朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -79ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。


2日目の夜は、また白川沿いに来た。


前の晩にBar亜弥のKさんから聞いたお店に行く為である。




しぐれ茶屋 侘助
075-531-5175
京都府京都市東山区新橋通大和大路東入ル元吉町70 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26001338/

中が見えないお店は、こうしたきっかけがないとなかなか思い切って入れないものだ。

先客無し。

カウンターとちょっとだけテーブル席のある小さなお店で、板前さんと女将さんの2人で切り盛りしている。Kさんからは若い夫婦がやっていると聞いたが、ちょっと様子が違った。聞いてみると、以前はそうだったのだが代替りしているそうだ。

マスクしているからわからないけれど、女将さんはなかなかの美形と思われる。板前さんは陽気なお兄さん。

カウンターの一番奥に向かうと焼き場が近くてちょっと失敗したかなと思ったし、お店の方も暑くないですかと心配してくれたけれど、中途半端なところに座るのも落ち着かない。まあいいかと腰を落ち着ける。カウンターにはアクリル板が並んで感染対策としている。




先付


お酒はハイボールをお願いすると先付が出た。

2人ごとに区切るように並んだアクリル板だが、カウンターの上だけをカバーしているわけだ。だから隣同士で話すと人と人の間にはアクリル板はない。だから、こんなの意味ないのに設置しなくてはいけないんですと女将さんが言っていたけれど、コロナについてのこの国の対応は、まったくもって絶望しか感じない。

最初だから何もわからないので、とりあえずお品書きから適当に注文を入れた。




ジュンサイ


コロナ禍の京都の話題が続く。こちらでも木屋町や先斗町は人出が戻ってかなり賑やかだけど、祇園町は相変わらず閑古鳥だと嘆いていた。




鴨茄子の田楽


電話が鳴って予約が入ったようだ。19時半で2人と言っていたので、まだ余裕があった。たぶんそれまでにはこちらは退散する。




あゆ


今年の初物。コロナ禍になる2年前から夏の恒例、簗の飲み会を始めてけっこう楽しみのイベントだったのだけど、いつになったら再開できるのだろうか。




鯖寿司


京都について参考になるような方のブログやインスタを見ていると、必ず鯖寿司が出て来る。もちろん祇園町の有名店のそれなのだが、無性に食べたくなってしまったので、注文した。



お腹が満たされたので、前夜に引き続き、またホームバーへと向かう。この日は亜弥さんのところはお休み。この日も亜弥さんに支払いは回してもらった。2日間の料金は後日請求書が届くのだが、たぶん今月末くらいに届くのではないかな。それまで料金は不明である(笑)。




帰りに目に止まった鉾のミニチュアは、簡単に買える値段ではなく、知人に頼まれた千枚漬けを買うつもりで行った先には、目当ての漬物屋が無くなっていた。


一休みして八坂神社に行ってみようかと思っていたが、疲れていつのまにか寝ていた。翌朝は早かったので、それで良かったかもしれない。




三条大橋のたもとで鴨川を眺めながら朝飯を食うスーツ姿の男(右隅)を反対側から見る男。←私

日常が京都。なんかいいな。



帰る時間は決めているので、金沢滞在時間を長く取るには早起きしか方法がなかった。起きられる自信がなかったので、特急券は買っておかなかったのは、この後の特急だと特急の乗車区間がちょっとだけ違う。



湖西線から見る琵琶湖は、のどかだった。


しかし、在来線は運動部の高校生も多く、賑やかで参った。やっぱり東海道新幹線往復が正解なのかもしれない。




近江今津に到着。ここで在来線を乗り継ぎ、敦賀駅まで移動する。




敦賀駅では乗換時間がそれなりにあったので、途中下車して特急券を買ってから再入場した。




これでこの旅で利用した切符がすべて揃った。


金沢からの新幹線の時間が早すぎるように思われるだろうが、今のところ家を空ける限界はフルで3日かなと判断している。可能なら3日目の夕飯は提供しないと、碌なもの食べてなかったり、要冷品もテーブルに放置してあったり、色々あるんだな😓。


Amazon Alexaを利用して、携帯から室内の映像とか複数のデバイスで確認できたり、声をかけられたりするシステム作ったけれど、これけっこう安く出来るよ。




さて、敦賀から乗車した特急サンダーバードは各駅停車に比べるとはるかに静寂であった。京都から山科までの切符を買い足して、京都からサンダーバードで移動すれば良かったのかなと思わなくもない(と、その時は思った)。

ね。



夏休みが終わったので書く時間が無い。でもワクチン打ったので、頭に浮かんだ事が5Gでネットに繋がるのでブログが出来上がる。

それならそれで面白いけどね😆。
聖護院門跡から西に向かうと、京大医学部の前を通る。コロナ以降、こちらに所属す方々のお名前を良く目にする様になったなとか思いながら、更に歩いて行くと神宮丸太町駅がある。そこから清水五条までは京阪で移動した。

駅から東に向かうと清水寺の方向だが、途中で南に下ると河井寛次郎記念館がある。



河井寬次郎記念館
〒605-0875京都市東山区五条坂鐘鋳町569
電話・FAX   075-561-3585
月曜休館(祝日は開館、翌日休館、夏期・冬期休館あり)



ここに興味を持ったのは、たまたま観ていた「なんでも鑑定団」の河井寛次郎作の木彫の回である。


その時の結果はこちら。





更にその興味を強くしたのが、テレビでみた「浜作会」。東京の北大路魯山人の美食倶楽部に触発され、京都に出来た浜作会のメンバーにも、この河井寛次郎は名を連ねていたし、浜作で使われている皿などにも河井寛次郎作は多いという。


ちなみに検索して出てきた上の文章を書かれておられるのは、この一筆書きの話をしてくれた、まさにその方である。



大正、昭和と活躍した陶工河井寛次郎の仕事場かつ住居を記念館として公開している。


こちらは2階だが、右上にエアコンが設置されているのが見えると思う。このように快適に河井寛次郎の生活した空間に身を置き、いろいろな思いに耽ることが出来るのである。




猫もまた、記念館の一部なのであろうか(と思ったら、野良らしい(爆))。




一つ一つの調度品に美しさがあり、調和がある。弁慶みたいな凡人だって美しい物は選べるが、なかなか調和が難しい。バラバラになって落ち着かない部屋になる。



庭に人が居たので、外に出られるのかなと思ったらそこは中庭で、ぐるりと回る様に廊下があって作品の展示がなされていた。更に奥に進むと、素焼窯があって、この空間が作陶するスペースだったようだ。




その一部は休憩するスペースとなっていて、寛ぎながら展示物を眺めることも出来る。




反対側のまさに作陶をしていたと思える部屋はガラス越しに作品を鑑賞出来るようになっていた。




さらに驚いたのはその奥に登窯があったことだ。この場所に登窯があるなどということは、まったく想像すら出来なかったし、実物の登窯を目にしたのはおそらく初めてだ。現在は周りにマンションも立ち並び、とても火を入れることはかなわないだろう。


実はこの登窯は当初は共同の窯だったのだとか。河井寛次郎はこの登窯の2番目の窯を使用していたのだそうで、こちらに住居を作ったのも、そもそもここにこの窯があったからなのだという。



時刻は15時になっていた。どうする?




少し頑張れば清水寺だよなと思って、わざわざ現在の鳥辺野、西本願寺西大谷墓地の中の道を清水寺まで登った。


もともとの鳥辺野は、現在の円山公園あたりから東福寺に至るまでの山麓に広がっていたらしい。六道の辻の石碑はその境界の一部である。当時は鳥葬なので、至る所に骸骨が転がっていたのではないかな。


そもそもそれ以前は特に定めはなかったので、そこかしこで鳥葬が行われていたようだが、それを鳥辺野、化野、西院、華頂、蓮台野の5箇所に定めたのは、六道珍皇寺の冥土通いの井戸で有名な小野篁である。小野篁は変わり者ではあったが、極めて優秀な実務者であったのだ。




もう遅いから拝観客も少ないだろうと拝観してみて驚いたのは、なんとも人が多くて、その人々が暑さに茹だって舞台でたむろっていたことだ。


危なすぎて立ち止まることなくどんどん進む(笑)。拝観料は400円だから、そんなに惜しくないし。




こんな遠くまで来てようやく寛いだ。ここは人の姿はほとんどない。拝観コースからわざわざ丘に登らなくてはいけない。暑いからほとんど登ってこない。




ゆっくり出来なかったから、夕方にならないうちに坂を降りて八坂の塔の後ろ側に出てきた。意識してこちらから観るのは初めてである。そのまま次の目的地の四条通りへ向かう。




何必館・京都現代美術館

京都市東山区祇園町北側271

075-525-1311

開館時間10:00-18:00

休館日月


蝋燭のような5階建てのビルで、各階ワンフロア。それをエレベーターで廻るスタイルの私設美術館である。




村上華岳、山口薫、北大路魯山人展を観る。


河井寛次郎を観たのだから、北大路魯山人も観たいなと思ってきたわけだが、だからって陶芸について無知な私に何かを語れるわけではない。でも、共にまた来たいと思った。


ね。


石塀小路からねねの道へ出て高台寺へ。


百鬼夜行展を開催している高台寺には、妖怪の提灯がぶら下がっていた。昨年の枝垂桜の時期以来の訪問となるが、高台寺は何気に好きな寺だ。


百鬼夜行展は例によって例の如く写真撮って載せられないから説明は難しいのだけど、新しいアニメ物もあったりした。観覧者はそれほど多くなく、ソーシャルディスタンスは充分確保可能。


百鬼夜行とは古くなった道具とかが洛外に打ち捨てられて、環境問題が発生したことから、古い道具には精霊が宿るという九十九神の思想に立脚した、ゴミを捨てるなという啓蒙活動がその正体と思われる。そんな原点の古い絵が観られると嬉しくなる。




遺芳庵。なんだかミニチュアみたいな茶室だなといつも感じる。京都の豪商灰屋紹益が関白さんと競って見受けした妻の吉野大夫(二代目)を偲んで作ったものを移築したものである。(ただし、その様式からすると後世のものでオリジナルではないようだ。)

吉野大夫は歴史上10人ほど居たといわれているが、その中で最も有名なのが、この二世吉野大夫である。

遺芳庵にもある吉野窓、俳句の季語ともなっている吉野忌、そして鷹峰の常照寺の吉野大夫花供養は、全てこの二世吉野大夫を指す。

一方、この灰屋紹益さんですが、本阿弥光悦の甥にあたる人で、灰屋家には養子で入った人である。叔父の光悦に茶の湯と文芸を学び織部流茶人の第一人者であり、その著作である「にぎはい草」は随筆文学の傑作といわれている。

ちなみに吉野大夫の件では養父の紹由により勘当されたがのちに許されたようだ。そして、この紹益さんこそ、かの井原西鶴作、好色一代男のモデルとなった人なのである。タン、タン。



傘亭(奥)と時雨亭


山の斜面を登った先にある二つの茶室は、共に国の重要文化財で、安土桃山から江戸初期の建築物とされている。



共通参拝券の圓徳院へ移動。



圓徳院ではコロナ禍に向けて疫病退散の御朱印を参拝者に向けて配布していた。




秀吉公好みの手水鉢

秀吉公好みとは素直には受け入れられないが、秀吉が世話になった西尾家に送り、のちに圓徳院に寄贈されたものだという。



圓徳院のある場所は、伏見城から化粧御殿と前庭を移築され、ねねが住まいとし、ここから高台寺へと通われた場所にある。


その前庭を前にしばし休憩。



八坂神社の前の祇園バス停から熊野神社前までバスで移動したが、歩き始めると右膝の上の筋肉に違和感がありまともに歩けない。立ち仕事で再発した坐骨神経痛の影響か思うが、幸い次の目的地はジャズ喫茶&バー。




丸太町通りを東に向かうと道端に看板が立っていた。




先月、高崎に本を買いに行った話を書いたが、その本が


喫茶店で

松本隆さんから聞いた

こと


この中には京都の喫茶店が4軒登場するのだから、その中の1軒がこのお店である。




ヤマトヤ
075-761-7685
京都府京都市左京区東山丸太町東入ル2筋目下ル 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26001087/

検索したところすでに食べログのお気に入りに登録されていたので考えてみると、角野拓三さんのお気に入りのお店でもあったんだね。あの方は年に何回も京都に来てはしばらく過ごすほどの京都好きだから。



先客は1人客で2人。


メニューはこのようなグランドピアノの形をしていた。会話をしても怒られるような堅苦しさはないが、ジャズを楽しむ店なので、たとえ2人客が居たとしても会話が弾むことはないと思われる。コロナ禍にあっては安心なお店だ。




京都ではあまり昼食は取らずに歩き回るのが常なのだが、この日もチーズケーキのセットで昼食も兼ねた。


小一時間休憩して店を出る。足の具合は多少は良くなって、ゆっくり歩くのには支障がなくなった。




須賀神社は聖護院門跡の前にある神社で縁結びの神様。隣には日本で唯一の交通神社がある。




年間、50,000キロくらいは走るので、交通安全を祈願して御朱印をもらう。




本山修験宗総本山 聖護院門跡


門跡寺院なのは、天台寺門派の寺院だったことによる。明治までの37代の門主は、25代は皇室から、12代は摂関家から迎え、江戸時代後期には2度ほど仮御所となったことがある。かつては広大な聖護院の森の中に寺院があり、バスに乗っていて耳にする錦林車庫の錦林の地名は、聖護院の森の別の呼び方である。




緊急事態宣言、晩年防止措置の狭間であったから、前回とは異なり中に入ることができた。


修験道って、もしかしたらちょっとお茶目なのかなと思わせる顔だしパネルの奥の部屋で参拝を済ませて御朱印を頂いた。




もっと若い頃に興味をもったら山伏や修験者が登る山とかにも行っていたと思うが、今は身体を少しメンテしないと整備された登山道が限界だろう。

ね。

まあ、そんなこんなで飲みすぎたので朝は遅めに起きた。昨年通販で購入した長刀鉾の粽を、散歩がてら八坂さんに納める為に宿を出たが、もう陽は高くなっていた。



舞殿には三基の神輿が鎮座している。本来ならここにあるべきではないのだが、コロナ禍ゆえ、御神体のみ白馬に乗って御旅所へと移られている。




神さんは御旅所なので、ここにはおらんけど、まあ一応お詣りしておく。




左奥に納札所があったので、今回の最も大事な目的であった昨年の粽を納めることが出来たので、あとはもう気楽なもんさ(笑)。




四条通りを戻って御旅所へと向かうが、途中にあるめやみ地蔵尊仲源寺にもいつものようにお詣りをする。




その後、御旅所に参拝する。何もなければ真ん中に三基の神輿が並んでいるはずなのだが、昨年に続き今年も御神体のみが在られる。




写真を撮る為に四条通りの反対側へと横断歩道を渡ると、御旅所の正面に細い路地があって奥にはお寺さんがあった。




染殿院


西暦808年に空海により開基されたとある。55代文徳天皇の皇后、原明子(染殿皇后)が本尊の地蔵尊に祈願して皇子が生まれた。後の清和天皇である。それゆえに地蔵尊は染殿地蔵尊と呼ばれるようになった。


宿に戻ろうとそのままお寺を抜けて裏の路地を進むと、今度は社があった。




岬神社(土佐稲荷)


先斗町の置き屋さん、井雪の提灯があったので足が止まった。井雪は亜弥さんが所属する屋形である。




岬神社は、室町時代に鴨川の中洲の岬に建てられたのが最初で、その後何回か遷される中で、江戸時代に土佐藩邸の中へと移築されたので、以来土佐稲荷と呼ばれているようだ。その後、土佐藩士のみならず木屋町、先斗町の人々からも産土神(うぶすなのかみ)として崇められ、坂本龍馬も中岡慎太郎も詣でていたのではないかと考えられるのだそうだ。

京都の街中に溶け込むようにあるこういった寺や社は良いよね。




宿に戻り朝風呂で朝を流してから朝食を頂く。散歩してもしなくても三福さんの朝食は美味しい。


ちょっと遅めの10時にチェックアウト。女将さんと娘さんに見送られ、先斗町公園の手前から右に折れる。こうした場合、とっとと姿を消すのが礼儀ってらものだからね。




さしたるあてもないので、朝の散歩で目に止まった高台寺の百鬼夜行展にでも行ってみようかなと、まずは祇園町をぶらぶらと歩く。




少し歩くとエロイカ(ヴィンテージロードバイクの祭典)で知り合った方が学生時代にバイトしていたというバーがあった。いつか来られる日が来るかな。

ね。

タクシーで長浜駅に到着すると、予想はつくけれど秀吉さんが待っていた。長浜城も徒歩十分たらずで行けるらしいのだか、そこまではのんびりしてはいられない。




橋上駅に上がるとこのように長浜城が見える。


タクシーから行列の出来ているラーメン屋を見たけれど、駅付近には特に気になるお店もなく、反対側に行けば何かあるのかな?と様子をみる間もなく、ちょうど電車があったので慌てて改札をくぐり瀬田に移動してしまうことにする。


1時間で瀬田に到着。地図ソフトで目的地に近そうに見えた琵琶湖サイドに駅を降りると、住宅地の中に出てきたかのような駅前で、唯一隣に古そうな神社があるのみだった。


あとで調べると萱野神社と云い第9代開化天皇を主祭神とする古い神社であったが、やはり立寄り先のことは少しは下調べするべきかもしれない。ちなみに開化天皇は実存したのかしなかったのか両論分かれる欠史八代(2代〜9代)の一人。


そこからは地図を頼りに徒歩で約18分。簡単に考えて歩いて向かうと、かなりの汗をかくことになり、グダグダで目的地に到着することになった。




シェラメール
077-548-3030
滋賀県大津市萱野浦22-36 
https://tabelog.com/shiga/A2501/A250101/25010546/

一昨年までは京都にあったケーキ屋さんで、昨年大津に移転開業したお店である。ここのケーキ、一度食べてみたかった。(雰囲気的に写真撮りづらかったので、どうか食べログで見てください。)



時間的に余裕があったので、手土産用のケーキを選んで取置きしてもらい、琵琶湖畔へと散歩に来てみた。正面に比叡山の西塔が僅かながら見えたが、すでにグダグダなので木陰に入らないととてもじゃないけど居られない。




シェ・ラ・メールでけっこう使ったね😓。ケーキの単価が結構良いお値段でした。


帰りはあまりに暑かったので、駅まではタクシーを呼んで戻った。タクシー会社の配車係にはシェラメールの場所を伝えるのに苦労したが、運転手さんは詳しくてすぐそばにも美味しいケーキ屋さんがあって人気を二分していると教えてくれた。


地図では石山駅の方が近そうだったので石山駅までお願いすると、道路が混んで時間がかかるから瀬田駅の方が良いと瀬田に向かった。戻った瀬田の駅の降りたのとは反対側の入口は、ロータリーもあり普通に開けていてお店もいっぱいあったのだが、宿で少しゆっくりしたくなったので先を急ぐことにした。暑さでちょっと疲れた。


予定通り山科で途中下車し、市営地下鉄東西線で三条京阪まで移動し電車を降りた。地下は涼しくて良いね。




6月に想像の旅をして以来の京都である(爆)。あとは三条大橋を渡って橋の袂を左折れすれば先斗町である。まだ御飯時までは時間があったので、通行人は疎らだった。



宿は鴨川沿いの三福さん。


女将さんから京都の様子を伺うと、先斗町は客も増えて賑やかさが戻りつつあるという。つい先日も宿泊客から2日前に食事処の手配を頼まれたのだが、先斗町では思ったところは予約を取れなかったそうだ。一方、祇園町はまだ客足が戻っていないようで、食べに行くのは祇園町のほうが良いですよということだった。


先斗町には気楽に入れそうなお店が並んでいるので、若い人たちもお店を物色しながら大勢歩いている。敷居の高さを感じる祇園町はその辺が異なっていて、おそらくまだ客層となる人たちが動き始めていないのかもしれない。


いつもなら夕食は北大路に出かけるところだが、実はいつもの照月が2月に


関西テレビのよ〜いドン!


の、となりの人間国宝さんで取材されたり、その時に口滑らかして(笑)、田村正和さんが昔、何回かお見えにならはりましたみたいな事を言ってしまったので、亡くなった時にまたまた取材が殺到したとかあったらしく、その影響かどうかは知らんけど、満席で予約が取れなかったのである。だがコロナ禍にあってそれはめでたい😊。


一休みしてから浴衣に着替えて街にでる。ぶらぶらと歩きながら、あまり空腹ではないので、軽く焼鳥でも食べようかということになる。




とり新
075-541-4857
京都府京都市東山区祇園縄手四条上ル 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26006671/

祇園といっても四条通りの北と南があって、北にある白川沿いは重要伝統的建造物保存地区にもなってなかなか風情があるし、四条通りなどから比べると遥かに人通りも少ない。とり新は、その白川筋と大和大路通りの角にあるお店で、新規開拓ではなく2度目の訪問になる。

隣にある鳥新は鶏の水だき、すき焼きの老舗で、とり新はその系列の気楽に入れる焼鳥屋である。



ビールは瓶になる。前回同様、おまかせ串いろいろコースをお願いする。




他に客はいなかった。焼くのは女性の板前さん。フロアは男性。姉弟なのだそうだ。




左の椎茸はなかなかジューシーで美味しかった。コロナ禍だからという訳でもなく、それほど積極的に客との会話をするタイプではないらしい。




以上、7本がセットの焼物の全容で、これにガラスープが付く。


これで小腹は満たせたので次なるお店へと移動となったが、ちょっと時間が早すぎて亜弥さんにはまだ燈が灯っていなかった。ぼーっとしていても仕方ないので、唯一の糸のような伝手を頼りに近所のホームバーを訪問してみた。


幸い顔見知りが居て入店できたので、小一時間をそこで過ごして支払いは亜弥さんに回して貰うことにした。花街には独特のルールがあるので、それに沿うことが望ましいと思う。




〆は亜弥さんで、以前ここでお会いしたUさん持ち込みの日本酒を頂戴した。ちょっと飲み過ぎただろうか。


蔓延防止対策は解除されたとはいえ、まだ21時までしか営業できないので、過ごせる時間は僅かである。夏のご挨拶の団扇を頂き、コンビニで軽く買い物をして部屋に戻ってテレビを見ているうちにあっさりと寝落ちしてしまった。


ね。