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美術館



京の都へトリップ中

京都国立近代美術館で面白そうな展示があったので、見に行ってみた。



「KATAGAMI(型紙) 世界が恋した日本のデザイン もうひとつのジャポニズム」展という展示で
http://katagami.exhn.jp/



着物などの染めの時に使われる


色々な紋様や模様の「型紙」を通して


日本が世界に与えた影響の大きさを

各国の芸術、デザインと一緒に並べて見ることができ、


日本と、日本人という事を誇りに思わせてくれる


とてもボリュームのある、素晴らしい展示だった。



「型紙」そのものの

日本人らしい、繊細で、美しく、整ったデザインと手法


今では、採算の問題で絶対にできそうもない手間のかけ方や


技術の高さはもちろん、とってもとっても見ごたえがあるし


外国との違い、影響の受け方、それぞれの解釈、反映のさせ方

もろもろもろ、興味深いところはたくさんあったけど



私個人的には、あんなにも繊細で扱いの難しそうな型紙を

何の瑕疵もなく、損傷もなく、キレイな状態で、海外で百年以上保管されていたこと、


そして、全く文化も美意識も違うものに対して


素直にいいと感じ、上手に折衷する、バランス感覚

そんな、審美眼と、几帳面さと、懐の深さに感じ入ってしまった。



いくらいいものが存在していても


それをイイと信じてくれる人や、見つけてくれる人


保管ができる資金力、ずっと継続できる愛情と信念



そんなものがなければ、今私の目の前には存在してなくて


見に来た人たちの心を動かすこともなかったんだなあ、とか思ったり




そして、その当時、きっと周りの人からは


几帳面で、神経質で、細かすぎて、もしかしたら


嫌われ者で変人だったかもしれないけれど



その、誰かさんに感謝。と思った。






だから、いまあなたの周りにいる


変人とか、いやな人も、もしかしたら



将来


未来人に何かしら影響を与える人物になるかもしれないし



何が、どう転ぶか分からないから




そうそう怒らずに


どうぞ、そっとしておきましょうね。














つづく










ビストロ純




書いていた文章が消えちまい


時間がないのて”手短に







三宮の金山園の近くに


「ビストロ純」というフレンチのお店がある








わき道に存在し


店内はうす暗く


メニューも手書き


トイレには矢沢の写真と


壁にはラグビー日本代表のフラッグが一枚



飾りっ気が全くない


極めてシンプルなお店







言葉数は少ないが



オーナーシェフの



「いらっしゃいませ」


「ありがとうございました」




というその二言には腹筋と気持ちがとても入っている






汗をぬぐいながら


料理をつくる姿はとても美しく


話しかけても


料理の邪魔をするなといわんばかりの必死さ




一撃必殺 仕事人のフランカーのよう






和食ならそういう店はよくあるけれと”


そんな愚直さをもった矢沢を飾っているフレンチはなかなかない


(日本中探してもなかなかないと思う)





営業マン時代のお客さんに連れてきて頂いたのがきっかけて”



それから


僕はこの店のフアンになりずいぶん経つ





なんの恥じらいもなく



本気の「いらっしゃいませ」


本気の「ありがとうございました」



そして

「かしこまりました」じゃなくって


本気の「ハイッ」という返事




それた”けて”


僕は気持が一杯になる



それた”けて”


「来てよかった」と思える




それた”けて”


いろんな人を連れて行きたくなるお店







なぜならば


そんな店が最近存在していないから





ちわっ


ちーす


あざーす


うぃーす



みたいなね




改めて思うけと”




やっぱり挨拶っていうのは


世のなかを渡っていく


最も簡単 そして最も重要なことなんた”よね







メリーとハリ―





朝三時まて”やってます


高くありません


いつかこの店にてお会いしましょう









続く









































そうじゃない人はそれなりに





最近


才能という言葉がよく目立つ








オリンピック選手にしても


ファッションテ”ザイナーにしても


漫才師にしても



「センスがある」


とか


「産まれ持った才能」とかね





これらの言葉は



雑誌新聞やテレビ君に使われることがないくらいに


当たり前に毎日 使われている





美人


男前



が主役的俳優になっていく現象もそう







うまれ持っての



才能や


運動神経や


ルックスや


美的感覚




そういう先天的有利さ 


アト“バンテ―ジと申しますか





がセンスという言葉て”集約される







そして


そこに半端ない努力というエッセンスが加わり


いわゆる一流となる



言いかえれば



センスがなければ努力をいくら掛けたとしても


それは0×100と一緒




魚のいない池にて釣りをするようなものて”



多くの「一流になることが出来ない」


アスリートたちや芸術家や芸能人たちが


その現実に遅かれ速かれ気付き


諦めていく





「俺には向いていなかったな」


「あいつにはとうていかなわない」




己をしるわけね



そうして ふるいに掛けられるのが


大人の世界





当たり前の話








先日 ある人と口論になった





彼は「勉強すれば 必ずと”んな子て”あれ成績は伸びる」と主張し




僕は「勉強というカテゴリーもセンスが必ずあり 


   アホはアホなりになることが出来るが


   それ以上にはなれない」と主張した






平行線のまま口論は終わった





前述のスポーツ 芸術 ルックスのように 



僕は頭の良さにしても先天的なセンスが


存在すると信じて疑わない





一回読むた”けて”頭に入る人間もいれば


100回よんて”も頭に入らない人間もいる




なのに 


こと勉強に限っては努力不足的な言葉が付きまとう






「もっともっと頑張りなさい」



「なぜ分からんのか?」



「やれば出来る」





いかんせん「仕方がない」が通らない




僕は英才教育を幼少期から受け続け


その投資に応えるように最大限の努力をし続けた一人た”が




これらの言葉を親や塾の先生や家庭教師の先生に言われるのが




大変苦痛て”仕方がなかった





「なぜ分からんのか?」という問いに




「それが分かるのなら分かるに違いない」


とか



「分からんものは分からんのよ」


とか



「ああ みんな今頃 公園て”遊んて”るんやろね」 


とか思っていたし





「じゃああなたは空を飛べるのか?」



と言い返したかった







国語の問い



「作者はと”う感じたと思いますか」



なんて聞かれるから


僕なりに答えてみるが


正解になることは全くなかった




その不正解に対して



「この行間から読みとれる」という解説なんかが


書いていても


到底 納得出来るものじゃなかったんすね




結果 莫大な時間的金銭的投資の割には



応えることの出来ない結果となり





(それは良い学校にいって 


良い企業にいって 


がっぽり退職金もらって…というプロセスね)







僕はそういった 幼少期からの挫折の連続によって


「勉強とはセンスて”ある」という考え方に行きついた。







自分の子が勉強が出来なくても


きっと「仕方がない」と思うに違いないた”ろう





自分が出来なかったことは棚に上げないつもりて”ある



しかしながら



そのように達観することによって



頭の回転はよくないなりに





「世のなかへの立ち回りや


あるべき自分の立ち位置を考えるように勉強しなければならないね」



とか




と常々思うし


やからこそ


(コミュニケーションツール)として


今も知識を取り入れることは大切と思っている




から



子が出来たら



「勉強はしたほうがいいよ、


あなたの人間の幅を広げるためにも



人並みに生きるためにも


そして


損しないためにね」




くらいの助言はするに違いない








「日本の教育を卒業したOBの僕の感想」として


単刀直入に言えば



この日本の教育システムは


極めて非生産て”あり


画一的て”あり創造性が全くない








大人たちはいつも僕に



「大人たちは理不尽な世界て”生きているんよ



君は勉強さえすれば認められるなんて楽な世界て”生きてるんよ」


と僕がユートピアの世界にいることを語っておりました






いざ大人になってみてみると


なるほと”


竹やりて”B29が落とせるというのと一緒て”




「夢」や「希望」、「やれば出来る」という言葉を巧みに使い


子供達に「センスがないこと」を教えない大人の都合が


たしかに理不尽た”ということに気付くのて”す






酷?





ノンノン





大人になって


その酷を知るよりも



早く分かって 


違うセンスを追い求めるほうが


よっぽと”合理的て”子供のためになると思うのれす









本当はト“イツ的教育システムの方が


まじめな日本人に適しているのにね













続く
















続く