19年前の震災体験記〜人生は意外と短い〜 | ヒーリングの満足度を120%に上げる秘密の施術方法セミナー(東京、大阪、名古屋)

ヒーリングの満足度を120%に上げる秘密の施術方法セミナー(東京、大阪、名古屋)

ヒーラーの方は、さらにファンが増える!ヒーリングが初めてでも
カンタンで、サロンオーナーが絶賛する施術のやり方をヒーリングセミナーと個別指導で学んでみませんか?(東京:蒲田、参宮橋、荻窪、大阪:西長堀、谷町四丁目)

● 19年前の震災体験記~人生は意外と短い~

こんにちは。ヒーリングの満足度を120%に上げる講師:池口公治です。

今日の話は、整体やヒーリングとは関係ありませんが、あの時のことを折にふれて思い出すので書きたいと思います。。。

阪神大震災・・・もうあれから19年の歳月が流れたのですね…

光陰矢の如し ・・・人生は意外と短いと感じる今日この頃です。

19年前の1月17日、ぼくは被災しました。(11年ほど前まで神戸に住んでいました)

まだ寝ていましたが、天地を揺るがすような未曾有の大地震に叩き起こされ、何が起きたのか地震発生の直後はまったくわかりませんでした。

ただ恐怖一色に包まれ、感覚的にはこの世の終わりがとうとう来たという感じでしたね。

1分ほどひたすら叫んでいましたね・・・おかげでトラウマにならずに済んだのかも知れません。

ぼくが住んでいた所は一番揺れがひどかった東灘区(神戸の東の端)だったのですが、神戸の西の端に住んでいた友人はぼくの叫び声が聴こえたとか!?…笑

こんな凄まじい驚天動地の出来事には、人生のうちでそんなに遭遇できるものではありません・・・

当時は4階建てのマンションの2階に住んでいました。 阪神高速が500mに渡って倒壊していたすぐそばです。

前夜にたまたま阪神高速の倒壊現場を走ったばかりでしたが、まさか翌日にひっくり返るとは。。。

眠っていた部屋の空間そのものが、暗がりで見ても大きく揺れていました 。

そして、部屋中が蒼白い光に包まれていたことを覚えています。

からだの感覚としては、まさに縦揺れで1mほど上下に叩き付けられているようでしたアップダウンドンッ

揺れが収まってから家の中はというと、すべての家具のガラスというガラスが粉々に割れていました。

テレビは1mほど吹っ飛んでいましたし、一番驚いたのは溜めていたお風呂の水が半分ほどになっていました。

そして、一緒に暮らしていた親父がタンスと座卓の間に挟まれていました・・・自力で抜け出せない状態でしたが、幸い怪我はしていませんでした。

うまく双方の家具が支え合って難を免れたようです。

ぼくはというと、実は震災の2週間ほど前に寝室にある巨大なタンスを処分したばかりで、それは足下にあったので助かりました(汗)

それがそのままだと、おそらく大怪我をしていたでしょう。

何故処分したのか特に理由はありませんでした…不思議です。。

それから、一歩外へ出るとまさに地獄絵図でしたね・・・ あちらこちらで火の手が上がり、電信柱がポキポキ折れていました。

木造家屋は見事にペシャンコになっていて、助かった者が生き埋めになった家族を一生懸命探している光景も見ました。

我々はとりあえず外へ出てみました・・・ しばらく歩くと、全壊になった瓦礫に下半身がまるごと埋まって身動きのとれない御婦人が二人、助けを求めていました。

ぼくは急いで掘り起こして助け出しました。怪我はほとんどなかったようです。

「お名前をお聞かせください」なんて言われましたが、「いや、名乗るほどの者じゃありません」なんて言ってしまいました(笑)

ドラマの見過ぎだろうか…

そして、午前9時頃に駐車場の方へ向かった時、これは!!??と思う光景に出くわしたのでした・・・阪神高速道路がほぼ90度の角度で倒れていたのです。

横倒しになった上の方に車が乗っかっている状態で、いろいろな物がバラバラと落下している状態でした。

何台か車が見えましたが、ドライバーはすでに亡くなっていることが直感的にわかりました。

すぐ近くの小学校のグランドには多くの人たちが毛布などを持って避難している最中でした。

ぼくは当時、すぐ隣の市である芦屋市にアパートの一室を借りていたのですが、そこも見事に全壊でした。

どういう訳か、そこに置いてあった荷物を地震の何ヶ月も前からせっせと実家に運んでいたのでした。

以前はそこに週の半分位は泊まったりしていたのですが、震災の少し前から泊まらなくなっていました・・・当日そこで寝ていたら危なかったでしょうね (汗)

火災現場の横を通ったとき、10m以上も離れているのにこんなに凄い熱がくるのだと驚きましたねメラメラ

火災である話を思い出しました・・・長田区は火災がひどかく随分悲惨なことがあったようです。

聞いた話ですが…倒壊した家屋に足を挟まれて動けない人がいて、しかも火の手が凄い勢いでその人に迫っていたとか。

そのままでは確実に焼け死んでしまうので、家族に頼んでノコギリで足を切断し始めましたが、結局間に合わず焼け死んでしまったそうです。

地震後4日間は電気が使えなかったので、親父と蝋燭の火を見つめているだけでした。

食べる物も無くなってくるし、あまりに寒いので東大阪にいる親戚のところへ行くことにしました。

ところが、東灘から甲子園までは電車が動いていなかったので、歩いて行きました。

途中、西宮の辺りで倒壊した家屋の中にいる人をレスキュー隊員が救助活動している生々しい現場をいくつも見ました。

歩いていると、すぐ側の家屋から瓦が崩れてきたりして結構危なかったですね。

この震災で一番ショックだったことは、やはり知っている人の死でした。

19歳の女の子で西宮の大学に入ったばかりで、大学のすぐそばの寮に住んでいたのです。 寮が倒壊した際の圧迫死だったとか。

ご両親のこともよく知っていたので、本当にショックでしたね。 本人の声もいまだによく覚えています。

あの時のことを振り返ると、やはり人生の一瞬一瞬を大切に生きていかなくてはと改めて思いますね。

やりたい事は今すぐやらないと死ぬときに後悔が残ります。

人生は意外と短いですから・・・べーっだ!

人生、楽しまずんば是れ如何…と伊達政宗も言っています。

人生、楽しまないと神様に申し訳ないですよね(笑)


※阪神大震災のあと、滋賀県大津市の友人宅に身を寄せていました。

大津から京都までは比叡山の山越えの道を行けばすぐです。

写真にある法然院の茅葺きの門は風雅さを感じさせます。

テレビで時代劇を見ていた時に、この門の前で俳優の渡辺謙さんが演じるワンシーンがありました。

法然院の境内には谷崎潤一郎や内藤湖南、河上肇ら著名人の墓も多いですね。

法然院に至る石段の静かな佇まいに身を置くとき、阪神大震災の悪夢がまるで嘘のように感じられました。。。

$整体師&ヒーラー養成:腰痛・肩こりを解消できる安心の無痛療法講座