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GSX-R125遊び!

新型の車体(GSX-R125)と遊ぶことになりました。
バイク遊びは楽しいよぉ~w
鉄道模型はBトレインショーティーで遊んでいます。
ますこっとれいんにもハマってしまいました。

以前からずっと気になっていた「なにわのローカル線」南海電鉄汐見橋線。

この汐見橋線(正式には高野線)は「岸里玉出駅~汐見橋駅間」をほぼ30分間隔で運行しているんですよね。

いろいろな動画を見ているうちに思わずBトレが欲しくなってしまいました。

すでに引退した2200系は銚子電鉄へ行けばいつでも会えるので現在、活躍している2000系をゲットしました。

どちらも高野線用に投入された車両で急勾配・急カーブに対応している「ズームカー」と呼ばれる車両になります。

それでは汐見橋線の沿線で踏切脇にあるホルモン屋さんに思いを馳せながら制作することにしましょうw

2000系は高野線で活躍している2ドアロングシートの電車です。

そのうちの2両編成5本がワンマン化されて南海電鉄の各支線で活躍しているんですよね。

ところで南海電車と言えば「普通」と「各停」が存在しているのは知っていますか?

「普通」は南海本線を走り、「各停」は高野線を走っています。

難波駅を発車すると「今宮戎」と「萩之茶屋」の両駅には高野線のホームしかありません。

南海本線の「普通」電車はすべて通過してしまうので、初見さんは注意しないと大変な事になります。

さて、それでは2両編成の2000系を制作しましょう。

いつものように組み付けるパーツを並べて間違わないようにします。

サクッと組立てて完成しました。

デカールには残念ながら汐見橋線関係がありませんでここは妄想電車で我慢しましょう。

急行は「みさき公園」行き

各停は「なんば」行きです。

実車が全長17m級や20m級でも、また2ドア車や4ドア車でもBトレでは関係ないのがいいですね。

折角なので手持ちの南海電鉄を並べました。

これだけ特徴ある車両が走っているのも南海電鉄の魅力ですね。

 

=南海電鉄の歴史=

南海電鉄は純民間資本による日本最初の鉄道会社です。

1884年(明治17年):関西経済界の重鎮らが発起人となり「大阪堺間鉄道」を設立し、「阪堺鉄道」に改称。

1885年(明治18年):「阪堺鉄道」が『難波~堺間』を全線開通。

1893年(明治26年):「紀泉鉄道」と「紀阪鉄道」が合併し、「紀摂鉄道」が誕生。

1895年(明治28年):「紀摂鉄道」が「南海鉄道」に改称。

1897年(明治30年):「南海鉄道」が『堺~泉佐野』間を開通。

1898年(明治31年):「阪堺鉄道」が「南海鉄道」に事業を譲渡。

1903年(明治36年):「南海鉄道」の『難波~和歌山市』間が全線開通。

1909年(明治42年):「南海鉄道」と「浪速電気軌道」が合併。(『上町線』と呼称)

1915年(大正4年):「南海鉄道」と「阪堺電気軌道」が合併。(『阪堺線・平野線』と呼称)

1922年(大正11年):「南海鉄道」と「大阪高野鉄道」・「高野大師鉄道」が合併。

1925年(大正14年):『岸ノ里』において、南海本線と高野線の連絡線が完成。

          「高野山電気鉄道」が設立。 

          「南海鉄道」の『汐見橋~高野下』間が全線開通。

1930年(昭和5年):「高野山電気鉄道」の『高野下~高野山』間が全線開通。(『鋼索線』)

1932年(昭和7年):「南海鉄道」と「高野山電気鉄道」との相互直通運転を開始。『難波~高野山』間の直通運転開始。

1940年(昭和15年):「南海鉄道」と「阪和電気鉄道」が合併。(『南海山手線(現:JR西日本阪和線)』)

1944年(昭和19年):「南海鉄道」が「南海山手線」を運輸通信省に譲渡。(国有化)

          「南海鉄道」と「関西急行鉄道」が合併して「近畿日本鉄道」に。

1947年(昭和22年):「高野山電気鉄道」が「南海電気鉄道」に改称。

      「南海電気鉄道」が「近畿日本鉄道」から「南海鉄道」に属していた鉄道事業・起動事業・付帯事業をすべて譲受。

1971年(昭和46年):泉北高速鉄道と高野線との相互直通運転を開始。

1980年(昭和55年):阪堺電気軌道株式会社を設立。(現:連結子会社)

          (平野線を廃止、阪堺線・上町線を譲渡)

1994年(平成6年):『空港線』が開業。

2025年(令和7年):泉北高速鉄道株式会社を吸収合併。

※南海電鉄のHPより抜粋。

 

=南海電鉄のこれから=           

他の在阪大手私鉄が阪急阪神ホールディングス、近鉄グループホールディングス、京阪ホールディングスといった純粋持株会社へ移行していますが、2026年4月より鉄道事業を運営する新事業者に分社化し、現在の同社は統括会社として残す予定だそうです。

これは東急・東急電鉄との関係と同じ事業持株会社方式に移行することになります。

事業持株会社の社名は「株式会社NANKAI」とし、不動産賃貸業、不動産販売業、ショッピングセンターの経営を中心とした事業を行う一方、鉄道事業子会社が南海電気鉄道株式会社の商号を引き継ぐことになります。

 

=南海電鉄の車両=

そういえば南海電鉄の車両は関西圏では珍しく、東急車輛製造製が車両ばかりなんですよね。

どうして関西の鉄道会社なのに不思議だったのですが、そこには古くからの歴史があったんですね。

現在は総合車両製作所になった東急車輛製造も元々は大阪の堺市で創業した梅鉢鐵工所ですから。

沿線に工場があって、引き込み線もあったのでかなり古くからのお付き合いになるんですね。

1890年(明治23年):梅鉢鉄工所創業(※創業時期には所説あり)

1936年(昭和11年):梅鉢車輛株式会社に改称

1939年(昭和14年):京成電気軌道(現:京成電鉄)の傘下に入る

1941年(昭和16年):帝國車輛工業株式会社に改称

1946年(昭和21年):京成電気軌道(現:京成電鉄)の傘下から離脱

1948年(昭和23年):東急車輛製造株式会社と合併

1970年(昭和45年):鉄道車両部門を本社工場(横浜製作所)に集約

2002年(平成14年):株式交換により東京急行電鉄の完全子会社化

2003年(平成15年):和歌山製作所が完成し大阪製作所は閉鎖

2011年(平成23年):鉄道車両事業、特殊自動車事業を分社化

2012年(平成24年):鉄道車両事業をJR東日本へ譲渡して総合車両製作所に商号変更

          特殊自動車事業を新明和へ譲渡して東邦車輛株式会社へ商号変更

と、東急車輛製造とは梅鉢製作所時代からの歴史的な背景があったわけですね。

6000系以降のオールステンレス車両はライセンスの関係で東急車輛以外が製造できなかった事もあるようです。

近畿車輛への発注は7100系以来、40年あまり途切れていましたが、2015年(平成27年)8300系で再開されています。

高野線は1962年(昭和37年)からステンレス車体を採用する一方、南海本線は普通鋼の車体という作り分けが続き、南海本線にステンレス車体が採用されたのは1985年(昭和60年)の9000系からなんですね。

高速運転の南海本線と急勾配・急カーブが連続する高野線では走行する路線環境に特化した車両を採用していたわけです。

1992年(平成4年)には初めて両線での使用を前提とする1000系(2代目)が登場しました。

以降の新型車両は基本的に(ズームカーを除く)両線での使用を前提に設計されるようになりました。

また、制御装置はほぼすべて日立製作所(2300系は東洋電機製造、初代8000系と8200系は三菱電機)が採用されています。

主電動機は三菱電機または東洋電機製造のものを採用されています。

台車は主に住友金属工業(現:日本製鉄)で、2022年(令和4年)以降は近畿車輛製の台車を装備した車両も登場しています。

日本の大手私鉄では阪神電気鉄道と並んでワンハンドルマスコンの車両は保有していないんですよね。

そういえば、南海電車って日本で初めてクーラー車を走らせた会社なんですよね。

1936年(昭和11年)大阪金属工業(現:ダイキン)製の電動冷凍機を改造して車両に搭載したんです。

当時、2.5tもある巨大な車載冷房システムを車両に搭載したのですから先進的な会社だったんですね。

また、搭載に際しては車両の屋上搭載の機器(エバポレータ)が大型で車両規定をはみ出すため、特認申請して認可されました。

ちなみにこの冷凍機はその後、大和型戦艦の弾薬庫冷却・艦内冷房用冷凍機にも採用されているんです。

 

=南海電鉄2000系の概要=

高野線の輸送力増強を目的に1990年(平成2年)に登場しました。

急勾配(最大50‰)・急カーブ(最小100m)を走破するズームカー(21000系・22000系・2200系)の置換えを目的に

1997年(平成9年)まで合計64両が製造されました。

南海電鉄では初となるGTOサイリスタ素子を採用した日立製作所製のVVVFインバータ制御方式です。

主電動機は定格出力100kWの東洋電機製造製のかご形三相誘導電動機を各台車に搭載した全電動車方式になります。

駆動方式はTD平行カルダンドライブ方式で、台車には緩衝ゴム式の空気ばね台車を採用しました。

ブレーキ装置は従来車との併結の必要性から電磁直通ブレーキが採用されています。

車体は軽量ステンレス構造の17m級2扉で、座席はロングシートを基本として一部車両は車端部にクロスシートを装備しました。

客室は9000系のアコモデーションをベースとして、荷棚にはポリカーボネートを使用。蛍光灯にはアクリルカバーを取り付け。

空調装置は13,000kcal/hのユニットクーラを各車3基搭載、温度・湿度。乗車率の各センサ情報により稼働率を制御しています。

減速時および抑速ブレーキ使用時には回生ブレーキにて対応していますが、運転本数の少ない山岳区間では回生失効が発生してしまうので、山岳区間の変電所に回生電力吸収装置を設置して回生失効を防止するように対策されました。

 

=南海電鉄2000系の諸元=

製造会社:東急車輛製造

製造年:1990年(平成2年)~1997年(平成9年)

製造数:64両

編成:2・4両編成

軌間:1.067mm

電気方式:直流1,500v(架空電車線方式)

最高運転速度:110km/h(本線・空港線)、100km/h(高野線平坦区間)

設計最高速度:120km/h

起動加速度:2.5km/h/s(本線・空港線)、3.1km/h/s(高野線)

減速度(常用):3.8km/h/s

減速度(非常):4.0km/h/s

車体:ステンレス鋼

編成重量:71.5t(2両編成)、140.0t(4両編成)

全長:17.725mm

全幅:2,744mm

全高:4,130mm

台車:緩衝ゴム式ダイレクトマウント空気ばね台車 FS-541(1-4次車)、FS-541A(5-7次車)

主電動機:かご形三相誘導電動機 TDK6310-A(東洋電機製造)

主電動機出力:100kW
駆動方式:TD平行カルダン駆動方式

歯車比:6.07

編成出力:800kW(2両編成)、1,600kW(4両編成)

制御方式:GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御(日立製作所)

制御装置:VF-HR125(1・2次車)、VFG-HR1810A(3-7次車)

制動装置:回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-R)応荷重装置付き

保安装置:南海型ATS

 

=編成表=

・4両編成

 ←難波      和歌山市・関西空港・極楽橋→

・2001(P)+2051+2101(P)+2151 1次車 高野線

・2002(P)+2052+2102(P)+2152 2次車 高野線

・2003(P)+2053+2103(P)+2153 2次車 高野線

・2041(WP)+2091+2141+2191   5次車 高野線

・2042(WP)+2092+2142+2192   6次車 高野線

・2043(WP)+2093+2143+2193   6次車 高野線

・2044(WP)+2094+2144+2194   6次車 高野線

・2045(WP)+2095+2145+2195   7次車 高野線

・2046(WP)+2096+2146+2196   7次車 高野線

※(P):パンタ搭載車、(WP):パンタ2基搭載車

 

・2両編成

 ←難波・汐見橋・加太  和歌山港・高師浜・関西空港・多奈川・極楽橋→

・2031(WP)+2181 3次車 高野線

・2032(WP)+2182 3次車 高野線

・2033(WP)+2183 4次車 高野線

・2034(WP)+2184 4次車 高野線

・2035(WP)+2185 5次車 南海本線 ワンマン化

・2036(WP)+2186 5次車 南海本線 ワンマン化

・2037(WP)+2187 5次車 高野線

・2038(WP)+2188 5次車 高野線

・2039(WP)+2189 5次車 南海本線 ワンマン化

・2040(WP)+2190 6次車 南海本線 ワンマン化

・2021(WP)+2171 7次車 高野線

・2022(WP)+2172 7次車 高野線

・2023(WP)+2173 7次車 南海本線 ワンマン化

・2024(WP)+2174 7次車 高野線

※(WP):パンタ2基搭載車

※ワンマン化改造車:加太線・和歌山港線・汐見橋線・多奈川線・高師浜線で運用中。

 

=まとめ=

どうも関西系の鉄道会社にしては関東系の車体を採用していると思ったら車両メーカーとこういう歴史があったんですね。

全国の鉄道事業者と同じで、戦時下における合併・統合を経て現在の路線網を築き上げているわけなんですね。

”なんかいいね”があふれてる鉄道会社なのでまた車両も含めて勉強したいと思います。

さっそく22000系ポチっちゃったしwww

そういえば、最近はなかなか魅力ある車両を入手することが難しくなってしまったBトレインショーティー。

特に古い吊り掛け駆動の電車となるとさらに厳しいものがありますよね。

ところがなんと!相鉄に魅力ある吊り掛け電車が存在していた事実を知ってしまいました。

ならば!と!ネットを駆使して探し回っていると出品がありまして、無事に入手することが出来ました。

相鉄の車両と言えば、前回入手して修繕・整備した新7000系でしたが・・・

こちらは抵抗制御からVVVFへの近代的に進歩した車両でしたが、今回はさらに時代を遡ることになりました。

なんと!入手したのは吊り掛け駆動から直角カルダン駆動になった相鉄2100系でございます。

本当は相鉄3000系も入手したかったのですが、残念ながら相鉄の3000系って製品化されていないんですよね。

まぁ~世の中、所沢工場や仏生山工場が大好きな超マイナーな鉄道車両マニアはわずかでしょうから仕方ありませんよねw

さっ!それでは早速、入手した相鉄2100系(2箱)の制作に取り掛かる事にしましょう。

なお、写真は2箱目からの組立過程を映した画像になります。

なにしろ、今回の製品は台車レリーフが非常に弱くて、わすかな力加減でポキポキ折れちゃったんですよ~(泣)

残念ながら1箱目の制作時には半分以上の台車レリーフが折れてしまい写真どころでは無く、接着剤で懸命に補修しました。

その経験を生かして?2箱目は台車レリーフの組付け方法を慎重に考えながら組み立てました。

まずはいつもの通り、組付けするパーツを間違わないように並べます。

そして、これが問題の台車レリーフです。

経年変化もあるでしょうが、素材が非常に固くなってしかも脆くなっていました。

台車の形状もちょっと特殊なので、とても慎重に取り扱わないとすぐに破損しちゃうんです。

そこで、今回は台車レリーフの半分を台車パーツに組み込んでから、慎重に組み付けます。

台車レリーフを押し込むときは中心部にやわらかいプラ製のヘラ(接着剤に付属されていた)を当てながら組み付けました。

この後、床板に組付けますが、ここでも慎重に台車レリーフには触れないようにします。

最期に床板を車体にはめ込む時も台車レリーフには触れないようにしました。

そうして2箱目は無事に台車レリーフを破損することも無く組立てすることが出来ました!

車番は付属のデカールにある車番からの選んで3次車に該当させました。

←横浜方 クハ2606+モハ2110+モハ2111+クハ2605 海老名方→

こちらはジャンパー栓の無い海老名方の前面になります。

そしてこちらはジャンパー栓がいっぱい付いている横浜方の前面です。

前回入線した新7000系と並べてアルミ車体全盛時代を思いを馳せます。

9000系までアルミ車体を採用していた相鉄ですが、今ではオールステンレス車体に移行しつつあるんですね。

 

=2100系への改造=

1970年(昭和45年)から1974年(昭和49年)にかけて17m級の2000系から改造されて、全30両が登場しています。

東急車輛製造が車体を製造して載せ替えられたんですね。(クハ2609・2610の2両は完全な新造車でした)

旧6000系電車に試作されたアルミニウム製の車体を載せたところ、大幅な車両の軽量化を果たすことが出来ました。

これで17m級の吊り掛け駆動の走行性能を落とさずに、20m級の車両化が可能であると判断されたんですね。

こうして世にも珍しい、17m級の吊り掛け駆動にも関わらず20m級の車体を載せた2100系が誕生したわけです。

しかも、当初より電動発電機(MG)をやめて、静止型インバータ(SIV)まで搭載した摩訶不思議な車両です。

台車は戦前設計DT10・DT11の枕ばねをオイルダンパー付きコイルばねに改造。

さらに、ブレーキは電磁直通ブレーキ(HSC)を追加設置して制動性能を高めたんですね。

しかし登場からわずか6年後には駆動装置の老朽化が否めず、吊り掛け駆動から直角カルダン駆動に一新されました。

さらに同時に非冷房車の冷房化工事も行われて快適な通勤電車になったんですね。

 

=2100系登場時の特徴=

・初期に製造された12両(モハ2101~2108、クハ2601~2604)

 ・側面窓が手動上下の2段式

 ・全車が非冷房車両

 ・吊り掛け駆動方式→のちに直角カルダン駆動へ改造

 ・台車は枕ばねをオイルダンパー付きコイルばねに改造

・後期に製造された18両(モハ2109~2120、クハ2605~2610)

 ・側面窓が1段下降式の押しボタン式(自動窓)

 ・全車が冷房装置搭載

 ・吊り掛け駆動方式→のちに直角カルダン駆動へ改造

 ・台車は枕ばねをオイルダンパー付きコイルばねに改造

 

=改造の経過=

登場時は吊り掛け駆動なので4M2Tの6両編成で運行されました。

流石に足回りの老朽化が著しいために駆動方式を直角カルダン駆動化して全面改良工事を施工しました。

1976年(昭和51年)5月:4次車(クハ2608~クハ2607)竣工

1977年(昭和52年)5月:1次車(クハ2602~クハ2601)竣工※同時に冷房化工事を施工

1978年(昭和53年)1月:3次車(クハ2606~クハ2605)竣工

1979年(昭和54年)1月:5次車(クハ2610~クハ2609)竣工

1979年(昭和54年)6月:2次車(クハ2604~クハ2603)竣工※同時に冷房化工事を施工

・主電動機:直流直巻き電動機(130kW:東洋電機製造)

・駆動方式:直角カルダン駆動

・台車:揺れ枕式空気ばね(TS-816・TS-817:東急車輛)

・制動装置:電磁直通式(HSC、発電ブレーキなし)

・電装解除:モハ2101→クハ2612、モハ2105→2614

・車番変更:モハ2104→モハ2121

※改良工事と同時に10両編成3本へ組成変更(電装解除車も含む)が行われました。

※新6000系とともに1981年(昭和56年)4月から10両編成の急行列車として運転されていました。

(当時の中小私鉄で10両編成は初めてだったんですね)

 

=2000形電車の形態=

1.モハ2001~2003(3両)

 元鉄道省モハ1形(木造電車)→小田急電鉄モハ51形→デハ1101形(大東急時代)→モハ2000形になりました。

モハ2001(元東急デハ1101):1954年(昭和29年)鋼体化→2100系:クハ2612

・モハ2002(元東急デハ1102):木造のまま廃車されてしまいました。

モハ2003(元東急モハ1103):戦災焼損→1949年(昭和24年)半鋼製車体を新造して復旧→2100系:モハ2102

2.モハ2004~2010(7両)

 1949年(昭和24年)戦災焼失国電を復旧(元東急3600系)→1959年(昭和34年)形態統一工事

モハ2004(元東急モハ1301):元国電モハ30形(30093)→2100系:モハ2112

・モハ2005(元東急モハ1302):元国電モハ30形(30094)→モニ2005 

モハ2006(元東急モハ1303):元国電モハ30形を中間車化→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2113

モハ2007(元東急モハ1304):元国電モハ31形を中間車化→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2117

・モハ2008(元東急モハ1305):元国電モハ31形→モニ2008

モハ2009(元東急モハ1306):元国電モハ50形(50031)を中間車化→2100系:モハ2114

モハ2010(元東急モハ1300):元国電モハ50形(50013)を中間車化→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2118

3.クハ2501~2505(5両)

 1936年(昭和11年)川崎車輛で製造された17m級流線形気動車で元東急キハ1形(2代目)を制御車化した異色な車両です。

 1951年(昭和26年)改番を前に流線形の前面は半流線形に改造されました。

・クハ2501(元クハ1111):元東急キハ1形(ガソリンカー)

・クハ2502(元クハ1112):元東急キハ1形(ガソリンカー)

・クハ2503(元クハ1113):元東急キハ1形(ガソリンカー)

・クハ2504(元クハ1114):元東急キハ1形(ガソリンカー)

・クハ2505(元クハ1115):元東急キハ1形(ガソリンカー)

※ガソリンカーは昭和初期に非電化路線へ多く導入されましたが、火災事故・戦時下の燃料統制で使用できなくなりました。

4.モハ2011~2014(4両)

 1949年(昭和24年)元は青梅電気鉄道の買収国電で払下げを受けて入線しました。

 当初は電動貨車のモワ1形として活躍しました。

モハ2011(元モワ1←元モハ501)2100系:クハ2614

モハ2012(元モワ2←元モハ502)2100系:モハ2103

モハ2013(元モワ4←元モハ506)→※伊予鉄道へ譲渡→2100系:モハ2106

モハ2014(元モワ3←元モハ106)2100系:モハ2121

5.クハ2506・2507(2両)

 こちらも元は青梅電気鉄道の買収国電で払下げを受けて入線しました。

・クハ2506(元モハ504)1966年(昭和41年)に形態統一工事で車体交換。→クニ2506

クハ2507(元クハ701)1953年(昭和28年)身延線の火災事故で焼損した新造名目の復旧車両。→2100系:クハ2601

6.モハ2015・2016、クハ2508(3両)

元京王帝都電鉄のデハ1400形の戦災車の台枠を利用して東急車輛製造で手持ちの機器を組み合わせて新造。

モハ2015→※伊予鉄道へ譲渡→2100系:モハ2107

モハ2016→※伊予鉄道へ譲渡→2100系:モハ2108

クハ25082100系:クハ2602

 ※1959年(昭和34年)KH-15台車を使用した1自由度系の空気ばね台車性能試験が行われました。

7.モハ2017~2026、クハ2509~2515(10両+7両=17両)

1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)に元国鉄クモハ11形・クハ16形(旧30系・旧50系)の払下げ車両。

モハ2017(元クモハ11002←元30010)→2100系:モハ2109

モハ2018(元クモハ11014←元30032)→2100系:モハ2110

・モハ2019(元クモハ11008←元30018)→モニ2019

モハ2020(元クモハ11052←元30134)→2100系:モハ2111

モハ2021(元クモハ11084←元30202)→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2119

・モハ2022(元クモハ11054←元30144)→モニ2022

・モハ2023(元クモハ11103←元30049)→モニ2023

モハ2024(元クモハ11109←元30145)→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2120

モハ2025(元クモハ11471←元50089)→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2115

モハ2026(元クモハ11467←元50081)→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:モハ2116

クハ2509(元クハ16106←元30016:電装解除車)→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:クハ2603

クハ2510(元クハ16156←元30166:電装解除車)→※伊豆箱根鉄道へ譲渡→2100系:クハ2604

・クハ2511(元クハ16121←元30129:電装解除車)→クニ2511(車体)

クハ2512(元クハ16160←元30172:電装解除車)→※三岐鉄道へ譲渡→2100系:クハ2607

クハ2513(元クハ16161←元30193:電装解除車)→※三岐鉄道に譲渡→2100系:クハ2608

クハ2514(元クハ16431←元65041)→2100系:クハ2605

クハ2515(元クハ16535←元65185)→2100系:クハ2606

※太字が2100系になった車両です。

 

=2100系の主要諸元=

軌道:1,067mm(狭軌)

電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)

最高速度:100km/h

設計速度:100km/h

全長:20,000mm

全幅:2,889mm

全高:4,150mm

台車:揺れ枕式空気ばね台車(TS-817・TS-816:東急車輛)「DT10改造・DT11改造」

主電動機:直流直巻電動機(TDK-8850A:東洋電機製造)「MT7/MT10/MT15」

主電動機出力:130kW「100kW」

駆動方式:直角カルダン駆動方式「吊り掛け駆動方式」

歯車比:5.44「2.52」

制御装置:抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁ACF-H8130-774B

制動装置:電磁直通ブレーキ(HSC)、手ブレーキ

補助電源装置:静止型インバータ(SIV)

保安装置:相鉄型ATS、デッドマン装置。ATS-P、EB装置、列車無線

※「」内は吊り掛け駆動時

 

=2100系編成表=

・登場時(4M2T)

←横浜                          海老名→

・<クハ2602ーモハ2104+<モハ2101ーモハ2102ーモハ2103ークハ2601>:1次車 

・<クハ2604ーモハ2108+<モハ2105ーモハ2106ーモハ2107ークハ2603>:2次車

・<クハ2606ーモハ2112+<モハ2109ーモハ2110ーモハ2111ークハ2605>:3次車

・<クハ2608ーモハ2116+<モハ2113ーモハ2114ーモハ2115ークハ2607>:4次車

・<クハ2610ーモハ2120+<モハ2117ーモハ2118ーモハ2119ークハ2609>:5次車

 

・10両編成組成時(6M4T)

 ←横浜                                                海老名→      

<モハ2109-モハ2110+<クハ2606ーモハ2111ーモハ2112ークハ2605>+<クハ2610-モハ2119-モハ2120ークハ2609>

(<モハ2017-モハ2018+<クハ2515ーモハ2020-モハ2004ークハ2514>)          (モハ2021-モハ2024)

<モハ2113-モハ2114+<クハ2608ーモハ2115ーモハ2116ークハ2607>+<クハ2604-モハ2121-モハ2108ークハ2603>

(<モハ2006-モハ2009+<クハ2513ーモハ2025-モハ2026ークハ2512>+<クハ2510-モハ2014-モハ2016-クハ2509>)

<モハ2117-モハ2118+<クハ2614ーモハ2107ーモハ2106+<クハ2612+<クハ2602-モハ2103-モハ2102ークハ2601>

(<モハ2007-モハ2010+<モハ2011ーモハ2015-モハ2013+<モハ2001+<クハ2508ーモハ2012-モハ2003ークハ2507>)

※<  >は制御車運転台方向

( )内は旧2000系の車番

※クハ2609・クハ2610の2両は完全な新造車両です。

 

=まとめ=

まさか、この世に冷房装置を搭載した吊り掛け駆動な車両が実在したとはまったく知りませんでした。

戦中・戦後の混乱期とあわせて、大きく翻弄された大東急時代をも乗り越えている鉄道会社ですからね。

現在の快適性だけを追求している車両とは比べ物にならないほど苦心したんでしょうね。

今では新線開業にヨコハマネイビーブルーに身をまとった最新型の車両を投入している相模鉄道。

そこには車両変革の歴史がしっかりと刻まれているんですね。

さぁ~まだまだ日本全国の鉄道会社には歴史に埋もれた車両がありそうです。

小さな模型をきっかけにボケないようにしっかり勉強することにしましょう。

さぁ!新年を迎えて相模鉄道の勉強を進めているところに・・・

ポチってしまった小田急電鉄の2600系6両編成が入線しました。

そういえば、Bトレで2004年(平成16年)と2012年(平成24年)に5000系(2600系)として販売されていたんですね。

さらに2011年(平成23年)には5000系(5200系)の4両セットとしても販売されているミスター小田急顔の名車です。

さて、今回入線した小田急の2600系ですが、すでにデカールが貼られていました。

編成は「2651×6」(小田急では新宿方からの両数を表記するんですね)

編成の車番はこちらの番号でした。2851+2751+2801+2701+2601+2651

行先も貼られていて、みんな大好き「向ケ丘遊園」行きでしたwww

さて、それでは早速、1両ずつ車体を分解して調整・整備を楽しむことにしましょう。

毎度の事ですが、中古車体については丁寧にバリ取りされている場合が多くて下回りの整備が中心になります。

今回、手持ちの旧塗装車にも車番を割り当てるので、車体とは別にデカール類も入手しました。

旧塗装車の2600系は4両編成なので「2666×4」としました。(実車は5両編成です)

車番はこちらにしました。2866+2716+2616+2666

まぁ~デカールにこの番号しかなかったから仕方ないんですけどねwww

行先は古い方ならご存じの往年の行先。「新原町田」と「新宿」にしてみましたw

ちなみに手持ちの5000系は弊社の江ノ島線専属車両なので「藤沢」と「江ノ島」になっていますw

これで、古き良き時代にいつも慣れ親しんだ小田急電車が大集合。

いやぁ~、やっぱり小田急電車の「顔」といったらこの顔でしたよね~

「新原町田」をはじめ「大秦野」もありますよwww

今ではすっかり新型車両に置き換わってしまって時代の流れを感じますね。

 

=小田急電鉄の歴史=

1910年(明治43年)親会社となる鬼怒川水力電気株式会社が創立されます。

       東京市内の郊外鉄道の将来性に着目して鉄道網を次々と企画して免許を申請したんですね。

1923年(大正12年)子会社として小田原急行鉄道が創立されました。

1927年(昭和2年)小田原線が全線開業して、10月には全線の複線が完成しています。

1929年(昭和4年)江ノ島線が全線複線で開業してほぼ現在の路線網が確立されました。

1934年(昭和9年)多摩川の砂利採取事業を開始。多摩川の砂利は良質なので相鉄も含めて各社が事業を展開していたんですね。

       ※こちらは1955年(昭和30年)頃に廃止しています。

1940年(昭和15年)帝都電鉄(井の頭線)を吸収合併して路線網を拡大しました。

1941年(昭和16年)戦時下になり、電力が国家管理体制となって鬼怒川水力電気は基幹の電力事業を日本発送電に統合されます。 

       仕方なく小田原急行電鉄を解散して、鬼怒川水力電気は小田急電鉄と改称して新発足することになりました。

1942年(昭和17年)しかし、大陸に進出していた中国・山東半島での鉱業事業の失敗。

       さらに陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄は京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に吸収合併されます。

       この時、数々の会社を合併した東京横浜電鉄は東京急行電鉄と名称変更していわゆる大東急時代となります。

1948年(昭和23年)東京急行電鉄から小田急電鉄が独立します。

       井の頭線を京王帝都電鉄に移管されたが、箱根登山鉄道と神奈川中央交通を譲受しました。

       さらに江ノ島電鉄の持ち株も譲受、のちに買い増しして系列下に収めています。

1951年(昭和26年)東京急行電鉄(五島慶太)の指示で相模鉄道の株式を大量に買い増(約30%)して筆頭株主になる。

       これに相模鉄道が反発、公正取引委員会に審査の申立てを行います。

       国鉄総裁が仲裁に入り株式を売却する覚書書を交わして事態が収拾されました。

       2021年(令和3年)には筆頭株主から外れ、2025年(令和7年)には保有する全株式を売却しました。

最近では長年、箱根山戦争を繰り広げた西武鉄道とも営業資産での協力関係を果たし、共通商品の開発にも乗り出しています。

 

=小田急の駅名=

デカールを貼っている時に車両のみならず、小田急線の駅名ってすっかり変わっていることに気が付いてしまいました。

当時に覚えているのは下記の4つの駅くらいでした。

・新原町田 (しんはらまちだ)「現:町田(まちだ)」

 ※国鉄横浜線の「原町田」駅と離れていたんですよね。

・大根   (おおね)    「現:東海大学前(とうかいだいがくまえ)」

 ※(だいこん)じゃなくて(おおね)ですよww

・大秦野  (おおはたの)  「現:秦野(はだの)」

 ※「はたの」が「はだの」になっちゃったんですね。

・六会   (むつあい)   「現:六会日大前(むつあいにちだいまえ)」

 ※静岡県にあるJR東海道本線の「六合(ろくごう)」駅と似ているんで、間違えた事がありますw

 

折角なので調べてみたら、開業時からの駅名が変わった駅が「22駅」もあったので並べてみました。

・南新宿   :1942年(昭和17年)改名← 小田急本社前:1937年(昭和12年)改名← 千駄ヶ谷新田

・代々木上原 :1941年(昭和16年)改名← 代々幡上原

・世田谷代田 :1946年(昭和21年)改名← 世田ヶ谷中原

・登戸    :1958年(昭和33年)改名← 登戸多摩川 :1955年(昭和30年)改名← 稲田多摩川

・向ケ丘遊園 :1955年(昭和30年)改名← 稲田登戸

・生田    :1964年(昭和39年)改名← 東生田

・読売ランド前:1964年(昭和39年)改名← 西生田

・町田    :1976年(昭和51年)改名← 新原町田

・相模大野  :1940年(昭和15年)改名← 通信学校

・小田急相模原:1941年(昭和16年)改名← 相模原

・相武台前  :1940年(昭和15年)改名← 士官学校  :1937年(昭和12年)← 座間

・座間    :1941年(昭和16年)改名← 座間遊園  :1937年(昭和12年)← 新座間

・厚木    :1944年(昭和19年)改名← 河原口

・本厚木   :1944年(昭和19年)改名← 相模厚木

・鶴巻温泉  :1958年(昭和33年)改名← 鶴巻:1944年(昭和19年)改名← 鶴巻温泉:1930年(昭和5年)改名← 鶴巻

・東海大学前 :1987年(昭和62年)改名← 大根

・秦野    :1987年(昭和62年)改名← 大秦野

・東林間   :1941年(昭和16年)改名← 東林間都市

・中央林間  :1941年(昭和16年)改名← 中央林間都市

・南林間   :1941年(昭和16年)改名← 南林間都市

・長後    :1958年(昭和33年)改名← 新長後

・六会日大前 :1998年(平成10年)改名← 六会

※戦前の林間都市計画や戦時下の軍事的な駅名改称など、いろいろと翻弄された歴史を感じることが出来ました。

 

=2600系の概要=

2600系は小田急初の全車両が20m級で製造された通勤車両です。

そもそも、小田急では1954年(昭和29年)に初のカルダン駆動車として2200系(2200形・2230形:全長17.5m、電動機出力75kW)、2300系(2300形・2320形:全長17.5m、電動機出力75kW)がABFM車(制御装置の名称:発電併用併用直並列複式)として登場していましたが、当時は日本全国高度成長の時代です。

沿線人口の急増で、毎年のように10%を超える輸送需要の増加に対応するため、輸送力の増強が切迫していたんですね。

そこで各駅のホーム延長工事を行いながら次々と新型車両を導入しています。

1959年(昭和34年)から2400系(全長:先頭車16m、中間車19.3m、電動機出力120kW)がHE車(High Economical car)

1964年(昭和39年)から2600系(全長:20m、電動機出力130kW)がNHE車(New High Economical car)

1966年(昭和41年)から4000系(全長:20m、電動機出力:吊り掛け93.3kW、カルダン:120kW)

 ※カルダン車は廃車となった2400系から流用されています。

1969年(昭和44年)から5000系(全長:20m、電動機出力135kW)

その後は地下鉄千代田線との直通運転を機会にさらに車両の置換えが進みました。

ステンレス車両や省エネルギーなインバータ車両の導入で懐かしい「小田急顔」の電車も次々と淘汰されてしまいました。

・2400系:1963年(昭和38年)引退・廃車。

・2600系、4000系:2004年(平成16年)引退・廃車

・5000系:2012年(平成24年)引退・廃車されました。

こうして今ではすっかり小田急電車の「顔」も変わってしまったんですね。

 

=2600系の諸元=

製造所:東急車輛製造・日本車輛製造・川崎車輛

製造年:1964年(昭和39年)~1968年(昭和43年)

製造数:132両

運用開始:1964年(昭和39年)11月

廃車:2004年(平成16年)

編成の変革:5両固定編成「登場時から1968年(昭和43年)まで」

      6両固定編成「1967年(昭和42年)から全車廃車まで」

      8両固定編成「1992年(平成4年)から2001年(平成13年)まで」 

軌間:1,067mm(狭軌)

電気方式:直流1,500v(架空電車線方式)

最高運転速度:100km/h

設計運転速度:130km/h

起動加速度:2.8km/h/s

減速度(常用):4.0km/h/s

減速度(非常):4.5km/h/s

車両定員:144名(先頭車)、162名(中間車)

全長:20,000mm

全幅:2,900mm

全高:3,875mm(非冷房制御車・付随車)、4,125mm(非冷房電動車)

   3,995mm(冷房付制御車・付随車)、4,150mm(冷房付電動車)

台車:FS360・FS360A・FS060(住友金属工業)、TS-818A(東急車輛製造)

主電動機:MB-3095-AC(三菱電機)

主電動機出力:130kW(直巻整流子電動機・端子電圧500v)

駆動方式:WN駆動方式

歯車比:6.13

制御方式:電動カム軸式抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁

制御装置:ABFM-176-15MRH(三菱電機)

制動装置:回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-R)

保安装置:OM-ATS

 

=2600系の編成表=

・5両固定編成「1964年(昭和39年)~1968年(昭和43年)」

←小田原・藤沢      新宿・片瀬江ノ島→

クハ2650+デハ2600+デハ2600+デハ2600+クハ2650

・2851+2801+2701+2601+2651

・2852+2802+2702+2602+2652

・2853+2803+2703+2603+2653

・2854+2804+2704+2604+2654

・2855+2805+2705+2605+2655

・2856+2806+2706+2606+2656

・2857+2807+2707+2607+2657

・2858+2808+2708+2608+2658

・2859+2809+2709+2609+2659

・2860+2810+2710+2610+2660

・2861+2811+2711+2611+2661

・2862+2812+2712+2612+2662

・2863+2813+2713+2613+2663

・2864+2814+2714+2614+2664

・2865+2815+2715+2615+2665

・2866+2816+2716+2616+2666

・2867+2817+2717+2617+2667

・2868+2818+2718+2618+2668

・2869+2819+2719+2619+2669

・2870+2820+2720+2620+2670

・2871+2821+2721+2621+2671

・2872+2822+2722+2622+2672

 

・6両固定編成「1967年(昭和42年)~1992年(平成4年)」

←小田原・箱根湯本        新宿・片瀬江ノ島→

 藤沢・小田急多摩センター

クハ2650+サハ2650+デハ2600+デハ2600+デハ2600+クハ2650

・2851+2751+2801+2701+2601+2651

・2852+2752+2802+2702+2602+2652

・2853+2753+2803+2703+2603+2653

・2854+2754+2804+2704+2604+2654

・2855+2755+2805+2705+2605+2655

・2856+2756+2806+2706+2606+2656

・2857+2757+2807+2707+2607+2657

・2858+2758+2808+2708+2608+2658

・2859+2759+2809+2709+2609+2659

・2860+2760+2810+2710+2610+2660

・2861+2761+2811+2711+2611+2661

・2862+2762+2812+2712+2612+2662

・2863+2763+2813+2713+2613+2663

・2864+2764+2814+2714+2614+2664

・2865+2765+2815+2715+2615+2665

・2866+2766+2816+2716+2616+2666

・2867+2767+2817+2717+2617+2667

・2868+2768+2818+2718+2618+2668

・2869+2769+2819+2719+2619+2669

・2870+2770+2820+2720+2620+2670

・2871+2771+2821+2721+2621+2671

・2872+2772+2822+2722+2622+2672

 

・8両固定編成化改造終了後「1995年(平成7年)~2004年(平成16年)」

←小田原・箱根湯本        新宿・片瀬江ノ島→

 藤沢・小田急多摩センター

クハ2650+サハ2650+デハ2600+デハ2600+デハ2600+クハ2650

・2852+2752+2802+2702+2602+2652

・2853+2753+2803+2703+2603+2653

・2861+2761+2811+2711+2611+2661

・2862+2762+2812+2712+2612+2662

・2863+2763+2813+2713+2613+2663

・2865+2765+2815+2715+2615+2665

・2867+2767+2817+2717+2617+2667

・2868+2768+2818+2718+2618+2668

・2869+2769+2819+2719+2619+2669

・2870+2770+2820+2720+2620+2670

・2871(Ⅱ)+2771(Ⅱ)+2821+2721+2621+2671

(2866    +2766)

・2872+2772+2822+2722+2622+2672

 

・8両固定編成「1992年(平成4年)~2001年(平成13年)」

←小田原・唐木田                         新宿→

クハ2650+デハ2600+デハ2600+デハ2600+デハ2600+デハ2600+デハ2600+クハ2650

・2874+2824+2724+2624+2804+2704+2604+2654(Ⅱ)

(2851+2801+2701+2601)            (2651)

・2875+2825+2725+2625+2805+2705+2605+2655

(2856+2806+2706+2606)

・2876+2826+2726+2626+2806(Ⅱ)+2706(Ⅱ)+2606(Ⅱ)+2656(Ⅱ)

(2864+2816+2716+2616+2814    +2714    +2614    +2664)

・2877+2827+2727+2627+2807+2707+2607+2657

(2858+2808+2708+2608)

・2879+2829+2729+2629+2809+2709+2609+2659

(2859+2810+2710+2610)

 

・8両固定編成「1995年(平成7年)~2000年(平成12年)・VVVF車」

←小田原・唐木田                        新宿→

クハ2650+デハ2600+デハ2600+サハ2650+サハ2650+デハ2600+デハ2600+クハ2650

・2886+2736+2636+2686+2766(Ⅱ)+2716(Ⅱ)+2616(Ⅱ)+2666(Ⅱ)

(2860+2760+2757+2759+2758    +2756    +2755    +2660)

 

=まとめ=

神奈川県下の鉄道網は大東急時代(五島慶太)によって合併・統合されて大きな路線網を確立したわけなんですね。

その後、終戦に伴い戦災で荒廃してしまった沿線の輸送需要に答えるため、各社が独立して復興需要を支えたんですね。

そういえば、現在でも井の頭線との乗り換え駅となっている小田急(下北沢駅)・京王(明大前駅)を利用する時に、不思議な感覚に陥るのはこういった歴史があるからなのでしょうか?(単なるマニアだからwww)

線路の軌道幅が違うのも、電車を待っている駅でホームが継ぎ足しで延長されているのを眺めるとさらに感じちゃいますよね。

(単なる「超」がつくほどのマニアだからでしょうねwww)

まぁ~そんな感覚を味わいながら、これからも新しい電車に乗って乗り鉄を楽しめるのも悪くはないですよね。

なんか、面白いバイクがないかなぁ〜?
なんてネットをぶらぶらしてたら目に止まったのがコチラ!




カッコいい!
125ccだからファミリーバイク特約がそのまま使える!
しかも台数無制限w
と、言うことでとりあえず元バイクになったモンキー125を探して、歳甲斐もなく、バイク屋巡りをしてしまいましたw
そして跨った瞬間!!
一気に夢から現実の世界へwww
今までバイクにリターンしてからレプリカしか乗ってないので、やっぱりバイクと言ったらあの後方排気で味わってしまった攻撃的なコーナリングが忘れられないんですよ〜
仕方ないからプラモでガマンしようかな?とも思ったんですけど・・・
やっぱり乗れないきゃ寂しいし・・
まぁ〜、ひと時のいいユメを見させて頂きました♪

さてさて、名鉄でカオスな新年の幕開けを迎えたと思ったら・・・

なんとぉ!もっとカオスな電車に巡り合ってしまいましたぁ~w

その車両とは・・・相模鉄道のモニ2000形です。

このモニ2000形を調べるうちにズルズルと「相鉄」沼にハマってしまいましたので・・・

まずは車両よりも何よりも、まったく知らなかった相模鉄道についてひとつ勉強してみることにしました。

とにかくモニ2000形はかなり難しい車両なので、ここはちょっと置いておきましょう!(まぁ~放置プレイともいいますがw)

※実はポチった新7000系が先に手元に届いたのでこちらの入線・整備を先に行うことにしちゃいました。

 

それでは簡単ではございますが、相模鉄道という鉄道会社についてまとめてみました。

=相模鉄道=

いやぁ~まず、現在のJR東日本の相模線(茅ヶ崎駅~橋本駅間)を開業させたのが、相模鉄道だったのは知りませんでした。

まさかそんな歴史がある会社だったなんて、まったくもって知りませんでした。

さらにもう一方の鉄道会社の「神中鉄道」が横浜駅~海老名駅間と相模国分信号所~厚木駅間を開業したんですね。

そういえばなぜか?相鉄の電車が留置されているJRの変な駅があったのは覚えていたんですけどね~。

そして相模鉄道が神中鉄道を吸収合併して誕生した歴史があったんですね。

ところが戦時中に相模鉄道の茅ヶ崎駅~橋本駅間が国有化されてしまい、国鉄相模線にされてしまった経緯があるんですね。

終戦後は沿線に多くの工場が進出、急増した沿線人口への対応でとても苦労を重ねてきた鉄道会社だったんですね。

さて、それでは各々の会社の歴史について調べてみました。

・相模鉄道(さがみてつどう)

 1916年(大正5年)茅ヶ崎駅~橋本駅の軽便鉄道として敷設免許を取得。

 1917年(大正6年)創立総会を開催。

 1918年(大正7年)砂利の採掘、販売開始。

 1921年(大正10年)茅ヶ崎駅~寒川駅間が開業。

 1926年(大正15年)倉見駅、厚木駅と延伸開業して神中鉄道と接続しました。

 1931年(昭和6年)橋本駅まで開業して、全通しました。

 しかし、業績不振のため沿線に工場を有していた昭和産業(小麦粉・食用油)が経営権を取得することになりました。

 ところが、1941年(昭和16年)に昭和産業社長が急逝してしまい株式を放出、東京横浜電鉄(五島氏)がこれを取得。

 これで相模鉄道は東京横浜電鉄の傘下となっちゃったんですね。

・神中鉄道(じんちゅうてつどう)

 1917年(大正6年)創立総会を開催し、神中軌道として設立。

 1919年(大正8年)神中鉄道へ商号変更し、軽便鉄道となりました。

 1923年(大正12年)路線の変更を申請。

  起点を厚木駅、二俣川駅~現:星川駅・現:天王町駅を経由して終点を現:横浜駅としました。

 1926年(大正15年)二俣川駅~厚木駅間を開業し、同年さらに上星川駅まで延伸開業。

  厚木駅では相模鉄道と接続し、相模川の砂利輸送も開始。

 ※この相模川で採取された良質な砂利が会社を支えて行くことになるんですよね。

 1927年(昭和2年)星川駅まで延伸開業。

 1929年(昭和4年)西横浜駅まで延伸開業しましたが、業績は低迷したままでした。

 1931年(昭和6年)西横浜駅~平沼橋駅まで省線(国鉄)の側線を借り受けて営業。

 1933年(昭和8年)横浜駅まで延伸開業しましたが、業績は低迷して開業以来の赤字がさらに拡大してしまいます。

 1939年(昭和14年)赤字の拡大が止まらず、横浜駅で接続していた東京横浜電鉄(五島氏)の傘下になります。

 1941年(昭和16年)相模国分駅~海老名駅間が開業し、旅客輸送を切換え。相模国分駅~厚木駅間は貨物線(厚木線)となる。

  同時に小田急小田原線の本厚木駅へ片乗り入れを開始。のちに1964年(昭和39年)まで乗り入れしています。

 

=相模鉄道による神中鉄道の吸収合併=

1941年(昭和16年)東京横浜電鉄(東京急行電鉄)の傘下になった両社はそれぞれ経営再建を目指すことになりました。

1943年(昭和18年)さらなる経営合理化のため、相模鉄道が神中鉄道を吸収合併します。

 これにより路線網は「相模鉄道相模線」と「相模鉄道神中線」となりました。

そして1944年(昭和19年)戦時体制下に「相模鉄道相模線」は国有化されて、路線は「相模鉄道神中線」のみとなりました。

経営基盤であった「相模鉄道相模線」を失った上、厚木飛行場の開設などに伴って乗客・貨物輸送が急増してしまい、もはや輸送力が限界となります。このような状況になり、もはや相模鉄道自体では到底、手が負えません。

そこで、1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)まで、親会社の東京急行電鉄(五島氏)へ鉄道事業一切を委託してこの危機を乗り切る事になりました。これにより当時は「東急厚木線」「東急神中線」と呼ばれていたそうです。

 

=独立と買収の危機=

戦後の動乱期も落ち着きが見えてきた1947年(昭和22年)、東京急行電鉄から派遣されていた、元小田急常務(川又氏)ら役職員は経営の民主化を理由に、相鉄の発行済み株式の約70%を取得して、東京急行電鉄から独立を果たします。

これで相模鉄道は新たに、戦後の再スタートを切ることになったわけなんですね。

1952年(昭和27年)相模鉄道は戦後、横浜駅西口の広大な土地を米国のエクソンモービルから買収します。

これがのちに横浜高島屋・相鉄ジョイナス・横浜ステーションビルといった相鉄グループの商業施設、ダイヤモンド地下街を開発して鉄道事業を超える大きな収益源になりました。

実はこの前年の1951年(昭和26年)には東京急行電鉄(五島氏)が小田急を通じて、相模鉄道を買収する方針である事が伝えられていたんですね。

この買収工作で3割近くの株式を小田急が取得してしまい、当然、相模鉄道(川又氏・穴水氏)は憤慨することになります。

これを敵対的買収として、帝国銀行(のちの三井銀行)を後ろ盾に、防戦資金を融資。株式の第三者割り当てによる資本金倍増案を僅差で可決して、買収計画は阻止されることになりました。

しかし、この買収計画が失敗した後も小田急電鉄は買収計画を諦めず、引き続き筆頭株主の地位を盾に経営に口を挟み続けたんですね。

そこで、相模鉄道は1951年(昭和26年)に公正取引委員会に審査を申し立てます。

この事態収拾のために国鉄(長崎総裁)、相鉄(川又氏)、小田急(安藤氏)の3社が協議を行い、3カ条の覚書が交わされました。

結果、小田急は徐々に株式の売却を進め、ようやく2021年(令和3年)になって筆頭株主から外れることになりました。

※ちなみにこの時に活躍した川又氏は池上電気鉄道時代に東京急行電鉄(五島)の目黒蒲田電鉄に吸収合併された苦い経験があったというのも不思議な話なんですよね。

 

=その後の発展=

相模鉄道は親会社である東急から電力の支援を受けて全線電化へと邁進します。

1942年(昭和17年)東急東横線から配電(600V)を受ける。(横浜駅~西谷駅間)

1943年(昭和18年)東急小田原線から配電(1,500V)を受ける。(海老名駅~相模大塚駅間)全線電化完成。

1946年(昭和21年)経営委託先の東急の費用負担で京急本線からの配電へ切換。全線1,500Vとなる。

1949年(昭和24年)厚木貨物線(現:厚木線)電化完成。

1951年(昭和26年)西横浜駅~上星川駅間の複線化。翌1952年(昭和27年)までに希望が丘駅まで複線化。

1957年(昭和32年)西横浜駅~横浜駅間の複線化。

1960年(昭和35年)大和駅まで複線化。

1966年(昭和41年)さがみ野駅まで複線化。

1967年(昭和42年)かしわ台駅および車両基地まで複線化。

1973年(昭和48年)相模国分(信号所)まで複線化。

1974年(昭和49年)海老名駅まで複線化され本線の全線複線化が完成。

 

=砂利採取販売業=

実は鉄道業とともにもうひとつの経営の柱として、長らく相模鉄道を支えたのが川砂利の採取販売業だったんですね。

相模川の砂利は品質が良くて、コンクリート構造物の骨材として需要が高かったんです。

関東大震災後の復興特需にはじまり、戦後の復興事業、高度経済成長期まで、さらには相模川以外での砂利採取販売業を続けて2016年(平成28年)まで相鉄を支え続けていたんですね。

同年に相鉄鉱業株式会社は松上産業株式会社に砂利業を譲渡して97年間、続いた砂利採取販売業から完全に撤退しました。

 

=新線=

1958年(昭和33年)横浜市瀬谷区杉田から二俣川を通って原町田への路線を申請。

 しかし、米軍上瀬谷通信施設の電波障害問題で難航。

1967年(昭和42年)都市交流審議会の答申に沿う形で二俣川から平塚市方面へ新線の免許を申請。

1976年(昭和51年)二俣川駅~いずみ野駅間が開通。

1990年(平成2年)いずみ中央駅まで延伸開業。

 これにより日本民営鉄道協会による大手としての要件を満たしたことから大手民鉄として認定されました。

国鉄末期には相模線を相鉄に返還譲渡するよう検討されたが、当時は非電化で営業係数が400近いため破談になっています。

※現在でも未成線として相鉄いずみの線「湘南台駅~平塚駅(14.5km)」の計画があります。

 

=バブル崩壊後=

大きくなった相鉄グループは再編され、不採算事業からの撤退・売却、分社化(相鉄バス、相鉄不動産)が行われました。

2009年(平成21年)グループ統括事業を相鉄ホールディングスに任せて、鉄道事業は分社しています。

相模鉄道株式会社の商号を相鉄ホールディングスに変更して、鉄道事業は「株式会社大関」が継承するカタチとなりました。

現在、相模鉄道の親会社で法人格をもつ、この「株式会社大関」の起源は横浜駅西口のダイヤモンド地下街の開業とともに開店した小料理屋「大関酒造」なんですね。※兵庫県西宮市にある酒造会社「大関株式会社」とはまったく関係ありません。

一時休眠会社となっていた「大関酒造」を2009年(平成21年)1月に「相鉄準備会社株式会社」へ商号を変更して、同年9月に「相模鉄道株式会社」に再度、商号変更して相鉄ホールディングスから鉄道事業を継承しています。

 

2019年(令和元年)相鉄新横浜線(西谷駅~羽沢横浜国大駅間)が開業。

 これにより相鉄・JRの直通運転を開始。

2023年(令和5年)相鉄新横浜線(羽沢横浜国大駅~新横浜駅間)が開業。

 これにより東急電鉄・東京地下鉄・東京都交通局・埼玉高速鉄道・東武鉄道との直通運転を開始。

 同時に本線・いずみ野線の正式名称を相鉄本線・相鉄いずみ野線に改めています。

 

=相鉄の現在=

相鉄ホールディングス傘下での相模鉄道の割合は下記のとおりになります。

・売上高

 流通業(相鉄ローゼン他):32.4%

 不動産業(相鉄不動産他):24.3%

 ホテル業(相鉄ホテル他):22.9%

 運輸業(相模鉄道・バス):14.9%

 その他          :5.5%

・営業利益

 不動産業(相鉄不動産他):50.3%

 ホテル業(相鉄ホテル他):33.3%

 運輸業(相模鉄道・バス):12.9%

 その他          :3.5%

相鉄ホールディングスの売上高の半分以上を不動産業(相鉄不動産他)が占めているんですね。

会社において、運輸業(相模鉄道・相鉄バス)の占める割合がいかに少ないかが良くわかっちゃいました。

また、全国展開しているビジネスホテルのホテルサンル-トが相鉄の子会社になっていたとはまったく知りませんでした。

※割合の数値は2025年3月期の決算内容になります。

 

=直通運転=

相模鉄道はJR・東急・東京メトロ(副都心線~東武東上線、南北線~埼玉高速鉄道線)・都営地下鉄へ直通運転を行っています。

・JR東日本「埼京線・川越線(羽沢横浜国大駅~大崎駅~大宮駅~川越駅)」相鉄車は池袋まで。

・東急電鉄「東横線(東京メトロ副都心線・東武東上線)」           相鉄車は和光市まで。

・東急電鉄「目黒線(東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道)」           相鉄車は全線。

・東急電鉄「目黒線(都営地下鉄三田線)」                  相鉄車は全線。

※ダイヤが乱れた時はこの限りではないようです。

 

=Bトレインショーティー相模鉄道「新7000系」の入線整備=

さて、相模鉄道という鉄道会社の概要が少しわかったところでいつもの入線整備をはじめます。

さぁ!道具を揃えて4両一気に分解整備しちゃいましょう~

ぱっと見が東葉高速鉄道に見えちゃうところが悲しいサガですよね~w

車体はもちろん。台車のレリーフに至るまで完璧にバリがキレイに取られていました。

良質な車両を譲渡して頂きありがとうございました。

(わずかでも手を出せる余地が欲しかったりしてw)

さぁ!デカールを貼って4両編成で活躍してもらいましょう。

車番はVVVFインバータ車の7751編成から組成させてもらいました。

横浜方←7751-7351-7651ー7551→海老名・湘南台方

ち~ばの「沼南」じゃなくて本物の「湘南台」行きですよ~www

 

=新7000系の主要諸元=

製造会社:日立製作所

製造年:1986年(昭和61年)~1989年(平成元年)

製造数:60両

軌道:1,067mm(狭軌)

電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)

最高運転速度:100km/h

設計最高速度:100km/h

全長:20,000mm

全幅:2,800mm

全高:4,122mm(モハ7100形)

車体:アルミニウム合金

台車:抵抗制御「KH-59B(電動車)、KH72A1(付随車)」・VVVF「KH-132A(電動車)、KH-135(付随車)」

主電動機:直流直巻電動機・かご形三相誘導電動機

主電動機出力:130kWまたは180kW

歯車比:4.50または4.90

制御方式:抵抗制御・VVVFインバータ制御

制動装置:回生ブレーキ併用電磁直通弁式空気ブレーキ

保安装置:相鉄型ATS、デッドマン装置、ATS-P、EB装置

 

=新7000系の概要=

1986年(昭和61年)から1989年(平成元年)にかけて投入された編成(第12次増備車以降)になります。

前面のスタイルが大幅に変更された事から、従来の7000系に対する視覚的な区別から新7000系と呼ばれています。

初期の2編成は機器面で従来の7000系と大差がなかったのですが、1988年(昭和63年)以降に導入された編成では機器面が大幅に刷新され、その後、導入された多くの機能は後に8000系・9000系にも採用されました。

 

=車体関係=

相鉄車両としては初の1970年代後半より流行したブラックフェイスを採用しています。

これにより従来の7000系からライト位置の変更、運用番号表示幕・種別表示幕が小型になりました。

急行灯も設置されましたが、後年使用されなくなっています。

側面では上下のアルミ製飾り帯をやめて、窓下へのフィルムステッカーに変更されました。

また側面には行き先表示は無く、7000系と同様に種別表示のみとなっています。

編成は6両+4両が2本、5両×2本が1本、10両貫通固定編成が3本になっています。

実質10両固定編成での運用ですが、中間に入る制御車の機器類は撤去されていません。

また、この10両貫通固定編成は相鉄では初めての投入になりました。

 

=車内設備=

・7713×10:7000系とほとんど変わりありませんが、客用ドアの上部に地図式の旅客案内表示器を千鳥配置

・7715×10:車内天井の扇風機がラインデリアに変更、天井構造も平天井にモデルチェンジ。

・7755×10:5号車・8号車にセミクロスシートを試験的に設置して、その後8000系・9000系にも採用。

 

=運転・走行機器=

当初製造された、6両+4両の2本(20両)は抵抗制御でMT比は6M4Tで編成が構成されています。

この2本は7000系と同様の走行設備なので7000系の続き番号になっています。

ところが1988年(昭和63年)以降に投入された編成は、3000系電車で試験されたGTO素子によるVVVFインバータ制御の性能が良好だったことから、7050系や7000系50番台として区別されています。

主電動機も一新され、かご形三相誘導電動機(出力180kW)を装備して、歯車比も変更(4.5→4.9)した4M6Tとなりました。

車軸への動力伝達は相鉄伝統の直角カルダン駆動方式を採用。

電動車の減車には成功しましたが、降雨・降雪時に十分な粘着力が得られず、滑走が発生しやすくなってしまいました。

また、ブレーキ方式は電磁直通弁式電磁直通ブレーキとなり、初の回生ブレーキ付きとなりましたが、作用機構が複雑であったために本系列だけの採用に留まっています。

さらに、VVVFインバータ車両なので交流電動機を採用しているにも関わらず、台車の直上床に主電動機点検蓋(トラップドア)が設置されています。(なぜか9000系まで設置されているんですね)

 

=編成表=

抵抗制御車

←横浜                     海老名・湘南台→

・7713-7149-7150-7151-7152-7514+7714-7153-7154-7515

・7715-7155-7156-7157-7158-7516+7716-7159-7160-7517

 

VVVFインバータ制御車

←横浜                     海老名・湘南台→

・7751-7351-7651ー7352ー7551+7752ー7353ー7652ー7354ー7552

・7753ー7355ー7653ー7356ー7654ー7655ー7357ー7656ー7358ー7553

・7754ー7359ー7657ー7360ー7658ー7659ー7361ー7660ー7362ー7554

・7755ー7363ー7661ー7364ー7662ー7663ー7365ー7664ー7366ー7555


=運用=

抵抗制御車のように6+4と5+5と分割可能な編成もありましたが、基本的に10両編成で運用されました。

2007年(平成19年)7751×10編成(5+5)に貫通路が設置され10両貫通編成になった。また、7713、7715編成も同様になった。

その後、7000系は新旧ともに「YOKOHAMA NAVYBLUE」への塗装変更の対象外となり、新型車両の20000系・12000系によって置換えが進み全車が廃車解体されました。

・7713編成は2009年(平成21年)頃に8両化、2019年(平成31年)廃車解体。

・7715編成は2008年(平成20年)頃に8両化、2019年(平成31年)廃車解体。

・7755、7753、7751、7754編成は2020年(令和2年)廃車解体されました。

新7000系は全車が廃車解体されてしまい保存車両はありません。

しかし、旧7000系は4両が事業用車に改造され700系モヤ700形として活躍しています。

 

=まとめ=

ほとんど相鉄グループという会社の勉強会になってしまいましたw

「相鉄ホールディングス」という大きな会社の一部門として活躍している相模鉄道。

いくら大手私鉄と言えども全体からみれば、わずかな部分を占めるに留まっていることがよくわかりました。

日本全国の大手私鉄はどこも運輸業を中心とした不動産業・観光業・流通業の各部門の発展が欠かせないんですね。

さて、ヒョンな事から手を出してしまった、相模鉄道の車両。

これからもいろいろな面から勉強して、さらに入線時に楽しませてもらおうと思います。