GSX-R125遊び!

GSX-R125遊び!

新型の車体(GSX-R125)と遊ぶことになりました。
バイク遊びは楽しいよぉ~w
鉄道模型はBトレインショーティーで遊んでいます。
ますこっとれいんにもハマってしまいました。

ずっとモータースポーツやレプリカバイクで遊び廻った管理人(1959年生まれ)
定年退職した筈なのに、近くで本物を見ていたくて鉄道関係の仕事へ?(笑)
相変わらずバイクに乗ったり、鉄道模型を楽しんだりして遊んでます。
クルマもバイクも鉄道もやっぱりみんな面白いよ!
まぁ~人生は一回だけ。
やりたいことかって後悔しないように楽しみましょう~(笑)
クルマやバイクに乗ると今までとは違った景色が見えてくるんですよ!
模型で遊ぶと手先を使ってボケ防止になるかもね?(爆)

もうそろそろ欲しい車両を入手することが、厳しくなってきたショーティーモデル。

それなら、製品化されなかった車両をニコイチやサンコイチでなんとかならないかな?と画策してみました。

そうなると、やはり今の時代こういう場面で頼りになるのが「AI」モードですよね~。

そこで短命ながら身延線で活躍していた、モハ62系について相談しました。

すると、まぁ~次から次へと、数多くのアドバイスを頂くことが出来ました。

(この時はまさか!これが「沼」への入り口だったとは気がつきませんでしたwww)

まずは次の項目の商品を入手するようにアドバイスされました。

1.115系の非冷房車4両編成(完成品)をゲット。

2.113系(スカ色)の前面をゲット。

3.115系非冷房低屋根車をゲット。

なるほど!なるほど!と、指示通りに某オク・メ〇カリ・駿〇河さんから入手!

しかし、それぞれの商品は無事に入手出来るのですが・・・かなりの余剰パーツ類も発生してしまいましたぁ~w

あぁ~もっとわが家のお財布事情を説明しておけばよかったなぁ~www

まぁ、それでも商品が揃いましたので、制作に着手します。

基本の素材となる115系非冷房4両編成はこちら

115系非冷房の低屋根車でデカ目の4両編成です。

今回も入手した商品は完璧に組立済みでしたので、バリも無くほとんど手を加えず入線しました。

さぁ!それではさっそく下回りを分解します。

新型車から旧型車へw

使用しない大量に台車レリーフがしっかり余ってしまいましたw

そして、手元に大量の在庫がある「ますこっとれいん」のDT13を取り付け。

軸間距離が「Bトレインショーティーが14mm」なのに対して「ますこっとれいんは16mm」です。

2mmの差が生じますけど、台車レリーフ自体がそのまま加工せずハメ合いますので気になりません。

さらに113・115・415系をひと箱入手してから、113系・415系の先頭車、115系・401系の中間車をゲットしました。

パンタグラフもこれまた「ますこっとれいん」で大量に余っている「PS11」を取り付け。

こちらのパンタグラフもそのまま低屋根にスッポリとハマります。

これで中間車1両を除いてユニット窓車が3両が揃いました。

中間車の1両は非ユニット窓なんですが・・・う~ん!やっぱりユニット窓と普通窓は違いますね~

しかし、ここでわざわざ115系・401系の中間車を入手するのも大変なので、このままにしましょう。

先頭車はどちらもユニット窓車になったので満足です。

それでも、クハのトイレにカバー付きタイフォンも気になるところですが・・・

もうこれ以上の投資はコスパが合わないので、妥協することに英断しましたwww

はい!これでモハ62系の4両編成が完成です。

しかも・・・大量に車体・屋根板・下回りが余剰になってしまったので・・・

予定外のデカ目の115系冷房車の4両編成も完成してしまいました!w

まさに予定外の編成が出来てしまったわけなんですね~www

62系も115系はデカールが無いので、そのうち調べて該当車番を探すことにしましょうw

 

=モハ62系について=

1974年(昭和49年)、前年発生したオイルショックの影響が色濃く残っているなか、身延線向けに3ドアのセミクロスシート車として、アコモデーション改造車が鷹取工場、長野工場、郡山工場で制作されました。

制御車のクハ66形と中間電動車のモハ62形からなる4両編成で3本(計12両)が制作されたんですね。

車体は台枠のみを再利用して、上回りは当時増備中だった新性能近郊形電車115系300番台同様の貫通高運転台に1,300mm両開きドア・ユニットサッシを備えた車両になりました。

塗装色は青15号とクリーム1号のツートンカラーで、塗り分けは横須賀線用113系のものと同様とされています。

ただし、冷房装置および側面行先表示器の準備工事は行われませんでした。

台枠を流用したため、幅広車体の裾絞りの下部が垂直となる独特の形状になったんですね。

身延線専用として狭小限界トンネルに対応するため、モハ62形はパンタグラフ部分の屋根を低くした低屋根化で施工、パンタグラフの折たたみ高さを下げています。クハ66形には改造時に500リットルの水タンクとトイレが設置されました。

前面幌枠は旧形車との併結運転も考慮され、旧形国電用のものが装備されました。

寒冷地での運転を考慮して暖房を強化、ドアエンジンは半自動対応となり、115系同様に取っ手が備え付けられました。

改造に際しては、補助電源装置を113系電車の冷房改造で発生した余剰品の交流20kVAの電動発電機(MG)に換装されて、電源の交流化と容量の強化が図られて、室内は新性能車同様の交流蛍光灯が装備されました。

しかし、この補助電源装置の換装により、低圧補助電源が従来の旧形車と異なる交流になったため、62系4両編成の中間には従来の旧形車を混結することは出来なくなってしまいました。(編成の前後に旧形車を併結することは可能)

種車は、72系新製車(モハ72形500番台・クハ79形300番台)のほか、63系編入車(クモハ73形0番台・クハ79形100番台)が含まれていて、番台により区分されています。

モハ62形は63系改造のクモハ73形からの改造車がモハ62000番台、72系新製車のモハ72形からの改造車がモハ62500番台、クハ66形は63系改造のクモハ73形・クハ79形からの改造車がクハ66000番台(3両全車偶数向き)、72系新製車のクハ79形からの改造車がクハ66300番台(3両全車奇数向き)となっています。

同一形式各番台ごとの相違点は台枠・台車形式のみで、車体構造及び設備はまったく同じです。

・モハ62000←元クモハ73012(旧63系:戦時設計形)

・モハ62001←元クモハ73172(旧63系:戦時設計形)

・モハ62500←元モハ72533   (72系新製車:戦後量産形)

・モハ62501←元モハ72569   (72系新製車:戦後量産形)

・モハ62502←元モハ72576   (72系新製車:戦後量産形)

・モハ62503←元モハ72632   (72系新製車:戦後量産形)

・クハ66000←元クハ79236   (旧63系:戦時設計形)

・クハ66001←元クハ79186   (旧63系:戦時設計形)

・クハ66002←元クモハ73118(旧63系:戦時設計形・電装解除)

・クハ66300←元クハ79373   (72系新製車:戦後量産形)

・クハ66301←元クハ79423   (72系新製車:戦後量産形)

・クハ66302←元クハ79439   (72系新製車:戦後量産形)

 

=種車の違い=

車体こそ当時最新の115系300番台そっくりに新造した「アコモデーション改良車」でしたが・・

種車によって「0番台」と「500番台(クハは300番台)」は大きく違っているんですね。

・0番台(旧63系戦時設計)

 1940年代後半に登場。戦時設計車のため、粗悪な資材で製造。

 1951年(昭和26年)に発生した桜木町事故を契機に急遽、安全対策が施された車両になります。

・500番台、300番台(72系新製車:戦後量産車)

 1952年以降に新たな安全基準を基に新造された車両でモハ72形500番台・クハ79形300番台として製造されました。

 台枠の構造が旧63系改造車とは異なるため、区別するためにモハ62形500番台・クハ66形300番台が付与されています。

 

=台枠の違い=

・旧63系:戦時設計形

 台枠の鋼材自体が非常に薄く、各部の補強も簡素でした。

 改造・修繕で72系に改造された時に一定の補強がなされましたが、元々の設計が粗悪なため歪や老朽化の進行が早く、構造自体

 の強度が根本的に劣っていました。

 クハ66形の3両(66000~66002)は強度不足の台枠に合わせて、車体側(先頭部など)の鋼板をかなり厚くして、踏切衝突対策

 として頑丈に作らざるを得ませんでした。(先頭部4.5mm厚) 

・72系新製車:戦後量産形 

 旧63系の反省を踏まえて、新規設計されたため肉厚な鋼材が使用されて十分な強度があり、構造的な信頼性は段違いに高い仕様

 でした。

 旧63系の台枠とは、床面高さが数ミリから数十ミリの差異があったため、車体を載せる際に寸法や形状の違いを吸収する設計が

 なされました。また、これが原因で115系よりも外観上の違いが発生することになりました。

 

=編成表=

      ←沼津・富士            甲府→

・第1編成:クハ66301+モハ62000+モハ62001+クハ66000

・第2編成:クハ66303+モハ62502+モハ62503+クハ66002

・第3編成:クハ66001+モハ62500+モハ62501+クハ66300

 

=台車=

 DT13:モハ62000・モハ62001

 DT13:クハ66000・クハ60001・クハ60002

 DT17:モハ62500・モハ62501・モハ62502・モハ62503

 TR48:クハ66300・クハ66301・クハ66303

 

=不遇なデビュー=

新性能近郊形電車同様のアコモデーション改造を行ったんですよね。

車体は3扉のセミクロスシート仕様(固定ボックスシート付)を備えた車両であったことから、車体が4扉でロングシートを備えた72系とは同一系列中の別番台とすることが出来なくなり、新たに新形式を起こして車籍登録をしなければならない事態になってしまったんですね。

関係各所への審査・認可などが新たに必要となったことから、竣工後、すぐには運用に就くことが出来ませんでした。

その後、認可が下りるまでの期間は長く休車状態になるなど、不遇なスタートとなってしまいました。

 

=運用=

1981年(昭和56年)115系2000番台投入による身延線新性能化で、戦前形旧型国電が全廃しましたが、その後もしばらく運用されましたが、1984年(昭和59年)に運用から離脱、1986年(昭和61年)までに全車が廃車になってしまいました。

この背景には、駆動装置が旧型国電のままであった事から、車両故障の頻度が高く、保守部品の入手が困難な点にあります。

さらに全国各地でのダイヤの見直しが行われ、余剰となった115系の振り分けが出来ることから、実にアコモデーション完了後、わずか10年で廃車になってしまったんですね。

 

=保存車両=

全車廃車後は佐久間レールパークの運転シュミレータとして、クハ66002の先頭部が利用されていましたが、2009年(平成21年)佐久間レールパークの閉鎖に伴って解体処分された模様です。

なお、佐久間レールパークにて運転シュミレータとして使用されていた時は、すでに運転台の機器類等は他系列の機器が搭載されていたとの情報もありました。

 

=まとめ=

同じアコモ改造車だった仙石線の72系970番台(20両)は、全車が改造され103系3000番台として、2005年(平成17年)まで川越線や八高線で活躍したのですが、こちらの62系はわずか10年あまりで全車が廃車・解体されてしまいました。

残念ながら同じ静岡鉄道管理局の飯田線への転属もなく、最後まで身延線の沼津・甲府間を走り続けていたんですね。

国鉄末期の過渡期に生まれた異端児なアコモデーション車両でしたが、現在では鉄道コレクションで製品化されるなど、多くの鉄道ファンからも愛されているんですね。(ホントなのかな?www)

さてさて、ちょっと気になっていた山陽電車が揃いましたので新製しましょう!

今回揃ったのが、コチラ!山陽電車「3000系」

う~ん・・・旧塗装もいいんですが・・・もちろん新塗装もいい!!

と、言う事でこちらの車両で4両編成が完成です。

旧塗装車は非冷房の屋根板まで入っているので、とてもバリエーション豊富に制作出来ます。

新塗装車も電動車は低屋根と標準屋根の2種類があっていいですね。

どちらの塗装車もサクッと組立てたんですが・・・ここで問題が発生!

なんと!どちらもデカールも劣化が著しいんですよ~(涙)

そりゃぁ~2006年発売でしたから!

もう20年の月日が経過してしまったんですね~

それでも何とか騙し騙し、貼り付けました。

旧塗装車は3004+3005を付番

種別と行先は「特急」「阪神大石」にしました。

新塗装車は3604+3504を付番

種別と行先は「普通」「新開地」にしています。

2001年(平成13年)のダイヤ改正で阪神本線への乗り入れが神戸三宮までに短縮されたので

「阪神大石」行きはとても貴重な行先になっちゃったんですね。

それにしても、同じ3000系でも車体塗装が違うだけでホント印象が変わりますね!

 

さぁ!それでは気合を入れて3000系についてジックリと調べてみましょう!

=3000系(3000形)について=

神戸高速鉄道開業に伴う必要になる車輌の確保として1971年(昭和46年)まで3次に分けて70両が製造されています。

・クモハ3000形(Mc):神戸方制御電動車(偶数車)

           「補助電源用小型電動発電機(MG)×2台、空気圧縮機(CP)×2台搭載」

・モハ3000形(M):中間電動車(奇数車)

           「主制御器・主抵抗器・集電装置を搭載」

・クハ3600形(Tc):姫路方制御車

・サハ3500形(T):付随車

・サハ3550形(T):2000系等から編入した付随車

①1次車(アルミ車体)

 2000系のアルミ車(2012編成)とステンレス車(2014編成)の運用実績を比較検討した結果、アルミ車体の採用を決定。

 3両編成2本の合計6両が製造されました。

     ←神戸   姫路→

・3000編成:3000-3001-3600「1964年(昭和39年)12月竣工」

・3002編成:3002-3003-3601「1965年(昭和40年)1月竣工」

※神戸高速鉄道開業直前の1968年(昭和43年)には普通鋼製2次車と同時にアルミ車体で2次車のサハ3500形2両が製造されて、

 両編成共に4両編成化されています。

 なお、2000系では各部にアルミ合金を採用しましたが、貫通路の渡り板などアルミ合金製が不向きと判断された部品は鋼鉄製

 等に戻され、2000系での実用経験が3000系に反映されています。

 側窓の見付も2000系アルミ車に準じており、独立した2段窓が扉間に3個、車端部に2個配置されました。

 2段窓は上段下降・下段上昇式で上段の上下寸法が大きく、保護棒が設置されました。

 前照灯ケースの形状も2000系の2012編成を踏襲しています。

 運転台妻面を含む腰板の上下に細い赤帯を配していますが、前面窓下の帯は1986年(昭和61年)着色フィルムになりました。

 ちなみに2015年(平成27年)3000編成だけは1986年(昭和61年)以前の前面スタイルに復元されています。

 当初、車体は2000系アルミ車と同様に車体にクリアラッカー塗装していました。これはパンタグラフやブレーキシューからの

 異種金属粉付着による腐食や沿岸部の重工業地帯からの大気汚染による科学的腐食が懸念されたためだったんですね。

 しかし、このクリア塗装は年数の経過による褪色が発生したことや車体の腐食も洗浄により問題にならないと確認されました。

 これにより1972年(昭和47年)にはクリア塗装が剥離されました。また、以後のアルミ車も一部を除き無塗装となっています。

 一時期、車体側面には窓下にウロコ模様がありましたが、こちらも後年に廃止されています。

 台車は軸梁式金属ばね台車(OK-25B:電動車、OK-21D:制御車)を採用。後年に電動車は新調したKW-1A、制御車は2次車の

 付随車との振替でKW-2Aに換装されています。また、この振替で捻出されたOK台車は3619-3622に流用されました。

 アルミ車の冷房化改造は1989年(平成元年)に3500・3501の2両に最初に施行され、3076・3078編成へ組込み、どちらも4両

 編成化されました。また翌1990年(平成2年)には3両編成に戻った3000・3002編成にも冷房化が施行されています。

②2次車(普通鋼車体)

 1968年(昭和43年)神戸高速鉄道開業までの短期間に大量増備が必要となり、車体はコストダウンのため3500・3501を除いて

 普通鋼製で製造されました。

 1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて3両編成9本と付随車6両の計33両が量産されています。

      ←神戸                姫路→

・3004編成:3004-3005-3602「1967年(昭和42年)4月竣工」

・3006編成:3006-3007-3603「1967年(昭和42年)4月竣工」

・3008編成:3008-3009-3604「1967年(昭和42年)4月竣工」

・3010編成:3010-3011-3605「1967年(昭和42年)9月竣工」

・3012編成:3012-3013-3606「1967年(昭和42年)10月竣工」

・3014編成:3014-3015-3607「1967年(昭和42年)10月竣工」

・3016編成:3016-3017-3608「1968年(昭和43年)1月竣工」

・3018編成:3018-3019-3609「1968年(昭和43年)1月竣工」

・3020編成:3020-3021-3610「1968年(昭和43年)3月竣工」

・3500・3501・3502・3503・3504・3505「1968年(昭和43年)3月竣工」

※3500・3501は1次車(アルミ車)に組み込む都合上、車体設計は1次車に準じてしますが、車内は2次車に準じています。

 外観では側窓は扉間3連・車端部2連のユニット連窓構造となり、窓幅は800mmになりました。

 車内では先頭車の運転台直後の2人掛け座席を廃止して立席スペースに変更、車内灯のグローブも省略されました。

 このほか、側出入口と座席間の立席スペースを拡張、出入口部へ吊り革を設置、混雑緩和とメンテナンスフリーを図りました。

 台車はウィングばね式金属ばね台車の川崎車両製(KW-1:電動車・電動制御車、KW-2:付随車・付随制御車)に変更。

 また、製造直後に3500・3501は1次車の制御車と交換する形でOK-21Dに換装されています。

 鋼製車は塗装が施され、当時の標準色であったネイビーブルーとクリームイエローの2色に塗り分けされました。

 後年、3500・3501の2両は塗装されて3060・3062編成へ一時的に組み込まれましたが、塗装を剥離して再度3000・3002編成に

 戻りました。しかし、その後、再び3076・3078編成に組み込まれています。

③3次車(普通鋼車体)

 1968年(昭和43年)12月にTc車の3611・3615が増備されて、全編成が4両編成になりました。

※3550形の改造編入計画があったのでT車ではなくTc車として増備されています。

・3611「1968年(昭和43年)12月竣工」

・3612・3613・3614・3615「1968年(昭和43年)12月竣工」

 行先表示幕を装備(前面:手動、側面:電動)、車外スピーカーを両側面の片側に2つずつ設置。

 なお、行先表示幕の指令器はMc車に設ける計画のため、登場当初は不使用でした。

 床面高さは2次車より40mm高くなり、側面の幕板部分が狭くなっています。そのため、2次車以前あるいは3050系3次車以降と

 混結される場合は床面高さを低く揃えるため、編成内で屋根高さが不揃いになります。

 2次車では連結器胴受部分の車体裾が切り欠かれていたが、3次車前期型では出っ張りがあり、貫通路の位置が高くなった後期型(3028編成以降)では一直線になっています。

 行先表示幕・車外スピーカーは1・2次車にも追加設置されたが、前面の方向幕部が突出しており、車外スピーカーも片側1箇所

 のみで3次車との相違点があります。

 1・2次車で方向幕が突出しているのは、貫通扉を開いた際に乗務員室の車掌台側の機器と競合をするのを防ぐためなんですね。

 1969年(昭和44年)には3両編成5本と3032・3033の1ユニットが製造されました。

 電動車にも方向幕が設けられ、M車の屋根はパンタグラフ設置部のみ110mm下げた低屋根になりました。

     ←神戸   姫路→

・3022編成:3022-3023-3616「1969年(昭和44年)3月竣工」

・3024編成:3024-3025-3617「1969年(昭和44年)3月竣工」

・3026編成:3026-3027-3618「1969年(昭和44年)3月竣工」

・3028編成:3028-3029-3619「1969年(昭和44年)11月竣工」

・3030編成:3030-3031-3620「1969年(昭和44年)11月竣工」

・3032編成:3032-3033「1969年(昭和44年)11月竣工」

 1970年(昭和45年)には3034ー3037と3621が、1971年(昭和46年)には3506-3508と3622 が製造されています。

     ←神戸   姫路→

・3034編成:3034-3035「1970年(昭和45年)10月竣工」

・3036編成:3036-3037「1970年(昭和45年)10月竣工」

・3621「1970年(昭和45年)10月竣工」

・3622「1971年(昭和46年)5月竣工」

・3506・3507・3508「1971年(昭和46年)5月竣工」

 3600形のうち3619ー3622の4両では、第1次アルミ車の台車交換で発生したOK-25Bを転用・装備されたが、後に3619と3618の

 間で振り替えを行っています。3619は1983年(昭和58年)に3100・3101のユニットとの3両編成を組成。塗装や連結器など各

 部の改造が行われました。

 

=3550系(3550形)について=

※2000系からの編入車

 1969年(昭和44年)から翌年にかけて、複電圧車のため制御器が複雑で保守に手間が掛かっていた2000系のうち、2扉転換クロ

 スシ-トで鋼製車体の第3編成9両を3000系の付随車(T)に編入する改造が行われました。

 この改造で3550~3558の9両が登場。改造元の車種と運転台の方向により3形態が存在しています。

新車番(旧車番 )

      ←神戸                         姫路→

・3551編成:3551:T(2004:Mc)ー3550:T(2503:T)ー3552:T(2005:Mc)

・3554編成:3554:T(2006:Mc)ー3553:T(2502:T)ー3555:T(2007:Mc)

・3557編成:3557:T(2002:Mc)ー3556:T(2504:T)ー3558:T(2003:Mc)

 ブレーキ装置はHSCに変更、旧Mc車は電装解除、旧乗務員室は客室化されました。

 3扉化、座席はロングシート化、非貫通前面への貫通路設置、既存貫通路の狭幅化などが実施されています。
 側面には電動式行先表示器と車外スピーカーも設置されました。台車は元Mc車はOK-15、元T車はOK-21です。
 3553-3558の6両は1979年(昭和54年)より冷房化改造が実施されたが、残る3両の改造は見送られた。
 3550は1990年(平成2年)に救援者1500に改造されました。

 こちらは順次廃車が進み、2000系改造の3550形は2003年(平成15年)までに全車が廃車されてしまいました。

※2300系編入車

 1998年(平成10年)のダイヤ改正に伴う4両編成運用の増加に対応するため、2300系の3両編成2本が3000系の付随車(T)とし

 て改造編入されました。

 この改造で3560~3565の6両が登場して、車番は3560番台になりました。

 型式は同じ3550形となっていますが、3560形と分類する例もあるようです。2300系時代に全車が冷房化されています。

新車番(旧車番)

      ←神戸                        姫路→

・3560編成:3560:T(2300:Mc)ー3562:T(2301:T)ー3564:T(2600:Tc)

・3561編成:3561:T(2302:Mc)ー3563:T(2303:T)ー3565:T(2601:Tc)

 Mc・Tc車は中間車になりましたが、乗務員室の本格的な撤去や客室化は見送られ、運転台の一部機器類の撤去に留められまし

 た。妻面扉と仕切り扉により、乗務員室を閉鎖して貫通路を確保しているんですね。

 旧M車は2700系から2300系への高性能化改造の際、2700系時代の運転台を撤去して客室化されています。

 電装解除されたMc・M車の床下機器は主制御器と抵抗器が撤去され、付随車として必要なもののみ残されました。

 台車は元Mc・M車が種車のKW-1Bを付随車用に変更したKW-2Bに、元Tc車は種車のままのKW-2Bを履いています。

 これらは2003年(平成15年)以降、4両運用の大幅な削減により全車が編成から外されて、2004年(平成16年)末までに全車が

 廃車されてしまいました。

 

=3200系について=

 3200系は2000系の主電動機と駆動装置を流用した車両群で1969年(昭和44年)に登場しています。

 当初より3200形として新造されたグループと、3000系の主電動機換装で3200形に編入されたグループがあります。

※3200形新造車

 8編成製造された2000系のうち、新造車3編成・編入車3編成の6編成12両分の主電動機・駆動装置が転用されたことになりま

 す。なお、4両編成では加速性能不足になることから、3600形Tc車との3両編成のみで使用されました。

・クモハ3200形(Mc):神戸方制御電動車(偶数車)

・モハ3200形(M):中間電動車(奇数車)

 1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけて、3000系3次車の新造と並行して、2000系の3550形への改造が発生した

 2002~2007の主電動機・駆動装置を転用して新造されました。

 車体や制御器・補機類等は3000系3次車と同仕様です。台車は主電動機支持架をMB-3037対応としたKW-1Bが採用されました。

     ←神戸 姫路→

・3200編成:3200-3201「1969年(昭和44年)12月竣工」

・3202編成:3202-3203「1970年(昭和45年)8月竣工」

・3204編成:3204-3205「1970年(昭和45年)10月竣工」

 制御車として3600形3620~3622を新造し、これらを組み合わせていました。

 2018年(平成30年)2月の3204編成運用終了をもって全車が消滅してしまいました。

 

※3200形編入車

 1988年(昭和63年)に3000形3034-3035、1989年(平成元年)3036-3037の計4両の主電動機・駆動装置を2000系の廃車発生品

 へ換装して、3206-3207と3208-3209に改番されています。

 1998年(平成10年)には3000形3010・3011の主電動機と駆動装置が2300系の電装解除に伴う、発生品に換装され、3210・

 3211となりました。なお、改造により捻出した主電動機(MB-3020S)と駆動装置は5000系の増備に流用されたほか、予備品確

 保に使用されました。

 3210編成は2017年(平成29年)に主電動機と駆動装置を再交換し、再び3000系3010編成になりました。同時に3200形リニュ

 ーアル車は消滅しました。また、3206~3209の4両は3200形として最後まで残りました。

 

=3050系について=

 1972年(昭和47年)の新造車からはサービス向上のため冷房装置を装備して導入されました。
 型式番号は電動車は50番台以降、付随車・制御車については30番台以降とされ、このグループは「3050系」として3000系とは
 別形式扱いになりました。

・クモハ3050形(Mc):神戸方制御電動車(偶数車)

・モハ3050形(M):中間電動車(奇数車)

・サハ3050形(T):電装解除付随車(3071)

・サハ3530形(T):付随車

・クハ3630形(Tc):姫路方制御車

 冷房装置は集約分散式で、三菱電機ユニットクーラー(CU-17形:8,500kcal/h)が1両あたり4基搭載されています。
 パンタグラフは冷房装置搭載に伴うスペース制約から下枠交差式(PK-57)となり、奇数電動車に2基搭載しています。
 取付部の低屋根は廃止され、PK-57はのちにPK-60へ換装、さらにPK-80に変更されています。
 補助電源装置はMc車に4両分の給電能力を有する電動発電機(MG)120kVAを搭載。Tc車にも予備として従来の小型電動発電機
 (MG)6kVAを装備しています。その他、基本的な機器仕様については3000系と同様になっています。
 前面の意匠は3000系に準じていますが、幌の形状が変更されていて、幌釣り金具が無くなりました。
 車内天井部には風洞を設置して天井を平面構造としました。
①1・2次車(普通鋼車体)
 1972年(昭和47年)に1次車として3050編成の4両編成1本を導入。翌1973年(昭和48年)に2次車として3052・3054の4両編成
 2本が増備されています。
 冷房関係を除き基本的な電装品は3000系3次車に準じていて、電動空気圧縮機(CP)C-1000LAも同様に、制御電動車に2基搭載
 されました。
 台車は冷房装置の搭載による軸重増大に対応して車輪やばね定数を変更したKW-3・KW-4を装備しています。
 増備途中の3052編成より前照灯ケースが小型化され、左右のライト間隔が狭くなりました。
※1次車
      ←神戸    姫路→
・3050編成:3050-3051-3530-3630「1972年(昭和47年)7月竣工」
※2次車
      ←神戸    姫路→
・3052編成:3052-3053-3531-3631「1973年(昭和47年)4月竣工」

・3054編成:3054-3055-3532-3632「1973年(昭和47年)4月竣工」

②3~6次車(普通鋼車体)
 1973年(昭和48年)11月竣工の3056編成より、2000系2010編成以来となる空気ばね台車が採用されました。
 電動車はKW-15、付随車はKW-16が装備されています。空気ばね台車の採用により電動空気圧縮機(CP)HB-2000をTcとMcに
 各1基ずつ搭載しています。
 車体は床面高さが3000系2次車と同様に低くなり、側面の幕板部分も広くなっています。
 基礎ブレーキはブレーキシリンダー式ではなくダイヤフラム式を採用、ブレーキ制御装置も仕様変更され、ブレーキ緩解時の空
 気排出音は従来より静かになりました。
※3次車
      ←神戸    姫路→
・3056編成:3056-3057-3533-3633「1973年(昭和47年)11月竣工」

・3058編成:3058-3059-3534-3634「1973年(昭和47年)11月竣工」

 その後も旧型車の代替として3050系を量産する計画でしたが、1973年(昭和47年)に勃発したオイルショックの影響で旅客数
 が減少に転じて車両増備を数年間中断しました。
 その間、1976年(昭和51年)に2700系のうち6両が高性能化改造を受けて2300系になっており、主電動機・駆動装置・制御装
 置等の主要機器は3000系と同一品で揃えられました。
 1977年(昭和52年)より増備が再開されたが、1年に1編成ずつの新造に留まりました。この時の増備車(3060編成~3064編
 成)は4両編成増備の需要がなく、車体の老朽化が特に深刻な820形の置換えと特急用編成の冷房化促進を図る目的で3両編成で
 新造されています。
※4次車
      ←神戸  姫路→
・3060編成:3060-3061-3635「1977年(昭和52年)5月竣工」
※5次車
      ←神戸  姫路→
・3062編成:3062-3063-3636「1978年(昭和53年)12月竣工」
※6次車
      ←神戸  姫路→
・3064編成:3064-3065-3637「1979年(昭和54年)12月竣工」
 この新造編成3本には、3000系3次車4両編成3本から付随車サハ3500形3両(3505~3507)を外して冷房化改造の上で組み込み  
 4両編成として特急運用に充当され、3両編成化された3000系が820形等の置換えに充てられました。
 3062編成以降では、台車がKW-27・KW-28に変更され、基礎ブレーキは通常のブレーキシリンダー式に戻りました。
 1977年(昭和52年)製の3060編成は窓ガラスが黒色Hゴム支持でしたが、後に他社同様の灰色Hゴム支持に変更されています。
③7次車(試作アルミ車)
      ←神戸  姫路→
・3066編成:3066-3067-3638「1981年(昭和56年)3月竣工」
 1981年(昭和56年)に製造された7次車(3066編成)の電動ユニット(3066-3067)は新工法のアルミ車体試作車となりまし
 た。試作要素が強く、Tc車の3638は普通鋼製の車体で製造されています。
 アルミ車は車体の軽量化と塗装費の節減という利点がありますが、素材が鋼鉄よりも高価で、アルミ地金の精錬に多量の電力を
 消費するなど、イニシャルコストが高いという欠点がありました。
 新工法のアルミ車では大型薄肉押出形材を多用して構造を簡略化、自動溶接で組立てることでコストを抑制しています。
 側梁と床構体、軒桁(側構体と屋根の合わせ部)の構体部材には中空構造のアルミ押出形材を使用し、床構体は横梁を省略して
 、中空形材に一体成型されたカーテンレール状の機器につり溝があって、ボルトを介して床下機器を吊り下げる構造です。

 これにより機器吊り用の梁に左右されることなく機器の配置ができて、移設などの改造も容易になりました。

 さらに中空形材内部を電線ダクトとして使用していて、合理的な構造になっています。

 妻面は、従来通りアルミ板材に骨組みをスポット溶接で組立て後、車体にハックボルトで取り付けていて、組み立て作業時の位

 置調整が容易な構造としています。

 側窓と妻窓は外付けのユニットサッシとなり、内装はメラミン樹脂の化粧板に代わってクリーム色のFRP樹脂一体成型品を採

 用、工法の簡易化と保守性の向上が図られました。

 このように新工法のアルミ車は、従来の3050系と比較して、Mc車で38.9tから34.4tに、M車は37.8tから33.3tに、T車は28.7tか

 ら24.2tに、Tc車は31.2tから26.7tに、それぞれ4.5tの軽量化がなされました。

 3066編成と組むTc車の3638は鋼製車体で製造されたため、アルミ車も鋼製車の塗装とされています。なお、前述した窓構造の

 変更により、ユニットサッシ枠の有無が鋼製車との識別点になっています。当初は冷房化改造した3000系T車の3508を組み込ん

 でいましたが、1984年(昭和59年)にアルミ車の3538を新造して置き換えられました。

 台車は円筒案内式ダイレクトマウント空気ばね台車でMc・M車はKW-35、鋼製Tc車の3638はKW-36となった。

④8~11次車(新アルミ車)
 1981年(昭和56年)6月には、8次車(3068編成)が全車アルミ車体の4両編成で増備され、ヘアライン仕上げの無塗装が採用
 されました。続いて1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)にかけて4両編成3本(3070~3074編成)・電動ユニット1組2
 両(3100・3101)・付随車1両(3538)が製造されています。
※8次車(新アルミ車)
      ←神戸    姫路→
・3068編成:3068-3069-3539-3639「1981年(昭和56年)6月竣工」
※9次車(新アルミ車)
      ←神戸    姫路→
・3070編成:3070-3071-3540-3640「1982年(昭和57年)6月竣工」
※10次車(新アルミ車)
      ←神戸    姫路→
・3072編成:3072-3073-3541-3641「1982年(昭和57年)6月竣工」
※11次車(新アルミ車)
      ←神戸    姫路→
・3074編成:3074-3075-3542-3642「1984年(昭和59年)6月竣工」
・3538「1984年(昭和59年)6月竣工」
 側面窓下には幅100mmの赤帯を入れ、正面には左右窓下に幅450mmの赤帯が入れられました。
 客用扉と正面貫通扉はステンレス製の無塗装となり、赤色の飾帯は着色フィルムでの貼り付けとなっています。
 3538は3066編成の付随車3508と組み替えられ、同編成に合わせて塗装されました。
 3534以来、久々の新造となった付随車は、3630形に合わせて車両番号が3539から付与されており、後に追加製造された3538を
 除く3535~3537については欠番となっているんですね。
 台車はMc・M車はアルミ試作車と同じKW-35、Tc・T車はKW-36Aを採用しています。

 また、2022年(令和4年)に3071は電装解除により付随車化され、台車形式をKW-36Dに変更、3078編成の3501を置き換えてい

 ます。ただし、改番は行われていません。

 1983年(昭和58年)に製造された3100・3101のユニットは、将来のラッシュ時の増結による5・6両編成運転を想定した増結車

 として計画されました。車番は3100番台を名乗り、3100形(3100系)と呼ばれることもありますが、形式としてはそれぞれク

 モハ3050形・モハ3050形であり、3100形(3100系)の形式は存在していません。

 3101の姫路方に簡易運転台の設置準備工事を実施、連結器は自動連結開放が可能な電気連結器付き密着連結器を装備していま

 す。

 当初は増結運用の予定がなかったため、鋼製車の3600形3619との3両編成(3100-3101+3619)を組成していました。

 3619は非運転台側に電気連結器を装備、アルミ車に合わせて明灰色(国鉄色の灰色9号相当)で塗装、電動空気圧縮機(CP)を

 新製して搭載、ステンレス無塗装仕様の客室扉へ交換するなどの改造が行われました。

 その後も増結運用の実績がなく、連結器も棒連結器に変更されました。

 なお、2022年(令和4年)5月以降は連結相手を3619から3640・3540に振替えて4両編成を組成しています。

 3100の補助電源装置は電動発電機(MG)に代えて12.0kVAのGTOサイリスタの静止形インバータ(SIV)が初めて採用され、以

 降の新造・冷房化改造車にも踏襲されています。

⑤12次車(新アルミ車)

 1985年(昭和60年)には3000系列最後になる増備が行われ、12次車(3両編成2本:3076・3078編成)が製造されました。

 この2編成は前面貫通扉と乗務員室扉がステンレス無塗装からアルミ製に変更されています。

 車内では優先座席のモケットがグレーに区分されました。

      ←神戸  姫路→
・3076編成:3076-3077-3643「1985年(昭和60年)6月竣工」

・3078編成:3078-3079-3644「1985年(昭和60年)6月竣工」

 この2編成の新製を最後に3000系列の製造は終了、翌年からの新製は5000系に移行しました。

 

=冷房化改造=

 非冷房車の3000系は1977年(昭和52年)から開始されました。

 1983年(昭和58年)からは3200形の工事もはじまり、1990年(平成2年)までに全車の冷房化が完了しています。

 冷房装置はパンタグラフ付のM車は集中式、パンタグラフのないMc・T・Tc車は集約分散式を搭載しました。

 

=塗装変更=

 山陽電車では1949年(昭和24年)登場の820形以来、クリームとブルーの2色塗装を採用しています。

 1984年(昭和59年)に発生した阪急六甲駅での脱線事故と塗装工程の省力化を図るため1986年(昭和61年)の5000系導入に合

 わせて鋼製車両の塗装を変更。クリーム地の塗装にステッカーによる赤と黒の帯を配する塗装に変更されました。

 

=異端児=

 2000系より編入された付随車の3550は1990年(平成2年)11月に救援車に改造され、1500に改番されました。

 その後、2010年(平成22年)6月に廃車されてしまいました。

 

=6両編成予備対応=

 3060・3062編成の3両編成2本は、予備として3+3の6両編成の組成を可能にするため、1992年(平成4年)6両編成化対応工事 

 が行われました。これは5000系と同じく2両分のドアカットに対応可能な戸閉回路に変更されたんですね。

 その後、3076・3078編成が6両編成用の予備車となったため、3060・3062編成のドアカットが使用される事はありませんでし

 た。

 1993年(平成5年)5000系3両編成の最後の2本が4両編成となったため、6両運用予備の後継車には3076・3078の3両編成2本が

 指定されて、3060・3062編成と同様の6両対応改造と座席のセミクロス化が施工、前面の方向幕も電動化されました。

 なお、このクロスシートは5000系の固定クロスシートを転換クロスシートへ改造した際の発生品が転用されています。

 1995年(平成7年)には3074編成にも同様の改造が施工されています。

 3050系による予備運用は2001年(平成13年)3月のダイヤ改正まで行われ、3編成のうち2編成で3両編成2本を併結する6両編成

 を組成して、5000系6両編成の予備編成として使用されました。

 

=ワンマン化改造=

 1994年(平成6年)3200系の全車と3000系の3006・3010編成を対象に網干線のワンマン運転開始に伴う改造が行われました。

 乗務員の視界確保のため運転席側前面ガラスの縦桟がなくなり、隅部と平面部を一体化したガラスに変更されました。

 車内では自動放送装置やドア開閉予告チャイムの設置、デッドマン装置の回路変更などが行われています。

 なお、本線でのツーマン運転も可能なように切り替えスイッチも設置されました。

 

=更新工事=

①鋼製車

 2004年度(平成16年度)から2015年度(平成27年度)にかけて鋼製車を対象に3000系列の更新工事が行われました。

 「リニューアル工事」「リフレッシュ工事」と称されて、11年間に合計13編成44両が施工されました。

 客室のリニューアル工事として、客室ドア間の側面窓一体型ユニットサッシへ交換、車端部側面窓の大型1枚ガラスへ変更、化

 粧板とカーテンの交換、妻引き戸の窓の大型化、中間電動車の車椅子スペース新設、連結面間への転落防止幌の新設などが行わ

 れました。また、構体と屋根の修繕、扉と上下レールの更新、空気配管の更新、高圧配線の更新、ATSの更新が行われました。

 なお、3000系3次車の3060編成では3506のみ対象、3050系1・2次車は全車両が対象外になりました。

 3012編成以降では方向幕指令器を交換、前面行先表示器を自動化し、これ以前の施工編成にも追加で実施されました。

 3060編成以降では室内灯がLEDに交換されています。 

 ・3210編成:2005年(平成17年)3月

 ・3006編成:2005年(平成17年)8月

 ・3020編成:2005年(平成17年)12月

 ・3216編成:2006年(平成18年)9月

 ・3218編成:2006年(平成18年)12月

 ・3214編成:2007年(平成19年)9月

 ・3058編成:2008年(平成20年)5月

 ・3012編成:2008年(平成20年)10月

 ・3008編成:2010年(平成22年)10月

 ・3056編成:2012年(平成24年)3月

 ・3060編成:2013年(平成25年)2月

 ・3064編成:2014年(平成26年)2月

 ・3062編成:2016年(平成28年)3月

②アルミ車

 3050系アルミ車についてもバリアフリー整備ガイドラインへの対応や安全性向上のため、更新工事が行われました。

 車体は側扉を除いて無塗装から灰色塗装に変更、種別・行先表示器はフルカラーLED化。

 車内は化粧板と座席の交換、各車両に車椅子・ベビーカースペース整備、ドアチャイム、窓サッシの交換が行われた。

 ・3072編成:2023年(令和5年)

 ・3068編成:2023年(令和5年)

 ・3100編成:2025年(令和7年)

 

=架線検測装置の設置=

 3008編成の3009は更新工事の際にパンタグラフが下枠交差式PK-80に交換し、架線検測装置が設置された。

 この検測装置は明電舎製「CATENARY EYE」で屋根上に検測機器が常設され営業車として使用できる特徴があります。

 これは九州新幹線(800系)での仕様例はあったものの一般鉄道では山陽電鉄が初めてになります。 

 

=廃車=

 3550形の2000系編入車のうち、3552は1985年(昭和60年)に、3551は1989年(平成元年)にそれぞれ廃車されました。
 1998年(平成10年)には3553・3554・3558が廃車され、2003年(平成15年)までに残った3両も廃車されました。
 そして、2003年(平成15年)以降、4両運用の減少により2300系編入車も2004年(平成16年)までに全車が廃車されて、3550 
 形は形式消滅しています。また、この廃車により、山陽電鉄の営業車両から片引き扉の車両が全廃になりました。
 その後、2010年(平成22年)には新造車での廃車もはじまり、同年6月には3500形3507・3508が廃車になりました。
 3000系列は2016年(平成28年)に登場した6000系による代替対象となり、2016年度には初となる編成単位の廃車が発生しま
 した。初期アルミ車3002編成と鋼製車3022編成の3両編成2本が2017年(平成29年)廃車となっています。
 さらに同年には3004編成と3200系3200編成が廃車され、順次、編成単位での廃車が進んでいます。
 2026年(令和8年)3月現在では3000系3両編成が8本、3050系4両編成が11本、3100系4両編成が1本残るのみになっています。 

 

=3000系列の編成表=

※3000系(3両編成8本)

 ←神戸三宮   山陽姫路→

       Mc  M  Tc

・3006編成:3006-3007-3603 鋼製車

・3008編成:3008-3009-3604 鋼製車

・3010編成:3010-3011-3605 鋼製車

・3012編成:3012-3013-3606 鋼製車

・3014編成:3014-3015-3607 鋼製車

・3016編成:3016-3017-3608 鋼製車

・3018編成:3018-3019-3609 鋼製車

・3020編成:3020-3021-3610 鋼製車

※3050系(4両編成11本)

 ←神戸三宮     山陽姫路→

       Mc  M  T  Tc

・3056編成:3056-3057-3533-3633 鋼製車

・3058編成:3058-3059-3534-3634 鋼製車

・3060編成:3060-3061-3506-3635 鋼製車

・3062編成:3062-3063-3504-3636 鋼製車

・3064編成:3064-3065-3503-3637 鋼製車

・3066編成:3066-3067-3538-3638 試作アルミ車(3638は鋼製車)※全車が塗装されています。

・3068編成:3068-3069-3539-3639 新アルミ車

・3072編成:3072-3073-3541-3641 新アルミ車

・3074編成:3074-3075-3542-3642 新アルミ車

・3076編成:3076-3077-3500-3643 新アルミ車

・3078編成:3078-3079-3501-3644 新アルミ車

※3100系(4両編成1本)

 ←神戸三宮     山陽姫路→

       Mc  M  T  Tc

・3100編成:3100-3101-3540-3640 新アルミ車

 

=保存=

 2025年現在、東二見車庫に保存されている車両です。

 ・3000系(3003):倉庫の代用として残存。

 ・2000系(2012-2505-2013):アルミ車3両編成。

 ・200形(206):1936年製(昭和11年)流線型の木造車(後に鋼体化)

 

=まとめ=

 はぁ~3000系列って、本当に種類が多いんですね~。

 2000系は鋼製車・アルミ車・ステンレス車、さらに2扉車と3扉車がいたりして・・
 これは、模型化されたら買い揃えたくなる気持ちもわかりますなぁ~w

 まだまだ残っている3000系。

 乗るなら今のうちですぞぅ~♪

 あぁ~出張でよく行った飾磨のホルモン屋が忘れられないぃ~www

ピクトリアルの10月号(旧型国電)まで買って、ココロはやっぱり旧型国電なんですが・・・

またしても、Bトレをポチってしまいましたw

今回は小田急電鉄の9000形4両編成になります。

やっぱりこの特徴ある前面が魅力ですよね?

それでは早速、車体と下廻りを分離して整備しましょう。

いやぁ~今回の入線車両も整備がしっかり行き届いていてバリもありません。

ちょっと寂しいくらいですが、あっさりと組付けて完成しました。

4両固定編成(9003F)なんですが、なぜか?中間パンタ車だけ5000番台の車番になっていましたw

まぁ~譲渡車両にはよくある事なので、特に気にしませんけどねw

今までの小田急の電車らしからぬ、この特徴ある前面がやっぱり9000形の魅力ですよね。

往年の小田急車両を並べて、のんびり鑑賞しましょう。

 

=9000形の概要=

東京メトロ(旧:帝都高速度交通営団「営団地下鉄」)の千代田線相互直通運転のために導入された電車なんですよね。

当初は4両固定編成で製造されましたが、6両固定編成も登場しました。

最終的には4両固定編成と6両固定編成がそれぞれ9編成まで増備されて、合計90両が運用されていました。

小田急の通勤電車では初めて、相互直通運転を前提とした車両なので、それまでの標準仕様とは異なる新技術が多く採用されました。

そのスタイルや車両仕様が高く評価されて、1973年(昭和48年)に鉄道友の会より「ローレル賞」を授与されています。

1978年(昭和53年)から1990年(平成2年)まで、千代田線直通列車を中心に運用されて、その後も箱根登山電車への直通運転を含む地上線で幅広く運用されましたが、後継車両の導入に伴って2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて全車が廃車になりました。

 

=登場した経緯=

小田急電鉄の朝ラッシュ時における通勤輸送は、1969年(昭和44年)から大型通勤車両の8両編成での運行を行うために、5000形(初代)による4両固定編成を製造していました。

その時、すでに千代田線との直通運転が決定していましたが、乗り入れ車両について具体的な設計協議には入っていませんでした。しかし、その後、事業者間での協議が進むにつれ、早ければ1974年(昭和49年)には直通運転が開始される見通しになりました。

当時の小田急では、年間の車両製造数を20両~30両前後としていたことから、あらかじめ直通運転に必要な車両数を確保して直通運転開始時に備える必要があったんですね。

その一方で、直通列車以外の輸送力の増強も継続する必要があるため、5000形(初代)の増備を一時中断してまで、直通列車と自社線内の列車のどちらにも使用できる車両を製造することに切り替わったわけなんですね。

本来は5000形(初代)の次の新形式車両なので、本来は「6000形」になるべきところでしたが、すでに営団地下鉄では千代田線用の車両として6000系の試作車両が登場していたので、同一番号を避けるべく、千代田線の計画路線名称の「9号線」に合わせて9000形と仮称していたところ、そのまま正式な形式名として採用されたんですね。

 

=9000形の諸元=

製造所:東急車輛製造・日本車輛製造・川崎重工業

製造年:1972年(昭和47年)~1977年(昭和52年)

製造数:90両

運用終了:2006年(平成18年)3月

廃車:2006年(平成18年)7月

編成:4両固定編成、6両固定編成

軌間:1,067mm(狭軌)

電気方式:直流1,500v(架空電車線方式)

最高運転速度:100km/h

設計運転速度:120km/h

起動加速度:3.3km/h/s(10両編成組成時)

減速度(常用):4.0km/h/s

減速度(非常):4.7km/h/s

編成重量:368.4t

編成長:80.0m(4両)、120.0m(6両)

車両定員:136名(先頭車・うち座席50名)、144名(中間車・うち座席58名)

全長:20,000mm

全幅:2,870mm

全高:4,145mm(集電装置付き)、4,020mm(集電装置なし)

台車:FS385・FS085(住友金属工業)

主電動機:複巻整流子電動機(MB-3182-AC:三菱電機)

主電動機出力:110kW(電圧375v)

駆動方式:WN駆動方式

歯車比:5.39

制御方式:界磁チョッパー制御

制御装置:FCM-118-15MDRH(三菱電機)

制動装置:回生・発電

制動併用電磁直通空気製造(HSC-DR)

保安装置:OM-ATS、(CS-ATC:当初は準備工事のみ、後に撤去)

 

=車両の概説=

全長20mの車両による、4両固定編成と6両固定編成が製造されました。

形式は先頭車がデハ9000形(制御電動車)、中間車がデハ9000形(電動車)とサハ9050形(付随車)になります。

サハ9050形は6両固定編成のみに連結されました。

 

=車体=

先頭車・中間車ともに車体長は19,500mm・全長20,000mmの全金属製車体です。

車体幅は千代田線の車両限界に適合させるため、2,870mmとされ、5000形(初代)の2,900mmに対して30mm狭くなっています。なお、当時、運輸省が定めていた地下を走行する鉄道車両の防火基準である「A-A基準」にも対応しています。

9000形は千代田線内では、営団地下鉄5000系・6000系や国鉄103系1000番台とともに運行されることになりました。

特に営団地下鉄6000系は当時、その左右非対称の正面デザインが斬新なものとして評価されていたことから、6000系に引けをとらないようなデザインにすることが望まれたため、各製造メーカーにデザインの提案を依頼しました。

その結果、9000形は東急車輛製造の伊原一夫氏によるデザインが採用されています。

この車両は運転席・助手席の窓を傾斜させたうえ、屋根近くまで大きく拡大。前照灯と尾灯は逆に運転席・助手席の窓下に配置して、方向幕は貫通路の上部に配置するという、当時の小田急の通勤車両からは大きく異なる様式になりました。

また、前面下部には、小田急の通勤車両で初となるスカート(台枠下部覆い)が設置されました。

側面客用扉は各車両ともに4カ所で、1,300mm幅の両開き扉を採用。側面窓の配置は、幅900mm・高さ900mmの一段下降窓が採用されました。これは、小田急の車両では通称「HB車」とされる戦前製の車両以来の久々の採用になったんですね。

これまでの車両と同様に客用扉間に2つ1組で、客用扉と連結面の間には1段下降窓が1つ設けられ、客用扉と窓の間には幅280mmの戸袋窓が配置されました。なお、乗務員扉と客用扉の間については乗務員室に搭載する機器が多くなり、乗務員室が客室方向に400mm拡張されたため、この箇所の戸袋窓はなくなっています。

車両間の貫通路は幅1,080mmの広幅で、妻面の窓は固定窓になっています。また、6両固定編成ではサハ9550番台の車両の小田原寄り車端部に仕切り扉が設置されました。

車体側面中央の客用窓上部には、種別表示器が設置され、初期に製造された4両固定編成6本は、5000形と同様の切り替え式でしたが、1973年(昭和48年)の増備車両からは、側面の種別表示器が巻取り字幕式に変更されました。

塗装デザインについては、5000形(初代)と同様に、ケイポアイボリーをベース色として、300mm幅でロイヤルブルーの帯を窓下に入れる塗装が採用されました。

 

=内装=

座席はすべてロングシートで、客用扉間に7人掛け、客用扉と連結面の間には4人掛けの座席が配置されました。

5000形(初代)では座席の奥行きが520mmでしたが、9000形ではさらに30mm深くした550mmとして座り心地の改善が図られています。

車内の照明装置は交流蛍光灯18本(中間車は20本)と、直流蛍光灯4本で、直流蛍光灯は予備灯兼用になっています。

 

=機器類=

当時9000系にはかなり厳しい性能が要求されました。

・千代田線内における平坦区間での起動加速度は3.3km/h/sを標準とする。

・緊急時には上り35‰の勾配線において無動力の10両編成を駅まで推進運転可能とする。

・地下鉄線内での温度上昇を避けるため、熱の放散を抑える事。

このため、制御方式は界磁チョッパー制御とし、制動方式は回生制動を採用することになりました。

その一方で、自社線内の列車で使用する条件も考慮することとなり、5000形と同様に急行列車にも使用できるよう、最高速度は120km/hに設定されました。しかし、このような高速域からの制動においては、回生制動では発生電圧が高くなりすぎてしまい、回生制動が失効すると空気制動だけになって制動距離が伸びてしまうため、自社線内では発電制動が必須だと判断されました。

9000形の設計においては、これらの要求を満たすために細心な注意が払われたんですね。

乗務員室は、小田急のOM-ATS装置だけでなく千代田線で使用されている「車内信号式自動列車制御装置(CS-ATC)」を搭載する必要があったため、前後方向に400mmも拡張されました。

ただし、登場当初は乗り入れ時期が具体化していなかったため、準備工事のみとしています。

運転台も営団6000系などの乗り入れ車両と極力統一するため、主幹制御器もそれまで小田急の標準であったデッドマン装置付きとは異なるものになったほか、ATCの車内信号表示に対応した速度計になりました。

主電動機の選定については、当時の技術で要求仕様を満足させるため、電動車比率(MT比)を10両編成で8M2Tとし、1台当たりの出力は110kWの複巻整流子電動機(MB-3182-AC:三菱電機)が採用されました。

制御装置については、営団6000系では電機子チョッパ制御が採用されていたが、コスト面で界磁チョッパ制御が有利であることと、発電制動を備える必要があることなどから界磁チョッパ制御が採用されました。

なお、このチョッパ制御自体は小田急では初めての採用例になりました。

駆動方式はWNドライブで歯車比は5.39に設定されています。

制動装置は応荷重機構付き電空併用のHSC-DR形電磁直通ブレーキが採用されました。

これは、制動初速によって回生制動と発電制動を自動的に選択する仕組みになっていて、初速が75km/h以下の場合は発熱抑制のために回生制動を利用、75km/h以上の場合は高速域から安定した制動力が得られる発電制動が作用するようになっています。

また、回生制動失効時には自動的に発電制動に切り替わり安定したブレーキ制動を確保しました。

強制通風式の抵抗器は5000形と同様ですが、地下鉄線内の使用を考慮して、より低騒音のものになっています。

台車は、主電動機の出力を110kWとしたことから、車輪径が標準的な860mmで問題ないと判断されたことから、電動機と付随車のいずれも車輪径は860mmに揃えられました。

電動車はFS385(住友金属工業)、付随車はFS085(住友金属工業)が採用されました。

高速域からの制動効果を確保するため、基礎制動装置をクラスプ式(両抱え式)としたアルストムリンク式空気ばね台車が採用されました。ちなみにこれは5000形と同様になります。なお、当初は波打車輪を使用していました。

集電装置(パンタグラフ)は、剛体架線での追従性能が高いPT-4211S形集電装置を採用して、6両固定編成での全ての電動車と、4両固定編成のうち、デハ9100番台・デハ9300番台の車両に搭載されました。

冷房装置は、5000形の新製冷房車で採用されていたCU-12A型の改良版である集約分散式冷房装置(CU-12B:8,500kcal/h)を1両あたり5台搭載しました。
補助送風装置は扇風機からラインフローファンに変更されて、室内の天井は平天井構造になりました。
補助電源装置は、電動発電機(MG)を採用、140kVA(CGL-350A型)をデハ9000番台・デハ9200番台・デハ9400番台・デハ9600番台にそれぞれ搭載されました。

 

=沿革=

構想当初は10両編成を10本新造する計画でした。

まず、1972年(昭和47年)1月から2月にかけて4両固定編成が1次車として6編成が入線して、3月から営業運転を開始しました。

同年中に2次車として4編成が入線して、翌1973年(昭和48年)からは急行10両編成化に向けて6両固定編成が増備されて、1974年(昭和49年)までに、6両固定編成が合計で8編成入線を果たしています。

ここで、実際の直通運転のダイヤの詳細が確定するまで、いったん増備を中止することになります。

その後、最終的な直通運転のダイヤが決定、小田急側の乗り入れの運用数が5運用となり、増備はここで中止になりました。

1977年(昭和52年)に付随車を2両新造した上で、9010×4の4両固定編成に挿入して6両固定編成になりました。

相互直通運転開始が近くなった1976年(昭和51年)~1977年(昭和52年)には、準備工事でとどめていたATC・誘導無線装置などの乗り入れ用機器が設置され、同時期に、1次車の側面種別表示器を切り替えた式から巻取り字幕式に変更されました。

1978年(昭和53年)3月からは千代田線との相互直通運転が開始され、予定通り9000形が直通運転に使用されました。

開始後には地下鉄線内で非常用通路となる際の保安度向上を図るため、10両編成で中間の運転台となるデハ9300番台・デハ9400番台の乗務員室に内部仕切りを設置したうえで正面の手すり形状も大型化しました。

なお、直通列車以外でも自社線内の列車に使用され、1982年(昭和57年)7月以降の休日に限り、箱根登山電車にも乗り入れするようになりました。

1985年(昭和60年)7月には日本国有鉄道よりマヤ34形軌道検測車を借り入れて、9000形の4両固定編成2本で挟んだ形態の9両編成で、小田急線内の軌道検測を行っています。

当初は常磐緩行線に乗り入れる構想もあり、デハ9000・デハ9700には常磐線用の列車無線などを取り付けられるように準備工事が行われましたが、これらは後の車体更新で撤去されてしまいました。

 

=地上線専用に転用=

相互直通運転開始後も、しばらく運用に大きな変化はなかったのですが、1988年(昭和63年)に1000形が登場して、1989年(平成元年)3月のダイヤ改正からは9000形に代わり直通運転に充当されるようになりました。

当初は5運用のうち2運用が9000形のままでしたが、1990年(平成2年)3月のダイヤ改正ですべて1000形に置き換えられました。

その後、9000形は地上線専用車として運用されることになり、1991年(平成3年)以降に直通列車のための機器が撤去されました。また、小田急では電気機関車の全廃後は、全電動車で編成単位出力の高い9000形4両固定編成が牽引車として使用されることもありました。

これに先立ち、1988年(昭和63年)からは車体の修理が開始され、車体の補修や化粧板、床材の交換が行われました。

車内の配色は4両固定編成が寒色系で、6両固定編成が暖色系になっています。

また、側面の表示装置も種別・行先を併記した仕様に変更されました。

1995年度(平成7年度)までに全車両の車体修理が完了。1978年頃(昭和53年頃)に設置された乗務員室の仕切り板は1993年(平成5年)までに全車両撤去されました。

地上線への転用後、特に4両固定編成については2編成を連結した8両編成で、全電動車による高い加減速性能を生かして新宿発着の各駅停車に使用されることが多くなりました。このため、2000年度(平成12年度)にはデハ9002・9004・9006・9301・9303・9305の6両について運転台機器の撤去が行われました。これは運転室はそのまま残した状態で、本格的な客室化改造などは行われていません。

これによって、9000形の8両編成が3編成組成されることになりましたが、完全に固定編成となったわけではなく、検査時には連結する編成の組み合わせが変更される半固定編成ともいうべきものでした。

2001年(平成13年)以降に集電装置がシングルアーム式に変更されたほか、運転室の主幹制御器についても2600形廃車発生品の小田急タイプに交換されました。(9009×4編成は除く)なお、最後まで転落防止幌は設置されていません。

 
=廃車=
車体のモデルチェンジを行い、鉄道ファンからは評価の高かった車両でしたが、制動効果が複雑であったことから運転士からの評価は厳しいものでした。また、車両保守部門からも重装備過ぎる車両として敬遠されていたんですね。
このような背景から、3000形の増備に伴なって、5000形よりも先に置き換えが開始されて、2005年中(平成17年)に74両が廃車されてしまいました。
末期には4両編成が1編成、6両編成が2編成のみ残って、2006年(平成18年)3月15日~17日の3日間、9407Fの前面右下に「9000形さよなら号」のヘッドマークをつけて運用に就きました。同17日限りで定期運用が終了して、同年5月13日には9001F+9407Fを使用した団体列車「9000形さよなら号」が秦野→唐木田間で運転され、運行終了後は喜多見検車区唐木田出張所(唐木田車庫)において「さよなら9000形フェスタ」が行われたあと、同年7月に全車が廃車されました。
廃車後はトップナンバーである先頭車デハ9001の1両が保存され、喜多見検車区で保管されました。
2019年(令和元年)3月に1253F×6に牽引される形で、2600形クハ2670、2200形デハ2201・デハ2202とともに海老名検車区へ輸送され、3000形SE車を保管している専用車庫に収容されました。
 
=編成表=
・6両固定編成
    ←小田原                    新宿・綾瀬→
9401F:デハ9701+デハ9601+サハ9651+サハ9551+デハ9501+デハ9401
9402F:デハ9702+デハ9602+サハ9652+サハ9552+デハ9502+デハ9402
9403F:デハ9703+デハ9603+サハ9653+サハ9553+デハ9503+デハ9403
9404F:デハ9704+デハ9604+サハ9654+サハ9554+デハ9504+デハ9404
9405F:デハ9705+デハ9605+サハ9655+サハ9555+デハ9505+デハ9405
9406F:デハ9706+デハ9606+サハ9656+サハ9556+デハ9506+デハ9406
9407F:デハ9707+デハ9607+サハ9657+サハ9557+デハ9507+デハ9407
9408F:デハ9708+デハ9608+サハ9658+サハ9558+デハ9508+デハ9408
9409F:デハ9709+デハ9609+サハ9659+サハ9559+デハ9509+デハ9409
     (9310)  (9210)  (新造)   (新造)  (9110)  (9010)
 
・4両固定編成
    ←小田原          新宿・綾瀬→
9001F:デハ9301+デハ9201+デハ9101+デハ9001
9002F:デハ9302+デハ9202+デハ9102+デハ9002
9003F:デハ9303+デハ9203+デハ9103+デハ9003
9004F:デハ9304+デハ9204+デハ9104+デハ9004
9005F:デハ9305+デハ9205+デハ9105+デハ9005
9006F:デハ9306+デハ9206+デハ9106+デハ9006
9007F:デハ9307+デハ9207+デハ9107+デハ9007
9008F:デハ9308+デハ9208+デハ9108+デハ9008
9009F:デハ9309+デハ9209+デハ9109+デハ9009
9010F:デハ9310+デハ9210+デハ9110+デハ9010(※のちに新造車2両を加えて、6両固定編成に)
 
=まとめ=
デザインだけでなく、性能的にも操作性でも個性的な車両だったんですね。
だから、いつまでも走っていると思っていたら、あっさり優先的に廃車になっちゃったんですね。
それでも先頭車1両が保存されているのは、小田急の歴史的な車両であることは間違いないようです。
残念ながら、小田急のロマンスカーミュージアムでは展示されていないんですよね。
今後は是非、他の歴史的な車両と共に一般公開して欲しいもんですね。

前回、教えてもらったエアコンのリレーを入れ替えて作動を確認。

うん!しっかりとエアコンが効くようになりました。

そのかわりラジオと純正ナビが、タマに沈黙w

まぁ~、これで完全にリレーの不具合が原因だったことが確定したのでヨシとしましょうw

そしてPCで早速、リレーを注文しました。

パチモンもいいんですけど、ここはやはり海外で作っていても純正品が一番でしょ?w

そこで純正品と同様の「Panasonic ACVN51212」を手配しました。 

到着した商品(新品)がこちら。

そして今回、クルマから取り外したリレーがこちら

たぶん新車時から使われたリレーなので2016年以前の商品になるので10年頑張ってくれたんですね。

それはそれは、大変お世話になっていたわけなんですよね~w

どうやら、いつもオートエアコンを利用しているクルマは、このリレーの寿命による故障の疑いが多いようですね。

ちなみにPanasonicの商品カタログ「車載用リレー選択表」から調べてみると、

商品名はCV-Nリレー(低背マイクロISO端子配列車載用リレー)になります。

技術資料で、電気的寿命が20万回以上~30万回以上になっているので、やはり完全に商品寿命だったんですね。

もちろんクルマの走行距離や使用状況にもよるんでしょうけどね。

ググってみると、だいたい5年~10年または7万km~10万kmが交換の目安になっているようです。

まぁ、リレー単品は送料込みでも2,000円以下ですから、簡単に購入することが出来ます。

もし、みなさんもエアコンが効きがおかしいなぁ~と思ったら確認してもいいですね。

相変わらず猛暑の中、エアコンの不調で奥様から嫌われてしまったB21A(デイズルークス)

クルマ遊びしている仲間から「いくらもしないんだからリレー交換してみたら?」とのアドバイスを頂きました。

あっ!そうか!リレー交換で直れば超~簡単だよね!っと思い立って交換作業をしました。

早速、やってみました!がっ!

リレーボックスがエンジンルーム内にあるのは知っていましたが、開け方すらわからないw

ネットで検索して、ヒューズボックスの右側の細くなった部分の上下2カ所に爪があって押したら簡単に外れます。

外れたら、左側へスライドさせて、あら?簡単にパカっと外れましたw

エアコンのリレーは中段5列に並んでいる一番右側「R12」

雪の結晶みたいなマークが目印ですね。

とりあえず、「R15」ミュージックマークのリレーと交換!

ひゃぁ~!エアコンが効くようになりましたw

これでエアコンのリレー「R12」用のリレーを購入して元に戻したらおしまいですね。

やっぱり、持つべきモノは「還暦過ぎてもクルマ遊びしている仲間たち」ですねwww

※もちろん誉め言葉ですからね~w