奇天烈音楽館・別館 -8ページ目

はじめての横浜文化体育館

プログレの雄「YES」がメンバーチェンジを経て1983年にリリースした
「Owner Of Lonely Heart」は今までのプログレに対するイメージを一新させたように思います。
この曲の大ヒットで新しいプログレファンを取り込むと同時に、
旧守派ファンの離脱をもたらしたように思います。
Owner of a Lonely Heart/Yes

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同じメンバーによって制作された「Big Generator」をひっさげて来日公演が行われたのは1987年のこと。
当時は横浜で働いていた関係で迷わず「横浜文化体育館」をセレクトしました。
Big Generator/Yes

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まあ、アルバムを聴いてその内容は重々承知はしていましたが、
実際に目のあたりにするとはっきりわかることがあります。

この若いノリにはついていけんわ…

しっかり私も旧守派に入っていたのですね。
もうワシ、若くはないのね…
と打ちひしがれながら会場を後にしたのです。

はじめてのフュージョン

フュージョンブームが巻き起こったのは1970年代中盤、
確かジョージ・ベンソン「ブリージン」(1976年)がリリースされた頃だと思います。
Breezin’/George Benson

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それまでのベンソンは「ウェス・モンゴメリーの再来」とまで呼ばれた正当派ジャズギタリストでしたが、
ボーカルも結構いけるということでボーカル入りでアルバムを作ったらこれが思わぬ大ヒット!

それ以来、フュージョンギターの代表格として認知されるようになりました。

いまでは「歌も歌えるジャズギタリスト」ではなく「ギターも弾けるボーカリスト」というのが一般的な認識かもしれません。
同じようなことはエリック・クラプトンにも当てはまるかもしれませんね。

でも個人的にはギターをバリバリ弾いていた頃のベンソンのほうが好きです♪


はじめての中野サンプラザ

「中野サンプラザ」って本来は地方から東京に出てきた青少年を対象にした雇用推進施設、つまりハローワーク的な施設だったってご存じですか?

それはいいとして、いまではアイドルオタクの聖地と呼ばれているそうですが、
昔は海外アーティストのライブ会場として使われていましたし、映画も上映されていました。

「中野サンプラザ」に初めて足を踏み入れたのは、高1の頃。
当時は各劇場で「フィルムコンサート」なるものが盛んに行われていて、東京では飯田橋「ギンレイホール」が聖地とされていました。

家庭用VTR再生機がまだまだ高価な時代だったので、「動く海外アーティスト」を見るには、この「フィルムコンサート」に通うことが必須と言えました。
当時はレッド・ツェッペリン「狂熱のライブ」と「ウッドストック」が2大看板で、私も小遣いをやりくりしながら何回も見に行きました。
狂熱のライヴ [DVD]/レッド・ツェッペリン

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ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 [DVD]/ドキュメンタリー映画

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ある日、新聞広告に「ジミ・ヘンドリックス」のドキュメント映画上映の告知が。場所は「中野サンプラザ」とあります。
前出の飯田橋「ギンレイホール」には何度も通っていましたが、中野サンプラザは初体験。
駅を降り立つと巨大な建造物が私を圧倒したことを覚えています。

とにかく「動くジミヘン」を記憶に焼きつけようと、自分の集中力をマックスにもっていくことが求められました。
そして、焼きつけた映像を必死に脳内でリプレーしながら急いで帰宅し、
そしてギターをかき鳴らすわけです。

当時は、居ながらにしてDVDを見たりYouTubeなどで貴重映像を見られる時代が来るなどとは、
想像だにできませんでした。
こんな少年時代を過ごしたもので、我々世代は妙なところで集中力を発揮できると密かに自負していますww
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