朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -16ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

さて、温泉めぐりを続けます。



入江温泉(亀川)


この外観にして、最高な雰囲気をもつ温泉でした。



入湯料は200円



半地下のこの雰囲気、良いですよね。それで、激アツ44℃くらいかなぁと、いちおう入れたから弁慶は思います。



柴石温泉(柴石)


道が狭くてカムリのセンサーが鳴る。なんの因果かカムリなんで。ポルシェは遠くなりにけり。



入湯料は300円。新しい施設なのでしょうね。建物は小綺麗。



内風呂は適温。露天風呂はぬる目適温。蒸し湯もありますが、これが激アツでした。


さて、観光客が怒鳴られたとかいろいろな噂があって、足が重かったけれどあそこ行かないわけにはいかないだろうと



この路地を眺めたり



左に回って神社にお参りしたり。


珍しい名前の神社で波止場神社。七福神にならい、海に関係する神さまを七柱集めて祀った神社なのだそうだ。


まあ、この界隈っていったら赤線地帯だったわけで、子供連れでは夜は来られないだろうね。



竹瓦温泉(別府)



入湯料は300円。砂湯は予約制で1,500円。


さて、半地下のお湯の方は昼の時間ということもあり、外来者が多いからか激アツではなく適温。



館内には砂湯待ちの人もいるので、そこそこの人数が存在している。



風呂上がりに、さらに竹瓦温泉横丁のあたりを散策というか何というか(笑)


昔の遊郭造の建物なんかないかなあ的な感じで歩くが、



竹瓦温泉の前で遊んでいた猫は、こっちに住処がありそうだ。それはわかったよ。


ね。

別府といえば、別府冷麺。知らんけど(爆)。


事実、まったく詳しくはない。とりあえず、冷麺を探そうと思ったら、たべログで引っかかった店は閉まっていたので、



大陸ラーメン

0977-23-2657

大分県別府市北浜1-10-21 

https://tabelog.com/oita/A4402/A440202/44003958/


こちらに潜入。



芸妓さんを相手にビールを頂く。でも芸妓さんは動かない。



なぜか編集しても縦にならない画像。画面コピーして横にすれば良いのだけど、ならないことが面白いからそのまま。


餃子美味かったよ。


そしてこの冷麺は大陸冷麺といいます。別府冷麺との違いは不明です(爆)。





アーケードがあって、そこの店が



左右で面白いのだけど、



それも二店づつ



合計4店。同じ人の経営ですかね?



商店街が火災厄除を祈願して作った、やよい天狗。頭の中後ろに秘密があるらしい(笑)。温泉祭の名物となっている。



西野食堂

大分県別府市駅前本町7-17 

https://tabelog.com/oita/A4402/A440202/44013980/


たべログに「あの西野食堂」と買いてあったので、弁慶的には、あの西野食堂として認知されました。



ニラ豚の定食です。


東洋一の味とうたってありますが、弁慶の舌が九州の甘い醤油にまだ慣れていないから、わかりません。関東もんのウチの社長は、「醤油は九州のほうが美味い」と言いますが、家族の中では孤立しているそうです。


ね。

なんのこっちゃ?というタイトルでありますが、全て温泉の名称であります。


別府の急遽予約したホテルにチェックインして夕食がてら温泉を探しに出発いたしました。ホテルは東別府寄りの立地でしたので、とりあえず別府方面に歩いて最初に出会ったのがここでした。



寿温泉(別府)



無人でしたので、所定の300円を料金箱に投入し、浴室へと向かいます。奥の左側が女性で開いているのが男性。



脱衣場所から浴槽を眺めた図。先客は年長の小学生か中1くらいかという男の子。


それでかどうかはわからないけれどぬるめでした。


脱衣ロッカーにも忘れ物が散見されているし、建物も大正時代に建てられたままとのことで、かなり老朽化しておりますね。


食後です。



紙屋温泉(別府)


素敵な外観で受付は有人でした。入湯料は300円。バシャバシャとお湯をかける音が聞こえてきてましてが、番台の女性が男湯は先客なしだよっと教えてくれました。



適温(41-42℃くらいかな)でした。



だいたいは常識的な内容ですが、別府温泉は縁に腰かけてはいけないというルールがありますので注意です⚠️



松原温泉(浜脇)



こちらも受付は女性がいました。入湯料は200円。


源泉名は松原温泉ですが、別府八湯の分類からすると浜脇温泉です。


朝風呂で入りましたが、浴槽が並んで2つあります。近所の人が朝の挨拶をしながら入っているような雰囲気の温泉です。温度はやはり適温(41-42℃くらい)でした。


ね。

始まりはこの看板



最近は京都ばっかり行ってる弁慶ですが、実はちょっと変な温泉マニアだったのです(爆)。まあ、引退したわけでもないんですけどね。


さて、この看板を観て「なんだ、鉱泉か」と歯牙にも掛けない方は多いだろう。源泉掛け流し至上主義から見れば、まったく価値のないものだろうが、弁慶にとっては、お宝が隠れているかもしれないことを教えてくれるたいへん貴重な看板である。


調べてみると六ヶ迫鉱泉しらさぎ荘という旅館があって、平成30年に残念ながら廃館しているらしい。だいたい鉱泉宿などは一鉱泉に一軒だったりするので、もうダメなのかと思ったのだが、さらに検索をしてみると鷺来ヶ迫温泉というのがあって、これも「ろくがさこ」と読むらしいし、どうやら地域も同じようだ。


ということで、山間の道を進んで到着したのが



鷺来ヶ迫温泉 源泉 俵屋旅館コト白鷺館



坂を降りて行くと、ちょうど玄関に宿の方が出てきて暖簾を掛けた。入浴をお願いすると料金は500円で、お風呂は右側の入口から入って階段を降りた先だということを教えてくれた。



Wi-Fiもあるじゃないか!



階段を降りたところに、休憩所らしき空間と椅子とトイレがあった。壁を見渡すと



利用客からの感謝状



昔の写真などが、掲載されていた。



奥を左に入ると褐色の源泉があった。さらに奥を見ると



ここは源泉を飲泉する場所となっている。



白鷺御神体堂


この六ヶ迫鉱泉は、元文年間(1736〜40)に一羽の白鷺が足を痛めてこの谷に飛来し、谷川で十七日間沐浴して傷が癒て飛び去ったことにちなんで、その名がついたということなので、もともとの字は鷺来ヶ迫で、六ヶ迫は後の時代の当て字なのでしょう。


どうやら閉館した「しらさぎ荘」は、ここより少し下にあって、後に発見された源泉で営業していた旅館のようだ。



窓が開かなかったので、すごい湿度でこれ以上中に入っての撮影は困難だった。さて、左側の大きな湯槽は激アツで46℃と推測します。褐色に濁っております。その右側の少し小さい湯槽は、有色透明で43℃から44℃くらいで、この湯槽には湯口がありますが、入浴時には投入されてありませんでした。高低差ではこちらの槽の方が高く、こちらから溢れたお湯は褐色の湯槽に流れます。でも温度は逆。仕組みはよくわかりません。


さらに右側には、待ってましたという感じで20℃くらきの源泉槽がありました。こちらも褐色で濁っておりました。


もちろん源泉槽には冷たくても入りました(それが目的だからね)が、褐色の激アツ槽には足までしか入れませんでした。46℃は鹿の湯でも入れなかったもんね。それで推測した数値です。



俵屋旅館コト白鷺館と書いてあるので、この旅館の名称は白鷺館だいうことらしい。料理も良さそうですね。


源泉は飲んだ感じはそんなにクセが強くは感じられなかった。色的にはもっと不味そうに見えるけれど(笑)、でも前出の感謝状の方のように三升は飲めないよね。


毎朝三升って何かがおかしい。



臼杵藩主の命も救った献上湯。


九代泰道公がその人のようで、西江禅師に命じて薬師堂を建立し、そこを湯治場とするに至ったということのようです。西江禅師とは、臼杵城下の臨済宗多福寺の七世の住職とのことです。


ひさしぶりらに温泉好きの記憶が疼いて、このあとで近所の泊まれるホテルを検索したわけです。近所・・・でもないか(笑)。


ね。

佐賀関のある臼杵市には何があるのだろうかと検索したら出てきたのが、国宝臼杵石仏。石仏といっても岩に彫られた石仏なので、いわゆる磨崖仏である。



深田の鳥居は、石仏入口の交差点のそばにポツンとあった。室町時代のもので、石仏群の後ろの山の上にある日吉社と関連があるのではないかと推測されている。



この地は臼杵荘という九条家の所領だった。九条家は延暦寺との関係も深く、この磨崖仏が彫られた頃にはこの地に満月寺という天台宗の大きな寺院があったそうだ。その鎮護社が日吉社ということだ。



以前は雨ざらしだったようだが、現在はこのように屋根がかかり保護されている。



ホキ石仏第二群第二龕・九品の弥陀



ホキ石仏第二群第一龕・阿弥陀三尊像



ホキ石仏第一群第一龕・如来坐像三体と菩薩立像二体



ホキ石仏第一群第三龕・大日如来像他



ホキ石仏第一群第四龕・地蔵菩薩と十王像



ホキ石仏第一群第二龕・阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、如来坐像



山王山石仏


ここから山を登っていくと日吉社があり、五輪塔がある。私より若いファミリーのお父さんは「パパは登らない」と言ってさっさと先に行ったので、ファミリーも登らなかった。



日吉社には土俵があった。



県指定有形文化財の石造五輪塔は平安末期から鎌倉にかけての時期に作られたのではないかとされている。


降る。



最後に国宝に指定された古園石仏の金剛力士像



古園石仏・大日如来像を中心とした曼荼羅


臼杵石仏の中心的存在で、特に大日如来像は日本の石仏の中でも最高傑作の一つといえるそうだ。



現在の満月寺



日吉塔(宝篋印塔=宝篋印陀羅尼教を納める塔)は、宝篋印塔としては日本最大級の高さで、中世にあった満月寺の守護社であり、その時代からここにあり移動されていないことが判明しているのだそうだ。



満月寺にあった石仏。一番左側はちょっと変わっていて貴族のように笏を持っている。どこかでも見たことがあるような気もするんだけれど、うーん、思い出せない。


ね。