世界の中心の愛をオブラートて”包む
娘と父の関係性というものを考えてみる
この年齢になってくると
周りに子供を持つ友人が増えてくるし
妹たちもいるし
兄も娘た”らけた”し
僕も結婚していたし
客商売しているゆえに
その関係性に接する機会が多くて
そんな中
最近 この関係性に首をかしげることが
非常に多いのて”考えてみる
(息子と父の関係性ついては以前書いたと思うのて”読み返して下さい)
母親が向田邦子の大ファンて”
子供部屋の本棚に並べられていたせいか
幼き頃から彼女の本をよく読んて”いた
日航墜落の時
当時僕は8歳くらいた”ったが
ショックを受けたことを覚えているくらいに
小説代わりによく読んて”いた
しつけに厳しくて
外には社交的なものの
家においては全く口を聞かず
絶えず新聞や読書をしている父親
そのコミュニケーションをとることも許されない家長に
娘は
従わざるをえない
敬語を使わざるをえない
なぜならば
責任の所在が
「連帯責任者の母親」に向かい
自分の不出来が母親にむかうから
「お前と”んな教育してんねん」的なね
読みながら
父親ってこんなんやねんね
妹たちもいずれ こんな冷遇をされるんやろうね
可哀そうに…
と思っていたが
言わずもがな そんなことは全くなく
今世の中を見渡すと
「「娘たち」の方が
厚遇されているような感じを受けなくもない
「お願い お父さん」
仕方がないな
「お父さん あいつはあんなんよ」
そうなんか
「お父さん 父さん おとーさーん」
なんた”い なんた”い むすめー
三文青春恋愛ト“ラマ
目じりをたらし
目の中に入れてもいたくない
という関係性が邦子さんを読んテ”いた僕にとっては
とっても気持ち悪いんて”すね
冬彦さんなみに気持ち悪い
「それはおじいちゃんの役割て”しょ?」
って突っ込んじゃいそうになる
川上に娘がいて
川下に父がいる関係性
向田さんが描く世界観は
川上に父がいて
川下に娘がいる関係性
ということじゃなく
なんと例えたらいいんかね
あの世界の父親像は
川の堤防みたいな存在やったと思うのね
自由に泳がしてくれるけと”も
しっかりと枠として存在する存在
が なんしか
最近 決壊しているような気がするんすね
まあ 父親からすれば
川下にいる方がスーパーマン的にね
頼られている感もあるやろうし
娘からしたら
川下て”守ってくれる
とか なんとかしてくれるた”ろうという関係性
「たがが外れた」と”らえもんが
のび太を助長させ続ける
みたいな感じて” ずーーーと来てるから
なんとかなんなかったときに
「なんて”なんともしてくれないの?」
「役立たず!!」
という感情が生まれちゃう
そんな感情を
持たれたくないし
威厳のあるスーパーマンて”
い続けたいから頑張る
「おまえは可愛い
ゆえに
おまえは正しい」
その必死さが
僕にはおかしくて仕方がないのれす
「うまいこと利用されてるね」
よく言うように
理想の夫が父親像とするならば
そんな「甘い寛大な父親的」な夫なんて
存在するわけがなく
我慢しきれなくって家に帰っちゃう
そうして
川下のお父さんたちは
帰ってきた愛娘にハグしながら
「やっぱり 俺がいなきゃ」
めて”たし めて”たし
となるわけ
世のなかの男諸君 敵は強いぞ
愛に勝るものはないわけさ
僕はね
父親がね
「娘を愛すこと」をもっともっと
オブラートに包まないとね
世の中が平和になるとは思えない
まわるものも回らないと思うのレス
可愛いのは当たり前なんた”から
そこをぐっとこらえないと
お譲ちゃんのこらえ性がなくなっちゃう
って娘がいない僕がいうのもなんやけと”ね
しかしね
そんた”け厳格な家庭て”過ごした
向田さんは皮肉を込めながらも
父を愛していた
というところにね
家族としての
僕は正しい答えがあるような気がしてならないのれす
時代?
時代おくれ?
のんのん
時代がおかしいのて”す
続く
海は広いなおおきいな
『海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む
海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら
海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国』
海と山なら、山派
と根拠なく思っていた私だけれど
神戸は山と海でできていたのに
と思い出してみる。
地平線の向こうには、きっと何か存在している
と考えがちで
見えないものは、勝手に自分のいいように
頭の中で脚色され、追加され、アップデートされる
脳内を
意識的に裏切ってみて
実は、その先には何もなかったり
滝のように下に落ちていったり
しているのかもしれない
そうは思いつつも
満ちては引く、波が発する音や
満ちたら必ず引く
という生真面目さに
母の体内にも似た安堵感さえ漂う
海+山=神戸
山だけでは、神戸は成立しないんだった。
つづく
クラブ別世界
昨夜は辛酸一家の最高幹部たちと
「クラブ月世界」のカラオケパーテーに桜として参加
そもそも 人の歌声というのは
好きじゃないが
歌の上手な人ののと”自慢大会ということと
幹部会議ということて”参加することにした
なぜ人の歌声が好きじゃないかと言うと
僕の声は非常に低いため
流れてくる人の歌声にかき消されてしまい
何回も
「え?」
「え?」
「え?」
「なんて?」
と聞きなおされるから
普通の会話量の三杯くらいカロリーを消費し
なおかつその会話量に
のと”がイカレてしまうから
参加者たちとのコミュニケーションをとらず
静かにしておくのが得策となり
た”まって人の歌声を聞いておくか
画面に流れる歌詞を目て”追うかしかないのが
とても辛い
それにひきかえ
スポットが当たるなか
拳をつきあげて
歌い手の気持ちよさそうな顔
僕はアルプス席にいる
補欠の高校球児のよう
羨ましすぎて
Too Much pain
あの場に立ち
君が代を歌いたくなった
若かれし頃 六本木や赤坂のクラブに何回か行ったものの
つんざくボリュームて”会話が成立しなくって
いつも静かに佇んて”いた
「うるさいなぁ、ちょっとは音下げろよ」
と呟いたところて”
会場のボリュームが下がるわけもなく
照明があがるわけじゃないから
いつも
仲間たちが躍りくるう中
こっそり店を出て
ポツンと出口ちかくの縁石にたたずみ
深夜のラーメン店員や
道行く人々や
通り過ぎる車のライトを眺めていた
「俺 なにやってんのやろ」
と考えながらね
大音量にかき消される
何も聞こえない空間において
至極まっとうなコニュニケーションは成り立つはずがなく
ゆえに暗中模索て”
寄り添い 見つめ合うんやろうけと”
その人間の不愉快な1.3mの距離感に
入られるのも嫌やったし
耳が残った音て”ファンファン…なり続けるのも嫌やったし
朝焼けの中
始発の列車を待ち続けるのも嫌やった
スリラーを躍り続けて疲れてしまった
エキストラのゾンビたちの一員になっている自分自身もね
ゆえに僕は4,5回行ったのち
暗闇の世界に身をおくことは全くしなかった
(ハリウット“のアクション映画に行かないのも
まったく同じ理由やけと“ね)
大学生になって
いくことはなかったし
イギリスにいたころも
いくことはなかったクラブ活動
そして大人になって
何回か別の方のクラブ活動にも誘わるものの
前述のように
雑踏の中の会話がとっても煩わしくて
下手くそなカラオケが流れるものなら
寝ちゃったり
「帰ります、お先に」と言って逃げ出すことも多々あり
縁石に座っていた高校生の頃と何一つ変わってない
自分に呆れかえっちゃうわけて”ある
優勝者を見終えた後
台湾人の店員が
日本人が忘れてしまった
不器用て”
はにかんた”
純粋無垢な笑顔て”迎えてくれる金山園て”
僕等は豚足と餃子を
ビールて”一気に流し込んた”
他の客と肘のスペースの取り合いをしつつ
間違って他人のビールを飲んて”しまいそうな
ぎゅうぎゅう詰めの熱気にあふれる店内
1.3Mの距離もないし
煙草の煙が紫煙の層を作り
がやがやと賑い
月世界とはさほと”変わらぬ
会話が成立しにくい空間た”ったが
僕は人工的に賑わうクラブ活動より
やっぱり
人口的に賑わう大衆中華の方が好きた”
僕は小津安二郎の世界が好きなんやね
ということを改めて感じた
人工音が邪魔をしない
赤の他人とコミュニケーションが成り立つ可能性のある
クラブ 別世界なら行ってみたいと思う今日この頃
極めてアナログやね
続く