ablindspotのブログ -187ページ目

Fire





雨 雨


雨 雨





今日の神戸はしとしとじとじと


心の中がすさみまくっており


今日は職場にてシャウトをしてしまった





激情型と言われて久しい僕やが


実はまるて”そんなことはなく


激昂しているふりして後頭部は極めて冷静に


怒りのプロセスを考えている





こうなって ああなって


相手がこういってきたら


こう切り返して


というシュミレーションを重ねまくり


満を持してタイミングを見計らって


激昂するふりをする




何を言われてもベストキット”のように


「ワックス塗る ワックス拭く」



切り返せるし


言われたらカウンターパンチをお見舞いし


理路整然と詰めて詰めって


ぐうの音も言わせない



から



後後になって


「あの時は怒り過ぎた ごめん」


という謝罪はまずもってしないし


後悔もまるて”ない。




のに瞬間沸騰機扱いされることが多い




から


ああ この人途中て”何の異変にも気がつかず


鈍感やねーって思ってしまう




同じようにぱっと怒って尾を引かない


なんて思われている節もあるが


そんなこともない



そんなタンパクじゃない




JOJOが何発殴られたかノートに書いていたように


僕は心の中に警告カート”を累積していく




「はい2枚 3枚 はい5枚 6枚」



心の中じゃちゃんと数えていて



そろそろ退場してもらおうかなぁ



と思った時には口もきかないし目も合わせないし


まずもって興味を持たない



ところにまた警告カート”が1枚出ると


同じ空気も吸いたくなくなり


同じ空間にいたくなくなり




「はい あなた退場


来月に辞めてもらえませんか」



となる




相手は


一発退場のカート”を受けたサッカー選手のように


身振り手振りを使って


審判の僕に詰め寄るが


気にしない。





それが嫌なら「今すぐやめたら?」


となる




となる一歩手前の自分を落ち着かせるために


こうやってブログを書いている




「王様の耳はロバの耳―」


「イワンのバカ―」




確かに人数は足りていないし


何かあったときには面倒や


結局 自分の首をしめることになりかねない





たた”て”さえ重労動て”ストレスがたまっている時に


心的ストレスがたまると


もう息苦しくって


歯がはれ上がって


腰も痛くなって


煙草の本数もバキバキ増えて




このままポーアイから関空行きの船にのり


そのままフランス行きのチケットをかい


パリのカフェにてエスプレッソを飲み


そのままユーロスターにのってイギリスに遊びに行ったろか


と思うものの




いい大人やしね


そんなことは出来ないし


する勇気もない



から



僕は悪影響を与える腐ったみかんを


店と言う名のUFOキャッチャーからいかに


取り出すかを昨年末から4か月間考えているし


その作戦遂行のため外堀をずんずん埋めてきた




赤穂浪士じゃないけれと”


思いやりのない


礼節が出来てない人間は




この店には


サービス業従事者には


やはりいらない





そうさオイラはさそり座の男


今から退場の話をしにいくか










続く





凡人として生きるということ



「凡人として生きるということ」という本を、凡人の私は今、読んでいる。

イノセンスとか、スカイ・クロラとかの監督、押井守さんが書いた本。

アキラ撮った人の本と思って、手に取ったけど、アキラは大友監督だったみたい。
勘違い勘違い。


兄が幼稚園くらいの時、初めて映画館で映画を見たのがアキラだったらしく、その残虐でグロテスクな描写に

怖くて怖くてずっとうつむきながら、こんなものを子供に見せる母は一体何を考えているのか…と、しばらくトラウマになった
と、アニメーションというだけで子供向けと安易に勘違いした母に
大人になってからも、しつこく何度も言っていた。

私がいいかげんで、おっちょこちょいなのは、遺伝的問題なのだろう。


この本の中では、常識とされている様々な価値観について、そうか?
と、騙されるなよ
という押井的一石を投じている。


若さに価値はない、とか
自由であるべきという欺瞞、とか
友達、仲間と間の損得勘定、とか
文明化の負の要素、とか


なるほど、同感。
と思うことがたくさん。

中でも、誘惑と二重価値の話が面白かった。

人は楽しい方へ、楽な方へ自然と流れるようにできている。
もうすでに体験したものや、すぐ側にある楽しいことに目を背けて
苦しいことや、大変なことだけに専念するのは至難の技だ。

快楽や享楽へ向かう設備が完璧にお膳立てされているなかで、「本当はすべき事」や「正義」や「正当」を貫くには、設備が完璧すぎるね、現代は。


だけど、やはり盲目的に、律することが当たり前だ

と頭ごなしに言われても、なかなか素直に受け入れることは難しいもんね。


ほーんに色々な感性と考え方があるもんだね



外からの刺激を体に取り入れるって必要なことだね

と、思った次第です。


お暇ならどうぞ。







つづく













枠 粋 砕






何も考えずに画面にむかっても


画面からネタがふってくるわけじゃないから


仕事中 フライパンを振ってるときも


仕込みて”包丁を握りながらも


「何を書こうかな」


と全神経の3%くらいをつかって


ネタを探している。




今日はあいにくWBCて”売り上げをコテンパンに


やられて逆に暇すぎて


なんしか「そんなことを考えている場合じゃない」と


思い 片っぱしからやるべき仕事を探した


探しやりつくそうとも思ったが


そうするとうちのパートタイマーの方々が


やることがなくなり


なんとなく緊張感がなくなったり


「ほにゃららさーん 申し訳ないが


早く上がってくれませんか―」


なんていうのもなんとなく嫌やし


こうして店を離れてブログを書いている。





がネタがないから困ったものや






最近は本当に町を散策することもないし


映画なんて昨年二本見たくらいやし


本を最近 全く読もうとも思わないし


買い物しようと町まて”出かけようとも思わないし


新聞なんて記事広告にしか最近見えないし


博学なワールト”弁理士は最近 家に軟禁状態やしね





なーんも外部経済ならぬ外部情報が入ってこないから


アウトプットのしようもない



ちょいちょい皆とあって話すネタも


お下劣な話が多くって こんな白昼に書く気も起らないしね






そういえば


パラテ”ィのソムリエがこんなことを先日言っていた



「子供が出来るとさぁ


あんまり自分に興味がなくなっちゃうんよね」



それはソムリエのみならず親になった友人たちが


言い方をかえつつも似たようなことをよく言っているから


少なからずとも皆少しは覚える感覚なんやろうね




いわく去勢されたような感覚になってしまい


次世代にバトンを託すことが優先順位になってしまって



ニュアンス的には「落ち着く」って言うのかなぁ




とかく上昇志向がちったぁ変わってくるようて”


そんなことよりも現実に目をそらさず堅実に生きようって


いう感覚をちょいちょい受ける





家庭を省みて


子供の成長を心から楽しみにして


そんな子供に孫が出来て


・・・・・・・




子が出来て去勢というのて”あれば




孫が出来たとするならば


もうそれは死に体に近いんじゃないかなぁ


と想像をふくらましてみるけと”




世のなかには還暦を過ぎてもがんがん


遊び呆けている人もいるし


ばりばり一線て”活躍している人もいるから


なんとも一括りに出来やしないがね





多くの割合の人にとって子孫というものが



「ああ我が人生、これて”良かった」


と納得することが出来る「生きてきた証」なんやろうね






それが繰り返し繰り返し代々続く感覚なんやったら


確かに「{蛙の子は蛙」なんやろうし


一方て”


本人が蛙なのになんとか「鷹」に育てようと思っても


それはと”うあがいたって


遺伝子操作がない限り そうそうあり得ることじゃない




ってことを考えると結局 教育するということは


人並みに育てることが大切て”あり


人並みに生きていくようにするということは


家庭を持ち 子を育て 次世代に託す感覚を


持たせるということになり



それらをやってのける普通が一番って思えることを


教育することが大切ってことになる





じゃあ僕たち男の子が必ず憧れる


秀吉を除く戦国武将達はみゃくみゃくと


親の地盤を受け継ぎ 15歳て”元服し


二十歳以下て”子をもうけ


去勢されることなく


「はいやーはいやー」


攻撃は最大の防御なりと突き進んた”わけなんやけと”


信長にしても政宗にしても


がんがん女子供を殺し


「ああ無情」な生涯をおくったんやけと”


歴史的背景があったにしろ


人間の思いって


朝起きて飯食って働いて飲み寝るみたく


そうそう本質的には変わらないと思うのさ


僕は。



なのに



アメリカ人のように職場に子供の写真を貼ったり


携帯の待ち受けを子にしたりすることを


もし仮に戦国武将たちが出来たとするならば


彼らはそのようにしてたんやろうか



それが百姓やったとしてもしてたんやろうか



今よりもっともっと生存率低くて


疫病も多くて医学も発達してなくて



それこそ子は労動力


子は宝やったのに違いないのに



わからへんが


たぶん写真を持ち歩くなんて


そんなことはないような気がして


じゃあ何がそうさせたんやろうかなぁ



と考えてみるが


イマイチ答えが見つからない



良いお父さん


良い亭主


良いおじいちゃん



なんて枠がいつの間にか出上がって



その枠に従順に従いつつも



「こんなに家族のことを思ってるのに


なぜみんな分かってくれないんや」




もーれつに働き帰宅しても


お帰りもいわず 出迎えもしない嫁


子供はテレビゲームをしながら


自分の姿に振り向きもされなくって


なかには撲殺されて殺される父親もいて



ってことを考えると


自然に去勢されるんじゃなくって


やっぱり子供に


「いいお父さんと思われたい」っていう神経が


裏目裏目に働き


何となく去勢された気分に陥っているんじゃないかなぁ



と思ったりもする




「子供が中心」



社会がそんな風潮になり出してから


日本経済もおかしくなったとも僕は思わないこともない






なんとなくね




って話




時間や



清書出来まへん






続く