■■ NHK-G 「ブラタモリ」

#19#20#21「富士山 ~タモリさん 人生初の富士山に挑む!~」



出演: タモリ、桑子真帆アナ


ナレーター: 草彅剛(SMAP)

撮影ロケ: 8/23(日)~24(月)


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■ #19「富士山の美(1)~富士山はなぜ美しい?~」

【初放送】10/10(土)19:30~20:15
【再放送】10/11(日)13:05~13:50


資料提供: 富士市、静岡県立美術館、山口県立萩美術館・浦上記念館。

映像デザイン: 岩崎敦
写真: 山田大輔
撮影: 菊地将和

ディレクター: 井川陽子
プロデューサー: 垣東大介



 

【あらすじ】




富士山の麓にある富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市宮町1-1)に参拝。
この他に世界遺産に登録された浅間神社・・・村山・山宮・須山・冨士・北口本宮冨士・冨士御室・河口。


ここで、富士宮市立郷土資料館館長の渡井一信さんが登場。
重要文化財「狩野元信印 絹本著色富士曼荼羅図」(室町時代、富士山本宮浅間大社の所蔵)
本宮浅間大社は富士登山の玄関口。

ここで、浅間大社権祢宜(ごんねぎ)の鈴木雅史さんが登場。
現在の社殿は、関ケ原に勝利した家康が1604年(慶長9年)に造営。富士山を背後に幕府権力を安定させたかった。

2階建てにして高低差をつけた。1階は寄棟造りにして富士山の傾斜に似せている。2階は天上界(頂上)にも神社があることを示している。
富士山登山は信仰のためだった。


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ここで、富士山仕様のタモカメが登場。旅のお題は、「富士山はなぜ美しい?」
今回のテーマは「富士山の美」。①端正な山裾②独立峰。

タモリさんが身を持って解き明かすべく---
浅間大社の中で見つけた秘密、富士山の湧き水「国の特別天然記念物『湧玉池(わくたまいけ)』」。年間を通じて13℃前後。古くはここで登山前の禊(みそぎ)を行った。

ここで、静岡大学教授(火山学)の小山真人さんが登場。

「赤色立体地図」(色で高低差を表した地形図)。
土石流(水を通さない)が作った台地と盆地の境界で、溶岩に沁み込んだ水が地下水となって湧く。15年前の雪解け水が山頂から20kmの麓で。
「涌玉池」は、1万年前、裾野 = 富士山溶岩の末端に当たる坂道に在る。


粘り気が丁度良かった絶妙の溶岩。普賢岳・昭和新山とキラウエアの中間位。
謎の言葉(ハワイ語が語源の専門用語)で、「パホイホイ」(流れ易い溶岩のこと)、「アア」(流れ難い溶岩のこと)。富士山にもパホイホイっぽいのもアアっぽいのもある。


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富士登山は、海の男・タモリさんは初めて、桑子さんは4回目。


朝8時、表口=富士宮口の五合目(2400m)を出発。
平安時代の溶岩。この辺りでも噴火は起きた。

急変する天気。

ガサガサとした質感のスパター(熱いマグマが火口から飛沫(しぶき)となって噴き出し、冷え固まった)の酸化鉄。ガサガサとカチカチが交互に重なり合った層。実は(細長い筋の)「割れ目火口」から飛び散ったスパター(ガサガサ)とゆっくり流れ出した溶岩(カチカチ)。
「割れ目火口」は山腹噴火の痕跡で、100カ所以上に上る。全て平安時代。
溶岩が大量に出たことが、富士の美に重要な要素となっている。

霧が晴れ八合目も剣ケ峰も見えた。



次に再び、急変する天気に右往左往 !! 
六合目の宝永山火口入口の山小屋「雲海荘」に緊急避難。




■ #20「富士山の美(2) ~富士山はなぜ美しい?~」

【初放送】10/24(土)19:30~20:15
【再放送】10/25(日)13:05~13:50


資料提供: 国土交通省冨士砂防事務所、富士山本宮浅間大社、静岡県立美術館。

映像デザイン: 石川一糸
写真: 山田大輔
撮影: 菊地将和

ディレクター: 井川陽子
プロデューサー: 山内太郎





【あらすじ】


表口五合目(2400m)を出発。
引き続き、静岡大学教授(火山学)の小山真人さんが案内。

旅のお題は、「富士山はなぜ美しい?」
「優美な裾野」「独立峰」「日本一の高さ」・・・火山だからこそ生まれた美しさ。
美の秘密が一番、分かる場所、新しくて大きな火口「宝永火口」に向かう。
行く手を阻む霧、「雲海荘」で一休み。
テレビでは、台風15号が現在、福岡・山口付近にあり北上中と報道。
ラムネだ、飲みたいなあとタモリさん。実はラムネ好き。

六合目から横移動450mで宝永火口。
急にここだけ木が生えている。高山植物ミヤマオトコヨモギ・オノエイタドリも。
「割れ目火口」の谷間とは違って、土砂が細かく浸食でできた。
富士山の浸食は特殊な現象「雪代」(ゆきしろ、スラッシュ雪崩) を起こす。凍り付き、そこに大雨が降ると、土砂と雪がシャーベット状態で滝のような雪崩が起きて、美しさが損なわれる恐れ。傷がどんどん広がっている筈なのに美しいままでいるのは何故か?
それは度々、噴火が起きて谷が埋められて来たから。2200年間で30回の山腹噴火で修復された。美の秘密は、コマメな噴火によるお化粧直し。

タモリさんが昔から来てみたかったという、噴火して生まれた巨大な「宝永火口」。
最も新しい火口が3つ、第1火口1100m、第2火口、第3火口。尚、山頂火口は700m。
江戸時代中期1707年12月16日(宝永4年11月23日)に起きた「宝永大噴火」。

推定マグニチュード8.6~9クラスと推定される「宝永富士宮地震」が起こった。この地震の震源は定期的に巨大地震を起している南海トラフであり、日本最大級のものであった。遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したとの見方もあった。地震の被害は東海道、紀伊半島、四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達した。「宝永大噴火」は1707年12月16日~31日。約100km離れた江戸でも2~3cm火山灰が降った。噴火の翌年1708年(宝永5年)6月の豪雨で大規模な土石流が発生して、酒匂川の大口堤が決壊し足柄平野を火山灰交じりの濁流で埋め尽くした。これらの田畑の復旧にも火山灰の回収・廃棄作業が必要であった。さらに、足柄平野での土砂氾濫は約100年繰り返された。皮肉にも「宝永大噴火」の被害は世間の富士山への関心を高めた。1708年(宝永5年)にはもう御厨地方の須走村に富士参詣客が殺到し、その後も傾向が続いた。家屋や倉庫は倒壊または焼失し、食料の蓄えがなくなった。田畑は『焼け砂』(スコリアや火山灰など)に覆われ耕作不可能になり、用水路も埋まって水の供給が絶たれ、被災地は深刻な飢饉に陥った。約80年後の1783年(天明3年)には低い生産性に加えて「天明の大飢饉」が加わり、「御厨一揆」が起こった。


火口を見ると富士山の美しさが分かると言う。

噴火で押し上げられた古い地層の「古富士」。
山頂から順に、新富士(2200年前3776m)-古富士(十万年前3000m)-小御岳(こみたけ、十数万年前2000m)-先小御岳(せんこみたけ、数十万年前)。日本一の高さを生んだ4層構造。

もう一つの奇跡。
縄文時代まで新冨士と古富士のつの峰がそびえていたが、新冨士がどんどん成長し古富士を抉(えぐ)って行った結果、2900年前に古富士が東=御殿場側に大崩落、新富士は噴火を続け傷跡を直しながら、2200年前に美しい独立峰となるも、古富士の痕跡を押し上げた。


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ブラタモふるさとコレクション「ブラコレ」
1962年(昭和37年)7月28日のニュース映像「くずれゆく富士山」
808の沢の中で最も大きな「大沢崩れ」。80年後には姿を変えるのではないかと心配。
山の信者たちが食い止めようと「富士浅間大神」を唱えて祈った。


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第2火口の底に美の手掛かりを探す。

上の方から「雪代」が流れて来て地面を踏み抜き土砂を下へと持って行く。
岩石にはマグマに含まれる白っぽい湯の花のような石英(二酸化珪素)が付着している。

火口の壁を見上げると、成り立ちが分かるような、溶岩流の水平の層になっている。
衝立(ついたて)のような「貫入」(かんにゅう)後の「岩脈」が露出。
度重なる「割れ目噴火」 ⇒ マグマが古富士の地層を突き破ったのが「貫入」 ⇒ それが冷え固まって板状の「岩脈」群 ⇒ 宝永噴火と浸食で「窪地」。


「割れ目」ファン(ビミョーな表現)」のタモリさんが、激写 !! 

「割れ目火口」と「岩脈」が山頂方向に、南東から北西へと揃った向き。
栗の殻を割るように万力で力を加えた方向に割れる。
つまり、地下の「フィリピン海ブレート」に浮かぶ伊豆半島は南東から北西に向かって富士山を押し続けている。富士山・愛鷹山・箱根山。

山頂から、山腹から、修復作業を続け、お化粧直しを続けている。
修復が終わった時期にお化粧の仕上がりが完璧に決まった。
その奇跡の瞬間に、我々は富士山を愛でていることになる。







■ #21「富士山頂」

【初放送】10/31(土)19:30~20:15
【再放送】11/1(日)13:05~13:50



映像デザイン: 山口高志
CG制作: 永田明日香
写真: 山田大輔
撮影: 齋藤文彦

ディレクター: 堀村悠紀
プロデューサー: 石原謙一郎


【あらすじ】


表口九合五勺3590m。胸突山荘前、胸を突くような急坂、富士山の雲海。
気圧は地上の2/3と空気が薄い、GOLDENスコーンBBQ味の袋が膨れている。

ここで、富士山仕様のタモカメが登場。旅のお題は、「人はなぜ富士山頂を目指す?」

タモリさんも、日本で一番高い山ですから、一度は来てみたいと思っていた。日本一の高低差、ファンとしては逃すことはできない。
だがここから先が最も険しい場所。

ここで、富士宮市立郷土資料館館長の渡井一信さんと、静岡大学教授(火山学)の小山真人さんが待機し、案内する。


狩野元信・印「絹本著色富士曼荼羅図」(室町時代、所蔵・富士山本宮浅間大社)には、信仰のため山頂を目指して登っている様子が描かれている。
何を目指したのか? 絵図の中に重大なヒント。白装束・松明姿で夜、登って御来光を拝む。しかし現代とは違うと言う。

大きな岩と岩の間を登る。2200年前の最後の大噴火に伴って流れ出した溶岩の上に、登山道を作るんだと。黒っぽい方が硬いので歩きやすい。


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富士山信仰の痕跡を辿る。

桑子「大丈夫ですか?」タモリ「・・・(無言)」桑子「口数少な過ぎません?」タモリ「しゃべれないよ、キツイ」
酸素ボンベ「森の酸素館」を吸う、タモリ「酸素はいいもんですねぇ」「上に上がると、すげぇご褒美があると頑張れるんだけど」
桑子「高低差好きなのに山登りはそんなに好きじゃないんですね?」タモリ「ちょっとの高低差ファンなんだろうな」桑子「微高地ファン」

小山「そうすると富士塚辺りが最高じゃないですか?」タモリ「それ位が最高 (話すのが辛そう)」
2012年3月29日放送の「神宮外苑」では、鳩森八幡神社の富士塚に上った。
「富士講」・・・富士への信仰登山のために組織された集団、仲間同士で旅費を積立て代表者が登った。

鳥居がある。「奉納 富士川町岩渕 鳥居講・・・」と彫られている。江戸時代の人々の信仰心の証しだ。12年に1度、申年の度に鳥居を立て替え、現代に続いている。

そして遂に山頂。タモリさん、苦しい中にもドヤ顔。
「浅間大社奥宮」に登山の無事を報告。20km離れているが麓の「本宮浅間大社」とは1つの神社。
タモリさんは、ジャスト70歳と末席ながら70歳以上の高齢者として記帳できた。

「衣印」・・・白装束専用の巨大な御朱印。タモリさんは記念に贈呈された。
富士講の代表で登って来た証しとして、持って帰り皆に見せた白装束。


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タモリ「そう言えば未だ火口を見ていない」と、信仰登山の聖域・山頂火口へ。
穴の直径約700m、深さ約200m。
一番最近の噴火の痕跡は? 最上層が2200年前の噴火でできた。46億年の中の2200年は本の瞬きの間。

富士山八合目~頂上は誰のものか? 浅間大社のもので、境内なのだ。
なぜ八合目以上なのか? 「大日本富士山絶頂之図」(富士市立博物館・提供パネル)には、火口に、お神酒を頂いたかわらけと古銭を投げていた、火口が巨大なお賽銭箱で、その底が八合目に当たる。

江戸時代には火口周りの山景色に意味があった。
「蓮嶽真形圖」(所蔵・神宮文庫)には、一岳・地蔵菩薩 二岳・阿弥陀如来 三岳・大悲観音菩薩 四岳・釈迦如来 五岳・弥勒菩薩 六岳・薬師如来 七岳・文殊菩薩 八岳・寶勝如来 中央・大日如来 八葉九尊 曼荼羅一千二百余尊 ・・・と記されている。
大日如来が火口中央に現れると信じた。つまり、太陽の日の出に向いてではなく、太陽を背にして火口に向いて拝む。そうすれば、御来光が御来迎と大日如来が現れ、もう一度、再生する(生まれ変われる)と信じた。
それはブロッケン現象・・・背後からの太陽光で、目の前の霧の海に自分の影が映る。


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いよいよ3776mの剣ケ峰へ。人々が富士山頂を目指す、もう一つの理由が分かる。
日本最高峰に到達!! 初登頂成功!!



ここで、NPO富士山測候所を活用する会の鴨川仁さんが登場。雷の研究者。
「富士山特別地域気象観測所」・・・1936年(昭和11年)に建てられた施設。

レーダーにより台風の進路を早く予測したい、予報精度を向上させたい。
約10年前まで気象庁職員による有人観測が行われて来た。
風速90mを超えることもある冬の山頂に寝食、南極で使っている防寒着。
電波を出すためレーダー装置が回転する太い支柱の痕跡。富士が独立峰なので遮るものがないので、直径800kmゾーンをカバーできた。
富士山は直ぐ傍で雷がドカドカ起こる、落雷被害を防ぎ、全貌を研究。
例えば、岩手の雷 (宇宙に近い高さ60kmに及ぶ)もキャッチした映像。雷というのは宇宙から見て上の地球に向かって落ちる。
山頂観測のオイシイところは、下界の天気が悪くても影響を受けず、定点観測と鮮明な撮影ができる。飛行機を使わなくっても。
地球温暖化・PM2.5などの観測に有効。


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テーマのおさらい
①信仰 ②気象観測・研究---信仰と科学のため富士山を目指している。

終えた後のカップ麺は旨い。


 桑子真帆さんは、お年寄りを気遣う、うちの嫁にしたいトップランキングの女子アナ。