ゆとりとろん
こんばんび
最近 あんまり運動出来ていない僕
しかしながら散歩は欠かさないようにしている。
朝 むりやったら夜に
夜 むりやったら翌朝に散歩する
ときには
朝も晩も調子乗って
自分に
「いっちゃう?」とかハッパかけて
テクテク散歩してしまう
たぶん 僕は神戸の中て”も
ベスト100人に入るくらいの
「モーニングおっさん。」
こと中央区においては
行っていない店の方が確実に少ない自信がある
たぶんサンテレビやったら
モーニング評論家として
ぎゃら100円くらいて”
オファーが来てもおかしくないレベルに違いない
客席て”じーと新聞を読みながら
世のなかの景気を判断している
昼の店は
その店のジャンルや
特色(コストパフォーマンス・味の嗜好性)に左右されるし
夜の店っていうのは
学生もいれば
社会人もいるし
おじいちゃんたちの集まりもあるし
旅行客もいるから
いちがいに景気をジャッジすることが出来ない
(いちいちいろんな店にいっていたら金が持たないしね)
しかしモーニングっていうのは
ベーコンエッグにしてもゆて”卵にしても
家て”も食べることが出来る最も簡単な料理やし
珈琲もインスタントて”よければ
「あらよっと」な存在て”あり
モーニングの役割って
飲みニケーションじゃなくって
「くつろぎ」を楽しむ嗜好の場なんよね
ゆえに
「景気が悪くて」がもろ反映される自動読みとり機会なんすね
この半年て”僕が痕跡を二回以上お伺いした
関取の店が三軒潰れた
これはひと”い
んて”予備軍的な店もたっくさんある
たとえば
かっぴかぴのパンを出す店
たとえば
店の入り口がチラシなんかが
散乱している店
たとえば
店に入ると うっとうしそうにする店
そして常連にはやたらと愛想が良い店
たとえば
明らかに夫婦て”経営しているのに
その夫婦がお互いに対して攻撃的な店
たとえば
レタス2枚くらいをサラタ”と言い切る店
たとえば
客に愚痴る店
流行っていたら
上記のことなんて絶対ない
たぶん 神戸のモーニング業界の7割くらいが
その予備軍に入っているんよね
総じて
この街の景気は
本当に悪い
と最近 思うのレス
多くの人たちが
ゆとりを満喫する必要性がないんやろうし
ゆとりを満喫する余裕がないんよね
ぼくはゆとりがないから
ゆとりを求めにいくんた”けと”ね
そのゆとりを買う店さえ
潰れていくと とっても
マイっちんぐ
吉牛の朝定食?
あのジャンルは空腹を満たすが目的やしね
「ゆとり」なんてかけ離れてる
ストップ ザ 心の砂漠化
もう北斗の拳の世界になっちゃう
微笑み忘れた顔なと”
みたくはないから
みんなたまには「モーニングおっさん。」になってね
続く
我考える、だから我あるのかなあ
ブログを書いていて
ああ何書こうか、とか考えてて
これ書こうか、とか一瞬思いついて
いや、これ前書いたんちゃう?とか
大澤さん書いてたんちゃう?とか思って
断念する、ということがよくある
そうはいっても、書くごとに前を振り返ってはいられないし
何も考えずに書くことも多いから
かぶってるやん
と思われていることも多々あるかも知れないけれど。
産まれた時には真っ白で、脳もつるつるで
右も左も分からない私たちは
毎日毎日
目で、耳で、肌で口で、色々な情報や知識を詰め込んでいく
話したり、勉強したり、映像を見たり、本を読んだり
今までの先人たちの言葉や思想や思考を共有させてもらい
自分の中に積み立てていく
その積立貯金に、自分の経験や周りの環境という利子を付けて
必要な時に引き出す。
そう考えると、
言葉から行動まで、自分だけで考え編み出した思考なんてものは存在せず
なんどきも、全ては、借り物の言葉、と言えるのかもしれない
でも
「影響を受ける」ということと
「鵜呑みにしてそのまま吐き出す」ということとは
「見ながら絵を描く」ということと
「トレーシングペーパを使って絵を写す」というような
そんな違いが生まれるのでは、と思う。
トレーシングペーパーを使うなら、いかに上手にトレースできたか
という結果が最大の成果で、全く同じものを生み出しているに過ぎず
足踏み感がいなめない。
一方で
見ながら書いた場合には、同じように書こうとしても
おなじ画力があるわけではないし、直線書いたつもりでもゆがんだりするし
大きさだって見えてるものをそのまま同じように書くのはきっと不可能で
その、歪みや、揺れや、揺らぎみたいなものが
その人その人の、価値観や性格、性質となって
その人が発する言葉や思考になるんだろうと思う。
トンネルの入り口は一か所でも
出口までは数えきれない分かれ道があり
出口も無数にある。
だから、
どっかで聞いた話、見た話、触った話だと思っても
自分と言うフィルターを通った瞬間
全然ちがう製品に仕上がっている
と信じたい。
ということで、今後もし、同じような話が出てきても
笑って許してね。
つづく
「自分たちのテ”ィスタンス」
こんばんわ
ねたが見つからない
困っている
昨日 「今日はきっと忙しいに違いない」 と
連ちゃんアップしようと思い
三時間かけたもののパソコンがフリーズ
おしゃかさま
準備を万全にしたり
仕込みを完璧にしたりしても
不思議と逆に逆に物事が進むことが
僕には多々ある
たとえば 店にいつもより早く入って
仕込みがすいすい完了して余裕をブッこいていると
来るはずの
食材や、 スタッフが急に休みになったり
ブログが早く書き終わり
早々に家に着くと 店に家のカギを忘れていることに気付いたり
スペシャルランチが想像以上に美味しくて
これはきっとお客様も満足してくれるに違いない と思っていても
お客様はみんな違うメニューを頼み 大量にそのランチが余ったり
小さな親切心が「余計なお世話」になっちゃったりね
余裕をもてばもつほと” 思えば思うほと”
裏目裏目に出ることが非常におおい
そうして一人て” 勝手に怒っている
「ファック」
別にヨソ様に呟いているわけじゃない
自分の責任の範疇を飛び越えていても
余震管理や感度の低い「自分」を罵ってしまう
このときにた”け
自分が二人称になり 評価の対象になる
最近 自分をほめていない
というか ほめた記憶がない
絶えず 「もっと、もっと…」
「がんばれ 、がんばれ」
「負けるな、追い越せ」
馬車馬のような扱いばかり
きっと「客体の自分」は 本当の自分に罵られてばかりて”
すねてしまっているに違いない
「あーやってらんねぇ」
みたいなね
銭湯て”髭そるときぐらいしか
自分の顔見ないしね
すまんね
僕にとっての客体の僕
内田樹さんがいうように
自分を愛さないとね
他人を愛せない
のはわかってんた”けと”さ
とペットに語るように
僕は自分に向かって タイピングをしている
そう考えると
自分大好きな人って
他人にも寛容なのか?
と思い
思い当たるナルシスト達を思い浮かべるが
そうて”もない
やっぱりナルシストはエゴイストて”ある
何事とも中庸やね
「つかず離れず 」が一番いい関係性
それにしても距離が開き過ぎてしまった
ちいっと近付いてみようと自戒する
午後8時10分
チャオ
続く