以前からずっと気になっていた「なにわのローカル線」南海電鉄汐見橋線。
この汐見橋線(正式には高野線)は「岸里玉出駅~汐見橋駅間」をほぼ30分間隔で運行しているんですよね。
いろいろな動画を見ているうちに思わずBトレが欲しくなってしまいました。
すでに引退した2200系は銚子電鉄へ行けばいつでも会えるので現在、活躍している2000系をゲットしました。
どちらも高野線用に投入された車両で急勾配・急カーブに対応している「ズームカー」と呼ばれる車両になります。
それでは汐見橋線の沿線で踏切脇にあるホルモン屋さんに思いを馳せながら制作することにしましょうw
2000系は高野線で活躍している2ドアロングシートの電車です。
そのうちの2両編成5本がワンマン化されて南海電鉄の各支線で活躍しているんですよね。
ところで南海電車と言えば「普通」と「各停」が存在しているのは知っていますか?
「普通」は南海本線を走り、「各停」は高野線を走っています。
難波駅を発車すると「今宮戎」と「萩之茶屋」の両駅には高野線のホームしかありません。
南海本線の「普通」電車はすべて通過してしまうので、初見さんは注意しないと大変な事になります。
さて、それでは2両編成の2000系を制作しましょう。
いつものように組み付けるパーツを並べて間違わないようにします。
サクッと組立てて完成しました。
デカールには残念ながら汐見橋線関係がありませんでここは妄想電車で我慢しましょう。
急行は「みさき公園」行き
各停は「なんば」行きです。
実車が全長17m級や20m級でも、また2ドア車や4ドア車でもBトレでは関係ないのがいいですね。
折角なので手持ちの南海電鉄を並べました。
これだけ特徴ある車両が走っているのも南海電鉄の魅力ですね。
=南海電鉄の歴史=
南海電鉄は純民間資本による日本最初の鉄道会社です。
1884年(明治17年):関西経済界の重鎮らが発起人となり「大阪堺間鉄道」を設立し、「阪堺鉄道」に改称。
1885年(明治18年):「阪堺鉄道」が『難波~堺間』を全線開通。
1893年(明治26年):「紀泉鉄道」と「紀阪鉄道」が合併し、「紀摂鉄道」が誕生。
1895年(明治28年):「紀摂鉄道」が「南海鉄道」に改称。
1897年(明治30年):「南海鉄道」が『堺~泉佐野』間を開通。
1898年(明治31年):「阪堺鉄道」が「南海鉄道」に事業を譲渡。
1903年(明治36年):「南海鉄道」の『難波~和歌山市』間が全線開通。
1909年(明治42年):「南海鉄道」と「浪速電気軌道」が合併。(『上町線』と呼称)
1915年(大正4年):「南海鉄道」と「阪堺電気軌道」が合併。(『阪堺線・平野線』と呼称)
1922年(大正11年):「南海鉄道」と「大阪高野鉄道」・「高野大師鉄道」が合併。
1925年(大正14年):『岸ノ里』において、南海本線と高野線の連絡線が完成。
「高野山電気鉄道」が設立。
「南海鉄道」の『汐見橋~高野下』間が全線開通。
1930年(昭和5年):「高野山電気鉄道」の『高野下~高野山』間が全線開通。(『鋼索線』)
1932年(昭和7年):「南海鉄道」と「高野山電気鉄道」との相互直通運転を開始。『難波~高野山』間の直通運転開始。
1940年(昭和15年):「南海鉄道」と「阪和電気鉄道」が合併。(『南海山手線(現:JR西日本阪和線)』)
1944年(昭和19年):「南海鉄道」が「南海山手線」を運輸通信省に譲渡。(国有化)
「南海鉄道」と「関西急行鉄道」が合併して「近畿日本鉄道」に。
1947年(昭和22年):「高野山電気鉄道」が「南海電気鉄道」に改称。
「南海電気鉄道」が「近畿日本鉄道」から「南海鉄道」に属していた鉄道事業・起動事業・付帯事業をすべて譲受。
1971年(昭和46年):泉北高速鉄道と高野線との相互直通運転を開始。
1980年(昭和55年):阪堺電気軌道株式会社を設立。(現:連結子会社)
(平野線を廃止、阪堺線・上町線を譲渡)
1994年(平成6年):『空港線』が開業。
2025年(令和7年):泉北高速鉄道株式会社を吸収合併。
※南海電鉄のHPより抜粋。
=南海電鉄のこれから=
他の在阪大手私鉄が阪急阪神ホールディングス、近鉄グループホールディングス、京阪ホールディングスといった純粋持株会社へ移行していますが、2026年4月より鉄道事業を運営する新事業者に分社化し、現在の同社は統括会社として残す予定だそうです。
これは東急・東急電鉄との関係と同じ事業持株会社方式に移行することになります。
事業持株会社の社名は「株式会社NANKAI」とし、不動産賃貸業、不動産販売業、ショッピングセンターの経営を中心とした事業を行う一方、鉄道事業子会社が南海電気鉄道株式会社の商号を引き継ぐことになります。
=南海電鉄の車両=
そういえば南海電鉄の車両は関西圏では珍しく、東急車輛製造製が車両ばかりなんですよね。
どうして関西の鉄道会社なのに不思議だったのですが、そこには古くからの歴史があったんですね。
現在は総合車両製作所になった東急車輛製造も元々は大阪の堺市で創業した梅鉢鐵工所ですから。
沿線に工場があって、引き込み線もあったのでかなり古くからのお付き合いになるんですね。
1890年(明治23年):梅鉢鉄工所創業(※創業時期には所説あり)
1936年(昭和11年):梅鉢車輛株式会社に改称
1939年(昭和14年):京成電気軌道(現:京成電鉄)の傘下に入る
1941年(昭和16年):帝國車輛工業株式会社に改称
1946年(昭和21年):京成電気軌道(現:京成電鉄)の傘下から離脱
1948年(昭和23年):東急車輛製造株式会社と合併
1970年(昭和45年):鉄道車両部門を本社工場(横浜製作所)に集約
2002年(平成14年):株式交換により東京急行電鉄の完全子会社化
2003年(平成15年):和歌山製作所が完成し大阪製作所は閉鎖
2011年(平成23年):鉄道車両事業、特殊自動車事業を分社化
2012年(平成24年):鉄道車両事業をJR東日本へ譲渡して総合車両製作所に商号変更
特殊自動車事業を新明和へ譲渡して東邦車輛株式会社へ商号変更
と、東急車輛製造とは梅鉢製作所時代からの歴史的な背景があったわけですね。
6000系以降のオールステンレス車両はライセンスの関係で東急車輛以外が製造できなかった事もあるようです。
近畿車輛への発注は7100系以来、40年あまり途切れていましたが、2015年(平成27年)8300系で再開されています。
高野線は1962年(昭和37年)からステンレス車体を採用する一方、南海本線は普通鋼の車体という作り分けが続き、南海本線にステンレス車体が採用されたのは1985年(昭和60年)の9000系からなんですね。
高速運転の南海本線と急勾配・急カーブが連続する高野線では走行する路線環境に特化した車両を採用していたわけです。
1992年(平成4年)には初めて両線での使用を前提とする1000系(2代目)が登場しました。
以降の新型車両は基本的に(ズームカーを除く)両線での使用を前提に設計されるようになりました。
また、制御装置はほぼすべて日立製作所(2300系は東洋電機製造、初代8000系と8200系は三菱電機)が採用されています。
主電動機は三菱電機または東洋電機製造のものを採用されています。
台車は主に住友金属工業(現:日本製鉄)で、2022年(令和4年)以降は近畿車輛製の台車を装備した車両も登場しています。
日本の大手私鉄では阪神電気鉄道と並んでワンハンドルマスコンの車両は保有していないんですよね。
そういえば、南海電車って日本で初めてクーラー車を走らせた会社なんですよね。
1936年(昭和11年)大阪金属工業(現:ダイキン)製の電動冷凍機を改造して車両に搭載したんです。
当時、2.5tもある巨大な車載冷房システムを車両に搭載したのですから先進的な会社だったんですね。
また、搭載に際しては車両の屋上搭載の機器(エバポレータ)が大型で車両規定をはみ出すため、特認申請して認可されました。
ちなみにこの冷凍機はその後、大和型戦艦の弾薬庫冷却・艦内冷房用冷凍機にも採用されているんです。
=南海電鉄2000系の概要=
高野線の輸送力増強を目的に1990年(平成2年)に登場しました。
急勾配(最大50‰)・急カーブ(最小100m)を走破するズームカー(21000系・22000系・2200系)の置換えを目的に
1997年(平成9年)まで合計64両が製造されました。
南海電鉄では初となるGTOサイリスタ素子を採用した日立製作所製のVVVFインバータ制御方式です。
主電動機は定格出力100kWの東洋電機製造製のかご形三相誘導電動機を各台車に搭載した全電動車方式になります。
駆動方式はTD平行カルダンドライブ方式で、台車には緩衝ゴム式の空気ばね台車を採用しました。
ブレーキ装置は従来車との併結の必要性から電磁直通ブレーキが採用されています。
車体は軽量ステンレス構造の17m級2扉で、座席はロングシートを基本として一部車両は車端部にクロスシートを装備しました。
客室は9000系のアコモデーションをベースとして、荷棚にはポリカーボネートを使用。蛍光灯にはアクリルカバーを取り付け。
空調装置は13,000kcal/hのユニットクーラを各車3基搭載、温度・湿度。乗車率の各センサ情報により稼働率を制御しています。
減速時および抑速ブレーキ使用時には回生ブレーキにて対応していますが、運転本数の少ない山岳区間では回生失効が発生してしまうので、山岳区間の変電所に回生電力吸収装置を設置して回生失効を防止するように対策されました。
=南海電鉄2000系の諸元=
製造会社:東急車輛製造
製造年:1990年(平成2年)~1997年(平成9年)
製造数:64両
編成:2・4両編成
軌間:1.067mm
電気方式:直流1,500v(架空電車線方式)
最高運転速度:110km/h(本線・空港線)、100km/h(高野線平坦区間)
設計最高速度:120km/h
起動加速度:2.5km/h/s(本線・空港線)、3.1km/h/s(高野線)
減速度(常用):3.8km/h/s
減速度(非常):4.0km/h/s
車体:ステンレス鋼
編成重量:71.5t(2両編成)、140.0t(4両編成)
全長:17.725mm
全幅:2,744mm
全高:4,130mm
台車:緩衝ゴム式ダイレクトマウント空気ばね台車 FS-541(1-4次車)、FS-541A(5-7次車)
主電動機:かご形三相誘導電動機 TDK6310-A(東洋電機製造)
主電動機出力:100kW
駆動方式:TD平行カルダン駆動方式
歯車比:6.07
編成出力:800kW(2両編成)、1,600kW(4両編成)
制御方式:GTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御(日立製作所)
制御装置:VF-HR125(1・2次車)、VFG-HR1810A(3-7次車)
制動装置:回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(HSC-R)応荷重装置付き
保安装置:南海型ATS
=編成表=
・4両編成
←難波 和歌山市・関西空港・極楽橋→
・2001(P)+2051+2101(P)+2151 1次車 高野線
・2002(P)+2052+2102(P)+2152 2次車 高野線
・2003(P)+2053+2103(P)+2153 2次車 高野線
・2041(WP)+2091+2141+2191 5次車 高野線
・2042(WP)+2092+2142+2192 6次車 高野線
・2043(WP)+2093+2143+2193 6次車 高野線
・2044(WP)+2094+2144+2194 6次車 高野線
・2045(WP)+2095+2145+2195 7次車 高野線
・2046(WP)+2096+2146+2196 7次車 高野線
※(P):パンタ搭載車、(WP):パンタ2基搭載車
・2両編成
←難波・汐見橋・加太 和歌山港・高師浜・関西空港・多奈川・極楽橋→
・2031(WP)+2181 3次車 高野線
・2032(WP)+2182 3次車 高野線
・2033(WP)+2183 4次車 高野線
・2034(WP)+2184 4次車 高野線
・2035(WP)+2185 5次車 南海本線 ワンマン化
・2036(WP)+2186 5次車 南海本線 ワンマン化
・2037(WP)+2187 5次車 高野線
・2038(WP)+2188 5次車 高野線
・2039(WP)+2189 5次車 南海本線 ワンマン化
・2040(WP)+2190 6次車 南海本線 ワンマン化
・2021(WP)+2171 7次車 高野線
・2022(WP)+2172 7次車 高野線
・2023(WP)+2173 7次車 南海本線 ワンマン化
・2024(WP)+2174 7次車 高野線
※(WP):パンタ2基搭載車
※ワンマン化改造車:加太線・和歌山港線・汐見橋線・多奈川線・高師浜線で運用中。
=まとめ=
どうも関西系の鉄道会社にしては関東系の車体を採用していると思ったら車両メーカーとこういう歴史があったんですね。
全国の鉄道事業者と同じで、戦時下における合併・統合を経て現在の路線網を築き上げているわけなんですね。
”なんかいいね”があふれてる鉄道会社なのでまた車両も含めて勉強したいと思います。
さっそく22000系ポチっちゃったしwww




























