一筆書きの旅5 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

石塀小路からねねの道へ出て高台寺へ。


百鬼夜行展を開催している高台寺には、妖怪の提灯がぶら下がっていた。昨年の枝垂桜の時期以来の訪問となるが、高台寺は何気に好きな寺だ。


百鬼夜行展は例によって例の如く写真撮って載せられないから説明は難しいのだけど、新しいアニメ物もあったりした。観覧者はそれほど多くなく、ソーシャルディスタンスは充分確保可能。


百鬼夜行とは古くなった道具とかが洛外に打ち捨てられて、環境問題が発生したことから、古い道具には精霊が宿るという九十九神の思想に立脚した、ゴミを捨てるなという啓蒙活動がその正体と思われる。そんな原点の古い絵が観られると嬉しくなる。




遺芳庵。なんだかミニチュアみたいな茶室だなといつも感じる。京都の豪商灰屋紹益が関白さんと競って見受けした妻の吉野大夫(二代目)を偲んで作ったものを移築したものである。(ただし、その様式からすると後世のものでオリジナルではないようだ。)

吉野大夫は歴史上10人ほど居たといわれているが、その中で最も有名なのが、この二世吉野大夫である。

遺芳庵にもある吉野窓、俳句の季語ともなっている吉野忌、そして鷹峰の常照寺の吉野大夫花供養は、全てこの二世吉野大夫を指す。

一方、この灰屋紹益さんですが、本阿弥光悦の甥にあたる人で、灰屋家には養子で入った人である。叔父の光悦に茶の湯と文芸を学び織部流茶人の第一人者であり、その著作である「にぎはい草」は随筆文学の傑作といわれている。

ちなみに吉野大夫の件では養父の紹由により勘当されたがのちに許されたようだ。そして、この紹益さんこそ、かの井原西鶴作、好色一代男のモデルとなった人なのである。タン、タン。



傘亭(奥)と時雨亭


山の斜面を登った先にある二つの茶室は、共に国の重要文化財で、安土桃山から江戸初期の建築物とされている。



共通参拝券の圓徳院へ移動。



圓徳院ではコロナ禍に向けて疫病退散の御朱印を参拝者に向けて配布していた。




秀吉公好みの手水鉢

秀吉公好みとは素直には受け入れられないが、秀吉が世話になった西尾家に送り、のちに圓徳院に寄贈されたものだという。



圓徳院のある場所は、伏見城から化粧御殿と前庭を移築され、ねねが住まいとし、ここから高台寺へと通われた場所にある。


その前庭を前にしばし休憩。



八坂神社の前の祇園バス停から熊野神社前までバスで移動したが、歩き始めると右膝の上の筋肉に違和感がありまともに歩けない。立ち仕事で再発した坐骨神経痛の影響か思うが、幸い次の目的地はジャズ喫茶&バー。




丸太町通りを東に向かうと道端に看板が立っていた。




先月、高崎に本を買いに行った話を書いたが、その本が


喫茶店で

松本隆さんから聞いた

こと


この中には京都の喫茶店が4軒登場するのだから、その中の1軒がこのお店である。




ヤマトヤ
075-761-7685
京都府京都市左京区東山丸太町東入ル2筋目下ル 
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26001087/

検索したところすでに食べログのお気に入りに登録されていたので考えてみると、角野拓三さんのお気に入りのお店でもあったんだね。あの方は年に何回も京都に来てはしばらく過ごすほどの京都好きだから。



先客は1人客で2人。


メニューはこのようなグランドピアノの形をしていた。会話をしても怒られるような堅苦しさはないが、ジャズを楽しむ店なので、たとえ2人客が居たとしても会話が弾むことはないと思われる。コロナ禍にあっては安心なお店だ。




京都ではあまり昼食は取らずに歩き回るのが常なのだが、この日もチーズケーキのセットで昼食も兼ねた。


小一時間休憩して店を出る。足の具合は多少は良くなって、ゆっくり歩くのには支障がなくなった。




須賀神社は聖護院門跡の前にある神社で縁結びの神様。隣には日本で唯一の交通神社がある。




年間、50,000キロくらいは走るので、交通安全を祈願して御朱印をもらう。




本山修験宗総本山 聖護院門跡


門跡寺院なのは、天台寺門派の寺院だったことによる。明治までの37代の門主は、25代は皇室から、12代は摂関家から迎え、江戸時代後期には2度ほど仮御所となったことがある。かつては広大な聖護院の森の中に寺院があり、バスに乗っていて耳にする錦林車庫の錦林の地名は、聖護院の森の別の呼び方である。




緊急事態宣言、晩年防止措置の狭間であったから、前回とは異なり中に入ることができた。


修験道って、もしかしたらちょっとお茶目なのかなと思わせる顔だしパネルの奥の部屋で参拝を済ませて御朱印を頂いた。




もっと若い頃に興味をもったら山伏や修験者が登る山とかにも行っていたと思うが、今は身体を少しメンテしないと整備された登山道が限界だろう。

ね。