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■■ NHK-G 「ブラタモリ」
出演: タモリ、桑子真帆アナ
ナレーター: 草彅剛(SMAP)
撮影ロケ情報: 1/24(日)到着、1/26(火)首里城、1/27(水)国際通りの2日間。
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■ #32 「沖縄・首里~王都・首里はサンゴでできている?~」
初放送2/27(土)19:30~20:15
取材協力: 国営沖縄記念公園(首里城公園)、沖縄美ら島財団、安里進、當眞嗣一、神谷厚昭、上里隆史。
資料提供: 沖縄県公文書館、沖縄県立図書館、那覇市歴史博物館、フジ・アンシ・ドットコム。
映像デザイン: 山口高志
CG: 角雅則
写真: 山田大輔
撮影: 菊地将和
ディレクター: 今理織
プロデューサー: 垣東大介
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ハイサイ!ブラタモリ!
ついに南国・沖縄へ!しかも飛行機で!!
ところが到着した1/24(日)夜は、観測史上初の沖縄本島で雪が降った。
今回の舞台は、450年に亘って琉球王国の都だった那覇市の首里地区。
首里は、世界遺産・首里城の麓(ふもと)に広がる高台(100m以上)の町。
守礼門と額「守禮之邦」。
かりゆし着用のタモガメ、タモ手箱はサンゴ入り、
今日のお題は「王都・首里はサンゴでできている?」。
ここで沖縄国際大学・教授(歴史学・琉球史)の田名(だな)真之さんが登場。
琉球王国は、薩摩によって併合された後も存続していた。1429~1879(明治12)年までの約450年間。
何が世界遺産の価値があるのか? ここに首里城が在ったという遺構(地面の下)。
米軍との沖縄戦により徹底的に焼き尽くされ破壊されたため、石垣や建造物を復元。
殆ど見たことのない曲線の石垣、優雅な曲線を描く首里城の石垣はサンゴの贈り物だった?
正殿・・・日本と中国の様式を琉球的な工夫で造った。
この古くからの都が、「サンゴでできている」とは一体、どういうことなのか?
サンゴがもたらした首里発展の秘密を、タモリさんが解き明かす。
正殿の裏側へ、1989年からずっと復元し続けているが、ここが最後の復元場所。
御内原(おうちばら)・・・王族の他は男子禁制、江戸城で言う大奥。
ここで琉球大学・准教授(地球科学)の尾方隆幸さんが登場。
昔のサンゴが見られる場所、石垣の岩石はサンゴ礁(十万~数十万年前)⇒琉球石灰岩。
沖縄や奄美にのみ分布し、隙間が多くて水を通し易い。
泥岩が石灰岩の下に1000m以上も敷かれている、泥は中国大陸から、サンゴは浅くて暖かい海に生きている、(日光を通す)澄んだキレイな水が必要。以上、タモリさんは正解!!
泥が流入して来るとサンゴは生きられないが、二百万年前に沖縄トラフ(裂け目)ができ、
一方、隆起した浅瀬にサンゴが繁殖、数十万年前に再び隆起したため、泥岩の上に琉球石灰岩が乗った首里の地層が完成。
首里城の城壁が曲線を描いている特徴は、石灰岩が細工し易いから。
御嶽(うたき)・・・聖なる信仰の場所、神様が降臨して来る依り代(よりしろ)、昨年発掘した。
南城市には斎場御嶽(せーふぁうたき、琉球王国最高の聖地の一つ・世界遺産)がある。
130mの高台はどうやって形成されたか? 泥岩の地層に水が溜まり川ができ侵食して行ったため残った。タモリさんまたしても正解!
下界の那覇港が有事の時には高台から軍隊を派遣した。
高台にも拘わらず湧き続ける名水の秘密とは?
一方、問題となるのは水の確保。
龍樋(りゅうひ)という涸れない湧き水があった!! カルシウムイオン89ppm(水道水は9.5ppm)、
電気伝導度0.32ms/cm(水道水0.17ms/cm)。
尾方さんによれば、島尻泥岩の上に琉球石灰岩が乗っていて、二層の境目に龍樋がある。
石灰岩に浸み込んだ雨水と石灰岩の湧き水とが均衡している状態か?
これにより王朝⇒王国として栄えた。
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かつては首里城の周辺だけで作られていたという沖縄の伝統酒「泡盛」と、沖縄で発展した武道「空手」、そしてサンゴの意外な繋(つな)がりとは?
1700年頃には城の南西地区に高位高官が住んでいた。
城下町は平(ヒラ)と呼んだ。田名「平は上り坂、坂は下り坂」。
ここで有玉の味噌醤油・玉那覇有紀さん。水が豊富なので1854~60年の安政期から醸造。
石灰岩と泥岩の境に水が流れている。
麹菌が付着して黒麹の壁となった場所、ここで仲栄真(なかえま)兼昌さん。
泡盛の醪(もろみ)室を見学、深さ2.5m、タモリさんは、攪拌(かくはん)の真似事。
蔵元・佐久本武さん。王が40名に限定して醸造させた。
沖縄戦で全滅したかにみえたが、麹菌が辛うじて付着しており培養し造り酒屋に分配できた。200,300年物の古酒は絶えたが戦後から復活させた今、60年物まで来ている。
泡盛もサンゴのお陰。
文武館総本部道場・鬼大城(うにうふぐしく)、空手道場・館長の仲本政博さん、ここにも龍樋。
空手道場と泡盛との関係、余った酒は自由販売できたが、強盗に狙われることがあったため、造り酒屋は輸送のため用心棒を抱えていた。
タモリさんと桑子アナが空手の師範に弟子入り!?
(アメーバ大喜利より引用)
タモリ、人気の桑子ちゃんがストーカーから身を護るよう願って、実演する。
内心は、間もなく交代される寂しさが漂っていた。。。
尚弘子さん、琉球最後の王・尚泰王(1843~1901)の孫と結婚、琉球王家の屋敷で守り継がれて来た湧き水・佐司笠樋川(さしかさひーじゃー)、神聖な水。
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■ #33 「那覇 ~那覇は2つある!? ~」
初放送3/5(土) 19:30~20:15
取材協力: 那覇市、久米崇聖会、ガーブ川中央商店街組合、外間政明、野原巴、粟国智光。
資料提供: 沖縄県公文書館、那覇市歴史博物館、那覇市立壺屋焼物博物館、沖縄タイムス社、東京地図研究社。
映像デザイン: 岩崎敦
CG: 角雅則
写真: 山田大輔
撮影: 菊地将和
ディレクター: 井川陽子
プロデューサー: 石原謙一郎
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那覇市の中心といえば、年間600万人の観光客でにぎわうメインストリート「国際通り」。
タモリさんは35年位前に沖縄の友達とこの辺でドンチャン騒ぎしてた。3,4回。
タモ亀が南国バージョンのかりゆし姿で登場、
今日の旅のお題は、「那覇は2つある!?」。
ここで那覇市歴史博物館の館長・古塚達朗さんが、コテコテの沖縄方言で登場。
国際通りがお題のカギを握っている。
那覇の中心街を1.6kmに亘って繋ぐメインストリート、観光スポット。
名前の由来は、終戦から3年程経った時に、ここに戦災を受けた人達が心の拠り所とした建物ができた。映画館「国際劇場」が1948年に開館。
その周辺は、実は70年程前(1935年頃)までは、湿地や畑が広がる大変寂しい場所だった。
その頃の那覇の中心は、海のすぐ傍、港に隣り合った場所。
オールド那覇とニュー那覇、まさに那覇は2つあった!
ではどうして、那覇の中心は今の場所に移ってしまったのか?
「2つの那覇」をテーマに、知られざる那覇の歴史にタモリさんが迫る。
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□ オールド那覇
海に突き出た岩山と不思議な建物が物語る「かつての那覇」の姿とは?
知る手掛かりを探しに、「波の上ビーチ」にやって来た。
琉球石灰岩(10~数10万年前のサンゴ礁)のノッチ(波食窪)、タモリさんが夢中になっている。
元々は島、残された断崖の上に重要な役割となった場所がある。
「波上宮」(なみのうえぐう)という沖縄を代表する神社、航海の安全を祈る場所。
琉球王国(王都・首里)の港町・那覇の・・・、タモリ「入港する時の目印?」古塚「流石ですねぇ」
波上宮と港がどう密接に結び付いていたか分かる場所、タモリ「神社の裏に御嶽(うたき、自然崇拝の祈りスポット)がある」古塚「グッドジョブ」。
港の発展を支えたカギになる人達、600年程前から那覇に住み始めた中国人の地、"久米村(クニンダ)"が航路案内人や通訳として琉球の貿易を支えた。
(社)久米崇聖会が管理する、天尊廟(龍王殿・関帝廟)・天妃宮・・・航海・漁業の神・天妃など中国の道教神を祀る、程順則頌徳(しょうとく)碑、蔡温頌徳碑。
タモリ「外国人居留地みたいな」古塚「グッドジョブ、長崎の出島のような」。
ここでクニンダの子孫、古謝(こじゃ)昇さんと垣花(かきのはな)稔さんが登場。
中国系帰化人の始祖・・・14世紀末の蔡・林・金・鄭、15世紀の梁・紅・陳、16世紀の・・・・。
因みに、古謝さんの先祖は15世紀の梁崇氏、垣花さんの先祖は17世紀の毛国鼎氏。
前・県知事の仲井眞さんの先祖は、最も古い蔡崇氏。
但し当然のことながら、それらの名字を名乗っていても全てクニンダの子孫とは限らない。
タモリ「私の先祖はベトナム人で、グエン・ドン・ファン(笑、以前から使っていたネタを出す)」
貿易が盛んになると、王都・首里城との距離がネックとなったため連結したという痕跡。
タモリ「埋め立てた道ですか? 橋を架けるのは相当大変」古塚「鋭い!1kmありますから」
タモリ「茂みがある(好み!)、島伝いに埋めて道を造る?」古塚「ピンポン!」
曲がりくねった道、段もある、これぞブラタモリ、桑子「ダンサー(段差愛好家)ですからね」古塚「小さな島は浅瀬があり、それを繋いで行くとクネクネする(久米久米ではなく)」。
「長虹堤」(ちょうこうてい、1km)の建設で一層オールド那覇が繁栄した。
その痕跡へと思ったら、古塚「パスポートをお持ちですか?これから向こうはUSAなので」タモリ・桑子「持って来なかったから入れない」古塚「特別の許可をもらっています」
ここで米陸軍・報道官のリチャード・ゼブカさんが登場。
「Naha Military Port」那覇港港湾施設(通称・那覇軍港、米陸軍が使用中の県内31カ所の1つ)。ゲート部分は撮影中断。
「御物城(おものぐすく)」。
タモリ「陶器の破片がありますね、青磁ですか?」桑子が拾ったのは只のタイル。古塚「何時頃のもの?」テレ東の人気番組テーマ曲が流れ、タモリ鑑定「明ですね」
ここで那覇市文化財課埋蔵文化財担当の島弘さんが鑑定、「中国500年位前の物」。明で当たり!!タモリのドヤ顔。15世紀の献上品・御物を一時保管していた倉庫。輸送中に破損した物は捨てた。
琉球王国(14-16世紀)の交易相手・・・朝鮮・明・ルソン・安南・マラッカ・シャム。
戦前は或る施設だった。タモリ「眺めがいいから料亭でもあった?」神懸かり的に連続正解!!
「風月楼」(1899~1944年)。
戦災で失われたオールド那覇。
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□ ニュー那覇
観光客にもお馴染み、迷宮のように広がっている市場に潜む、「新しい那覇」発展の秘密とは?
なぜ中心街が移ったか? 国際通りに戻る。
スタートは壺屋の町、「壺屋やちむん(焼き物)通り」、屋根にシーサーが乗り石垣が囲む伝統的な家屋、戦災を余り受けなかった、石垣に謎の出っ張り・・・これもシーサーが風化。斜面を利用した登り窯。
米軍基地から半径1マイル=1.6km地域は立ち入り禁止(戦後6年余)となったため移転した。
どうして復興の始まりが壺屋? タモリ「新しい産業を興す」古塚「終戦直後は収容所、徐々に開放され食べ物は配給されたが食器がない」、1945年の食器・イッチン菊花文碗。
発展の痕跡を辿る。
人口増加に伴い自然発生的に或る物ができて行った。タモリ「色々な物の闇市」、米軍の物資などの闇市を1948年頃に移転させて公設市場を造った、現在の「第一牧志公設市場」。
「平和通り商店街」・・・タモリ「戦後に造られた街や通りには『平和』が付く」、究極の土地活用法の痕跡を見つける、傾斜・段差。
戦後移って来た土地のない人達はガーブ川の低い土手に小屋を建てて商売 ⇒ 1959年大洪水 ⇒ 1964年暗渠化・建物 「むつみ橋通り街」と「市場本通り」の間に水上店舗。
ここで洲鎌徳次郎さん(86)が登場、川の傍に杭を打ち込んでテント小屋を造ったが、台風が来ると水没した。宮古島から移って今年で60年の営業。
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