そがいるか?
何かを書こうと思ったものの
その何かがどっかにいってしまった。
だから今脳内をお散歩がてら
その何かを探してるものの
その何かが何かよく分からないので
探しようがない。
答えのない問題ではなく
問題のない答えを探すようなようなもので
骨が折れる
あーあれあれ
あーそれそれ
あーこれこれ
人にヒントをもらえば話は別だが←たいがいみんなオーバーすぎる
自力で探し物がいざ出てくると
そういう感嘆詞を上げることの程もなく
「ちぇっこんなことに僕は脳内を探検していたのか」
となる。
人が何かを思い出したとき喜ぶ理由として
そのつっかえがとれたこと、つまり過程であり
思い出す目的の大切さは二番目くらいになるわけなんよね
答えと問題がすり替わっているシュールな世界観
※ものは別ですよ あくまでも記憶の話
ほら あれあれ
その探究心をやめるとボケが進行するらしく
それがまた強迫観念となり
是が非でも思い出したくなるわけなんよね
僕はそんな情熱すらなくなって
すぐにあきらめるもんだから
最近 本当に漢字が出てこなくなり
出てきた漢字が正しいのか正しくないのか分からなくなり
ようやく出てきた漢字を眺めれば眺めるほど記号に見えてきて
変な感じになる
小学生のころの友達の名前を言われても
顔が浮かんでこなくなっているしね
これが年をとるということなのか
と思いつつ
僕はここまで文章を引っ張ることが出来たなら
あれはあれでいいか
それはそれでいいか
これはこれでいいか
と大人の都合で大いに納得し
確実に迅速に従順にボケて行っている
退化の改新
ナニコレS/S
僕は寮生活を含め
何度も引越ししたせいか
ものへの執着心があまりない。
だからコレクターの気持ちもあまりよく分からない
コレクターの気持ちは良く分からないものの
男には必ず思い入れの品があり
それは絶対不可侵のものであり
「勝手に捨てやがって・・・」
「勝手に売りやがって・・・」
と嫁にプルプル怒っている友人をよくお見受けする
ご他聞にもれず
うちの両親にもそんなことがあった
父の青春のシンボルといえよう
イタリアで買ったボロボロのかばんを
母親が勝手に捨ててしまい
そのことを聞かされた普段温厚な父親が
ショック死したかと思うぐらい絶句したのち
怒涛の勢いで母親を攻め立てていた
「だってぼろぼろだったし・・・」
の一点張りの母親
「だってちゃうわー」
と大魔神のような父親
「つかってなかったじゃない」
捨てられてから20年たった今でも
時折 父親は母親にいやみを言う
コレクターになるとそれが莫大な量になり
その分スペースをとられるし
整理整頓するに出来ない領土だろうが
ある日突然 現実主義という旗の下
メスプレーの領土侵犯が始まる
カカア天下は日米中韓の領土問題に何か似ている
ちきしょー
何もいえなくて日本
中学時代 寮の自習室
稲中の田中のおならコレクションがごとく
机の中に鼻くそコレクションをしていた友人がいた。
その数々のハナコレが明るみになった彼は
ぼれたショックよりも
数々の名作を教師の命令よって強制的に
破棄しなくてはならない現実に向き合い
悲しみに明け暮れてた
他人から見れば
男のロマンとは実にくだらない
そんなものでR
幸か不幸か
あの夫婦喧嘩を見たせいか
いまなお僕はもモノへの執着心をもてず
あの衝撃的な事件を見たせいか
いまなお僕はコレクターになれずじまいだ
漱石先生
へいへいへい
先日書いたように連休明けの給料日前の今週は
すこぶる売り上げが悪くっていやになるぜ
加えて今日の神戸はあのおぞましいロンドンの曇り空と
そっくりで気落ちする。
「小手、めーん」
二本とられたような気分
昨日と大違い。
何回も書いていることだけど
あの街はこういう天気がまるまる
1ヶ月続いたり2ヶ月続いたりするから
もうたまらない。
雨なら問題ないんだけどね
昨日新聞を読んでいたら夏目漱石のロンドン滞在のころの記事が載っていて
いかにロンドン滞在中の漱石が苦しんでいたかが書いてあった。
彼の人生においてもっとも苦痛な二年間だったと述懐していたようだ。
わかるー。
僕もロンドン滞在中
今日の神戸のようなどんよりとした雲の下
いつまで経っても伸びない英語力
それどころか退化していく英語力が引き金となり
もう誰にも会いたくなくなっていた。
いよいよになると
パリで一休みし英気を養い
それを繰り返していた
しかしそれも最後には通用しなくなりつつあり
そのときに所属していたロンジャパという
日系ラグビーチームの先輩が憐れに思ったのか
「漱石の資料館にでも行ってきたら?
あの天才でも悩んでいたわけだし・・・」
と助言を受け 凡才の僕が
ほんならということで行ってみた。
漱石が英国に滞在していた
当時の日本の円の価値の低さや
東洋人の地位の低さは
想像を絶するほど虫けらに近かったわけで
僕みたいに恵まれた世代の人間が言うのもなんだが
「さぞ居心地が悪かったに違いない
つらかったんやろうーね」
と思いながら資料館を出た。
資料館を出て駅の近くのカフェのオープンテラスで
コーヒーを飲みながら
ふと僕はその日に帰国することを決意した。
何も得てない
何の付加価値もない
いったいこの二年間はなんだったのだ
あきらめたらおわりだぞ
クリエーティブの何を学んだんだ?
その自問自答を繰り返した二年間に
強迫観念に付きまとわれた二年間に
「私の個人主義」に
不思議とピリオドを打てた。
あの日は珍しく空が晴れていて
風が気持ちよかったのを覚えている
僕は何一つ彼との共通項はないが
僕にとって漱石は特別な先輩である
呼び捨てにしてるけど。
ア・テンション・プリーズ