トランプと前妻は結婚に際して、離婚時の財産分与をあらかめて決めておく「婚前契約」を結んでいる。70年代ではまだまだ稀なケースでだった。
だが、今では珍しいものではなくなった。
結婚前に。破局の前に財産の分配を決めておくとかだ。
破局交渉は間もなく始まり、交渉は難航し、前妻は椅子を思いっきり蹴って、庭に出て行ったことも二度や三度ではない。前妻15万ドルの「離婚時基金」を自分の名義で即時に創設するように要求し、さしものトランプに関して、ぎりぎりの妥協案に提示し双方はようやく折り合ったという。
結婚時の条件を巡っては口角泡を飛ばす激論を終え、それから何食わぬ顔で豪華賢覧のパーティーに出席した。仮面の夫婦といったところか。
そもそも彼らの結婚は1977春のことで、まだ、「トランプ・タワー」が完成はしていなかった。だが、トランプはコモド・ホテル建て替えというマンハッタンでも超一流のホテルを作り買収し、メディアに載り、その名が一段と大きくなった。
少し驚いた話を述べる。前妻は「トランプ・オーガニゼーション」のインテリア・デザイン担当の副社長仕事のパートナーとなってしまった。
優秀で空気が読める読者の方はこれがどういうことか、お分かりですよね(つづく)
前妻がトランプと結婚する前のこと。
父親は彼女がスキーの才に恵まれていることを見抜き、
社会主義のスパルタ教育に送り込んだ。
娘は厳しい練習に耐え、優れたスキー選手となった。
ここまではいいが、娘は1972年の札幌冬季五輪に補欠に参加したとか、
第7位になったとか、実にあいまいな発言を彼女はし続けている。
それはさておき、大富豪の名を欲しいままにしている青年実業家トランプの花嫁ともなれば、
メディアは当然、この問題は必ず突く。しかし、調査の結果、第7位の成績は残っていなかった。
前妻はモントリオール五輪(1976年)のPRのため、さまざまなイベントに参加していた。
トランプの出会いはニューヨークでの活動中だった。
若者向きのバー。席は埋まっていた。すると、誰かに肩を叩かれた。
「席ならあるよ。一緒にどう?」。それがトランプだった。
食事が済むと、トランプはこっそり皆の支払いを済ませ、店から消えた。
前妻は驚いた。
「変なこともあるのね。女に何も求めず、支払いだけするような男には今までお目にかかったことはないわ」
前妻が店から出ると、外にリムジンが止まっていて、運転席にトランプが座っていた。これがきっかけになり、二人はデートを重ねることになっていった(つづく)。
トランプの結婚について。
トランプの最初の妻は伺い知れない素性の持ち主だ。なので、名前を伏せる。
前妻は、戦後社会主義国となったチェコスロバキアの首都プラハに近い町で、
1949年に生まれたとされ、出生時の姓は別名だった。
厳しい家庭で育ったがチェコの映画に子役で出演していたと自分自身公言している。また、スキー選手としても少女時代を頭角を現してと言っている。
1977年4月にニューヨークでトランプと結婚した時、旧姓としてゲルマン系(オーストリア人)
の名が記録されており、結婚歴があったようだ。
しかし、この結婚はがぶん、「偽装結婚」だった。社会主義国に生まれた前妻は西側のきらびやかな資本主義にあこがれていた。
前妻は1970年代、交際していたチェコ人の斡旋で、最初の結婚をしたらしい。
それによって、オーストリア国家発給のパスポートを手にした。
トランプと前妻の二人は結婚生活をしていたという一部メディアの報道もあるが、ニューヨークの大衆誌記者が結婚記録を探したが、見つからなかったという。
前妻は、モントリオールでモデルとして働き始めた(つづく)。
フィギュアスケートの浅田真央の現役引退を韓国メディアも詳細に報じた。12日付朝刊各紙は写真を大きく掲載し、2010年バンクーバー五輪金メダルの金妍児(韓国)とのライバル関係にも触れ、その活躍をたたえた。
朝鮮日報は「アデュー(さようなら)、浅田」の見出しの記事で過去の成績などを詳しく伝え、浅田が笑顔で大きく両手を広げた写真を掲載。五輪では金妍児に敗れたものの、「浅田は世界フィギュアの中心をアジアへと移した優れた選手だった」と称賛した。
聯合ニュースは12日、「日本フィギュアの看板スター」と形容し、引退会見の様子を報道。金妍児に関する質問で「お互いに良い刺激を与えた」と答えた浅田の言葉を紹介した。金妍児の所属事務所が浅田の引退について「コメントしない」と回答したことも伝えた。
朝鮮日報はまた、日本での関心の高さにも注目。「会見場には400人を超える取材陣と45台以上のテレビカメラが殺到した」などと報道の過熱ぶりを報じた。
以上、時事通信一部引用
大事なところでミミスをする真央ちゃんだった。
ただ、真央ちゃんは先輩にあたる伊藤みどりさんを追うように、トリプルアクセルにこだわりすぎるほど、こだわった。
ソチ五輪のフリーのような演技がショートもできていたら、金メダルは間違いなくとれただろう。
真央ちゃん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
イタリア中部ルッカで開かれていた主要7カ国(G7)の外相会合は11日、2日間の日程を終えて閉幕した。
共同声明では、シリアのアサド政権軍に対する米国のミサイル攻撃を「致死的な化学兵器の拡散や使用を防止、抑止するための、注意深く計算され、対象が限定された対応だ」として認めた。その上で、アサド政権を支援するロシアが紛争終結にむけて影響力を行使するよう求めた。
共同声明はロシアについて「重要な国際的プレーヤー」と言及、協力無しでは様々な課題を解決できないとした。シリア情勢について「ロシアが自らの影響力を用いる用意がある場合、ロシアとともに作業する用意がある」と呼びかけた。
ティラーソン米国務長官は「ロシアは米国などと組むか、シリアやイランと組むか選ばなければならない」と二者択一を突きつけた。
強硬派の英国などは、シリア問題を巡ってロシアへの追加制裁を主張したが、議長国イタリアのアルファーノ外相は記者会見で、「共通の合意はない」と否定。和平に向けて、ロシアを巻き込んでいくことが重要だと指摘した。
放射能汚染に罰則を科す--。こんな法律の制定運動が広がりつつある。東京電力福島第1原発事故で甚大な被害を出したのに、なぜ罰せられる人がいないのか。
そんな疑問からスタートした、この「放射能汚染防止法」。どのような内容なのか。
東京・永田町の衆院第2議員会館で3月下旬、「『放射能汚染防止法』制定に向けて」と題した勉強会が開かれた。
脱原発に取り組む市民グループや国会議員秘書ら約50人が集まった。
講師は札幌市の弁護士、山本行雄さん。
放射性物質による汚染を「公害」として規制しようと訴えている。
原発事故後に札幌市の消費者団体など6団体がスタートさせたこの運動の法律アドバイザーだが、個人的には、こうした運動のすそ野が広がれば、脱原発が広がると思う。そのためには、トップダウンだけでなく、草の根の反対運動が不可欠だ。.
2016年大統領選共和党候補者レースのへの出馬を表明したトランプは、
2008年大統領選でオバマ氏に惨敗を喫した共和党候補ジョン・マケイン上院議員をこきおろした。
ベトナム戦争中、海軍航空士官として出征したマケインは搭乗機が撃墜され、脱出したものの捕虜となり、5年間も過酷な捕虜生活を送った。拘留中の拷問によって後遺症が残り、そのことは大統領選の運動中も体の動きに見てとれた。
マケインは誰もが認める「ベトナム戦争の英雄」なのである。
私見だが、ベトナム戦争は米VS中国(旧ソ連)の代理戦争であり、
社会主義と自由主義の戦いであった。1970年のサイゴン陥落によって、米国は北ベトナムに負けた。
話はマケインについて、「マケインは英雄などではない。英雄は捕虜にならない」とトランプは発言している。
だが、この暴言は天に唾するものとなった。
トランプは1968年7月に大学を卒業した。在学中は徴兵が猶予されていたが、卒業後しばらくすると、徴兵のための身体検査を受けることになった。前括書などによると、その年の9月に実施されたが、トランプは踵の問題で、兵隊にとられずにすんだという。
ところが、その後のトランプは徴兵を免れた理由について、「抽選に漏れた」というのである。
馬鹿も休み休み言え、とも言いたくなる。
当然、この問題の矛盾はしつこくメディアに追及された(つづく)。