2/13(土)より新PC=Win.10で投稿、処理が速い。
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■■ NHK-G 「ブラタモリ」
出演: タモリ、桑子真帆アナ
ナレーター: 草彅剛(SMAP)
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■ #31 「真田丸スペシャル・沼田 ~真田は沼田でどんな城下町をつくった?」
初放送2/13(土)19:30~20:15
取材協力: 沼田市、久保誠二、山口正。
資料提供: 群馬県教育委員会、東京地図研究社、利根印刷所。
映像提供: 柿崎デザインスタジオ。
映像デザイン: 石川一糸
写真: 山田大輔
ディレクター: 良鉄矢
プロデューサー: 垣東大介
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今回のブラタモリは大河ドラマ「真田丸」スペシャル !
舞台は真田の城下町、群馬県北部の沼田市。
沼田市は、堺雅人さん演じる真田信繁(幸村)の、大泉洋さん演じる兄・信之(信幸)がまちづくりを行った城下町。
さらに、タモリさんが高校の時、地学の教科書に河岸段丘の代表的な所で沼田が載っていた、河岸段丘とはこんなに高い(川が削った)崖があって上が平らなんだと思って、東京に大学生となって出て来て先ず最初に、沼田にやって来た!!
学生時代 "地形好き" に目覚めたという思い出の、感慨深い場所でもある ! 50年振りの訪問。まさに「ブラタモリ」のルーツは、沼田にあった !?
■ JR沼田駅からスタート。
堺雅人さんから、「旅のお題」を出させて頂きますと"指令" を受けたタモリさん。
「真田は沼田でどんな城下町をつくった?」
ここで沼田市教員委員会の高山正(まさし)さんが登場。
河岸段丘が真田の城下町にどんな影響を与えたか?大きな役割を果たしたか?
向かった先は、沼田市の巨大な「河岸段丘」 !
実は沼田は、巨大な段差=段丘崖の上に城とまちが築かれた、"天空の城下町"。
俺は"段丘GUY"だ!と叫ぶ。
河岸段丘ということは、アレをスイッチバックで上ったららほぼ平らなんですと。
その高低差は、実に70m以上、ビルにして20階。
市内には、真田が段差を存分に生かしてまちづくりを行った痕跡が、今もたくさん残っている。
「沼田城跡」の一方は崖で守りは3方向大丈夫。薄根川・利根川・片品川。
1582年頃の勢力図---北に上杉、東に北条、南に徳川。当時の武将にすると喉から手が出るほど欲しかった、奪い合いする場所。
タモリ「碁で言うと、あ~っ! ここに打たれたか・・・」。
浄土宗「正覚寺」(しょうがくじ、1612年頃の創建)
・・・吉田羊さん演じる小松姫が眠るお墓のある寺。実家・本多忠勝(藤岡弘さん)の家紋・立葵がある。家康(内野聖陽さん)の幼女⇒信幸(大泉洋さん)の妻。
ここで正覚寺住職・本多和貴さんが登場。女性アナウンサーが来るから箒(ほうき)掃いていてくれと言われただけなので、知らされていなかった。かっこつけて振り向いたらタモリさんだった。なんだブラタモリじゃねえか!!
現在も交通の要衝・・・西の信州長野、北西の越後・新潟、北東の会津・福島。
街道に仕掛けられた、奇想天外の防御策とは?
だらだらと続く長い坂道に隠された秘密とは?
やって来たのは商人の街・中町辺り。町割りで何か気になる所は? タモリ「道が斜めに交わっている」、お堀や鈎形(かぎがた)の道の他に、斜めにする利点とは?
ここでいきなり武将たちが飛び出た! 上州沼田手作り甲冑(かっちゅう)愛好会の角田和男さんと鈴木章夫さん。
隠れる空間を設けられる"武者隠し"。ここで材木町の桑原呉服店・恭子おばあちゃんが登場。桑子さん「この土地が三角形になっていることご存知でしたか?」、桑原さん「テレビよりキレイ~」「先代が(伝統を守るために)残しておくのが好きな人だった。各家に武者隠しを作った
」。
今度は長い道の守り、参勤交代の道「日本ロマンチック街道」の坊新田町。
城下町の最も外側、浄土宗「了源寺」「妙光寺」「金剛院」が並ぶ。
武士の集合場所でもあった、長い坂道をやって来た敵が疲れたところを襲い掛かる、段々畑が続きなかなかお城に辿り着けない、タモリ「三段構えですね」、高山「タモリさん、命名してください」タモリ「ようやっと坂」。
高台の特徴がよく分かる場所に向かう。
下久屋町のとんかつ屋「トミタ」のお座敷から、タモリさんが高校地学教科書で見たような、美しい河岸段丘の景色がよく見える。
ここで県立沼田高校・元教師(地理)の原澤直久さん。
古い教科書には、河岸段丘として沼田市片品川、扇状地として甲府盆地、自然堤防として信濃川が代表例として載っている。タモリさんの大好物。
城下町を母体とした市街地は、15㎢の高台が基盤になった、加賀金沢も同じ、"天空の城下町"。
しかし城下町を造るには避けられない問題があった、桑子「水」。
信幸(信之の頃)は10km以上離れた山奥の川場用水から引いた、限りあるため工夫した。
貴重さを物語る痕跡・・・用水の所々に左右に石を置いて堰き止め、その手前で取り入れ口を設けた。
*
再び堺雅人さんのビデオレター。
「しかし明治になると真田が高台で町を発展させたことが大変なことになった、それは何でしょうか?」
河岸段丘が大きな障害になった、生活基盤も学校も全て高台、段差を克服するためには・・・?
オリンピック選手が2人出たが2人とも下の町に住んでいて鍛えられた成果、タモリ「河岸段丘体質というのがあるんだね」。
さらに利根川に沿って山奥へとスイッチバックの緩やかな細い道が続いている。
タモリ「鉄道ぽいよね」、高山「かつて利根軌道がまさに走っていたんです」
上野-高崎-渋川までの鉄道 ⇒ 高低差が大障害となっていた。
繭(まゆ)などの物資を東京に出荷したいと、段丘克服プロジェクト!! 市街地までに緩やかな人工土手を造成、「利根軌道」・・・1911年から馬車鉄道として運行開始、1918年に全線電化。
痕跡探しの途中、タモリ「銘木ですね」、鈴木始郎さんに声を掛ける、「天然木工房 アールウッド」(戸鹿野町)。
利根軌道のレールを現代の東武鉄道のレールと比較、細いレールに桑子「心もとないですねえ」タモリ「(持ち上げるのは)朝飯前」、このレール軌道で最盛期の1920年には15万人を運んだ。
1924年には遂に国鉄開通、軌道は僅か7年で廃線、タモリ「よくやったね」と撫で撫でしながら「おサルの電車」と辛辣(しんらつ)。
そこで90年も前に廃止された利根軌道を見学、ここで丸山龍一さん・竜明さん父子が待っていた、"鉄ちゃん"模型(ミニチュア)の金属加工工場。利根軌道を模型で再現、富山黒部渓谷のトロッコ電車ED22模型(売り物)もある。
タモリさんと桑子さんが乗る、タモリ「重たいんじゃないの?」桑子「失礼な!」、勾配を上る。
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沼田市の市街地"天空の城下町"を眺望する!
タモリ「城下町にうってつけの地形を見つけ、水の確保もできた。しかし明治になって仇となり取り残されそうになったけれど、電車を作り鉄道を引いて克服した」「教科書で魅せられて東京に来てすぐにここに来た」
桑子「やっぱりタモリさんの原点ですよね」
タモリ「地形好きの原点はこれなんです」
桑子「その起源が真田にあった」
タモリ「思いが尽きないね」
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【追記】
私が沼田を訪れたのは、今から30年前の1986年頃。会社のバス慰安旅行のルートの1つに、
沼田のリンゴ園があった。何分にも朝、都内でバスに乗り込んでからずーっと飲みっぱなしだったため、着いた頃にはとっくに出来上がっていた。リンゴの2つも食べるともう腹が膨れ、リンゴのキャッチボールに始まり最後にはぶっけ合いとなってしまった。農家の皆さまにはスミマセン。
でも、高台をバス移動中に眺めた景色は、緑多き美しいものとして残っている。
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