一筆書きの旅4 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。


まあ、そんなこんなで飲みすぎたので朝は遅めに起きた。昨年通販で購入した長刀鉾の粽を、散歩がてら八坂さんに納める為に宿を出たが、もう陽は高くなっていた。



舞殿には三基の神輿が鎮座している。本来ならここにあるべきではないのだが、コロナ禍ゆえ、御神体のみ白馬に乗って御旅所へと移られている。




神さんは御旅所なので、ここにはおらんけど、まあ一応お詣りしておく。




左奥に納札所があったので、今回の最も大事な目的であった昨年の粽を納めることが出来たので、あとはもう気楽なもんさ(笑)。




四条通りを戻って御旅所へと向かうが、途中にあるめやみ地蔵尊仲源寺にもいつものようにお詣りをする。




その後、御旅所に参拝する。何もなければ真ん中に三基の神輿が並んでいるはずなのだが、昨年に続き今年も御神体のみが在られる。




写真を撮る為に四条通りの反対側へと横断歩道を渡ると、御旅所の正面に細い路地があって奥にはお寺さんがあった。




染殿院


西暦808年に空海により開基されたとある。55代文徳天皇の皇后、原明子(染殿皇后)が本尊の地蔵尊に祈願して皇子が生まれた。後の清和天皇である。それゆえに地蔵尊は染殿地蔵尊と呼ばれるようになった。


宿に戻ろうとそのままお寺を抜けて裏の路地を進むと、今度は社があった。




岬神社(土佐稲荷)


先斗町の置き屋さん、井雪の提灯があったので足が止まった。井雪は亜弥さんが所属する屋形である。




岬神社は、室町時代に鴨川の中洲の岬に建てられたのが最初で、その後何回か遷される中で、江戸時代に土佐藩邸の中へと移築されたので、以来土佐稲荷と呼ばれているようだ。その後、土佐藩士のみならず木屋町、先斗町の人々からも産土神(うぶすなのかみ)として崇められ、坂本龍馬も中岡慎太郎も詣でていたのではないかと考えられるのだそうだ。

京都の街中に溶け込むようにあるこういった寺や社は良いよね。




宿に戻り朝風呂で朝を流してから朝食を頂く。散歩してもしなくても三福さんの朝食は美味しい。


ちょっと遅めの10時にチェックアウト。女将さんと娘さんに見送られ、先斗町公園の手前から右に折れる。こうした場合、とっとと姿を消すのが礼儀ってらものだからね。




さしたるあてもないので、朝の散歩で目に止まった高台寺の百鬼夜行展にでも行ってみようかなと、まずは祇園町をぶらぶらと歩く。




少し歩くとエロイカ(ヴィンテージロードバイクの祭典)で知り合った方が学生時代にバイトしていたというバーがあった。いつか来られる日が来るかな。

ね。