ablindspotのブログ -149ページ目

るそれいゆ





年間362日 店で働いている僕は


年間362日 店のテラスでタバコを吸う。




毎日毎日 映画「スモーク」のように


変わらない軒先を見つめ 行きかう雲を眺め遠くの六甲山を眺める。




変わらない空気を吸い続け 


変わらない景色を眺め続け


変わらない日常を見つめ続けると


少しの変化にさえも喜びを感じたりもする




たとえば虹が出ていたり


たとえばツガイのモンシロチョウがデートをしていたり


たとえば夕日がきれいだったり


たとえばタンカーの汽笛が聞こえてきたり


そんな些細なことを見聞きすることがかすかな塩味となる





そんなその何の変哲も無い日常達の中で


「もっとも穏やかな日だなぁ」と思える本日は晴天なり。



暖かい日差しで暑くもなく寒くもなく


たぶん2013年で一番良いDAYTIMEに違いない。




こんだけ気持ちいいのなら


須磨海岸にいけばもっと気持ちよくなるんだろうね



とほんの少しの贅沢を求めるものの



「着る服がない」


それがどうした


「掛け布団がなくて寒い?」


それがどうした


「売り上げが悪い?」


それがどうした


「求人広告の問い合わせゼロ?」


だからどうした




僕は人工的な甘味料に惑わされず


こんな小さな幸せを感じることが出来ることに


なんとなく幸せを感じたりしている




お天道様


ありがとう




日光浴しているガラパゴスのイグアナも


空き家で日光浴している野良猫たちも


王子動物園のフラミンゴたちも


きっと同じ思いを共有しているような気がする













みんなの歌



昨日は散々歌のことについて考えてみたので


ブログを書き終おえた後 湊山温泉の冷泉につかりながら


歌について考えて続けていた。





銭湯で「ふんふん」おっさんが歌っている曲や


朝の大倉山公園でおっさんが練習している


「うぉーうぃー」な詩吟は解読不可能だが



じーさまばーさま世代であったり


とーさまかーさま世代であったりには必ずアイコン的歌がある





たとえば軍歌とか童謡だあったり


たとえばフォークや演歌であったり


その世代の士気を象徴するような歌があって


それらを歌うことによって致団結することが出来る



そしてそれらは80歳を過ぎたとしても過ぎし日の青春のシンボルとして


カラオケで肩を組みながら合唱できることができるわけだ



まるでその世代学校の校歌のような拘束力





ところが僕らが80歳になったとき


「おーいばーさんや町内会でからおけ大会でもしやせんかいの?」


とイベントを企てて誰もが盛り上がることの出来る歌というのは


どれほどあるのだろうか




まあブルーハーツのリンダリンダなら


年齢幅10年くらいの男女問わずみんな歌えるだろうが



「ドブネズミ~みたいに」みたいに合唱していたら


アナーキーな年寄みたいで変な気分になるだろうし



孫たちがその歌っていながら飛び跳ねているわれわれを見たとき


「きっと気が触れたに違いない」と思うだろう




またサザンの「勝手にシンドバット」でも


どうにか男女問わずみんな歌えるだろうが


盛りのついた年寄みたいで変な気分になるだろうし




孫たちがその歌っている歌を聞いたとき


「胸騒ぎの腰つき」に心なしか今夜ドン引きするに違いないし



ガッツもど根性も消えうせている





つまり時代の象徴的な誰でもしっている曲たちが


隠れアイコンとしてアパホテル的サンテレビで歌われることがあったとしても


公の場やNHKの喉自慢で歌われることはないと思う


きっと。



そんなことを考えているうちに



僕の世代には楽しみが少ないないなぁ



と風呂につかりながら少々老後が不安になった





ゆーやーけこやけーの


あかとんぼー


おまえはどこへーとんでいく


あーあしあわせのとんぼがー


いつのぉーひーかー








サウンド オブ ミュージック




文章を書くとき


最初の2,3行目まで一気にかくことが出来たなら


そのまま流れにそってぱちぱち打ち続けることが出来るが


「さぁて・・・・・」と思うと


なかなか文章を進めることが出来ず往生してしまう



同様に文章を読むときも


すべりだしがスムースにすすめば


すらすらと読み上げることができるが


1行目からつっかかると


とたんに本棚行きになってしまう




だから僕はエッセーが好きであり


それらが集約されている週刊誌が好きである





しかしながら音楽というのは


なかなか一発目からよいと思うことはなく


僕が好きなガガやノラやレ二クラやマイヤヒラサワでさえも


「なんか今回の新曲しっくりこないなー」


と思うものの


聞きなれていくうちに不思議と「いい曲」になっていく。




あれはなんでやろうね。




以前書いたかもしれないけれど


以前懇意にしていたデザイナー君がいつも言っていたのは



「『この曲いいなぁ』と思えるまで


僕は誰の曲であれ繰り返し聞き続けるんだよ。


そうするとね 不思議と良さがわかってくるんだよね」



と言っていた。



繰り返し聞き続けていると


確かに耳障りではなくなり 耳が同化していくのは分かる



パチンコ屋にいったら


誰でも初めてのときは耳がつんざくに違いないけど


それが7時間いても平気になるわけやもんね




「気にならなくなる」


つまりフラットの状態


これが第一ステージなんだろね




じゃーそこから何故にして「気になるあいつ」になっていくんやろか?




「この曲嫌いやねん」


といいつつもその曲が流れてきたら


ついつい口ずさむことって誰もが経験するんやろうけど




初めて通る道と二回目通る道と


同じ道でも目的地までの体感速度がまるで違うことに似てるんかいな?





ああイントロ。


ああ歌いだし。


ああサビ。



・・・・・・



自分の中でその曲のリズムの起承転結がおぼろげにインプットされていき



手でリズムをとったり鼻歌を歌ったり口ずさんだり


その曲のリズムの起承転結がおぼろげにアウトプットされていくとき


人はその曲が好きになっていくんよね



ジャイアンみたいな音痴でもその歌い手の疑似体験をすることが出来る




それはうまれたての子供たちが


大人たちの話す会話から


リズムを認識し 音として覚え 音を真似をして


(ほめられて) 意味を認識し (ほめられて) 言い回しを認識し 


それらを活用し (ほめられて)・・・・・・・・・ 




自分なりの考えをアウトプットできるまでの幼少期に感じていたもどかしさ



つまり人間として未完成なときのもどかしさからの開放


褒められ体験に基づく「パブロフの犬」的な感じもあるのかもしんないね





そのムチとアメから開放されるときがとても気持ちのいい


第二ステージというわけか




音が楽しくなる



それが音楽なのですね





WHAT I SAW




マイヤヒラサワのこのアルバムの


すべての収録曲のリズムがすこぶるいい



そしてこのPVもすばらしい


(この前もブラインドスポットのFBにはあげたけどね)




http://www.youtube.com/watch?v=yBft3NsaQms



目にやきつくまで耳につくまでご覧ください






あーつかれた