお辞儀をするではないか
その社長はいつもみることのない
「怒りにみちた表情」で孫たちに接している
その表情は
かつて僕が祖父に感じたものと何一つ変わらぬ
般若の顔だった。
注文を聞きにお伺いすると
「てめーら、ぐずぐずすんな、はよ決めんかい、
お兄さん 待たしてどうすんねん」
893顔負けの恫喝
さすが元ゴンタクレ
もちろん孫たちは
慌てふためいて
メニューを決めたが
食事中は
戦時中の食事風景とかわらず
叫びもせず
立ち歩きもせず
孫たちは黙々と食べ続けていた
そして 食べ終わると
一族 みな 静かにおかえりになった
まるでコッポラの映画を見ているような出来事
一部始終を見ていた僕
おもわず緊張してしまった
今日もまた そのお客様が来店したが
あいもかわらず冗談を飛ばしていた
僕はいつも以上に緊張し
顔を引きつりながら接客していた
孫達くん
おじいちゃんのありがたみは
20年後に分かるからね
つづく
午前10時 大倉山周辺の出来事2
昨日は
神戸市北区の「焼肉ジンジン」まで
辛酸一家の組長に前回トンズラしたお詫びをするため
山に登る
幸い小指が飛ばずに済んだが
肉を食べずに
生を飲み過ぎ
帰宅するやいなや爆睡
のせいか
今朝は6時の早起き
頭痛もない
ので
ひさしぶりに大倉山公園にて
散歩&ストレッチ
立ち仕事で
凝りに凝り固まった筋肉
血流の悪い足を
ほぐすだけでも一日の疲れが違う
神戸市北区育ち(裏六甲)のせいか
表六甲の寒さには耐えれるものの
表六甲の緑の少なさに時々疲れる
ゴルフをする時間もないしね
東京に比べれば
全然ましだけど
たまーに実家に帰ったとき
緑を補給するために
一人で「藍那の森」にふらっと訪れる
ここは神戸人でも知る人ぞ知る
もっと言うと北区人でも知る人ぞ知る森
我が母校(小学校)の遠足では
外せないスポットで
バス釣りを始めた小学生にも外せないスポットで
それ以外で歩いている人は
地元の農家さんくらいで
普通のカッコをして歩いてると
樹海のように
「あーた、早まるなよ」と
呼びとめられるくらい
初めて通る人は
クマがでてくるんじゃないかしらん
と思うくらい
ザ・自然
よく昔をしっている方々が
「昔はここらへんは田園風景で
イノシシやキツネがでてきて
夏の夜は蛙の大合唱やったけどね」
と開発された街について感慨深そうに
おっしゃるが
あの森はきっとあと200年ほどは
開拓されることなく
もっというと 地球が滅亡するまで
日の目をみることはないような気がする
そんな森の中で
放課後 自転車を乗り回し
小学校時代を過ごしていた僕にとって
中高と千葉県木更津市の山奥の学校に通っていた僕にとって
緑はかかせない
からのストーリー
大倉山公園は
そんな表六甲に疲れる僕にとって
プチオアシス
そのオアシスに集う
少年野球を見つめ自分の青春時代を被らせるおっさんたち
晴れた日には将棋にふけ、
横やりを入れ続けるギャラリーのおじいちゃんたち
途中で歩きだす
やる気のない陸上部の少年たち
ストレスのやり場がない神大病院の看護婦たちの一服
ストレスのやり場がない神大病院の患者たちの一服
鳩に餌をやり過ぎて ひんしゅくをかうおばさん
最近 誰も話す相手がいなくなった
講釈たれのボランティアゴミ拾いのおっさん
子供といっしょに滑り台をすべり
ケツがはさまって滑り落ちることの出来ないおばさん
「お前 食生活改善してから走れよっ」
て思ってしまうおデブちゃん
木にスポンジを巻き ひたすらローキックをし続けるおっさん
木になにも撒かず ひたすら16もんキックをしつづけるおっさん
口笛を吹いて鳥とコンタクトを取ろうとしているおじいさん
そんなこの公園の朝の雰囲気が好きだ
たまらん
まるでウディアレンの描くNYのセントラルパークのようだ
そんな奇人達が集まるこの公園で
午前中の大倉山公園の
グランド横の広場で
毎朝毎朝 リハビリをしている初老の方がいる
足を悪くしているのだろう
老人用スクーター(?)で
公園に駆けつけては
松葉杖を両脇に抱え
春夏秋冬
ただひたすら歩行のトレーニングを続けていた
いつしか
顔見知りになり
挨拶をするくらいまでにはなったのだけれども
足が不自由な方の前で
両足を広げストレッチすることや
筋トレすることというのは少々気が引けると同時に
「ああ、歩けるということはなんて
恵まれているのだろう。」
といつも
当たり前のことに感謝をしなければならない気持ちになる。
それはあの方にとって非常に失礼な話であるが
僕がそう感じるから 仕方がない。
今朝
その初老の方が
はじめて広場から出て
公園のマラソンコースを松葉杖で散歩されていたのをお見受けした
非常に失礼な表現だが
鳥かごの鳥が大空に羽ばたいていくようだった
しかし
彼の進むスピードは
10Mを進むのに3分ほど要する
だから
彼にとって起伏のある
外周600Mの公園は果てしなく広い
それでも彼は
顔をいがませながら
全身全霊を奮い立たせながら
「ただ前進あるのみ」
無我夢中で歩き続けていた
そんな彼をみて
五体満足で
背負うものも何もなくて
若い34の僕は
あの「藍那の森」で
将来なんてなんも考えず
夕飯の時間だけを気にしていたころの僕と
何も変わらないじゃないのか
と思いながら
「ちぇっ」と石ころけとばして
オアシスを後にした
つづく