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在住人の憂鬱


神戸というか
関西に住んでいると
もちろん標準語は関西弁


ずっと神戸村にいる私も
もちろん関西弁


6年間、関東にいたはずの大澤さんも関西弁



村から出たことない私は

関西圏と東京以外から来た人には
なるべく、方言を聞くようにしている


恥ずかしそうに教えてくれる顔が素敵だし
どんな人もかわいく見える。


で、教えてくれた方言を使いまくって
バカにしてんのかって、怒られる



決してバカにしてません。使ってみたくなるのです。



大阪に10年くらいいる
関東圏出身の人と喋ってたら

何年か住んだ頃、
無意識に関西弁風なしゃべり方になってきて
地元帰ったら関西人扱いされたりして


このまま行けるんじゃん?
と思っても


関西人は、エセ関西弁を絶対に指摘してくる。
中途半端でヘタクソな関西弁は最も嫌われる。


だから、もう無理にでも関東弁を忘れないように
意識して染まらないようにしているんだ。

って、
優しい関東弁で話してくれた。



強烈な関西弁の嵐のなかで、優しげな関東弁を死守するのは大変そうだ


逆パターンで、関西人が標準語に染まって帰ってきた時の
裏切り者扱いも相当あって
気の毒




標準語のドラマとか見てて
感情移入できるの?

って聞かれて

全然大丈夫って答えたけど


ラジオのDJの人が
バリバリの関西弁で喋ってる
のだけは

何か

わたし

違和感めっちゃあるんです


すみません。







つづく





























  

Android携帯からの投稿

めぐっりあえたね






先日 女子を車にのせ


走っていると80.2から


「聖子ちゃん」の歌が流れてきた







どくどく流れが止まらない


これでもかと聖子ちゃんの曲メドレー






その助手席に座る女子は


流れる曲全て暗唱しており


一語一句間違えることなく それらを歌い続けた






「なんなの?あーた?聖子ちゃんファン?」







僕らの世代は聖子ちゃんから


若干ずれている。




おおよそ 10歳くらい上の


まさにオーバー45の方々がコアな世代であり


髪形も服装もまねていた時代ではない





僕等の時代は


安室なみへいを筆頭に古室ファミリー、


ドリムカ、チルチルミチルが制していた






僕と同世代なのに




彼女にとっては


松田さんは松田聖子であり


松田聖子「ちゃん」であることに


異性の僕は衝撃を受け 質問攻撃をした





「どうして 『ちゃん』なの?」



「なぜ 同じ世代のはやった歌手の曲は口ずさまないのに?」



「なぜ全部歌えるの?」





「なぜ なぜ…」




「かにかにどこかに?」





それはマイケル好きになぜマイケルが好きなの?


とか


なぜ矢沢を好きになったの?



とは全然違う








彼女は 聖子ちゃんファンではないという。






しかし 刷り込まれた音、映像により


シンボリックな「何か」が聖子ちゃんにはあるという




サザン的と似た「何か」らしい






同年代男子で


「聖子ちゃんファン」にお目にかかったことはない




が彼女に限らず


いままで何人の女性の「聖子ちゃんファン」をみてきたことか







その昔 ミュージシャンがサザンをこう評していた








「彼らは時代のはやりのリズムを見事に取り入れている。



そこに サザン臭、つまり桑田の声、下ネタ、韻ををミックスすれば



サザンの出来上がりなんすよね、彼らは極めて商業的なんですよ」





ほーそんなもんかね。





と思いながらサザン好きな僕もその話を聞いて以来



新曲が出るたびに



「ん、彼が言っていることはマンザラでもないな」



と感じるようになった。





それも


まっさんの話には通用しない。





オチまでいかない



むずがゆい




高尚なテーマっすね




口ずさめる?



カツぜツがはっきりしている?



音の落差が現在に比べ 激しくない?





それなら イルカもそうじゃないか




イルカちゃん



ああ この人も違う



シャレオツなイメージじゃない


醜聞も似合わない



富士フィルムの化粧品のCMも合わない


富士フィルムの年賀状の方が似合う










仮定その一



自由奔放さが日本の遅れてきた


フェミニズムにマッチした



仮定その二



ファッションがずば抜けており


薬中のケイトモスが返り咲くように業界が手放さず今に至る





仮定その三



美空ひばりの後継として世間が


日本女性の歌姫を求めていた





仮定その五



曲自体に 日本の古き良き経済力(バブル期)を


フラッシュバックさせる力があり


世間に活力を与えることができる





仮定その六



純粋に歌が良い



歌の中にドラマが存在している





仮定が全て当てはまるような気がする








彼女は日本女性にとって


テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、


全てをジャックした、


通信手段の少ない昭和を彩った


最後の銀幕のスターなんだろね







ノ―マ ジーン














つづく









































がんばれに対する反応に対する違和感



「頑張って」



と言われると


頑張ってるわ!

と思う、という人とか


こんなに頑張っているのに、、

と思う、という人とか


責めを受けている

と思う、という人とか


上から目線を感じる

という人とか




ポジティブな感じで


つい何も考えずに言ってしまいがちな言葉で


まさかのネガティブ感情を引き起こしてしまうことがある





単純な私は


頑張れに


励ましと応援の意味以外の感情を

含ませて言ったことも

言われたと感じたこともなかったけれど


もしかしたら

そういう意味での使い方されていたという可能性も

あったりするんだろうかね






中学生くらいの頃に


「私、毎日お風呂に浸かりながら今日した会話とか思い出して、言い過ぎたこととか

怒らせるようなこととか言ってなかったか、思い出すねん」


という友達がいて


しかも、周りの子が

「分かるー」と言ったのを聞いて



その繊細さと几帳面さに


言った傍から自分の言ったこと忘れていくような

いい加減な私との違いに


驚愕したのを思い出した。





調子乗って、言わなきゃよかった

と思ったことも


あぁ、ヤバいかも

と思ったことも



全然相手は気にしてなかったり



逆に


そこ?

というところで相手を傷つけていたり



どう思い出したって、何回後悔してみたって


結局は受け取る方の気持ち次第


って話で、元も子もないけど





っていうか、


そんな斜め四十五度からの

ひねくれた解釈の仕方もあるんかい


ってくらい素直じゃない人もいるし




なんか、もう正解か分からないけど






だからまぁ



がんばルンバ




くらいが

ちょうどいい落としどころなのかもしれないな

とか思う。



















つづく