あの日から37年 | JW 2世の保健室

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教室に行けなくなった人のために

1985年6月6日は、川崎市で10才のエホバの証人家庭の児童が交通事故に遭い、親権者が輸血を伴う治療を拒否し、医師たちが適切な治療十分に施すことができず亡くなった日です。

 

現在生きていれば47才、成長してエホバの証人になったかどうかはともかく、一般市民として家庭を持ち、仕事にいそしむ日々を送っていたことでしょう。

 

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日本のエホバの証人の歴史で、事件のあった1985年は、伝道者数こそ10万を超えたばかりでしたが、児童数はおそらく最多であった時代で、どの王国会館もたいていは大勢の子どもたちで文字どおりあふれていました。

 

こわいのは、そのどの子どもたちにとっても(つまり今、このブログ界隈やTwitter界隈にいる元JW2たちも)、川崎の事件は決して人ごとではなく、

 

同じような状況がいつでも降りかかり得たということです(だからこそ"輸血拒否カード”を肌身離さず携帯させられていた)。

 

 

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エホバの証人の公式サイトより:

 

よくある質問 -「エホバの証人が輸血を受け入れないのはなぜですか」

 

よくある誤解

誤解: 毎年,大勢のエホバの証人が大人も子どもも,輸血を拒否したために死亡している。

事実: これは全く根拠のない主張です。心臓手術や整形外科手術や臓器移植など,複雑な外科的処置が無輸血で施されることは少なくありません。子どもを含め,輸血をしなかった患者の術後の経過は多くの場合,輸血をした人と変わらないか,それよりも良好です。いずれにしても,輸血を拒むと死ぬとか,受けると生きられる,などとはだれにも言えません

 

無輸血治療でうまくいった(自分たちにとって都合のいい)事例については「少なくありません」と述べていますが、

 

無輸血を貫いたために死亡した可能性がある(自分たちにとって都合が悪い)事例については、

 

「輸血すれば死なずに済んだとは誰にも言えない」と説明し、

 

数えること自体がさも無意味であるかのように主張しています(確かに境界線が引きにくい事例もありますが、輸血をしていれば延命できたのに、とはっきり言える事例も実際にはたくさんあり、医療委員の立場の長老や支部のデスクはそのような事例を多数把握しているはずであり、不正直な説明だと思います)。

 

 

どうしてこんな「開きなおり」ともとれる不公平な回答が、一般の人の「疑問に対する答え」になると思えるのか、不思議でなりません。

 

 

 

1985年の川崎のエホバの証人児童のケースについても

 

「結局、あの子は輸血しても助からなかった」と説明しようとするJWはいましたが

 

(そう説明することで「輸血拒否は児童の死とは関係がない」と言いたかったようですが)

 

「輸血しても助からなかった」という その推測も、

 

JW側が言う「輸血すれば助かったなんて、だれにも確実なことは言えない」という推測と

 

まさに"裏表の関係"にあるわけであり

 

まったく何の言い訳にも説明にもなりません。

 

 

そして

 

本質的な問題は、

 

輸血が「100%間違いなく救命できる手法」でないとしても

 

それが単に

 

「救命の可能性を数%~数十%高めるだけの手法」であるとしても

 

親の宗教的信念と一存で、医師の判断を退け、子どもの治療においてその「可能性」を捨てた

 

ということにあるわけで

 

 

視点を変えれば、川崎の児童の事例は「輸血する/しない」の問題の枠にとどまらず

 

カルト宗教家庭に育つ子どもが負うあまりに大きな不利益

 

を示す1つの実例でもあるということです。

 

 

(伝道の書 6:3-6)たとえある人が100人の子を持ち,長生きして老齢に達したとしても,墓に入る前に,良いものを満喫していなかったなら,私は,彼よりは死産の子の方がましだと言わざるを得ない。死産の子はむなしく生まれ,闇のうちに去っていき,名前も闇に覆われる。太陽を見ることも,何かを知ることもない。それでも,前述の者よりはましだ。1000年,さらに1000年生きたとしても,楽しみを経験しなかったなら,何の意味があるというのだろう。皆,同じ場所に行くのではないか。

 

洞察-2 P1184「流産,妊娠中絶」
ソロモンもまた,長生きしても人生を楽しむことのない人よりは月足らずで排出された胎児のほうがよいと論じました。―伝 6:3。

 

人生は「死ななければよい」というものでもなく

 

カルト宗教にのめり込んでしまった親にその価値観を強制的に擦り込まれ、

 

人生を楽しむことができなかったなら

 

上の伝道の書の言葉からすれば、「早々に落命してしまった子どもほうがましだ」ということですから


 

無意味な教理に命を奪われ、たった10年しか生きられなかった児童も、

 

JW親による幼少期の宗教強制体験が今だ尾を引いて、人生が不完全燃焼と感じている元JW2も

 

背負うことになった過酷な運命と不利益というのは

 

同じようなものなのかもしれません。

 

 

とにかく言えるのは

 

1985年に川崎の児童が経験したことも

 

今、生き残っている私たち元JW2の幼少期・少年少女期も

 

もう二度と繰り返してはならないものだ、ということです。

 

 

今日、6月6日は、その決意を新たにするための

 

「記念の日」です。