僕等の66年間戦争
昨晩は辛酸一家の忘年会
「近頃 話題にし過ぎている」とのこと
しかしながら日常の中で刺激があることと言えば
この集まりであることは確かなので仕方がない。
昨日は忘年会ということもあり
ファミリーが大方そろっていた。
なかなか普段会えない方々もいらした。
辛酸一家のおしゃれ弁護士
彼は劇団に入っていたせいか
一風変わっている
そして僭越ながら
いろいろと笑いのポイントが似ているから
話していて非常に面白い
また世の中の不条理を感じる裁判や判決について
弁護士の観点が聞くことができる
たとえばイレッサ問題
たとえば放射能におけるゴルフ場の賠償責任の判決
おもに僕が彼に聞く話は
「対 国」の判決
「対 行政」の判決
普通に考えたらおかしい判決でも
彼のフィルターを通すと
なぜかムキになって怒っている自分が
幼く感じたりしてしまうのはなぜだろう
まるで柔よく剛を制すような感じで
勢いよく彼に飛びかかるが
「内また」
「背負い投げ」
「巴投げ」
あれ 何がおきたの?
弁護士相手に喝破するつもりなんて
さらさらないけど
要は「若気の至りだね」的にかわされてしまう
2時間ほどの会話のなかで
おしゃれ弁護士はこういった。
「おーさわさん、
あくまでも職業を離れた個人の見解ですよ、
一個人としてね、
国相手なんてね
全て決まってるんですよ。
全ての流れは国に有利に働くんですよ
権力が全てをきめるんですよ、
ムダなものはムダなんです
だからね いくら不条理なことがあっても
感情的にならずに
いまある物事を冷静に判断してしまうんです
「それでも」
というのであれば弁護士として
がんばりますよ、仕事ですから」
確かに超法規的判断というカードを
出されれば
「はい、それまでよ」
と考えれば
民事訴訟
に
刑事訴訟
言ってしまうと
一般人同士の争い
一般人をさらし首にするための争い
言った言わない
ヤッタ やらない
買った 買わない
そんなもんの方が
人間らしくて
金になって
方程式が出来上がっていて
「はい、いっちょあがり」
それは
他人の不幸は蜜の味というべきなのか
よく分からない
が
これがいまの日本の縮図なのだろう
よくマスコミで
中国や北朝鮮の日本の横暴についての結びで
「アメリカや国際世論は許さない」と書いてあるけども
当事者の僕たちはいったいなんなのさ
島田某のように
「うちらのケツもちはアメリカやぞ」
と言っているようだ
絶対多数の世論を代弁するのがメディアだとするならば
僕等は
非常に冷めきっていて
狡猾でいながらも
まるで他人事のようにふるまう
アメリカ?
国際世論?
それが結びなら僕でもかけるやい
閉そく感
シラケ2世
先日 FBに「もう一つのドラえもんの最終回」をアップされており
それを
じーと
ずーと
目を通していた
僕等日本人は のび太だ
そう見えてきた
なにもしない
頼ってばかり
偉そうにする
迎合する
学習しない
映画という大舞台のときだけ頑張る
昨日の日経マーケによると
日本人の生産性のなさは
先進諸国の中では
圧倒的に下位になる
とのこと
いかにメリハリが効いていないかがよく分かる
効率よく仕事をしていない
なんとなく
それとなく
そんなことばかり
僕等はもういちど
ドラえもんのいないこの国について
よく考える必要がある
と思った
つづく
ネズミーランドの教え
昔から、テーマパークがあまり得意でなかった
小さい頃は入口の門が怖いと泣き叫んで
入らずに帰ったと親から聞いたことがあるし
スタッフのおねいさんを見て
顔の筋肉しんどいだろなとか
何百回も何千回もあんなにテンションマックスで
案内するためのモチベーションを考えると
心配になって
大きなお世話以外のなにものでもないけど
別の意味で疲れはてる
今思うと、とってもとってもかわいくない子供だけど
気恥ずかしさを感じてしまうから仕方ない。
いかに
不自然さをなくして非日常を感じてもらうかが大切
そう考えると、やはり
テーマパークの雄、夢の国はすごい。
夢国では、キャストと呼ばれる従業員が
少しでも疲れたと思ったり、調子が悪いと思った時に
すぐに休んだり、気もちを切り替えたりするための
休憩所が至る所に配置されているらしい。
オンオフ切り替え部屋
就活の時、某公共放送の試験で
「素」というテーマで何百文字のコラムを書くというものがあった
何にも思いつかなかったから
前日に本で読んだ
このキャストの話を書いて
きちんと
素や素顔に戻れる場所が確保されている
ということで
それぞれのパフォーマンス能力が上がる
みたいなことを書いて
かなり無理やりのこじつけの中
奇跡的に指定の文字数ぴったりで書く事ができた
まあ、当然ながら採用されなかったけど
場所でも人でも
心を開放する場所が、大切で必要不可欠だと
それ自体がモチベーションにもなりうるのだと
教えてもらった
なかなか見つからないけどね
つづく
滅入りクリスマス
クリスマス
クリスマス
クリスマス
ああ
クリスマス
商業施設で働いている僕
12月から絶えずクリスマスソングが流れ続けている
店を出て飲食店にいっても
どこの商業施設にいっても
このテーマにのっとって曲が流れている
気分がとても滅入る
ノイローゼになりそうだ
「アホの一つ覚え」
別にクリスマスが嫌いとかいうわけではない
ただ 日本という空間全体が
クリスマスに乗っ取られているのが
気に食わない。
装飾
音楽
話題
前回の話ではないが
視覚と聴覚がクリスマスに汚染されている
まるで全体主義のようだ
と聞きたくもないクリスマス有線が流れている
ブログを書いている
目的があって手段がある
このクリスマスのデコという手段の目的はなんなのだろう??
クリスチャンは別として
おめでたいというわけではなかろうに。
ワクワクさせるため?
誰を?
恋人同士を?
子供を?
確かに子供のころ
クリスマス前はうきうきしていた
何もらえるのだろう
何をしたらプレゼントをグレードアップしてもらえるのだろう
したたかな思いを胸に
あの朝を迎えた時の感覚
「ふぁー…、あれ?あれ?ない、ないよ ねーお父さん」
枕元に置いているはずの
予定調和のプレゼントが
サンタの都合によって
翌日になったこともある
みじめな25日
その翌日の26日
もう友達の輪の中でのプレゼントの話題は終わっており
「ちょっちょっ…」
皆が疲れて、やる気のない
かくれんぼに参加しているようだった
「ファミコンの新しいソフト手に入ったよー」
サンタさんからもらった神聖なプレゼントが
おじいちゃんに買ってもらったものと
さほど変わらない扱いを受けているではないか
のように
本来祝うべく25日のために
イブが存在しているのに
25日にはどうにか祝いムードが残っているが
26日なんて 「あー、そんな話あったよね。」扱いで
余韻の「よ」もない
毎年 毎年 毎年 毎年 毎年…
その繰り返し
そうやって大人になり
そうなれば もっとひどい
「何にする?」
えー?
「見に行こうか?」
これがいいかな
「おー似合ってるわー」
じゃあこれ ラッピングしといてねー
「はい プレゼント」
ご飯いこうか?
サプライズのかけらもない
義務
ミッドクライシス
年一回の夜のお勤めのようだ
その倦怠期を迎えた
大人たちは何を思ふ?
なんなんだ目的は
「鬼がくるぞ くるぞ くるぞーーーーーーーー」と焚きつけておいて
奇跡が起こり
鬼が訪れることがなく
平穏な日々がやってきた
めでたし めでたし
のような
なにか元寇の乱の時に生じた神風に期待しているのか?
ラブアフェアーか?
「何かが起こりうる」と心の片隅で期待しているのか?
結果
「何も起こらず」を当たり前として受け止めるのか?
よく分からない
このお祭り騒ぎ
うだうだなり過ぎるので
あたりまえすぎる結論
結局なにもなかった感が日本人にはあっているんだろね
クリスマスに向けて
焚きつけることが手段
その目的は
虚無を堪能する
日本人の美学だね
こりゃ
冷めている?
そりゃそうだ
大体ね、
盛り上げようとしすぎなんですよ
つづく