あのころは は 若かあった | ablindspotのブログ

あのころは は 若かあった






うちの祖父は怖い






小学校3年のころ


神戸市北区から須磨までの


一人電車の旅をへて


じいちゃんの家にいったら


約束の時間を5分過ぎており







インターフォン越しに


「かえれ」と言われ


その後 いくら鳴らしても


一向にでてくれることはなかった





そんな殺生な話はないだろ


と思いつつ







ふたたび 月見山から自宅のある駅まで


かえったことがある












神戸電鉄は20分に一本しか走っておらず


自宅から駅


駅から祖父亭まで



片道1時間半仕事の道のりを



ほとんど電車で行ったことのない


小学生がいくんだから




今だったら 



「よーきたねー」



とハグしてくれて



「おじいちゃん、お口臭い はいポリデント」



と痛烈なパンチを効かせてもおかしくない











16歳で海軍志願兵として


南方 サイパンに向かったじいちゃんは


時間にも礼儀作法にもとても厳しく



父が子供のころ


帰宅時にテレビを見ているものなら


ハサミでコンセントごと切ってしまい


鉄拳制裁


犬の鎖で制裁


なんて当たり前で


業者が遅刻したりすると


ガラス製の灰皿を投げつけるなどをした


いわゆる独裁者であった







ゆえに僕が遅れて家に入れなかったことを


父に述べると 


「まるくなったなあ」と


笑って終わってしまった。







確か あの日を境に


祖父に対する緊張感が芽生えた








いつ行っても祖父邸では


母親はいつも台所の陰でないており




同じ会社で働く父親は口答えすることなく


いつも黙って祖父の説教を聞いていた





子供にとって


それは それは地獄だった





いわばゴッドファーザー的な存在で


いまなお毒舌は健在でありつつも


二十歳すぎたころから


彼の厳しさを


やさしさとして理解できるようになった







仕事の悩みがあれば


祖父亭にお邪魔し 相談に乗ってもらえるのは非常に有難い


問題の本質をとらえ


的確に答えてくれる




いつも苦虫をかみつぶした顔をしている祖父に


一番似ているといわれる僕だけれども




あんな素敵なじいさんに似ているのは


ある意味 光栄で ある意味 恐れ多い













僕の店で スタッフからもっとも


人気のある お客様の社長がいる






いつも笑顔


いつも腰が低くて


いつも冗談を言っていて


場の雰囲気を和ましてくれる




親分肌で


従業員のご飯を食べさせて


保険屋のおばさんも連れてきくれるほどのビップ客






そんなお客様が普段と違う夕刻時に現れた






聞けば


先にお嬢さんと5,6歳のお孫さん達が現れ


あとからその社長がくるという







ああ、きっと



好好爺なんだろうな



目じりが垂れ下がっているんだろうな



と思い その来店をお待ちしていた






ところが


社長が店に入ってくるやいなや


それまで兄弟でふざけていた


孫たちが背筋を伸ばし


「おひさしぶりです」


「こんばんは」


と直立不動になり


丁寧に手を揃えてお辞儀をするではないか







その社長はいつもみることのない


「怒りにみちた表情」で孫たちに接している




その表情は


かつて僕が祖父に感じたものと何一つ変わらぬ


般若の顔だった。






注文を聞きにお伺いすると



「てめーら、ぐずぐずすんな、はよ決めんかい、


お兄さん 待たしてどうすんねん」





893顔負けの恫喝


さすが元ゴンタクレ




もちろん孫たちは


慌てふためいて


メニューを決めたが




食事中は


戦時中の食事風景とかわらず



叫びもせず


立ち歩きもせず




孫たちは黙々と食べ続けていた



そして 食べ終わると


一族 みな 静かにおかえりになった







まるでコッポラの映画を見ているような出来事



一部始終を見ていた僕



おもわず緊張してしまった












今日もまた そのお客様が来店したが


あいもかわらず冗談を飛ばしていた


 




僕はいつも以上に緊張し


顔を引きつりながら接客していた








孫達くん


おじいちゃんのありがたみは


20年後に分かるからね
















つづく