「ブラタモリ」#27「熱海」あらすじ
◇■■ NHK-G 「ブラタモリ」出演: タモリ、桑子真帆アナナレーター: 草彅剛(SMAP)*最近のブログ「ブラタモリ」#16「軽井沢」(2015/08/29放送)「ブラタモリ」#17「博多」(2015/09/19放送), #18「福岡と鉄道」(2015/10/03放送)「ブラタモリ」#19#20#21「富士山」(2015/10/10,24,31放送)「ブラタモリ」#22「札幌」(2015/11/07放送)「ブラタモリ」#23「小樽」(2015/11/14放送)「ブラタモリ」#24「軽井沢への道」(2015/11/21放送)「ブラタモリ」#25「日光東照宮」(2015/12/12放送), #26「日光の絶景」(2015/12/19放送)「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 真田丸SP」(2016/01/02放送)◇◇■ #27 「熱海 ~人気温泉地・熱海を支えたものは?~」初放送1/16(土)19:30~20:15取材協力: 熱海市、JR東海、JR東日本、梅原郁三、大久保あかね、栗木崇、高柳友彦。資料提供: 熱海市立図書館、アジア航測、NASA、海上保安庁、国交省沼津河川国道事務所、国立公文書館、JR貨物。ロケ11/18(水)映像アサイン: 山口高志写真: 山田大輔撮影: 小出寿顕ディレクター: 田崎純一プロデューサー: 山内太郎◇今回の舞台は、日本を代表する温泉として、年間600万人の観光客が訪れる静岡県熱海市。タモリ「お宮の松」、桑子「何ですか? これは」、タモリ「金色夜叉。貫一がお宮を振る訳です」、桑子「あの銅像ですか? あれは振ってる将にその最中ですか?」「貫一お宮の像」(熱海市東海岸町)タモテバコの登場。タモリ「熱海で何をやるのかって、昨日、ずっと考えたんだけど、何だと思う?」二人「熱海はどうして、日本有数の温泉になったのか?」旅のお題は? 「人気温泉地・熱海を支えたものは?」ここで、伊豆半島ジオパーク推進協議会・専門研究員の鈴木雄介さんが登場。鈴木「熱海がどんな所なのか、分かる場所にご案内したい」鈴木「周りを見回して気が付くことが何かありますか?」、タモリ「殆ど急傾斜面です」三方を山に囲まれたスリ鉢状の地形である熱海。海岸に面した急斜面にホテルや旅館が所狭しと並んでいる。今、居る場所は少し砂浜になっている所。「熱海サンビーチ」(東海岸町)昔は、ここは海だったが造成して埋め立てた。鈴木「この砂はどこから来たか?」タモリ「この大量の砂は陸路では無理ですよね。海路で房総辺り!」鈴木「凄いですね。本来、砂が溜まるとすれば、鉄分の多い黒っぽい砂。 <鎌倉と同じ> 千葉の砂なので白っぽい砂でいい雰囲気になっている」この砂も熱海を支えている。それからやっぱり、熱海と言えば温泉。鈴木「熱海で温泉が湧き出る秘密が分かる場所に行きたい」と「ニューアカオ」(熱海1993-250)の方向を指すと、タモリ「上の方には秘宝館もある」今でも年間600万人が訪れる国内有数の人気温泉地。江戸時代より前は、知る人ぞ知る小さな漁村に過ぎなかったという熱海が、今のような巨大な観光都市となり得たのは、熱海を「支えたもの」が幾つもあったから。何が熱海の発展をもたらしたのか? タモリさんが解き明かす。熱海を救った湧き水の謎。来宮駅から岬の先端に建つホテル・ニューアカオ。ここで、ホテルマンの青木忠史さんが登場。青木「熱海の温泉がどういうものなのか、実際に体験して頂きたい」、桑子「入るんですか? 一緒に? どうしよう・・・」、タモリ「混浴」、ディレクター「脱ぎ始めるところから(カメラ)回して行きます」、桑子「いやらしい」、ディレクター「靴下をです」青木「泉質が分かる実験をやってみます。先ず石鹸で手を洗ってもらいます」、タモリ「全然、泡立たない。塩分? 」、即答。タモリ「しょっぱい」、桑子さんは飲み過ぎ。青木「お風呂から上がってからも温かいポカポカが長続きするので、『熱の湯』と呼ばれる」桑子「バスソルトってありますよね」、タモリ「何?それ」、桑子「入浴剤みたいな感じで塩をお風呂に入れて・・・」、タモリ「使っているの?」、桑子「ええ」、タモリ「お風呂、楽しんでるんだ」、桑子「そんなにいやらしい顔を」、タモリ「優雅な生活をしているんだなと思っただけ」昭和になって観光客が爆発的に増えたのは、タモリさんが大好きな「アレ」が理由だった?熱海のお湯の秘密を紐解く鍵は、断崖絶壁に建つ巨大温泉ホテルのレストランから見る絶景にあった?大食堂からは、海食洞と海食崖が間近かに迫る。タモリ「海食コンビが在ると物凄く景色がよくなりますからね」海が穏やかなので、傍まで行ける通路から。鈴木「この崖を造ってる岩は何だか分かりますか?」、タモリ「噴出の溶岩。細かいものと岩が一緒に出て来た」、鈴木「その通りで、水冷破砕溶岩と言います」、タモリ「山の方から流れて来て冷やされたんじゃなくて、海底から噴火したものですよね?」、鈴木「そうです」水冷破砕溶岩とは、温泉に塩分がたっぷり含まれていることとは深く関係している。熱海の近くには30万年前まで、多賀火山があり海底にも噴火口がある。海水と雨水が沁(し)み込み温められることで、塩分の多い温泉として噴き出す。鈴木「海食洞と海食崖は、下に噴火口がある証拠。大食堂は海底火山を眺めるレストランみたいな」、タモリ「この眺めをオカズに酒を飲めるしご飯を食べられるよ」ここで、京都府立大学生命環境学部・専任講師(都市史)の美人の松田法子さんが登場。松田「熱海がいつから有名な温泉地になったか」、タモリ「全国的には、明治になってからじゃないか?」、松田「もうちょっと早い」江戸時代の温泉人気番付では---東①上州草津②野州那須③信州諏訪④豆州湯河原⑤相州足の湯・・・。桑子「ここ何州なんですか?」、タモリ「豆州でしょ、湯河原が入っているな」実は、立行司「伊豆熱海之湯」として、熊野本宮湯、津軽大鰐湯とともに別格扱いだった。それは或る人物が訪れたことが切っ掛けだった。「徳川実紀」によれば、家康は1604年、七日間滞在し熱海の温泉に入浴した。江戸時代の痕跡を探す。「豆州熱海絵図」(1681年)によれば、タモリさんたちが立っている場所は、江戸から来ると熱海の入口。そこからなだらかに下って、平らな交差点(熱海銀座「本通町」)に出る。鈴木「どうしてなだらかになったんでしょうか?」、タモリ「川(糸川)がありますね。扇状地なんですか?」扇状地までは発達していないが、三つの川が土砂を運んで来た。このなだらかな傾斜こそ重要な役割を果たしていた。27軒の温泉宿「湯戸」(ゆこ)。ここでオバタリアン軍団が襲う。三方を山に囲まれた、傾斜ばかりの地形を巧みに利用した江戸時代の温泉街の工夫とは?「湯桝」(ゆます)だった場所の少し上った所に源泉「本湯(後に大湯)」がある。「大湯間欠泉跡」(上宿町3)元間欠泉。桑子「間欠泉って何ですか?」、タモリ「一定時間で圧力が貯まってジュバーッと一気に噴き出す」、松田「大正末期に枯れてしまった」松田「大湯の下の方に旅館が多いのはどうしてか分かりますか?」、タモリ「引き易いんですよね?勾配があって」、松田「その通りです。間欠泉ですから一旦、貯めないと使い難い」、タモリ「それで桝が必要になって来る訳だ」、松田「そしてなだらかな高低差を利用して各旅館へと引いていた」、江戸時代、木管を使って引いていた。松田「この辺りの江戸時代からの(27軒のうち)今も1軒だけ旅館が残っていて、当時のことが分かるお宝もあるそう」と、「古屋旅館」(東海岸町5-24)を訪ねる。ここで、老舗旅館「古屋旅館」16代目当主・内田進さんが登場。昭和に描かれた(たぶん元になる絵はあった)「お汲(く)み湯の図」・・・大湯から湯を汲んで樽に詰めて運んで行く様子。松田「どこまで運んで行くか?」、タモリ「江戸まで?」、松田「実は江戸城まで運んだ」、江戸城まで運ばせていたのは、4代家綱と8代吉宗。特に吉宗は9年間で3,643樽も運ばせる程、惚(ほ)れ込んでいた。御用達のお湯だったことからも、番付で行司になった別格の温泉。更にお宝があるということで、内田「倉庫を探したら版木が出て来た」と、東京スポーツ紙の競馬出馬表に包んだ版木を見せる。内田「内容も全く分からない。タモリさん、是非、刷って頂けますか?」今回の取材を切っ掛けに「謎の版木」を発見 !タモリさんが刷ってみると、そこに描かれていたものは・・・!? 意外な事実にビックリ !「沢庵和尚(1573-1645)入湯 『夜昼 四度の塩の出湯』・・・」松田「熱海のPRを兼ねて、和尚の歌など挿話を広く知らしめる版木ではないでしょうか?」松田「明治以降の熱海を支えたものを確認して行きたい」温泉街の周辺に大小様々な敷地が散在する地図を見て、タモリ「別荘ですか?」、松田「その通りです」・・・天皇家御用邸(1888-1931)、その周辺に政財界人の別荘。殆ど残っていないが、戦前に造られた別荘が残っている・・・「旧日向別邸」(1936年完成、別称「ブルーノ・タウト熱海の家」、春日町8-37)。タモリ「伝統的な借景の造園方法ですよね?」 塀の上に海と島が望める。高く設(しつら)えた上座からは窓が額縁となった絶景が望める。斜面の高低差を活かして、その後もますます別荘地が開発されて行った。熱海の別荘ブームを物語る、1925年のパンフレットも登場。松田「その後、一般の人も熱海を訪れるようになった。その起爆剤となったのは何だと思いますか?」、タモリ「交通の便じゃないですか?」、正解!!段階を追って鉄道が敷設された。軽便鉄道(小田原-熱海)乗客1.7万、降客1.9万・・・1923年調べ熱海線(東京-熱海)乗客38.7万、降客37.1万・・・1925年調べ東海道本線(丹那トンネル開通後)乗客191万、降客162万・・・1935年調べ東海道本線は元々、国府津-御殿場-沼津だったが、丹那トンネル開通後は国府津-熱海-沼津となった。1961年には年間観光客が1000万人を突破し日本一の温泉街になった。松田「観光客が急増して或る物が足りなくなった」、タモリ「何もかも足りなくなるのでは? 水も足りなくなる」、地下を掘っても温泉しか出ない、水が連日断水(1947年の熱海新聞)。「丹那神社」(丹那トンネルの守護、西山町)そこで訪れたのは来宮駅の近く。撮影中の降雨が強くなって来た。タモリ「水不足には雨を降らす」のジョーク。ここで、鈴木さんが再登場。新たに熱海市役所水道温泉課の井手尾達さんが加わる。水不足を解消した水源へ。皇紀2578年(1918)年・・・丹那トンネル工事開始年、皇紀2594年(1934年)・・・丹那トンネル工事完了年の表記。トンネルを掘った時の「丹那湧水」が一日に37,500t、芦ノ湖三杯分。水との闘いで16年も掛かった。鈴木「熱海への観光客を増やしたのも水不足を救ったのも、丹那トンネル」タモリ「モモタローだ!!」そこに貨物列車EF210形「桃太郎」が通過したのだ。トンネルに入る前に「ヒュ!」と汽笛を鳴らした。タモリ「哀愁を帯びていていいんだよな~。ヒュ! 桃太郎いいなあ」高台に上がって、井手尾「そこに見えているお城の石垣みたいなもの」、タモリ「地下に水を貯めているの?」、井手尾「その通りです。先程見た水をここに一度、蓄わえて町の方へ勾配を利用して配水する。トンネルを掘った所の高さが水道の水圧にとって丁度いいのです」、タモリ「絶妙な高低差だったんですね」旅のお題は? 「人気温泉地・熱海を支えたものは?」振り返れば、家康、明治の政治家、鉄道、人口増加と水不足。丹那トンネルが解決。抜群の高低差、絶妙のタイミング。温泉が出ただけじゃない。◇◇