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土曜日に結婚式を上げる古本君へおくるスピーチの下書き


親愛なる古本君



君が入籍してから飲みに行く機会がめっきりへりましたが


その後 いかがお過ごしでしょうか。



独り身の僕にとって結婚ナンセンス宣言をしていた君は


とても頼りになる人間でしたが



そのナンセンス宣言を撤回され


僕は再び ひとりぼっちになってしまいました




オーサワさん


オーサワさん


まるで君が僕を呼ぶように鳴っていた着信音は


全く鳴り響かないようになり


僕は少々 こもと君は生きているのかと心配するようになってきました



が二箇月程前 丁重に結婚式の招待状をもってきていただき


そして この冴えない僕にスピーチを頼んでそのまま風のように帰っていきました





僕はこの課題にどのように取り組みべきか


毎日毎日寝ても覚めてもスピーチのことが頭を過ぎり


あーでもなく こうでもなく


とっている間に


ついにこの日に至りました。



そういった意味では二重の喜びを感じております



ありがとう おめでとう





さて新郎のこもと君と私の出会いを簡単に申し上げます



とある広告会社の営業として働いているときに


デザイナーとして入社され朝から晩まで顔を突き合わせるようになりました



体育会のりの上下関係の厳しい会社だったのですが


彼はそんなものを全く気にせず愛想笑いのひとつも浮かべず


桜島のように黙々と仕事をこなしておりました



そして気が付けば道場破り
のように上であろうが下であろうが


否 理不尽な仕事の要求をする上に大して


「ならぬものはなりませぬ」と内なる感情を爆発させる


ってこともなく ただひたすら仕事をこなしておりました



その姿は桜島というよりも富士山のように


孤高で達観しており 上から目線で申し訳ありませんが


「こいつ なかなか芯があるね」


と感心し そこからご飯を誘い 誘い 誘い が続き


誘われることはなかったものの今 現在にいたるわけです



その数々のお食事の機会のなかで


本当のこもと君が見えてくるようになりました




とりあえず賛成の反対派


つまり何事にも疑ってかかるわけなんです


例えば僕がこれいいよね


といえば


彼はどこがっすか 


というし


僕がこうしよう


というと


僕ならこうしますね


と答えます




まあ天邪鬼といいますかなんといいますか


世の中で言う所謂変わった男に違いありません



それは言い方を変えれば


この臭い物に蓋が目に余るこの事勿れ主義全盛のこの時代に


またコミュニケーション能力が欠落しているこの時代には


彼のような物申す人間が稀有な存在であり


だからこそ彼と僕はこうやって長年お付き合いをできたに違いないと


心から思うのです



しかしながら公の場ではそういう姿を一切見せない



から僕には僕だけが知っているこもと君が存在していたのです





冒頭申し上げたように


みんなが幸せ満点で結婚していく際には


「その結婚の意味がわからない」とうそぶいておりましたし


僕の過去の結婚についても彼はそのように感じていたのでしょう
 







そんな彼がある日


電話をしてきました


いつものように三宮集合のお誘いかとおもいきや


「あの 実は紹介したい人がおりまして」


へー誰?


「とってもいい子なんです 気が合うし 話も合うし」


へー


「是非 神戸の兄貴である大沢さんにあってもらいたいと思ってます」



ふーん



彼は人をけなすこともないですし


一方で人を褒めることをあまりしません






この言葉の流れで僕は彼がいずれ結婚するんやろうな


と思いました。



なぜなら僕は結婚のときそういった感情をもつことはなかったからです


と同時に僕はお嫁さんのお父さんのような気分になりました



なんといいますか威厳を保たなくちゃいけない


イメージでいうと書斎にこもっているいささか先生のような立ち位置で会うことになりました



ふんふん


ほうほう


なんだかいいじゃない



というかことも君



僕の前でのろけすぎやろ


あの西郷どんばりの
男らしさは


跡形もなく火山灰のように


飛び散っておりました




おしてするべし


そう


僕は古本君と飲む機会がだんだん減っていき


一方で


彼女との愛を育んでいきました




会う機会がすくなるなると


人の表情や体型の
変化には手に取るようにわかるものですが


古本くんのギザギザロックンロールの顔は


面白いほどに
仏様のように柔和な顔に


エレキギターからフルートのように穏やかになっていき



愛することとはこういうことかと


食べかけのせんべいをこぼすように見とれてしまいました



お互い怒りをモチベーションしていたのに


いつのまにはこもと君はカズちゃんをモチベーションとしていたのです




そこでも僕は彼が結婚するだろうな


と確信を得ました




そして昨年またまた珍しく電話がかかってきたと思ったら



「おーさわさん 結婚届の証人になってもらえませんか」


との連絡がありました



僕はいささか先生から神父のような気分に昇華しました


「汝はいつなるときも・・・・・」


と執拗に質問を繰り返し



いつものこもと君なら


「しつこいですよ  おーさわさん」



というくせに


まるでパブロフの犬のように


どんな質問をしても


「僕が彼女を幸せにします」


とヨダレを垂らしながら答えておりました
 



その姿を見て僕は


彼らがきっと幸せになるだろうと確信しました




彼は幸せの節目に僕に連絡をくれます



きっとこれからも見せつけてくれることでしょう


次はベイベーが出来た時かもしれませんし


家を買うときかもしれません



いつだって見せつけられる役目の僕ですが


そうやって幸せ自慢されることの立ち位置にいられることに


そして今日この場に立たせてもらっていることに


なんだか喜びを感じます






続く

おれたち男の子 ゴーゴー


 おげんきですか



僕は今 井上陽水の気分で


みなさんに語りかけている



店の売上は乱気流に飛び込んでいる毎日


うお絶好調


と思えば


うお絶不調



が波打ち



「ああこれが水商売やね」とつくづく最近感じる。



水商売が決定的に他の商売と違う点は


商品が傷んでしまうこと


お肉も野菜も調味料も何もかも


賞味期限というものがあり


大量に仕入れれば


大量のお客様を迎え撃つことができるが


目論見が外れれば


放すわけにもいかないから


スタッフたちにもって帰ってもらうようにしている


いずれにせよ


そういった仕入れ一つにしても


勘を働かせなくちゃならないから


日常生活においての勘は若干鋭くなってきたような気がする



ほんの些細のことなんだけど


今日はお客様が何人くらい入って


この食材がたくさん出て


ご飯は何回くらいたいて


売上はいくら位で


だからスタッフにはこの時間まで延長をお願いして



なんてことまでを考えて


自分の勘をいつも磨くようにしている


そんな一つ一つの些細な勘が外れる度に


心から悔しがり


当たるたびに


心の中でヨッシャーと叫ぶ



がなんといいますか


そんなことで精神が研ぎ澄まされていき


研ぎ澄ますということは必然的に真剣になるし


最悪のケースをいつも想定しているから


事態に対してのノリシロがとても広くなり


なんといいますか 


肉体的にはしんどいものの


精神的にはとても成長しているような気がする



誤解しないで読んでいただきたいことだけど


経営者(フリーランスも含む)と


サラリーマンの決定的な違いというのは


この点にあると思う



明日があるし会社の経費だし


気に入らなければ辞めればいいし


労基もあるし有給もある


あるあるー


なんてことはあくまでも表面的なハードにしかすぎないものの



にしかすぎないもののってやせ我慢してるね僕


実際


大変 羨ましくって


あー夏休みー


を楽しむことが出来ることなんてとっても羨ましいが



この経営者にしか味わえない勝負勘


それに付随する背水の陣的緊張感


取り越し苦労が


全て術中にハマリった時の喜びは


仮に年末ジャンボ六億円当選並みに楽しかったりするんだろうな


と僕は思う



だから僕は他力本願の博打は一切しない


相場もしないし外貨もしない




実は口座のいくらかを米ドルでと思っていた


70円後半の昨年


周りに反対されまくり


結局 やめた




120円までいきそうな雰囲気があるらしい





勘が働いていたのに


冴えないなぁ



と悔しい思いをしている



午後二時三十分




しかしながら



山中教授のVISON&HARDWORK


本田宗一郎や松下幸之助の経営哲学


稲盛和夫さんのフィロソフィーなどなど


目を通していると



そんな泡銭に目を逸らしている場合じゃない


と自戒するわけさ




同様に




プライベートの男子会においても


僕は刺激を与えてくれる人


知らないことを学べる人


未来志向の人



としか僕は飲みにいかない




See?大橋さん 答えになってるかな?






馬鹿にする人


バカにしてくる人


話していて面白くない人



とはまずもって飲みにいかないし




恋愛話なんてまずもってしないし


自慢話も言わないし聞かない


泣き言も言わない



そんなの男子会じゃ御法度なんよね




我々を1として


1+□=成功


でお互い何をいれれば成功になるのかを


1×□=成功


で何をかければ成功になるかを




つまり何を成功とするかを共感しあえる人間ね


お互いアドバイスし合うのが男子会の本質にあると思う




オタクの人たちはオタクの人たちと


付き合うし服装もカバンもメガネも似てくるように



僕の周りの人間はいつだって


真剣で勘を働かせている人間ばかりだ



そして聞き上手な人たちばかりだ





なぜならば彼らは自分のことは自分が一番わかっているし



自分の自慢話をみんなの前でしたとしても


まわりは辟易するだけだし


まったくもって自分のためにはならないし



それ自体が時間と金の無駄だとよくよく理解しているから




そんなことよりも


いかに人から有益な情報を手に入れるかに


つまり聞くことに専念している




聞いて欲しいなんてほっとんどなくって


きくことに力点を置いているわけさ




それは僕が上記のようにそういう境遇にあるからかもしれないし


それを僕が求めているかもしれないから



いづれにせよ


僕は男子会メンバーに


「成長させてくれているな この人たち」と


つねづね感謝している



だから僕も少しは相手のためになる存在に


ならなければならないとも感じるわけさ




でもね時々は一言ふたことは愚痴りますよ



君ならどー思う?


君ならどうする?


話の主体を相手に置き換えてもらうのさ




男子はね


それらの答えを聞いて


なるほどね


となり



わかってないね


なんて絶対言わない



「君に質問した俺が馬鹿だった」




ということになるからね





さて今から


エリートバンカーと


ワールド弁理士と


おしゃれ弁護士と


奥の谷さんと


今晩集う店を決めなきゃね





チャオ




続く






























































アナログおじさん1巻



いつの時代にも、どんなものにも新旧はあって、新と旧はお互いに分かり合おうとするものの
当たり前の感覚が違いすぎるため、お互いを受け入れ理解するのは難かしく、なかなか相入れないもの。


その中でも、インターネット・携帯電話期以前と、以後との間には

例えば昭和と平成、団塊の世代と新人類
そんな違いが些細に思え、すっとんで行ってしまうくらい、広く深い溝が横たわっている。


「ソレら」がない頃と、ある今を両方知る私たち世代としては

「ソレら」が便利だという意識と、何だか情緒がなくなりすぎてしまったという意識とを両方持つことができる。

逆に、「ソレら」が生まれたときから当たり前にあり、「ソレら」なしで生活したことのない世代にとっては、当然ながらソレらが便利なモノだという意識さえ持つことはない。

それは勿論当たり前の話で、呼吸をする事で吸い込む空気を、いちいち意識しないのと似ている。


日常生活において
「ネットとかデジタルよく分かんなーい」
は通用するとして、それが社会に出た時にどこまで通用するのか。

例えば会社では?
例えばコミュニティーでは?
例えば地域では?


回覧板はメールになり、連絡網は非公開になり、投票や振り込みや買い物までネットになってしまったら
「ソレら」から取り残されてしまった人達はどこへ行けばいいのでしょう。


と、カフェで隣合ったおじさん二人の会話を聞きながら考えてしまいました。


前置き長すぎたんで、おじさん達の会話については次回に書きます。

期待しないでお待ちください。



それでは、さよなら、さよなら、さよなら。







つづく