ようやく近江鉄道オリジナル?の500形車両を入手することが出来ました。
なにしろ近江鉄道は明治期から設立された日本で最古に近い老舗の鉄道会社ですから。
まずは地元で「ガチャコン電車」と呼ばれる近江鉄道について勉強してみました。
=会社の概要=
社名:近江鉄道株式会社
本社所在地:滋賀県彦根市駅東町15番1
設立:1896年(明治29年)6月16日
業種:陸運業
事業内容:鉄道事業、バス事業、不動産事業、観光事業
代表者:代表取締役社長執行役員「藤井高明」
資本金:4億500万円(2026年2月20日現在)
売上高:91億5,958万円(2024年度3月期)
営業利益:5億2,000万円(2025年3月期)
純利益:4億368万4,000円(2018円3月期)
純資産:49億8,986万3,000円(2018年3月31日現在)
総資産:164億561万2,000円(2018年3月31日現在)
従業員数:554人(2024年3月31日現在)
決算期:毎年3月31日
主要株主:西武鉄道100%
主要子会社:近江鉄道グループ
*運輸事業:鉄道事業・バス事業・タクシー事業・船舶事業・不動産賃貸業(運輸業施設の賃貸)
*レジャー・サービス事業:旅行業・索道事業・ホテル業・娯楽・スポーツ業・一般飲食店業・不動産賃貸業(一般飲食店の賃貸)
*不動産事業:不動産販売業・不動産賃貸業
その他、自動車運転教習業・特定建設業・宅地造成
=近江鉄道について=
滋賀県下で最古の私鉄なのはもちろん。全国的にも老舗の鉄道会社です。
哲立や創立以来、社名を一度も変更しないで存続しているのは近江鉄道「1896年(明治29年)設立、1898年(明治31年)開業」
が最古の鉄道会社で、次が「1897年(明治30年)創立、1899年(明治32年)開業」の東武鉄道なんですね。
近隣の鉄道会社やバス会社などと合併を行って、現在も営業を続けているんです。
親会社が2度に渡り変遷していますが、社名は会社設立時から一切変更されていないんですね。
明治期に発足した日本の私鉄のうち、設立や創立以来、社名を一度も変更しないで存続しているのはこの近江鉄道「1896年(明治29年)創立、1898年(明治31年)開業」が最長で、次に東武鉄道「1897年(明治30年)創立、1899年(明治32年)開業」があるくらいなんです。
かつて近江鉄道の略称として「近鉄」が使われて、読み方は「きんてつ」でした。また、沿線案内中にも「近鉄電車」と記され、バスのボディにも「近鉄バス」の表記が見られました。しかし、1944年に近畿日本鉄道が発足後は、次第に「近鉄」の名称は同鉄道およびそのグループ会社の略称として使われるようになってしまい、近江鉄道を「近鉄」と呼ぶのは年配の近江鉄道沿線住民に限られるようになってしまいました。
現在では近畿日本鉄道と混同する「近鉄」は避けられ、行政や新聞などで用いられる際には略称での表記はなくなりました。
くだけた愛称としては、電車の走行音に由来する「ガチャコン電車」の愛称が定着しています。
また、会話などにおける口語表現上の略称としては「おうてつ」と呼ばれています。
1943年(昭和18年)滋賀県出身の西武グループ創業者の堤康次郎率いる「箱根土地」(後にコクド、現在のプリンスホテル)の経営傘下に入って以来、一貫して西武グループの会社になりました。
昭和までは西武鉄道以外の私鉄からの譲渡車両も導入していて、自社オリジナルの車両も製造していました。
平成に入り、車両が大型化されると元西武401系電車など西武鉄道の中古車両を種車とする改造車両が主力になりました。
バスと一部の鉄道車両には西武鉄道の系列企業らしくライオンズカラーやレオマークが施されています。
また、地理的な関係でシーズン中にプロ野球選手が関西遠征を行う際には同社のバスが活躍しています。
=経営状況について=
2017年(平成29年)12月、鉄道事業の単独維持が困難であるとして、沿線自治体などに協議を求めた。
2019年(平成31年)2月、滋賀県と沿線5市5町の会合において、地域公共交通活性化再生法に基づく法定協議会を設置。
2020年(令和2年)3月、全線の存続が決定されました。
その後、運営方法の検討が行われ、2024年度(令和6年度)の上下分離方式への移行が決まりました。
これにより、運行は近江鉄道が引き続き担い、施設や車両は県と沿線10市町で構成される一般社団法人近江鉄道線管理機構が保有・管理することになりました。
この決断には、近江鉄道の利用者は減少しているにも関わらず、沿線自治体の人口が総体的に増加を続けていること。モータリゼーションの進展で並行するJR線の駅に直接アクセスしていること。JR線の駅が存在しない旧八日市市(現:東近江市八日市地区)を走る近江鉄道八日市線では、JRの新快速が停車する近江八幡駅への通勤アクセス路線として機能していることなど、地方私鉄としては業績が良いことが挙げられます。
また、2025年(令和7年)には社員の労働意欲や定着率向上を目的に、社員への「株式給付制度」(西武ホールディングスの株式を給付)が導入されています。
この上下分離方式により、近江鉄道は、施設や車両の保有・管理に関わる費用の負担が無くなり、鉄道事業の運営のみになったことから、2024年(令和6年)12月の同年度上半期の鉄道事業は9,500万円の黒字で、鉄道事業としては実に31年ぶりに黒字に転換したことが発表されました。2025年(令和7年)3月には2024年度(令和6年度)通期でも鉄道事業の営業損益は5,600万円の黒字になると報じられています。
=歴史=
滋賀県東部では1889年(明治22年)に官設鉄道(現:東海道本線)が開通し、翌1890年(明治23年)には関西鉄道「草津駅~四日市駅」間が全通しました。しかし、湖東平野部(愛知郡・神崎郡・蒲生郡の大部分)は両鉄道のルートから外れたため、湖東平野を縦断して、官設鉄道「彦根駅」と関西鉄道「深川駅(現:江南駅)」を結ぶ鉄道計画が持ち上がりました。
旧彦根藩士族と有力近江商人を中心に「近江鉄道株式会社」が設立され、初代社長には地元の名士であった大東義徹「第8代司法大臣(現:法務大臣)」が就任。1896年(明治29年)6月に会社設立認可および鉄道敷設免許が下り。同年9月から鉄道建設工事が開始されました。この建設工事では、後に関西鉄道の社長に就任する工学博士白石直治が敷設工事の監督顧問にあたっています。また、関西鉄道と近江鉄道の縁は深く、関西鉄道設立の発起人阿部市郎兵衛は近江鉄道第三代社長も務めています。
近江鉄道は会社設立当初から日清戦争による資材高騰の影響で資金難に悩まされています。終着駅を深川から貴生川に変更されたのも、建設工事費を削るためでした。
1926年(大正15年)には電化するために、電力会社の宇治川電気(現:関西電力の一部)の系列に入りました。
その後、太平洋戦争中の電力統制政策に伴って、宇治川電気は鉄軌道事業を手放し、1943年(昭和18年)に滋賀県愛知郡八木荘村(現:愛荘町)出身の堤康次郎率いる「箱根土地」(後のコクド、現:プリンスホテル)の経営傘下に入りました。
1944年(昭和19年)戦時統合によって八日市鉄道を合併して八日市線としましたが、その一部である新八日市~御園間(御園線または飛行場線)は1948年(昭和23年)に休止され、1964年(昭和39年)に廃止されました。
=沿革=
・1889年(明治24年):琵琶湖沿いに米原~京都間に官設鉄道(現:東海道本線)が開業。
しかし、近江商人の地を通ることはありませんでした。
・1893年(明治26年):3月、元彦根藩士西村捨三が農商務次官を退官し、近江日野商人らが独自に鉄道を期成しようとする話を
聞きつけ、米原駅経由で北陸線から伊勢を結ぶ構想を持ちかけました。
11月、彦根で近江鉄道株式会社設立発起人会を開催。44人の発起人が創設願書を提出しました。
・1895年(明治28年):近江鉄道株式会社創立総会を開催、初代社長に大東義徹を選出。
・1896年(明治29年):近江鉄道株式会社を設立。
・1897年(明治30年):西村捨三が大阪築港事務所の初代所長に就任しつつ、近江鉄道を見守ることになりました。
・1898年(明治31年):彦根~愛知川間が開業。
・1900年(明治33年):彦根~貴生川間が開通。
・1912年(明治45年):彦根車庫で火災が発生。客車12両、貨車5両が焼失。
・1914年(大正3年) :多賀線が開業。
・1929年(大正15年):宇治川電気の系列となる。
・1931年(昭和6年) :米原~彦根間が開業して本線が全通。
・1942年(昭和17年):国家総動員法に基づく「配電統制令」により宇治川電気が解散。
・1943年(昭和18年):「箱根土地」(後のコクド、現:プリンスホテル)の経営傘下に入る。
・1944年(昭和19年):八日市鉄道株式会社を合併、八日市線となる。タクシー事業を開始。
・1948年(昭和23年):新八日市~御園間を休止。「1964年(昭和39年)に廃止」
・1964年(昭和39年):宅地分譲(八日市)不動産事業を開始。
・1972年(昭和47年):観光・開発・不動産事業を近江開発株式会社に経営譲渡。
・1973年(昭和48年):バス・貸切バス事業を近江バス株式会社に経営譲渡。
・1975年(昭和50年):ハイヤー部門を長浜近江タクシー株式会社ほか6社に営業譲渡。
・1983年(昭和58年):近江観光株式会社を合併。
・1986年(昭和61年):八日市~貴生川間にレールバス(LE-10形)を導入。近江バス株式会社を合併。
・1988年(昭和63年):貨物営業を全廃。
・1996年(平成8年) :レールバスを廃止。
・1998年(平成10年):八日市線で快速「あかね号」(700系電車)の運転を開始。
・2002年(平成14年):本線・多賀線で車内に自転車を持ち込める「サイクルトレイン」の運行を開始。
・2003年(平成15年):大津営業所管内の一部路線バスに「近江鉄道バスICカード」の供用を開始。
・2007年(平成19年):彦根駅構内に「近江鉄道ミュージアム」が開館。
・2010年(平成22年):彦根市古沢町(現:駅東町)に本社ビルを竣工。
・2013年(平成25年):本線・八日市線で「淡海号」(900形電車)、八日市線で「湖風号」(100形電車)の運転を開始。
・2015年(平成27年):220形電車の定期運用を終了。
・2016年(平成28年):西武鉄道の完全子会社となる。
・2018年(平成30年):「近江鉄道ミュージアム」が閉館。地域住民とのタウンミーティングを開催。
・2020年(令和2年) :300形電車の運転を開始。
・2021年(令和3年) :交通系ICカード「ICOCA」へ対応を開始して、「近江鉄道バスICカード」の取り扱い終了。
・2022年(令和4年) :近畿地方の鉄道では初となる「全線無料デイ!」を開催。当日に限り子供・大人とも全線終日無料。
・2024年(令和6年) :上下分離方式により、鉄道資産を「近江鉄道線管理機構」に移管。
これにより、当社は運行のみの「第二種鉄道事業者」となる。
・2025年(令和7年) :200形電車の運転を開始。
・2026年(令和8年) :鉄道線全線において「ICOCA」を導入、全国相互利用交通系ICカードが利用可能となる。
※1986年(昭和61年)からコスト節減を目的にレールバス(気動車:LE10形)を導入したが、通勤通学のピーク輸送時は電車を
用意しなければならず電化設備も廃止できなかったことからコスト節減効果が小さく、さらにレールバスが軽量であったため踏
切が正常に作動しない事態も発生、導入から10年の1996年(平成8年)にレールバスは廃止されました。
=路線=
現有路線
・本線 :米原駅~貴生川駅 47.7km
・多賀線 :高宮駅~多賀大社前駅 2.5km
・八日市線:近江八幡駅~八日市駅 9.3km
廃止路線
・八日市線:新八日市駅~御園駅(飛行場前) 2.8km
未成線
・宇治山田延伸線:24.9km
・八日市鉄道:飛行場前~山上間 8.3km「八日市鉄道時代の1935年(昭和10年)免許失効」
=現有車両=
・電車:800形「元西武401系(初代)」、900形(2代目「あかね号」:元西武新101系)、100形(2代目:元西武新101系)
300形(元西武3000系)、200形(元西武2000系)
・貨車:ト50、トム200形、チ1形、チ10形、ホキ10形
=保有車両について=
近江鉄道の彦根工場は創業以来の長い歴史があり、全般検査や改造は自社で行うほか、オリジナルな車体の新規製作・中古車体の延長工事などを行った実績も数多くあります。
2012年(平成24年)時点で旅客営業に使用される車両の多くが西武鉄道からの譲渡車であり、彦根工場で大掛かりな改造を受け、原型を留めていないものも多く見られます。(例:220形、700形など)
路線にカーブが多く、車両の建築限界は大手私鉄に比べるとやや小さいため、西武鉄道から購入した20m車体の401系を自社改造のうえ、700系・800系・820系として導入した際には、ホーム等の建築限界に接触する関係上、車体下部の四隅を三角形に切り取る簡易的な「面取り」改造で限界抵触に対処するユニークな手段が用いられています。
現存する電車で最も古いものは、1898年(明治31年)の創業当時の客車を改造したことになります。これが事実であれば車齢100年以上になりますが、実際には改造車という名目で車籍のみを流用し、他社からの中古車両にそっくり入れ替えてきたものです。
従って、現在保有する電車は実際には創業時の客車とは何の関係もなく、書類上のみの「日本最古の現役車両」になっています。
近江鉄道ではこの「入れ替え」措置が数度に及ぶ車両(車籍)もあり、中途での部分大改造や、車庫での火災焼失などによる「記録の喪失」などの混乱とも併せて、入れ替えの実態が不明瞭な車籍も多く、鉄道車両版の「テセウスの船」と化した車籍が極度に多いことから、鉄道車両史研究者の興味深い研究対象になっているんですね。
また、私鉄では数少なくなった電気機関車を2011年(平成23年)時点で多く保有しており、全盛期には入れ換え用を含めて12両も在籍していました。しかし、1988年(昭和63年)3月に貨物列車が廃止されたため、用途が激減してしまいました。
それでも解体処分されることもなく大部分の機関車が彦根車庫に休車状態で留置され、さながら動態保存に近い状態でした。
しかし、どの機関車も車齢が80年を超えて老朽化が進み、ATSの装備や予備部品の確保が困難なことから廃車解体が進んでいます。保有保管にも力を入れてアピールしていましたが、ED4001が東武博物館へ譲渡されたくらいで、2017年(平成29年)には
ED31の3機が解体され、今後は順次解体する方針であると発表されています。
2014年(平成26年)頃までは彦根駅構内の片隅に、電機機関車のほか、ディーゼル機関車、レールバス、貨車、果てには郵便電車や木造電車までもが留置されていましたが、彦根駅の再開発事業により一部の車両を残して解体処分されています。
=近江鉄道 500形=
お待たせしました。(誰も待ってませんがw)
さて、いつもどおりにサクッと組み立てましょう。
まずは500形「新塗装」の2両編成を組立てました。

続いて500形「旧塗装」の2両編成も組立てました。

まぁ、未組立品ですからどちらも簡単に組み上がって完成です。

まったく同じ車体なのにボディーカラーが変わるとイメージが変わるものですね。

側面を見てもまるで違う車両みたいです。

やっぱり正面の顔つきが、電車の印象を大きく変えるもんなんですね。

「彦根」行き・・・あれ?なんか?どこかで見かけたような正面の顔立ちなんですが・・・??

あっ!そうだっ!彦根と言えば「ひこにゃん」でしたwww

=車体の概要=
将来の通勤需要増加を見込み、1969年(昭和44年)から1983年(昭和58年)にかけて自社工場で6編成12両が製造されました。
台車や主電動機をはじめ、機器類は廃車発生品を転用したため、名義上は改造車両になりますが、車体は自社工場で新造されていて。事実上はほぼ新造車という扱いになりました。
車体は3扉のロングシートで前面には貫通路を有しています。
1983年(昭和58年)に製造された506編成は装備の軽量化が図られて、台枠が軽量化されました。各扉は無塗装のステンレスになっていて、前面腰部にはステンレス無塗装の飾り帯が配され、山吹色一色の塗装で竣工しました。
その後、501編成も後に同様のスタイルに改造されています。(台枠の軽量化については不明)
従来の塗装はクリームと朱色のツートンカラー(いわゆる赤電色)でしたが、後に黄色(山吹色に近い)に銀色の帯の塗装に変更されました。
登場時の台車はイコライザー式のDT-10やTR-11Aが用いられましたが、後にFS40に置き換えられました。
また、ブレーキ装置も改修され、HRD電気指令式ブレーキになりました。
=500系の共通諸元=
製造所:汽車会社など(※種車の車籍を継承しているため不明点も多いようです)
改造所:近江鉄道彦根工場
改造年:1969年(昭和44年)~1983年(昭和58年)
総数:2両編成×6本(計12両)
運用開始:1969年(昭和44年)4月
投入先:近江鉄道全線
編成:2両
軌間:1,067mm
電気方式:直流1,500V
車体:全金属製
=500系電車(モハ500形)=
車両定員:120名(ワンマン化後、座席44名)
自重:36.2t、33.6t、37.0t
全長:16,950mm
全幅:2,740mm
全高:4,240mm
台車中心間距離:10,970mm
台車:DT-10・DT-12(台車変更後:FS40)
固定軸距:2,500mm(台車交換後:2,400mm)
主電動機:MT-15
電動機出力:104kW(105PS)
搭載数:4個/両
駆動方式:吊り掛け駆動
歯車比:2.55、2.52
制御装置:登場時はCS-5・CS-1が混在、その後はCS-5に統一
制動装置:AMA形自動空気ブレーキ(自動ブレーキと発電ブレーキを併用)、自動予備ブレーキ
(ブレーキ装置変更後:HRD-1電気指令式空気ブレーキ)
=500系電車(クハ1500形)=
車両定員:120名、122名(ワンマン化後、座席44名)
自重:26.5t、22.6t、28.1t
全長:16,950mm
全幅:2,740mm
全高:4,022mm、4,240mm
台車:TR-11A・TR-14・TR-10(台車変更後:FS40)
制動装置:ACA「元空気溜管(MR)式」自動空気ブレーキ、自動予備ブレーキ、手用制動
(ブレーキ装置変更後:HRD-1電気指令式空気ブレーキ)
=廃車と保存=
最盛期には2両編成×6本の12両が在籍してたんですが、非冷房車であることが災いして、冷房車の増備が進むにつれて夏季は予備車として運用に就かなくなってしまいました。
その後、800系の増備が本格化したのを受けて、502F~504Fが2000年(平成12年)から2003年(平成15年)にかけて廃車になりました。廃車後も全編成がしばらく彦根車庫に留置されていましたが、2004年(平成16年)に解体されてしまいました。
505Fは2005年(平成17年)の廃車後に、高宮駅の側線に留置されていましたが・・・
なんと!レール輸送の工臨運用に使用するため、貨車チ10形(11号+12号)に改造されました。
電車を貨車に改造したとても珍しい車両になりました。なお、レール輸送時は220形に牽引されて使用されています。
501Fと506Fは運用終了後、近江鉄道ミュージアムで展示されていましたが、2012年(平成24年)に501Fのモハ501を除いて解体されてしまいました。
残ったモハ501は2013年(平成25年)より、彦根駅東口にある保育園「ほほえみ園」(近江鉄道が経営)の遊び場として、内外装ともに改装されて使用されていましたが、2019年(平成31年)1月、220形の一部車両とともに陸送され解体されました。
このため、500系としての保存車はなく、貨車に改造された2両のみが現存しています。
=車両一覧=
・501F(編成)
モハ501 :1969年(昭和44年)4月竣工 旧:モハ102(初代)→モハ134
クハ1501:1969年(昭和44年)6月竣工 旧:クハ1202→クハ1202→クハ1217
※台車/ブレーキ装置交換:1984年(昭和59年)5月、扉がステンレス化されています。
・502F(編成)
モハ502 :1970年(昭和45年)11月竣工 旧:宇治川電気デハ8→デハ8→デハニ8→モハ8
クハ1502:1970年(昭和45年)11月竣工 旧:フホハユニ31→ハ1206→クハ1206
※台車/ブレーキ装置交換:1986年(昭和61年)7月
・503F(編成)
モハ503 :1970年(昭和45年)竣工 旧:宇治川電気デハ7→デハ7→デハニ7→モハ7
クハ1503:1973年(昭和48年)1月竣工 旧:フホハユニ30→ハ1205→クハ1205
※台車/ブレーキ装置交換:1985年(昭和60年)11月
・504F(編成)
モハ504 :1978年(昭和53年)7月竣工 旧:西武モハ201→モハ133→モハ135
クハ1504:1973年(昭和48年)7月竣工 旧:西武クハ1201→クハ1201→クハ1216→クハ1210
※台車/ブレーキ装置交換:1986年(昭和61年)12月
・505F(編成)
モハ505 :1981年(昭和56年)7月竣工 旧:モハ136
クハ1505:1981年(昭和56年)7月竣工 旧:フホハユニ32→ハ1207→クハ1207
※台車/ブレーキ装置交換:モハ「1987年(昭和62年)11月」、クハ「1987年(昭和63年)4月」
・506F(編成)
モハ506 :1983年(昭和58年)5月竣工 旧:モハ137
クハ1506:1983年(昭和58年)5月竣工 旧:モハ205
※台車/ブレーキ装置交換:1987年(昭和62年)11月、扉がステンレス化されています。
=まとめ=
近江鉄道線全線については、2024年から上下分離方式に移行して近江鉄道は「第二種鉄道事業者」となり、鉄道事業の運営のみを行う形態に移行しました。これは施設や車両は滋賀県と沿線10市町で構成されている「一般社団法人近江鉄道線管理機構」が保有・管理することになり、新たな鉄道事業者としてスタートしました。
昨今の異常気象とも言える自然災害の頻発化で全国の鉄道事業者は新たな難問を抱え込んでいます。
今後の日本の鉄道事業者として今後に期待したいところですね。