神戸版ともだち母娘
友達と服装の話になって
あなたには、これが似合う
あなたはこれ。
もっとこうした方がいいのに。
もっと露出すべきだよ
腕は出すべき
せめて首、手首、足首は絶対出すべき
えー。無理ー。
大丈夫、大丈夫!その方がいいよー!
と、お互いに好きなことを言い合う。
私も
いつも同じすぎるから、代わり映えのする服を着なさい。
これからは、柄物のジャケットを羽織りなさい。
というアドバイスを頂戴した。
その中で大切な日の服装について、という話になり
友達の一人がお母さんと決めると言った。
実は私もそれに近い決め方をする。
これにしようかなぁ、と思う服を着て、母親にヘンじゃないかチェックをしてもらう
ヘンじゃないかチェックは小さい頃から行われ
中学生くらいになると、それと自分の着たい服とのせめぎあいが起こる。
そもそも、買い物には母親と行くというのが神戸の慣わし
と勝手に思っている。
大丸近くは母娘づれがいっぱい。
学生の頃なんかは特に。
買ってもらえるし…という理由ももちろん
というか、多分にはあるけれど
似合うもの、必要なものをそこで教えてもらう
これ絶対着るから!と言い張って
反対されたけど、自分がよかれと思って買ったもので
やっぱ着なかった
似合わなかった
というものが沢山あって、そういう積み重ねから
やっぱりヘンじゃないかチェックは必要かな
という結論になる
もちろん大きくなってくると
そこに自分の好きなテイストが加味されていき
親世代とは違う雰囲気になっていき、それが個性となっていくんだろうけど
神戸はオシャレというイメージは
きっとそういう親からのスタンダードを引き継ぎながら
今の新しい流行も取り入れつつ
自分なりに合体させて、そこからまた選択する
という行為を無意識にしているからじゃないのかな、と思う。
母親のテイストと全く違った場合はかなり苦しいけど
それでいても
自然と、知らぬ間に、気づいたら同じような毛色の服装になっていっている
そして、それが神戸カラーになる
そういうことだと思う
つづく
メタボーイ投下
明日は夜半から
ワールト“弁理士とご飯にいくのて”
今日も僕がアップップ
さてと
何書こうかしらん
と考えてみる
昨夜は学生時代の友人と純にてお食事会
結婚して2年目を迎えた彼は
ぶくぶく太っていっている
メガネが実に苦しそう
彼のモテ”ルチックなルックスは何処かへ消え去り
このペースて”いくと
たぶん 40過ぎたくらいには
陰も形も変形し それこそWHO Are YOU?
になっていくに違いない
僕も人のことを言えた立場じゃない
お互い気をつけようね
お互いがお互いを見分けるためにもね
現役スポーツ選手たちの
高校時代とかの写真を見ると
とても華奢に感じる
よーそんな体て”甲子園や花園に活躍したね
とか
その後の肉体改造は想像を絶する世界なんやね
とかね
そういう過酷な修練を繰り返し
アスリートの集大成に向かっていき
そして引退し
あの絶する世界から解放された彼らは
ぶくぶく風船のように太っていく
僕も35を今年迎える
青春時代の頃のスタープレーヤーが
指揮官に変わっていき
僕が18才の頃
ト“ラフトにかかった同い歳の人間たちが
泣きながらユニフォームを脱ぎ
次のステップに移ろうとしかかっている
確実に老いているね
先日 あるクリエーティブ会社の社長とお話させて頂いたとき
「クリエーティブ35歳限界説」を切実に唱えられていた
確実に置いていかれてるね
それはね鏡の中じゃあまり測れないことやけと”ね
肉体的にもアイテ”ィアにも
現場じゃ通用しなくなっているのは事実て”
そんな環境的35歳説を僕は迎え撃たなければならない
それを迎え撃つための
「兵糧的重要なストック」が贅肉なのか否かは分からないが
きっとそうじゃなく
精神的に燃え尽きるまて”の限界から遠ざかってしまうゆえに
その分燃やすべき肉体からメッセージ(脂肪添付)が送られてきてると思う
もちろん老化によって脂肪を燃焼しにくいってのもあるけと”ね
(上司A)
おみゃーさん
ちょいちょい
もうちょいストイックになりなさいよ
営業は足て”稼ぐんよ
忘れたのかえ?
(上司B)
はいはい
ノルマ ノルマ
これ今晩中にやっといてね
(ライバルC)
経理の奴らが文句言ってたよ
経費精算遅いってさぁ
はい 伝票
万年係長の僕の机の上に乗っかる書類の束
それを目の前にしたとき
(僕)
こんなん無理に決まってんじゃん
腹が減っては戦は出来ないよねー
ごめん
吉兵衛テンコWつゆた”くを買ってくるわ
(むしゃむしゃ)
眠い
(プー)
また明日やろ
みたいな机の上の書類たちが
若かれし頃にはなかった脂肪っちゅーことなんやね
こんな姿 勝負師じゃない
ハングリー精神
つまり空腹こそが
勝負や精神統一に欠かせないってこと
メタボーイじゃ
この35歳の荒波を乗りきれんよ
ったく
と思いながら
自分の腹を見た
このままいけば確実に負け組やね
続く
非理法権天
世のなかのワンマン経営者や独裁者についての
ルポタージュや新聞の記事や歴史書を読むと
ブレーキが効かない暴走列車と化した独栽者が
それをなんとか止めようとする番頭さん(懐刀)を首にすることによって
収拾がつかなくなり 統制が効かなくなり
地に落ちていく結末が圧倒的に多い
いよいよになったときに
やぶれかぶれになり
その姿にあきれ果て
部下たちは「天誅」といって
主君にとと”めを刺す結末も圧倒的に多い
それは歴史的に客観的にみれば
増長しすぎた主君が悪いから
「調子乗り過ぎた罰」が与えられるのは当然
とか
「歴史に学べ」と悪いサンプル扱いされてしまう
かと思えば
世界大戦の戦勝国は
半世紀経っているにも関わらず
いまなお差別化・区別化出来る恩恵を受けている
じゃあ歴史に何を学ぶのか
と考えても
尺度を長短 都合よく取れば(100年単位くらいまて”延ばしたり10年にしたりね」
何しか 「ほらね」となり
いやはや 何とも歴史的な解釈というのは
都合がいい「後付け」
ともなる
信長にしても
ヒトラーにしても
東条にしても
原爆にしても
文革にしても
マルコス政権にしても
シリアにしても
なんにしても
僕たちが何を学ぼうが
その犠牲者の気持ちになることは出来ず
そのバーチャルな体験によって
「独裁政権はあかんねー」といった
とってもとっても抽象的な意見しか生まれない
それが抽象的すぎるから
いつの世も独栽者が性懲りもなく
ゴキブリっチのようにウヨウヨ産まれてくる
歴史が物語っても
その加害者の暴走も
その被害者の涙にも何の効果もありゃしない
結局「ミライ」が「過去」に
審判を下す
ってなた”け
隣国を見てみたらいい
親子三代に渡って
まるまるもりもりじゃないか
そう考えると
しょせんニュースや時事なんて
自分に全く関係ないことて”あって
それよりも
自分が鼻くそをほじっている姿を
ご近所さんに見られる方が到底恥ずかしくて
鼻くそほじっているんじゃないよ
鼻がかいーの
というふりするくらいの行動が大切って話となる
話が飛びすぎた
楠公さん(湊川神社)に飾ってある
非理法権天という言葉をご存じて”しょうか
理屈は非の上を行き
法律は理屈の上を行き
権力を法律の上を行き
天は権力の上を行く
しかるに天は全てを支配するっちゅー解釈
たまたま
権力者がネズミ捕りに捕まるように
天誅を受けたってこと
歴史や化学や科学やルールは人類が作り出したFAKEに過ぎない
僕等はそのFAKEにのっとって
国連憲章にのっとって
日米同盟にのっとって
日本国憲法にのっとって
日々を平和に暮らしているんた”けと”
いつの間にかお天道様を気にしなくなっている方が
遠くのファシズムよりよっぽと”怖い気がする
人間対人間の争いなんて所詮人間同士の話に過ぎないし
独栽者なんて結末を迎えるまて”独栽を続けるんすね
ぼくらがあーたらこーたら
ゆーたって無意味なことは
歴史が物語ってんじゃない
(語弊があったらよくないから書きますが
知ることによって解決につながるとするならば
いくらて”も知りますし
解決につながらないけと“も
それて”も毎日 多くの新聞に目を通しております)
情勢を知っていることは記号て”しかないんス
株が上がる下がるとか
あいつ最悪とかあいつ良いやつとか
1192つくろう鎌倉幕府的なね
そんなことよりも
やれ異常気象や
それ北極の氷解の話の方がね
大干ばつとかね
僕等の身に降りかかることが重要
なのにね
それて”もね
食べ物を残すとか
水を垂れ流すとか
て”んきつけっぱなしとか
使えるものを捨てるとか
簡単に出来る
身の回りの出来ることを気にしない
そっちの方が本当は大切なのに
我々た”けじゃなくって
生物全体にかかわること
これらの話って
歴史に無い話やから
10000倍怖いんス
天から罰当たるよ
ほんとに
清書する時間がなっしんぐ
ばいびー
続く