あの日から39年 | JW 2世の保健室

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教室に行けなくなった人のために

1985年6月6日、神奈川県川崎市で10才のエホバの証人家庭の男子児童が交通事故に遭い、親権者がエホバの証人の教義に基づいて輸血を伴う治療を拒否したため、医師たちが適切な治療を施すことができず亡くなった日から今日で39年が経ちました。

 

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最近SNS上にアップされたエホバの証人の内部資料「Information for Parents Whose Child Requires Medical Treatment(医療処置が必要な子どもを持つ親のための情報)」(S-55-E 6/24)、

 

長老の管理の下に信者親が参照できる手紙であり、2024年6月に更新された最新のものです。

 

 

 

タイトルは「医療処置に関する情報」と穏当な表現ですが

 

内容は

 

「子どもの治療で輸血が必要となった場合にあらゆる手を尽くして拒否し続ける」

 

ためのアドバイスです。

 

 

2024年3月には、排斥者への接し方にいくらかの緩和措置があったため、輸血拒否の分野でも近々緩和や譲歩があり得るかいくらか期待もしていましたが

 

どうやらこの分野では、当面同じ「強硬姿勢」を持続するようです。

 

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手紙の2枚目は、医療現場でのノウハウというより、主として医師に対して子どもへの輸血を許可する裁判所命令が下されたときにどう輸血拒否を貫くか、という内容となっています。

 

 

末尾の2つの節は次のような内容です。

 

「15. 一部の裁判官や医師は、決定を下す責任を「他者に譲る」なら、親が良心に反することをしないで済むのでそうしないかと親に持ちかけるかもしれません。子どもに対する責任を十分に果たすことを願っている愛ある親として、あなたは輸血の伴わない安全な治療を子どもが受けられるよう希望していることを繰り返し表明することができます。

 

16. 輸血を許可する裁判所命令が下された場合でも、医師に、輸血をせず、子どもの血液を最適に管理するための選択可能なあらゆる医療処置を用いるように依頼することで良い結果を見てきた親たちもいます。」

 

(※組織側が責任を負わないために「~しなさい、すべきです(英語ではmustやshouldなど)」という指示的な表現が用いられていないことにも注目できます。表向きはあくまで情報提供、輸血を拒否することは個人の決定、不利な結果となっても自己責任ということです)

 

結局のところ、信者である親は、医師や裁判官が示す配慮にも、裁判所の法律に沿った決定にも、いかなるものにも最後まで妥協するなということです。

 

そしておそらく、仮に子ども自身が「生きたい」とつぶやいたとしても

 

頑なな信者親がその言葉に折れて輸血を受け入れることもないのでしょう。

 

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1985年当時に比べて、今やエホバの証人の家庭で育っている児童数は激減してはいるものの、

 

その子どもたちが背負っているこの分野でのリスクは、1985年のあの不幸な川崎の児童が背負っていたものと少しも変わるところはありません。

 

 

「1985年の悲劇」から学べたはずの教訓は何ら生かされず

 

その宗教に児童期に関わったがゆえに人生に不利を被った多くの人たちが、今、上げている真剣で悲痛な声も聞かれることもなく

 

なお親の宗教信条で「地雷原を歩かされるかのような生き方」を強いられている子どもたちが今だにいることが残念でなりません。

 

 

 

 

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