Wikipedia 「6 月 6 日」
- 1985年 - 川崎市で、交通事故で大けがをした小学生が、エホバの証人信徒の両親が信仰上の理由で輸血を拒否したため、出血多量で死亡。
******
「あの日」から36年が経ちました。亡くなった児童(当時10才)は、生きていれば現在46才でした。
エホバの証人家庭で育った若者がその信仰を継承する率は、米国の統計では約30%、日本も観察ではおおむねその程度と思われ、
児童は存命していればエホバの証人にはなっていなかった可能性のほうが高く、そうであれば今日この日にも、わたしたちとSNS上で交友を楽しむ仲間であったかもしれません。かなうことなら、そうであって欲しかったと思います。
******
以下はエホバの証人の公式サイト「よくある質問」の1つですが、エホバの証人の親元で育ったほとんどの人は、以下の回答が「実情をまったく反映していない、正直な説明ではない」と感じ、憤りすら覚える人もいます。
エホバの証人の子どもたちは、実際には、以下のように幼少期から「輸血をしないでください」という指示を記した書面を携行させられます。ほとんどの場合、そのことには子どもの側の選択や意志は反映されていません。
※イラストは元JW2、現在イギリス在住のLoveberryさんのTwitter投稿よりお借りしました(※所持させられたカードの書面は時期により異なる)。以下は元ツイートです:
輸血拒否のカードを首から下げさせられて、持ち歩いていた子ども時代。
— Loveberry (@loveberry2021) May 20, 2021
病気になったり事故に遭って、緊急で輸血が必要になっても、適切な医療処置を施されることなく私は死ぬ。
「母親は子どもの命を救うことよりも信仰を選んだ」と気がつかされた時の、絶望と見捨てられた感。#宗教的理由#医療 pic.twitter.com/j6lvOG4P4E
36年前の6月6日、その児童に降りかかった痛ましい出来事は、わたしたちJW2にも同じように日々降りかかる可能性があったことであり、決して「人ごと」ではないのです。
******
神への献身とバプテスマを、エホバの証人は「プロポーズと結婚」になぞらえますが、
エホバの証人の子どもたちはそのはるか前、まともなお付き合いすらしておらず、好意を持てるかどうかすらわからない相手に「命を預ける」ことを強制されてしまっているわけで
そういう相手につかまってしまったがために落とした命を、いったいどうして「忠実を全うしての死」などと表現できるのでしょうか。
それは、ただの痛ましい「犠牲者の死」でしかありません。
過去記事: