愛しのるみたん解説編
僕は美しいものがとても好き
美しいというと
それは宝石とか自然美とか女性とかを
考えがちやと思うが
小説や韻や映画の音楽
その流れがとても優雅かつ
知的なものも僕の中の美しさの範疇にはいる
ぼろぼろのジーパンをはき
くたくたのTシャツをきている僕を見て
「おいおい35歳のおっさんよ
飲み代を少しは洋服にあてようよ・・・・」
と周りの人から蔑まれようが
「なんとなく買ってその場をしのぐ」
のも嫌いやから洋服にしても靴にしても
買いに行けばそれこそ理想のアイテムを何時間を探してしまうし
(もちのろん ノンブラント”ね
それらに頼るのも好きじゃないしね)
自分て”いうのもなんやけと”
僕が一目ぼれしたものは
ノンブラント”やのに
とても高すぎて とても手にいれることが出来ず
かといってそれに代わるものがあったとしても
さらに高くて 途中買い物に疲れて
ビールを飲み帰ってしまうことが往々にしてある
t-シャツ3万
アウター40万
そういった価格はもちろん
作り手の愛情や手間暇やセンスが反映されていて
そんな「美しい」ものを本当は欲しいんやけと“
500円の中瓶を飲む方が経済的やしね
と思うものの
ウニクロの5000円のものや
バーゲンの特売品や
それこそアウトレットにいって
アイテムを買う気が起こらない
なぜならば
「安いから買ったらお得よ」
「なぜかわないの」
と言わんばかりのバナナのたたき売りに対し
その価格にまずもって
テ”ザイン性を感じないし
ウキ―ウキ―と
サル扱いされている気がしてならんのれす
そんな御膳立てされたものよりも
砂浜にて素敵な貝殻を探すようなプロセスが
ものを購入するにあたって僕は大切やと思う
もちろんブラント“品を買わないわけじゃなくって
今まて”その店のアイテムがとてもきれいとか美しいと思う確率が
高い場合はちょいちょい顔を出すけと”も
たとえば装飾品ならアガット
たとえば鞄ならケートスぺート”
残念ながら男もんじゃないけと”
僕は女性にプレゼントを買う際には
決まってこの二つは見に行く
男性にプレゼントを買う際には
ティファニーを必ず見に行く
なぜならば美しいものを発見しやすいからね
それがブラント”やろ
と思う方も多くいらっしゃると思いますが
違うんよねー
ティファニーやから買うわけじゃない
と言うことなんすよね
僕がいいたいのはね。
という前置き
僕は昔から思っていたことやけと”
神戸のカッコイイ男の割合と
神戸の美しい女の割合って2対8くらい
つまり女の方が圧倒的にセンス(ビジュアルも含め)が
勝っており その圧倒的センスがない野暮ったい男との
バランスが摩訶不思議なことに成立していることが多い
(最近あんまりにも
かっこいい男(ビジュアルとセンスを含め)が
減り過ぎている感も否めないがね)
女の人が化粧をしたり アクセを付けたり
くるくるまつ毛をつけたり 瞳を大きくしたりするように
男にとっての飾りものって
車とか時計とか言うけと”
なんといっても
付き合っている
もしくは飲みにいっている
女性のレベルと思うんよね
「ああ可愛い女連れてんな」
とか
「彼女可愛いね」
そんなことが少なからずとも
僕の生きてきた歴史 世界観においては
男達のステータスとなってる
んて”もって
「あいつは金持ってんやろね」
とか
「あんな可愛いのになんて”あんな男と付き合うんやろ」
とか
「あいつコロコロ女変えてるけと” それはそれて”学ぶものがあるんやろね」
とかも全部ひっくるめて
「男は顔じゃない 中身じゃ」
ということを改めて再認識させられる街やったのに
なぜかしらん
近頃のこの街のカップルたちを見ていると
ブサイクとブス
ブサイクと美人
男前とブス
男前と美人
のパワーバランスが大きく変わりつつあるのが分かる
以前はブサイクと美人の関係性が圧倒的シェアを誇っていたのに
今は男前と美人orブサイクとブスのカプールの寡占化状態になっている
じゃあーりませんか
まして男前とブスの関係性は
砂浜のお宝ゲームのようになっている
ぶすぶすっていっても
世のなかの女性は自分を可愛いと思っているから
ノープロブレムとして
同じ男として
男は自分がブサイクというのは
一番よく自分が分かっているんよね
そこのスタートラインに立つために
日夜 いろんな美しいものに触発されて
自分をみがいていくもんなんやろうが
しかしね マツキヨカップルのことをいうとね
彼は彼を自分はブサイクやと認識してるはずやし
彼は彼女をきっと可愛いとは思っていないはずやし
彼女は彼女て”自分を可愛いと思っているはずやしね
彼女は彼を決してかっこいいとまて”は思ってないはずやしね
そんななんかお互いジャブ打ってそうな彼らが
舞い上がっているルミナリエにね
僕はショックをうけたわけさ
もっとね ひそやかに愛を語り合っているもんなら
また”可愛いもののね
冒頭の話と合わせるとね
僕はブサイクとしてこの世に生まれ
小学校の時にブサイクなりに生き抜く生存方法を
ずーと考えてきた
運動神経もない
頭もよくない
甲斐性もない
から
「笑い」に救いを求め続け
それを武器にして
「美しい」
「こいつと付き合いたい」と思ったら
まめまめ星人に変身し
かならずものにしてきた自負がある
※ウニクロ的な「こいつとやりたい」た”けはたいがい失敗してきた・・・
なんかね そういう情熱って青春時代しかないものやし
その身分不相応さがなんかまた
「やってやろーじゃんかよー」みたいな気持になり
なんちゅーか
自分の可能性を信じるといいますか
あの達成感
ほら
「この女性と付き合うことが出来た喜び」
みたいなね
そういう可能性に満ち溢れたこの街が
この街ごとが
草食系になっているような気がしてならんのれす
男諸君 なんとなくはあかんよ
こた”わりをなくしちゃあかんよ
このままの構図が進むと
次世代
めっちゃ可愛いとブサイク
めっちゃハンサムとブサイクしか生まれなくなっちゃう
二極化が進むよ
がんがれ!!!!
とハンサムじゃない僕は思いながら
この2012年を締めさせて頂きます
また来年!
あばよ
続く
もーういーくつねーるーとー
クリスマスも終わり、お祭りムードから一転年末ムードへ
ジングルから鐘へ
無理やりサンタの格好をさせられていたピザ屋さんとかお店の人とか
外に立っているカーネルサンダースさんとか
あんなに盛り上げてくれた赤と緑の配色たちが一挙になくなり
和風にシフトチェンジしていく
そういえばもう何年もツリーなんてものは出していなくって
最後に出したのは一体いつだったかしら
小さい頃はおっきなツリーだと思ってたけど、今見るとそうでもないのかも。
全員B型のうちの家族は、出す時は嬉々として嬉しがって出すけれど
その興味は長く続かなくって、すぐ飽きてきて
結局クリスマスが終わっても誰もなおそうとせず、新年明けましてツリーみたくなっている年もあった
その
散々持ち上げられた末に落とされる
愛されていたのに急に心変わりされて捨てられる
一発屋の芸能人のように使い捨てされる
そんな一日を境にコロッと変わる移り気な私たち
楽しい事があっても終わりを意識してしまう私は
剥がされるサンタのポスターやモミの木のディスプレイ
捨てられる余ったケーキとチキンにイベントの切なさを感じる
街並みを、一夜にしてなかったかのようにしてしまうその手際の良さと素早さに
驚きとわびしさを感じながら、次のイベントをまた求める
求めよさらば与えられん
というわけで、今年最後の私のブログ
最後に、今年一年のご愛読とご愛顧に感謝し
サプライズ報告がございます。
皆様からのご好評につき、来年1月の3日間、土曜日のみですが
三木さんの個展会期延長が決定いたしました。
1月12日(土)、1月19日(土)、1月26日(土)の3日間、
これまでの展示内容に、過去作品を加えて展示いたします。
すでにご来廊いただいた 方も、まだ来られていない方も是非お越し下さい。
ABOUTUS
-Miki Yusuke Art Exhibition-
http://aiue2005.com/blog/?p=44
2013年
1月12日(土)
1月19日(土)
1月26日(土)
studio a blind spot
〒654-0026 兵庫県神戸市須磨区大池町4丁目1番42号
info@a-blind-spot.jp
http://www.a-blind-spot.jp
営業時間:月~土 12:00~18:00
定休日:日曜日・祝日
来て頂いた方、また来て頂いても新しい発見がある展示にしたいです。
お時間合いましたら、ぜひぜひご高覧くださいませ!
最後に
a blind spotにお越しいただいた皆様、a blind spotのことを考えて下さった皆様
助けて下さった皆様、助言やアドバイスを下さった皆様
本当に本当にありがとうございました。
感謝しかありません
一年早いなー。
来年もどうぞわたくしたちをよろしくお願いいたします。
皆々様、良いお年をお迎えくださいませ。
では。
ドロン。
大橋
つづく
もういくつねると・・・・
はい 今年もあと残り三回のアップとなります
本当は今日大橋さんがアップして
明日僕がアップして
ちゃんちゃん
となる予定れしたが
明日は予定が詰まってて
あんまり時間がないし
かといって今日もあんまり時間がないから
ルミたんの解説編をかくことが出来ないし
大橋さんも今晩予定があるっつってたし
今 僕は携帯を無くしたため
明日飲みに行く元上司の℡番が分からないから
元勤務先に問い合わせして
店へのコールバックまちやし
なーんもすることがないから
こうやって画面に向かっています
皆さまはいかがお過ごして”しょうか
荒い運転をされている方もいらっしゃるれしょうし
残ったクリスマスケーキをほおばっている方もいらっしゃると思いますし
若頭のように拡大委員会の真っ最中って方もいらっしゃると思いますし
年賀状を書いている方もいらっしゃることれしょう
みたいなことを
最近 よく考える
この僕がタイピングしている瞬間にも
人それぞれに時が流れていて
そんな瞬間に亡くなっている人もいたり
そんな瞬間に誕生したりする生命もあったり
浮気がばれた瞬間の人もいるやろうしね
そんな一分一秒が
人生を大きく変えちゃう
しかしながらその劇的なト“ラマを
他者の場合
共有することもなく
笑いのネタにつかうこともなく
蚊帳の外の何処かて”起こっていることとして
スル―していくんよね
そんな瞬間に多く立ち会うためには
すなわち「他者じゃなくなった」相手の事に
心から共感し
心から蔑み
心から憐れみ
心から分かち合い 喜ぶ
事が出来きれば 出来る程
僕等は他者の疑似体験をすることが出来
より深い感性をたもつことが出来
相手を思いやることが出来る
いわゆる深い人間になれるんれしょうね
つながり
他者から知り合いへ
知り合いから友人へ
そういうプロセスが
昨年くらいからFACEBOOKの台頭て”
本当に簡略され
もっと言えば
携帯ってものて”
コミュニケーションってものが
すぐそこにある存在するようになった
すぐそこにあるから
すぐそこにあるものて”済ましちゃって
すぐそこにないものを
とても煙たがったり
面倒くさがったり
っという意味において
とりわけ
今年一年は
なんといいますか
易きに流れがちな人間の本質を
簡略されすぎた人間の関係性を
fakeな自己主張を
まざまざと勉強することが出来たなぁ
と思いました
ああこういうのが人間なんやと。
そしてた”れも分かってくれないのは当然なんやと。
寄らば大樹の陰と。
別に僕はた”れも分かってくれない
なんて思ってませんし
むしろ 僕の周りには
人並以上に理解者たちがいっぱいおります
とても恵まれている
とても人間関係に感謝している
一方 ラリーがあまり出来ない人間関係の場合
「おまえは変わっている」と
時に人に言われます
変わっているのは
時代にそって変化しているあなたて”あって
僕はそんなに変わっていないた”け
といつも心の中て”思います
「おまえは熱すぎる男や」とも
時に人に言われます
俺が熱すぎるんじゃなくて
キミが寒すぎるんよね
といつも心の中て”思います
「意味わからん」とも
時に人に言われます
お前にはわからんが
俺は分かっているし
お前の「意味分からんこと」を
少なからず俺は
理解をしようとしている
といつも心の中て”思います
簡素化された空気も好きじゃないし
簡略化されたコミュニケーションも好きじゃない
切った貼ったの
簡単な答えも好きじゃない
安かろう悪かろう
易かろう悪かろう
もちろん歴史を刻むから
関係性が深まるとも言えますが
そんなこといっちゃえば
長く生きている人たちは一〇〇〇〇人の友人たちと
関係性が成り立っている
ということになります
が
実際は日常の中の範囲にしか過ぎない
せいぜい300人程度に
ちがいないんじゃないんれしょうか
それも携帯のメモリーの中の数
じゃあ本当にラリー出来る人間の数は?
ってことをいちいち考えていくとね
大切なのは「今」て”あり「目の前の人」て”あり
やっぱり親しき仲にも礼儀あり
ってことになってってね
バーチャルじゃない
face to faceの世界においてね
おはようございます
ごめんなさい
ありがとうございます
おつかれさまて”した
って挨拶がね
自分から出来れば それた”けて”
「おれおれ主義」の
この世の中渡っていける気がするんすよね
この簡素化された無味乾燥な世界において
この「今あることが当たり前」な世界において
今 一度
この挨拶の重要性をしっておく必要性が
あるんじゃないかなぁ
そんな簡単なことが
皆が必死に手に入れようとしている「縁」を
皆が簡単に手に入れることの出来る「縁」を
劇的な出逢いを
崩壊しつつある家族のきずなを
近寄せる一番の方法やと心から思うのレス
そして携帯じゃなくFBて”もなく
これこそが
弧独から遠ざかる為の一番の方法やと心から思うのレス
それこそが
日本を明るくするんじゃないか
明日につながる一歩じゃないかと
と思う年の瀬
ってなわけて”
一年間御愛読ありがとうございました
皆さまにとって来年が素敵な一年になりますように
あと一回僕の番あるけと”ね
それはおまけ的なね
さぁ 年賀状書こう
続く